城内啓一郎の鷗鵡老日記
戦時中の大坊(終) 2022-01-01 18:59:55 テーマ: ブログ (前回より続く) 古老の話が出たついでに、その頃久成坊には円妙院日彰上人(妙光寺第五代)がおいでになった。 私は三等学衆になったころのことである。 「どうもなんだね〜いにしえは・・・」 銀…
戦時中 の大坊(2) 2021-12-25 09:16:26 テーマ: ブログ ~前号よりの続き~ 食べ物の話が出たから思い出したが、塔中食堂というしきたりがあった。 七日、十三、十五の御講のあと、塔中住職方が内事部玄関脇の部屋で朝食を共にされるのであるが、所化・小…
戦時中の大坊 2021-12-18 11:50:45 テーマ: ブログ こんにちは妙光寺支部の城内です。 前回に引き続きもう少し時代が下がった「戦時中の大坊」の様子をお伝えします。 (蓮華・昭和48年5月号より抜粋) ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇「戦時中の大坊」 前川慈肇 我々が子供の…
「昭和6年頃の大坊」 2021-12-11 17:53:26 テーマ: ブログ こんにちは、 妙成寺支部の城内です。 「昭和6年頃の大坊」と題して、日顕上人の手記がありますので、前々回に引き続き当時のお山の様子をここにご紹介いたします。 (昭和48年5月号・蓮華より抜粋…
大正時代の大坊 2021-11-20 10:32:52 テーマ: ブログ 前回までは信者側からの大石寺(登山)の様子を回想しましたが、 今回は御僧侶側(大坊)の様子を書いた回顧録がありますので、抜粋しここに転載いたします。 またまた歴史のお話でーす◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇小僧…
大正時代の登山 2021-11-14 08:48:36 テーマ: ブログ 前出の桑野さんの手記には、その当時の御開扉の様子が書かれていますのでまたまた転載いたします。~~~~~~~~~~~~~~~~「大正5年ごろの登山」 御大会・御代替りの本山行事に際して登山する…
続・信者はお客様というお話 2021-11-06 15:48:12 テーマ: ブログ こんにちは、妙光寺の城内です。 前回に引き続き御登山のお話です。 今では自家用車というとっても便利な乗り物がありますから、東京に住んでいるアタシ達には日帰りで楽々登山!という恵ま…
信者はお客様という話 2021-10-30 12:08:11 テーマ: ブログ やっと緊急事態宣言が解除され10/24の日曜日( 新来者をお連れして)久しぶりに御登山して参りました。 しかーし! 登山事務所に受付に行くと横柄な態度の坊さんに当たってしまいまさかの険悪の空…
なぞの僧侶、最蓮坊 2021-10-17 10:25:55 テーマ: ブログ 大聖人様から「相承の法門」や「秘蔵の法門」を授かった最蓮房は、その後、忽然と姿を消してしまいました。そのような重要御書を頂いたのなら、六老僧、いや七老僧として名前を残しても良いはずです…
最蓮坊は実在した僧侶か? 2021-10-10 21:06:53 テーマ: ブログ 公式ジャンル記事ランキング: 団体・サークル546位 こんにちは 妙光寺支部の城内です。 今回は久しぶりに上古に戻って歴史のお話です。 題して 「宗史(勝手に)三大ミステリー」 以前「まり…
日顕上人を偲んで(終) 2021-09-26 09:22:30 テーマ: ブログ 公式ジャンル記事ランキング: 団体・サークル625位 コンニチハ、 妙光寺支部の城内です。 今月は日顕上人の三回忌にあたり、過去の御指南を転載させていただきましたが、最後に スペシャルな御…
今日の記事は、日応上人百回遠忌を偲ぶ | 城内啓一郎の鷗鵡老日記からの引用です。 6月15日は日応上人様の百回遠忌でした。 総本山第56世 日応上人 我が妙光寺に大変縁ある上人ですので、お塔婆を建てさせて頂きました。 妙光寺に所蔵されてる御本尊様は、日…
創価は羊の皮を被った狼です ameblo.jp 続・唱題行について 2021-04-10 16:38:53 テーマ: ブログ 公式ジャンル記事ランキング: 団体・サークル121位 以前、「唱題行について」と題してブログを書いたところ、先日、長野の妙相寺のご信徒さんから 「この指…
体験談が一番リアル! 2021-01-24 12:35:24 テーマ: ブログ 公式ジャンル記事ランキング: 団体・サークル788位 前回は「第六天魔王」の棲家であるニセ本尊の害毒の諸例を書きましたが、今回は正真の御本尊の功徳体験談を書き残しておきたいと思います以前…
これではせっかくのワクチンが。。。 news.yahoo.co.jp www.asahi.com いやはや。 年末になって衝撃のニュースですね。 やっと、新型コロナウイルスに対するワクチンが完成した矢先に、もう変異種が登場してきました。 ポストコロナ時代は、確実に以前の世界…
ameblo.jp 「国立戒壇論」 「国立戒壇」という呼称は古来正宗にはありません。 明治35年、これを唱え出したのは(前出の)身延派から出て在家教団(国柱会)を組織した田中智学です。 国粋主義者だった彼の考えが国体主義とあいまって一世を風靡し、日蓮門下…
ameblo.jp 創価学会の二代会長の戸田城聖氏は、実質的な初代会長と言っても過言ではありません。なぜなら初代会長の牧口常三郎氏は戦中、不敬罪、及び治安維持法違反で逮捕され獄中死してしまいます。 その後、氏が創立した「創価教育学会」は壊滅してしまい…
創価学会・会長考(1) 2019-11-28 12:37:56 テーマ: ブログ ameblo.jp 日蓮正宗の近代史を語る上では創価学会の存在は外せません。 ですので創価学会(公明党)のテーマがブログに上がることを御了承願います。 戦後の混乱期に、戸田城聖と言う貴台稀な大…
私が創価学会にいた頃の指導(洗脳)の最たるもの ・学会批判の新聞記事など信用するな。 ・三大新聞などの捏造記事は読むに値しない! ・聖教新聞だけ読んでいれば良い! (聖教新聞は一家に一部ではなく一人一部!) ・週刊誌などもってのほかだ! ・週刊…
ameblo.jp 当時、私がまだ学会に所属していたころ 用も無くお寺に行くと地区部長や支部長に怒られました。 御受戒、本尊下附はお寺に行かなければなりませんが お盆やお彼岸やご先祖さまの命日忌以外、 不用意に行くことが 暗黙のうちに禁止 されているので…
ameblo.jp しかし戸田先生の弟子である池田センセーは 75万世帯から一挙に 800万世帯!! (一説には1000万世帯)への急成長を成し遂げます。 【会長就任後 絶好調の池田センセー】 公明党の最盛期の得票率が550万票ですから、 多めに見ても500~800万世帯が…
ameblo.jp 創価学会がいたころの日蓮正宗。 公称800万人の創価学会員に対して 法華講員は1万人程度。 つまり800:1 以前にも書きましたが 学会では夏期講習会に参加できて一人前の活動家。 しかも800万人もいては登山もできないだろう、 と思われるかもしれ…
ameblo.jp 『唱題行について』 唱題は日蓮正宗の信心の上で最も重要な行であります。しかるに多くの人が本来の唱題行から離れた祈祷の行をやっているように思われます。 即ち唱題と祈りを混同しているように見受けられます。 自分の願望が叶うことをひたすら…
ameblo.jp 当時、疲弊していた総本山の御影堂の雨漏りがひどく、 建物自体が大破してきていました。それまでの御影堂の屋根は檜皮葺(ひのきの樹皮を屋根材として使用)で腐れ果てておりました。 【檜皮葺当時の御影堂】 日応上人はこれを憂い全国より寄付(…
翌明治19年、日応師は大阪にて半年間の布教活動を開始します。まだ足並みがそろっていなかった各末寺の寺檀を統合して大阪布教会を創設します。 日応師は大阪にて半年間の布教活動を開始します。つまり大阪地方のテコ入れです。まだ足並みがそろっていなかっ…
ameblo.jp 明治16年、総本山では世の中かすごいスピードで変化していく明治維新の機を鑑み護法会議を開きます。 この会議は僧侶だけではなく各末寺の総代さんや講頭さんなどの有力な信者さんなども召集されました。当然、日応師も召集されます。時に36才。も…
ameblo.jp 安政5年5月13日、「安政の大獄」が始まった年に11才で得度した直次郎は名を「慈含」と改めました。 日霑上人に就いて文久3年まで6年間宗学を学びます。その頃の日本は黒船の来航により尊王、攘夷、勤皇、左幕とケンケンガクガクの論争になり、 250…
ameblo.jp 「この話も日霑上人のお供で東北御巡教の際、 志田郡古川町(現:宮城県大崎市古川 仙台から車で北に1時間程度)の信者、藤本重吉氏が上人に申し上げた時の話である。ある農夫が夢の中で尊い姿の仏様が現れる様を見た。 その仏が言うには『お前は…
ameblo.jp 近世、日蓮正宗の基盤を築いたのは第56世・日応上人と断言しても過言ではないでしょう。 また○○第一、を冠するとしたら「雄弁第一」と云うのがピッタリな御法主上人だと考えます。 創価学会発行の「仏教哲学大辞典」にも『雄弁な学匠であられ、 東…
ameblo.jp 新型コロナウィルスの影響でどこにも行けず、 巣ごもりGW は皆さまどのようにお過ごしでしたか?? 今回は日蓮正宗の歴史とは関係ありませんが、 前回のおまけとして、 僧侶の女犯・妻帯の歴史を考えてみたいと思います。「品川の客のにんべんある…