なぞの僧侶、最蓮坊
大聖人様から「相承の法門」や「秘蔵の法門」を授かった最蓮房は、その後、忽然と姿を消してしまいました。
そのような重要御書を頂いたのなら、六老僧、いや七老僧として名前を残しても良いはずです。
宗史に名を残す大活躍をされてもおかしくありません。
「相承・秘蔵の法門」を授かったのですから、大聖人様の後嗣として、血脈相承をお受けになられても不思議ではありません。
ですが、全く表舞台から姿を消してしまいました。
その後の最蓮房は、赦免されたのか、京都に戻ったのか全く分からず、消息文もありません
ここがミステリアス、
宗史(勝手に)三大ミステリーなのです。
では本当に「最蓮房」は実在した僧侶なのでしょうか?
実在していたとさたら「最蓮房」とはいったい誰なのでしょうか?
章安大師が書いた「魔訶止観」の序文に「説己心中諸行法門」とあります。
「説己心中諸行法門」とは自分の心の中に行ずるところの法門を説く、と読みます。
法華経の見宝塔品に出てくる宙に浮いた宝塔も、二仏並座も釈尊己心の宝塔であり、釈尊己心のニ仏並座です。
従地沸出品に出てくる地面から湧き上った六万恒河沙という、とんでもない数の地涌の菩薩も、釈尊己心の菩薩達でした。
と言うことは・・・
最蓮房とは大聖人様己心の「最蓮房」という可能性が大です。
それと
摩訶止観は、理行の一念三千ですので、どこまで行っても自身の己心止まりで限界があります。
このままでは大聖人様の「秘蔵の法門」も「相承の法門」も「理行」となって同類となってしまいます。
末法の御本仏たる大聖人様の仏法は、末法万年・尽未来際まで続く「事の一念三千」です。
ということは、実際にこの「法門」を授ける(相承する)相手がいなければなりません。
この頃、佐渡には常随給仕されている日興上人がおられます。
また、実際の「相承」は日興上人が御受けされるわけですから、事に約せば最蓮房→日興上人と言うことになります。
大聖人様はこの時に
「後継者は日興である」と決めていた事になります。
理に即すると最蓮坊とは大聖人様己心の最蓮坊であり
事に即すると常随給仕されている日興上人である。
とアタシなりに推理いたしました。
皆さまはどのようにお考えですか??
三大ミステリーの最後は何でしょうね~~
皆様のお考えををコメントしてくださ~い
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
身延、中山、池上の坊さんたち
ここまで深読みしてるかなぁ~
まぁしてないだろーなぁ~
このように歴史からも正邪が判別できますね~~
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ちなみに
日本史三大ミステリーとは
①邪馬台国はどこにあったか??
③坂本龍馬を暗殺したのは誰か??
歴史って面白いですね~~
でわまた、シーユー
来週は御登山のため、お休みいたします。