日蓮正宗のススメ

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1239夜:悲願成就!祖父母の戒名が38年の時を経て判明。追善供養が叶う。

驚きの結果に歓喜

父方の祖父母は、今を去る事38年前に相次いで亡くなりました。
私がまだ小学校6年生のことです。
寒い季節だったことは記憶していました。
脚を悪くして、寝たきりだった祖父を祖母はずっと介護していました。
当時は交通の便も悪く、父が年に1、2回帰省するときに本家を訪問する程度でした。
父は5人兄弟の末っ子で、私は父が40歳の時の子供。
私が生まれた時には、すでに祖父母は70代の後半でした。
あまり話した記憶もなかったのですが、二人のお葬式に行ったことは覚えていました。
当時の父方の親戚は、祖父母も含め伯父・伯母も全員が日蓮正宗創価学会員でした。
田舎ですので自宅での葬儀でした。
日蓮正宗の御僧侶が来てくださり、皆で読経・唱題したことも覚えていました。

しかし、父は正宗の化儀に疎く過去帳も持参せずに参加。
以来、ずっと祖父母の追善供養は放置されてしまっていたのです。
父はなぜか僧侶を怨嫉していました。
母は、母方の祖母(私から見て)が法華講員でしたので、お寺にも親しく参詣して僧侶の教導を受けていました。
夫婦で同じく創価学会員でしたが、信仰姿勢には温度差があったのです。

我が家の過去帳は、父方の姓で〇〇家先祖代々となってはいますが、実は母がお寺で作ってもらったものです。
父は過去帳を嫌っていました。
歴代猊下様の御名前が読めなかったからです。
母が亡くなってから(昭和62年)は、御仏壇の中にしまっておりました。

私が久しぶりに我が家の過去帳を見たのは、父が亡くなった9年前に実家の仏壇を整理していた時でした。
懐かしさがこみ上げてきました。
母、母方の祖父母、母の姉、全て母方の戒名ばかり。
父方は父自身の戒名が初めてだったのです。
遺産相続の手続きで、司法書士事務所から係累調査簿が届き、久しぶりに父方の祖父母の俗名を知りました。
そうそう、確かそんな名前だったな。。。
古い記憶を呼び覚ましたのを覚えています。
以来、父方の祖父母の追善廻向は、俗名で行っていました。

さて、今年になって私の息子が本家の地方に異動になりました。
どこのお寺の御僧侶が来てくださったのか、それすら分からない状態でしたので、参詣したら尋ねてみて欲しいと頼んでおりました。
そちらのお寺の御住職様に息子が、祖父の俗名を出したところ、「ああ、そのお名前は最近聞いたな」と仰って、すぐに祖父母ともに調べてくださいました。
息子もあまりの展開の早さに驚いたとのことで。
私の従兄弟の名前まで出てきたとのことです。

伯父が永代供養をしていたようで、お寺様のほうでずっと追善供養してくださっていたようです。
ありがたいことだと思いました。
涙が出てきたものです。

ずっと、勤行の時に先祖回向で二人の俗名を唱える悲しさ。
どうにかして戒名で供養してあげたいとの思い。
私の拙い信仰心を大聖人様は御照覧くださっていたのだと、痛感したのものです。

創価学会が破門されてしまい、親戚は敵味方に分かれ音信不通になっておりました。
父方の伯父伯母は、長男・長女は熱心な創価学会員のまま。
次男は不信心で放置。
しかし、不思議な縁で本家を継いで祖父母を養っていた次男の家から、私の従兄弟にあたる人が正宗寺院の外護の役割を果たした功労者が出ていました。
従兄弟本人も、外護の縁で私の菩提寺のほうで御授戒を受け、次男の伯父伯母は正宗で葬儀を執行してもらっていました。

仏縁とは不思議なものです。
個人情報保護法創価異流儀化によって、昔の話をほじくり返して見ず知らずの人間に、おいそれと教えてくれるのだろうか。。。
難航するだろうな。。
そんな不安が一瞬で解消されました。

これで、今度は私が自宅の過去帳菩提寺に持って行き、祖父母の戒名を記載していただくことができます。

長年の思い煩いが解消できたこと、ここにご報告する次第であります。

異流儀の邪難は嘘でした。
日蓮正宗は誠意ある宗教であることが、私自身の体験により証明されたのです。
創価学会顕正会の皆様が、一日も早く日蓮正宗に帰ることができますよう、お祈り申し上げる次第です。
ちなみに、息子は一足早く、祖父母の菩提寺の方で御塔婆供養してくれたようです。
愚息よ、ありがとう。