日蓮正宗のススメ

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1135夜:「別して之を論ずれば十二箇条の法門あり」(日蓮正宗聖典P862)富士門家中見聞 中 日道伝

日顕上人を偲んで(終)

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団体・サークル625

コンニチハ、

妙光寺支部の城内です。

 

今月は日顕上人の三回忌にあたり、過去の御指南を転載させていただきましたが、最後に

スペシャルな御指南を抜粋転載させていただきます。

 

(便宜上、割愛させていただいたところが多々ありますので、全文をお読みになりたい方は大日蓮平成4年10月号をお読みください)

 

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《大日蓮編集室注》

 

従来、全国教師指導会における講義は、教師僧侶を対象にするものであるという性格上、本宗の機関誌であると同時に布教誌でもある本誌に掲載することはありませんでした。

 

法主上人におかれましては、唯授一人血脈相承をお承けあそばされるお立場から、本宗の僧俗のために、今般の全国教師講習会において、御相承の内容にまで触れられて御指南あそばされました。

 

宗内僧俗各位、読者諸賢におかれましては、信心をもって当御指南を熟読され、本宗の深義を再確認し、御法主上人のもとに一結して、謗法の徒輩に対する折伏逆化と、正法広宣流布の願業に向かって勇猛精進されることをお祈りいたします。

 

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まず第一に、先程の御挨拶のなかにも「血脈」という言葉が出ましたが、その血脈ということの関して、もちろんお話しできるところまでではありますが、これについて申し上げたいと思います。

 

日応上人も「金口嫡々相承」とお示しになっているよう金口相承は当然ながら、当宗における「コンシ」とは天台の「今師」ではなく、「金紙」であり、また、金口というのは、仏様自らの相伝直授の深いお言葉ということであります。

 

この金紙は、簡単に申し上げれば、文献ということであります。

 

しかし、当然、この文献とはいわゆる

「本因妙抄」

「百六箇抄」

ではありません。

 

文献といっても、これは金口の文献でありますから、金口のなかにすべて含まれるのです。

 

もちろん、

大聖人様から日興上人様への相承は金口であります。

 

しかし、日興上人様も大聖人様の御講義を「御義口伝」として記し置かれたように、やはり唯授一人の金口の内容を御自身の御境涯においてお示しになったものが存するわけであります。

 

それが、すなわち金紙であります。

 

したがって、

金紙そのものが金口の意義を持っておるのです。

 

まさしく目師(日目上人)が道師(日道上人)に御相承を授けられたことを明かすなかにおいて

 

「別して之を論ずれば十二箇条の法門あり」

日蓮正宗聖典P862)

ということをおっしゃっておりますが、これはまさしく金紙であって、いわゆる直接、口伝のみによって申し置かれたものだけではないわけであります。

 

つまり、金口といっても、金紙として相伝されている内容もあるのでありまして、その基本のところだけは御理解いただきたいと思います。

 

~中略~

 

 

日常の間に相承が一回ないし数回にわたって行われる場合もあります。

 

この者に相承すると決めておれば、その者が法要などで本山に登山した折に触れて、あるいは特別に呼ばれて

「この点についてはこのように心掛けておきなさい、この法門についてはこのように考えなければならない」というようにお話になる場合があります。

 

その場合においても、宗門の状況、時代背景その他、種々の御都合や配慮等、色々な事情があります。

 

儀式という形を取る場合と取らない場合がありうるわけです。

 

ですから、儀式という形を取ったことを基準にして、それがはっきりした形でなければ権威がないというように判断することは誤りなのであります

 

したがって、金紙という意味は、文献相承、いわゆる法門相承は別個にあって、金口相承のなかに金紙相承が本来的に存するとともに、また、その要点・要義が自然の時期において金紙として表れてきておるということが拝されるのです。

 

とにかく、この金紙相承については、御相承の内容でありますから、これ以上は申し上げるわけにはいきませんが、ある意味では

「紙背に徹する」ということを掘上人(日享上人)もおっしゃっておりますように、紙背に徹して御書を拝していくならば、すべてが示されているともいえるのであります。

 

#59世日享上人

 

ですから、唯授一人の血脈という意味において、皆さんがその内容に直接触れることはないわけですが、皆さんが歴代先師の教えに基づいて正しく信・行・学に邁進するところには、血脈の法体にも、また金口、金紙の意味においても、おのずからその領解・確信がそのところに当たっているのであり、いささかも背反がないのです。

 

そこが大事な所以であります。

 

金口の血脈とともに唯授一人の法体血脈が存するのでありますから、まず、その点はしっかりと信解してもらいたいと思います。

 

 

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なんと、このように我々一般信徒が知る必要がない「血脈相承」の一端を御指南あそばされました。

 

この御指南からすると、御相承の内容はともかく

 

本因妙抄・百六箇抄は相承書でなく別に「金紙・金口相承」が存在する。

また「金紙・金口の相承」は十二箇条の法門であるとお示しです。

 

(学会では両抄が相承書であり日享上人がすべて公開しているので相承書などないと主張しております)

 

また、御相承の内容は御書に全て示されている、とのことです。

 

最後に御歴代上人の教えに従っていくならば、自ずとその信心が確立していくと御指南です。

 

どうぞ、今後の信心のために、この大日蓮(住職さんがお持ちだと思います)をコピーして時折、熟読することをお勧めいたします。

 

改めて日顕上人の御徳を偲び合掌お祈り申し上げます。お願い

 

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(プラス)

 

学会では

「日目上人以来、血脈など無い!」と主張しておりますが

次の事実が判明しました。

 

(同じく大日蓮から抜粋)

 

さて、もう一人、誑惑お者がいます。

池田大作であります。

 

あれは本当に大狂乱の者でありまして、日達上人の時代から御相承の片鱗を聞きたいと思って色々に探りをかけておったようであります。

 

 

実は私にも「日達上人にこういう法門を聞いた」というように、人を介して探りを入れてきたことがあるのです。

 

 

私も、直接聞いてきたならば、

話してもよい範囲までなら教えてもよいと考えておりましたが、結局、自分自らは聞いてきませんでしたので返事はしませんでした。

 

とにかく、日達上人には色々と探りを入れて、なんとか聞き出そうとしたらしいのですが、当然、日達上人はこの金口嫡々、金紙の相承を在家の者にお話になるはずがありませんので、その片鱗さえも知ることができなかったのです。

 

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「血脈など無い!」と、ほざいてるセンセーがその血脈の内容を聞き出そうとしていたとは

笑止千万!ゲラゲラゲラゲラゲラゲラ

 

また、日顕上人が

話してもよい範囲までなら教えてもよい

とお考えになっていたことにもビックリです。目

 

御相承の内容の一部が一般ピープルのセンセーに漏洩せず済んだのは御仏智でしょうか!

 

日蓮正宗には血脈など無い!」

とほざいてる池田センセー!

 

なのに総本山第26世の日寛上人の御本尊を拝ませてるという大矛盾

自語相違もはなはだしい!

 

そりゃ頭がおかしくなるわなぁ~

ゲラゲラゲラゲラゲラゲラ

 

精神疾患精神病→自殺はいまや創価高校にまで広がる

ゴールデンコース!

 

創価高生のように飛び降り自殺するまえに

地獄の一丁目行き創価バスから飛び降りましょう救急車滝汗

 

今ならまだ間に合いますよ~チョキチュー

 

ご連絡は妙光寺支部城内まで

09032123588

 

でわまたしーゆーOKウインク

ameblo.jp

ブログ運営者の蛇足

今日の記事は、妙光寺支部城内さんのブログから。
以前の記事で、私なりの血脈相承観について書きました。
城内さんの記事を読んで、私の想像も強ち的外れではなかったなと思っています。

nichirendaihonin.hatenablog.com

  • 「日常の間に相承が一回ないし数回にわたって行われる場合もあります。この者に相承すると決めておれば、その者が法要などで本山に登山した折に触れて、あるいは特別に呼ばれて「この点についてはこのように心掛けておきなさい、この法門についてはこのように考えなければならない」というようにお話になる場合があります。」まさに、常随給仕のことですね。
  • 「したがって、金紙という意味は、文献相承、いわゆる法門相承は別個にあって、金口相承のなかに金紙相承が本来的に存するとともに、また、その要点・要義が自然の時期において金紙として表れてきておるということが拝されるのです。」口述による口伝教授≒金紙(書付)が、二而不二の関係で伝えられてきているということでしょうね。
  • 「ですから、唯授一人の血脈という意味において、皆さんがその内容に直接触れることはないわけですが、皆さんが歴代先師の教えに基づいて正しく信・行・学に邁進するところには、血脈の法体にも、また金口、金紙の意味においても、おのずからその領解・確信がそのところに当たっているのであり、いささかも背反がないのです。」信徒の分際としては、日蓮正宗で御授戒を戴き、御本尊様を下付していただき、五座三座の勤行・唱題、御供養、教学研鑽、折伏、登山などの修行全体に含まれてくるということですかね。

城内さん、勉強になりました。ありがとうございます。
日蓮正宗聖典を御購入でない方は、ぜひ、この機会に読んでみてください。
日蓮正宗という宗派が、確立していることの有難さがしみじみと感じられます。

あの四条金吾さんでさえ、身延のお寺の開基檀那になってしまっているんです。
富木 常忍や池上兄弟も、謗法の他門寺院の開基檀那です。
1912年(明治45年)6月7日、大石寺第57世日正上人様の決定により、現在にいたる日蓮正宗という宗号が政府の認可のもと公称されることとなったそうです。
まさに、大聖人様御生誕から700年の時を擁しております。
そして、800年の佳節に聖典が現れました。
ありがたいことですね。

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富士山も御本仏に感応して出現しました