エセー Les Essais

文人思想家のブログ

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昭和52年路線(4)(5)

当時、私がまだ学会に所属していたころ

 

用も無くお寺に行くと地区部長や支部長に怒られました。

 

御受戒、本尊下附はお寺に行かなければなりませんが

 

お盆やお彼岸やご先祖さまの命日忌以外、

 

不用意に行くことが

暗黙のうちに禁止

されているのです。

 

その理由は

『寺信心になる!』

からです。

 

実はこの『寺信心』という言葉は戸田先生の時代からあったそうです。

 

寺信心→折伏をしない信心になる。

 

という意味です。

 

つまりお寺に参詣することで、何か安心し折伏をしなくなる。

 

自分だけの、つまり自行だけの信心になってしまい

 

行く行くは法華講のようなになってしまう。

 

と言うのです。

 

 

言い得て妙です。

 

 

七百年の貧乏暮らし

をしている宗門を見て

 

戸田先生は

 

『この人達と一緒に信心をしていても広宣流布など夢のまた夢』

 

と感じたのでしょう。

 

色々な理由を付けて宗門からの独立を企てました。

 

それが下記の新聞記事です。

 

 

この時、宗門から

 

『それは違います!』

 

と声を上げた青年僧侶がいました。

 

(現)御隠尊・日顕上人です。

 

時に30才。

 

が、しかし宗門の上層部が

 

『戸田がそこまで言っているんだから1度やらせてみよう』

 

という事で一件落着したそうです。

 

その後、戸田先生から

『まぁ一杯飲もう』ということになり

 

若き日の日顕上人と杯を交わしたそうですが、

 

その時のことを御隠尊は、

 

『戸田氏は御法のことを真剣に考えておられた』(趣意)

ことが良く分かったと記述しております。(大日蓮より)

 

 

何度も書きますが

 

学会精神

『一人立つ』広宣流布です。

 

(サブに師弟不二 ッーのもあります)

 

小説・人間革命では男子部員が輸送任務中に

 

アクシデントで亡くなるという事件のくだりがあります。

 

その時男子部員が今わの際に発する言葉が

 

広宣流布!』です。

 

それほど広宣流布を第一に掲げるのです。

 

法華講ではまず『法燈相続』が第一義です。

(前・柳沢連合会会長の指導より)

 

『時を待つべきのみ』の御金言のとうり

まず、その時が来るまで法燈を保ち続けなければなりません。

 

燈が消えてしまえば『広宣流布』が夢物語になってしまうからです。

 

そして学会精神の『一人立つ』対して

 

法華講の精神は『異体同心』です。

 

どちらが正しいとは言えませんが

 

このように行体に対する基本理念が違うのです。

 

なので今回、創価学会が宗門から破門になり

 

若干の学会員が法華講に入ってきた時には

 

旧信者との間に色々と軋轢が生まれ多々問題が起きました。

 

私の母が所属していた沼津の本廣寺でも

学会からの移籍組みの講が解散してしまいました。

 

また我が妙光寺の総代さんも

 

『学会は何かあるとすぐに行動だ!行動だ!と言う』

 

と、なかば呆れ口調で言っております。

 

教育された環境が違うわけですから、和合することはかなり難しい状況です。

 

話を元に戻しましょう。

 

 

巨大組織になっていく創価学会は池田センセーの代には

信濃町にあの本部が完成します。

 

(その後の信濃町創価学会の聖地になったのは皆さま御存知のとうり)

 

そこ本部に安置してある御本尊(大法弘通慈折広宣流布大願成就の御本尊・日昇上人筆)

がいつの間にやら紙幅から板曼荼羅に変わっているのです。

 

そして当時行われていた「本部幹部会」にて自らが“開眼供養”もどきをして

いたのです。

 

それを新聞などで知った複数の信者からの投書で問題が表面化していき

とうとう『本尊模刻』として大問題に発展しました。

 

実は本部の本尊だけではなく、昭和48年頃からひそかに

8体もの本尊を摸刻しておりました。

 

『えっ??本尊って摸刻しちゃいけないの??』

 

『だって仏像や印刷の掛軸(曼荼羅)とか売ってるじゃん??』

 

と一般の人は思われるかもしれませんが、

 

日蓮正宗では御本尊を顕すことができるのは代々法主上人のみ!

 

という厳しい掟があるのです。

 

 

池田センセーは何をトチ狂ったのか、自分が本仏であるかのように

 

聖教新聞社の地下室でカメラマンに御本尊の写真を撮らせ

 

浅草の仏壇屋・赤澤朝陽に彫刻させておりました。

 

その御本尊は

 

(1)学会本部安置の大法弘通慈折広宣流布大願成就の御本尊

 

(2)池田大作所持の賞本門事戒壇正本堂建立本尊( 通称「賞与本尊」)

 

(3)ヨーロッパ創価学会本部安置の御本尊

 

(4)池田大作所持の御守本尊

 

(5)会長室安置の御本尊

 

(6)学会本部文化会館安置の御本尊

 

(7)アメリ創価学会本部安置の御本尊

 

(8)創価学会関西本部安置の御本尊

 

の以上、8体もの御本尊の摸刻が判明したのです。

本尊摸刻事件が発覚したその後の宗門内は

ハチの巣をつついた

ような大騒ぎになったようです。びっくり

 

*私はこのあたりの事件が起きた時は

ほぼ学会活動から離れていたので

当時の出版物や記憶から述べたいと思います。

 

元をただせば

正本堂建立計画』あたりから

池田センセーの謗法ぶりが顕れたようです。

 

その根本には

『三大秘法』という

 

他宗には絶対にゆずれない

日蓮正宗の三つのお宝があります。

それは

 

(1)本門の本尊

 

(2)本門の題目

 

(3)本門の戒壇ですね。

 

(1)(2)はすでに大聖人様が顕されておりますが

 

(3)の「本門の戒壇」に関しては未完成です。

 

この戒壇に関しての大聖人様の御教示は

 

三大秘法抄と一期弘法書付嘱(身延相承書)

二つにしか書き残されていない重要な遺命です。

 

ではその部分の全文です。

(教義のことは書かないブログですがここは素通りできないので・・・真顔

 

 

【三大秘法禀承事の戒壇に関する部分】

 

戒壇とは王法仏法に冥じ仏法王法に合して王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時勅宣並に御教書を申し下して霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か時を待つ可きのみ事の戒法と申すは是なり。

 

【一期弘法書付嘱の戒壇に関する部分】

 

国主此の法を立てらるれば、富士山に本門事の戒壇を建立せらるべきなり時を待つべきのみ、事の戒法と謂うは是なり。

 

 

さて、池田センセーはなんとか自分の手で

 

『本門事の戒壇を建立させ、大聖人様の御遺命を達成させ

自分が現在の大聖人となるのだ!』

 

と考えていたかどうかは分かりませんが

このころはそう取られてもしかたがない言動が多く見られます。

 

そして皆さまもよく御存知の

あの正本堂建立計画が持ち上がります。

 

そして池田センセーの

正本堂』=『本門事の戒壇ミッションが展開されたのです。

 

宗門としてはまだ広宣流布していないのだから

『本門事の戒壇ではない!と突っぱねたいところですが

 

なんと正本堂建立の発願式で池田センセーははっきりと

 

『この本門事の戒壇たる正本堂・・・』と宣言しちゃったのです。滝汗

 

       【発願式で宣言する池田センセー】

 

 

(草創期の方からこの発言が収録されているレコードを借りて聞きましたびっくり

 

なにせこのころはもう巨大な宗教団体になって

誰も異を唱えることが出来ない状況になっていたのです。

 

つまり我がもの顔!ウインク

 

当時のことを東京のある住職さんが法話

 

『あの時は学会に寄り切られてしまった』滝汗

 

と回顧されておりました。

 

“寄り切り”って、相撲じゃあるまいし、、、プンプン

 

つまりそれほど学会の圧力が強かったそうです。

 

 

この時代でまだ生きてるのに銅像が造られたのは

 

田中角栄と池田センセーだけだとか、、、ガーン

 

想像を絶する権力者の二人ならでわのな話ですなぁ~

 

 

かくして昭和48年、正本堂が完成しました。

 

 

 

 【先導とは名ばかりで自分が一番乗りした池田センセー】

 

 

そしてトドメに池田センセーはなんと

 

正本堂を完成させた証明の賞与御本尊を出して欲しい!』ポーン

 

と言い出したのです。

 

さすが、このあたりは抜け目がない!

 

これが後々摸刻された

 

『賞本門事戒壇正本堂建立本尊』です。

 

この名称は池田センセーから出された名称です。

 

さてさて、

これに困った宗門はこんな名称の本尊を出すわけにはいきません。

 

もうそのままズバリになってしまうからです。

 

宗門からもそれらしき他の名称を打診しますが

 

池田センセーは一歩も引きません。

 

で宗門は苦肉の策として名称は

『賞本門事戒壇正本堂建立本尊』と認めつつ

 

裏書に“準”という名称をいれて一件落着したのです。

 

それは

正本堂が本門事の戒壇準じて建立されたことを証明する』(趣意)というものです。

 

池田センセーは裏書など気にしなかったのでしょうか??チーン

 

かくして

『賞本門事戒壇正本堂建立本尊』の御本尊は池田センセーに下付されました。

 

 

それより私の友人 I さんはは

 

『その前に正本堂というネーミングが良くない!

正本堂とは広宣流布の暁に付けられる本堂の名称だ!

この時に正本堂なんて名前を付けなければ、後年壊す必要はなかっただろうに、、』

 

と残念がっておりました。

 

にゃるほど~ それも一理あるにゃ~猫あたま

 

日顕上人代には正本堂は無かったことに!?お願い 南無・・・】

 

 

いずれにしてもこの

『本門事の戒壇たる正本堂あたりから

52年路線の戦いの火蓋が切って落とされたのです。

 

長い話だなぁ~

 

書いててイヤになるゲロー