続・信者はお客様というお話
こんにちは、妙光寺の城内です。
前回に引き続き御登山のお話です。
今では自家用車というとっても便利な乗り物がありますから、東京に住んでいるアタシ達には日帰りで楽々登山!という恵まれた環境で信心しております。
アタシの場合、世田谷の家を8時に出て、お山に11時前に着くという便利さです。
昔はまさしく徒歩(当たり前)なので「登山」なのでしょう。
有名なのはみなさん良くご存知、加賀藩信徒の通称「抜け参り」
ふもとの東海道・吉原宿から走り登ったのですから、昔の人は健脚だったんですね〜
とても真似できましぇん
では
時代はもう少し下がって、交通の便が良くなった大正時代、蒸気機関車が富士宮駅まで開通した当時の御登山の回顧録が残っていますので転載しておきます(抜粋)
本来の歴史のお話でーす
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「60年前の大石寺登山の思い出」
小田原教会信徒 桑野正隆
蓮華 昭和48年5月号(1963)
「昔の登山の心構についていささかふれてみたい。
大石寺登山はおもに8月の夏休みに両親に伴われて行った。
夜中の3時ころ家を出て、平塚駅から午前6時の下り一番の汽車に乗り御殿場経由で富士駅へ。
当時の東海道線
更に富士身延鉄道の貨客混成列車で富士宮駅に着くのははるか正午を回っていた。
当時の身延線
ここまですでに約10時間!
当時の中村屋
石川自動車の前身、木材運びの鉄道馬車に乗って、北山本門寺前で下車した時は3時迄で、その後は徒歩で小一時間、ようやく黒門に着くのであった。
富士宮~上井出間を往来していた鉄道馬車
黒門に着くと父は
「これからは聖浄な地である。今までの身にしみついた垢を捨て去って、大聖人の御客人として御法専一、清い心でその第一歩を踏まなければならない」
と心の準備をしておりました。
現在の位置とは違う場所にあった黒門
黒門を過ぎると、わず人がかろうじて通れるような草深いこみちが人家を縫って通じていた。
夕蝉がしきりと鳴いている。
三門に着くと先ず大聖人様にご挨拶をして、といいながら題目三唱、子供らもこれにならった。
#大正時代の登山者たち
宿坊は常に久成坊で、坊に入る時にも御影堂を拝し、坊の御本尊様に詣でてから始めて御住職との挨拶が行われるのであった。
御開扉、御法主日正上人、御隠尊日布上人、それに学頭職にそれぞれ御供養と満山供養の手続きをすます頃には、ふくらんだ父の財布もだいぶしぼんだようであった。
~ ~
全ての手続きを終えて御影堂に参詣。
30分ほど唱題して明日の御開扉を御祈念する。
坊に戻ると父の膳には地酒が置かれてあった。
父は襖の漢詩を読めと言うが小学生に読めるはずがない。
「遠く響く西山の下、遥かに聞ゆ東海の辺」
だけがいまだ記憶に残っている。
翌朝勤行を済ませ御開扉を静かに待つ。
9時半ころ一号鐘が全山に鳴り渡ると父は紋付羽織に袴を付けて身を整える。
父は日頃から大聖人様にお目通りする時は最上の礼装をすべきだ、と口癖のように言っていた。
それはさておき、二号鐘が鳴ると御住職に先導されて御宝蔵に向かう。
朝日門に曲がる角で御影堂に向かい、ただ今御開扉を受ける旨をご報告する。
御宝蔵は僅か30人程で一杯になる広さで、当日は我々4人のみであった。
間もなく御法主日正上人御出座。
#日正上人
方便品、寿量品の読経と唱題。
読経は至ってゆるやかに2時間もかかって荘厳に行われたので、我々子供達は題目を唱え足をしびらせて終わるのを待った。
その後、登山者の名前を読み上げられ、願いにより御祈念申し上げたと結ばれる。
なお、大御本尊の由来と御威光ならびに功徳。
多宝塔内の御灰骨、御本尊宮殿内の最初仏の御説法があった。
目の前で拝し奉る大御本尊、今では想像も及ばない冥加至極さである
引き続き客殿で満山供養。
御法主上人と向かい合いに日布御隠尊上人も高座にお進みになる。
ここでは方便品の世雄偈までも奉読され、その速度はものすごく速かったと思う。
対面所で御法主上人にお目通りが許され、「お出まし」の声が長廊下を渡って来ると自然と頭が下がる。
御酒盃を受け家族の紹介が終わると甚深の御説法があり、かたじけなくも食事を共にされた。
その後墓参。
大塔婆は男の子二人で運んだ。
夕方5時頃、富士見庵で日布御隠尊上人のお招きを受ける。
#日布上 人
前列右 富士見庵にて
その後、御影堂に御礼申し上げ題目を捧げ、坊にもどる。
あくる朝、勤行を済ませ早々に帰途につく。
坊を出た処で御影堂に対し奉り、御開扉の御礼と今後の信心決定とをこめて題目三唱。
黒門で聖域を離れ、真っ直ぐに富士宮駅まで走るように下る。
満天に星を戴くころ帰宅。
無事登山を済ませたよろこびを仏間で語り合うのであった。
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なんと幸せな登山でしょう。
目の前で大御本尊様を拝し、終わってからは御法主様と共にお食事。
また御隠尊様のお招きなど
信者を「大聖人様のお客様」としていた事が良く分かります。
こんな時代に生まれ合わせることができなかった身の不運を嘆くほかありません。
その代わりに便利な現在に生まれ、簡単に登山できるこの身を感謝してこれからも御法専一に登山したいと考えています
このお話はDVD化されております。
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先週のブログより(^ω^)・・・
「ウチのお寺にもクソ生意気な所化がいる」と情報提供(タレ込み)がありましたww
(その後どこかに移動になったらしいですが)
お山の受付だけではなく、全国どこにでもいるんですね~
そういう勘違い僧が、、、
この回顧録のように
「酒飯を出せ!」とは言いませんが
せめてもう少し信者を信者らしく扱っていただきたいものです。
ではまた、しーゆー
妙光寺の城内でした。