日蓮正宗のススメ

万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨壤を砕かず

正林寺法華講員手引書

私達の五陰が三毒を生成する

竜巻だって僕らの心が呼び寄せるんだ 私達の五陰が三毒という貪瞋癡を生成し、四苦八苦の「五陰盛苦」という、生きていく苦しみを作り出します。 私達の生命活動を構成する五陰が、因縁に依って三毒をつくり、信心をしない人は、貪瞋癡の三毒を菩提へ転ずる…

天変地夭の因は歓喜を忘れた謗法から

天の災いって感じの雲ですね 「歓喜」を忘れると、謗法に汚染された三毒強盛な命になります。その結果「依正不二」により、国土世間という私達が住む環境の気候に異変が起こります。それが「天変地夭」です。 日蓮大聖人は『一生成仏抄』に、 「衆生の心けが…

信心は「歓喜」を忘れずに

ベートーベンの”第九”を謳っても、歓喜はありません 「歓喜」を忘れた人生は、未来が暗く、絶望感で気持ちが一杯になります。信心の修行、勤行唱題は唯一、「歓喜」を心に蘇らせる働きがあります。御本尊様の功徳により、どんなに辛く悲しい心境であっても、…

信行では当体蓮華と譬喩蓮華を

花の中に”実”が生っているのがわかりますか? 「信行では当体蓮華と譬喩蓮華を」ということは、日蓮大聖人が説かれる根本的な仏法の当体は、譬え話である譬喩を理解することで、当体の意味を知ることが出来ます。故に成仏に大切な教学を理解することが出来る…

御塔婆供養の意味

故人への思いを”形”にできるのがありがたいって思ってます。 御先祖様を供養して成仏させるには、日蓮正宗寺院の御本尊様に御経をあげ、御塔婆を立てることが大事です。御塔婆を立てることで、御先祖様の成仏を確実にさせる作用があります。 御塔婆を立てる…

雪山の寒苦鳥にならない信心を

”もふもふ”感が可愛いですが、当人は寒いんでしょうね 日蓮大聖人は『新池御書』に、 「雪山の寒苦鳥は寒苦にせ(責)められて、夜明けなば栖(す)つくらんと鳴くといへども、日出でぬれば朝日のあたゝかなるに眠り忘れて、又栖をつくらずして一生虚(むな…

心の汚れを落とす方法

そこに行くだけで心が晴れ晴れとする場所があるのです 心に汚れがたまると、私達は判断力が劣り、人生を大きく断線することがあります。その人生の脱線を止めることが信心です。信心をすることで、御本尊様から非常に有り難い、「六根清浄」といわれる浄化さ…

折伏は四悉檀を心得るべし

四悉檀は大石寺に教導するための方法論です 四悉檀とは、四つの弘教方法を示したもので、世界悉檀(せかいしつだん)・為人悉檀(いにんしつだん)・対治悉檀(たいじしつだん)・第一義悉檀(だいいちぎしつだん)をいいます。悉檀とは遍く衆生に施すことで…

日蓮正宗だけにある女性と悪人の成仏

悪人にも仏性があるんです・・・たぶん 女性の成仏と悪人の成仏は、釈尊が説かれた経典多しと雖も、法華経だけに説かれています。『星名五郎太郎殿御返事』に、 「法華経には女人成仏之(これ)有り。真言経にはすべて是なし。法華経には悪人成仏之有り。真…

信心は「立正安国」の精神で

立正安国論 「立正安国」とは、宗祖日蓮大聖人の御精神です。日蓮正宗で信心する上で忘れてはなりません。「立正安国」の意味は、正を立てて国を安んじるということです。本当に幸せになる、正しい仏法を打ち立てて信じていけば、国が自然と安定し、生活が安…

十四誹謗を止める信心に成仏あり

羨望から妬みが生まれることもあるのです 日蓮大聖人は『松野殿御返事』に、 「有る人此を分かって云はく「先に悪因を列(つら)ね、次に悪果を列ぬ。悪の因に十四あり。一に憍慢(きょうまん)・二に懈怠(けだい)・三に計我(けいが)・四に浅識(せんし…

唱題中に思考することは何か

妄想が大半ですか。。。 成仏は、勤行唱題中に何を考えるかで仏因の中味が決定します。その思い考えたことが、即生活の場に繁栄されます。日蓮大聖人の仰せになることを忠実に信じ、我見を払拭させ唱題することが大事です。そこに掛け替えのない、日蓮大聖人…

信心を妨げる睡魔について

目が覚めるような・・・ 睡魔とは、眠気が襲ってくる魔の働きです。生活のリズムが乱れると、必要ないときに眠気が襲ってきます。睡魔が襲ってくる背景は様々です。信心では、「不自惜身命」の精神を忘れたとき出現する魔です。睡魔の特長は集中力を無くさせ…

人生に目的が見付からない人へ

日蓮正宗の寺院へ参詣し、唱題行に励むことであなたに一番相応しい人生の目的が必ず発見できます。目的が見付からない形にも様々ありますが、自分の個性という持ち味、長所を最大限に伸ばせる事柄に目的をおくことが必要でしょう。自分自身が嫌だなと感じる…

他人より遅れる不安、劣等感の扱い方

他人より遅れをとり、劣等感を感じるときは、気持ちに焦りが生まれます。それが縁となり心を煩わす迷いや悩みが生まれます。人の性格により劣等感の受け止め方と扱いが異なります。育つ環境や縁する人生の先輩からの助言により違いがあります。後の人格形成…

人間関係で、お悩みの方へ

私達は生活の上で、必ず他人と付き合う機会があります。世の中は自分一人で生きていくことは出来ず、他人の力が必要になります。必要になるところに、「一切衆生の恩」を感じることが大事です。 人間関係の悩みには、「一切衆生の恩」を感じる余裕もなく、感…

謗法とは

日蓮大聖人は『四信五品抄』に、 「慧又堪へざれば信を以て慧に代ふ。信の一字を詮と為す。不信は一闡提(いっせんだい)謗法(ほうぼう)の因、信は慧の因、名字即の位なり」(御書1112)と正しい仏法を信じない不信が謗法であると仰せです。つまり謗法…

日蓮正宗の法事の意義

日蓮正宗の法事は、御先祖様が来世における人生を有意義に過ごせるよう、御本尊様に御願いする大事な法要です。 御先祖様が居られたからこそ、今の私達があります。恩を報じる意味においても、法事を寺院で行うことは当然です。法事を行わないことは不知恩と…

日蓮正宗の御葬式の意義

日蓮正宗の御葬式は、最後臨終を御本尊様に御願いする重要な儀式です。一生成仏が出来るか出来ないか決まるのです。日蓮正宗で御葬式を行えば、確実に一生成仏できますが、しかし、信心していても他宗派で御葬式を行うと、一生成仏できません。それだけ日蓮…

欲望に主導されない信心を

功徳乞食は餓鬼界です 人間は欲望がなければ生きることが出来ませんが、行き過ぎた人生を駄目にするような欲望に執着してはいけません。時々勘違いされる方がおりますが、御本尊様を軽視し、自分自身の我見に依る欲望を満足させるために信心をする方がおりま…

和合集団を乱す言動は慎みましょう

自己主張って、たいてい的外れなんですよねぇ。 和合集団を乱す言動とは、自己中心的で周囲のことを考えない言動です。信心を真面目に修行していけば、自分自身を常に省みて、和合集団を乱すような言動は行わなくなりますが、己心の魔や師子身中の虫が邪魔を…

正しい認識で、身の供養と財の供養を

御供養には心も添えてくださいな 「供養」とは供給資養の義であり、供給・供施・供ともいいます。諸物を仏法僧の三宝・父母・師長・死者などに供給する大切なことです。 日蓮正宗における「供養」の意義は、下種三宝様である御本尊様と日蓮大聖人、日興上人…

初心を忘れない信心を

常にフレッシュな気持ちでいたいですね。 信心におけるところの大事な初心とは、即身成仏を目指すことです。即身成仏に向かって、志しを忘れずに修行することです。初心となる即身成仏の志を中心として、信心には細かい修行に対する志すべき初心があります。…

折伏における話術の要諦

話術がないよりは、あった方がいいのは分かるんですが 話術の要諦は、自分自身の感情をコントロールすることがまず大事です。感情を律することが出来れば、自分自身の悩みや迷いである煩悩を操ることが出来ることに繋がります。つまり「煩悩即菩提」を身口意…

折伏で話術が磨かれる

大衆は話術士が大好きですが・・・ 信心をしていない人でも、話が上手く話術に勝れている人がいます。末法時代には、邪な能力が勝れ邪智に秀でた人が生まれるときです。邪智に長けている人は、信心から見た場合、「三類の強敵」や「第六天の魔王の眷属」、「…

折伏が閉ざした人心の目を開く

目ヂカラぜよ! 日蓮大聖人は御書の中に『開目抄』を残されております。『開目抄』は、末法の迷える私達の、閉ざし盲目となった、心の目を開くために書き残されたのです。『開目抄』の「開」の字には、二意あり、一には障りとなるものを除く(所除)の義、二…

御本尊様を受持させる難しさ六難九易

世の中に難関と呼ばれる事柄は数知れずですが・・・ 折伏は難事中の難事です。それが「六難九易」であります。法華経の「見宝塔品第十一」に、例を挙げて仏の滅後に法華経を受持することの難しさを明かしたものです。九易自体は大難事でありますが、仏の滅後…

外面似菩薩 内心如夜叉に御用心

はい、女心はわからないッス 邪な智慧に長けて人生を生きる人には、巧みに外見を尊い菩薩のように取り繕い、心の中では、人間とは思えない、夜叉といわれる悪鬼が考えるような考えを持ち、迫真の演技で振る舞い、人を騙しながら生きる人がいます。それが「外…

余暇を有効に演出する止暇断眠の精神

余暇≒レジャーですか? 日蓮大聖人は『富木殿御書』に、 「我が門家は夜は眠りを断ち昼は暇(いとま)を止めて之を案ぜよ。一生空しく過ごして万歳悔(く)ゆること勿(なか)れ」(御書1169)と「止暇断眠」について御教示であります。人生には無駄を省…

信心は焦らず地道にコツコツと

正しい信仰者にショートカットの道はありません。 日蓮大聖人は『頼基陳状』に、 「一丈の堀を越えざる者二丈三丈の堀を越えてんや」(御書1132)と仰せであり『種々御振舞御書』に、 「一丈のほり(堀)をこへぬもの十丈二十丈のほりを越ゆべきか」(御…