日蓮正宗のススメ

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創価学会・会長考(1)(2)

創価学会・会長考(1)

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日蓮正宗の近代史を語る上では創価学会の存在は外せません。

ですので創価学会公明党)のテーマがブログに上がることを御了承願います。

 

戦後の混乱期に、戸田城聖と言う貴台稀な大宗教家が出現して、日蓮正宗始まって依頼、未曽有の大発展を遂げました。

終戦直後、巣鴨拘置所から出所した戸田先生は、壊滅していた創価(教育)学会を、「一人立つ」の精神から会員75万世帯にまでしました。

恐るべきカリスマ性を持った指導者です。

 

「そんなことはない!奴はエセ仏法者だ!金儲けがウマいだけだ!!」

 

という声が聞こえてきそうですが、実際に会員を75万世帯にした実力者です。

 

いいかえれば日蓮正宗の信者を75万世帯にまで増やした立役者です。

 

 

 

例の問題の「11.16 池田スピーチ」の中にもありました。

 

日蓮正宗でいなかったんですよ・・・』

 

つまりこれほど信者を増やした指導者(暗に宗門を誹謗する)が日蓮正宗にはいなかったと。

 

でもこれは事実なのです。



例えば、昭和33年の大講堂落慶式の時は、総理大臣であった岸信介氏(安倍晋三の祖父)が参加予定だったのです。
 

ですが自由民主党内で反対論が出たため代理人として安倍晋太郎氏(晋三の父)が出席しました。

 

    【昭和33年3月 大講堂落慶式】

 

その一つを取っても、戸田先生がどれだけ力があったかが分かります。

その後は会員の爆発的な急増と共に、宗門は学会の典礼部的な役割を担うようになりました。

外に出て戦うのが学会。
ウチを守るのが宗門。

もっと言うと


外に出て稼いで来るのが学会。
その家庭を守るのが宗門。

それはそれで良く機能していたと思います。


広布基金(財務)やら選挙活動やらと何かと『悪徳商法』や『カルト教団』のように見られがちですが、創価学会の一般会員の人達は優しい人が多くいます。

人の幸せを真剣に考えています。

真剣過ぎて行き過ぎた行為に走ってしまう場合があるくらいです。



また、こんな不文律もあります。

自殺者が出た場合、直属の上司、
(青年部では地区リーダー)は有無をも言わせず破門、除名です。

私がいた時にも実際にありました。

大事な会員を死を救えなかった監督責任を断罪されるのです。

お前は宗教活動する資格が無い!


とレッテルを貼られるのです。

これほど厳しい組織があるでしょうか?

(今はどうか分かりませんが、)



昨今、世間を賑わせているイジメ自殺問題。


防げるはずの幼児虐待死。

学校の先生にしても、児童相談所の担当職員にしても、「イジメはなかった」「虐待は認められなかった」など保身のための言い訳ばかりで、見苦しくて見ていられません。



また学会幹部は悩み事も真剣に聞いてくれます。

小さな悩み相談は地区部長、支部長クラス。

その上は区幹部、圏幹部。

学会本部まで行って「本部指導」を受ける事もできます。

どのセクションも真剣に話を聞いてくれますし、実際に世間の荒波を乗り越えて来た方々の指導なので的確です。

私も何度かお世話にな人生の峠を何度か乗り越えて来ました。

それが年一万円の会費(広布基金)を払えば受けられるのですからありがたい組織です。

そして最高峰の指導が「会長指導」


つまり「池田センセーのスピーチ」です。

800万人もの、しかも会った事がない会員を統制していくのですから、そのスピーチ力はさすがと言うより他はありません。

過去に聞いたスピーチで、私が感銘したスピーチを二つ紹介します。

 


私の母親は戸田先生の時代の昭和31年に入信しました。

戸田先生が亡くなる2年ほど前です。

戸田先生は会合中、赤ちゃんが泣くと『親の信心が足りない!!』と激怒したそうですが、池田センセーは『未来の学会を担う大切な人材、会館をぶっ壊すくらい暴れてかまわない』と親を激励したそうです。

また、中学生時代に音楽隊に入っていた私は朝が弱く、なかなか朝の勤行が出来ませんでした。

その事を隊長に指導を受けると『冬だったらちょっと早く起きてストーブのスイッチを入れるとか、目覚まし時計の時間を早めるとかしなさい』
とトンチンカンな答え。
(それが出来れば指導など受けんわ!)

その時の池田センセーのスピーチがまた素晴らしい的を射た答えでした。

『信心は継続である。夕の勤行の時に翌朝の勤行が出来るようにしっかり御祈念しなさい』と言うものでした。

夕の勤行をしっかりやると、翌朝の目覚めも良く、朝の勤行が出来るようになりました。

子供心にも「池田センセーはやっぱスゴいなぁ~」と感心したものでした。

池田センセーに実際に会った事がある方は経験があるでしょうが、池田センセーが発するオーラは半端ありません。

私が最初に会ったのは昭和48年、正月の総本山で行われた『元旦祭』で、音楽隊員として出演した時です。

 

正本堂落慶の前で、センセーの人生の中で一番乗りに乗ってる時代です。

 

センンセーは毎月2日の戸田先生の月命日には必ず総本山に参詣しておりました。

 

その正月に参詣の折、いわば池田センセーの慰労ために企画されたミニ文化祭です。

 

場所は旧、常来坊。

 

多角形をした本山内でも変った建物で、その中にステージを組み、おそらく静岡など近郊の信徒を入れてのミニ文化祭でした。

 

私の所属していた音楽隊はドリル隊といって、色々なフォーメーションを組ながら演奏する隊です。

 

私のパートはテナードラムで、どちらかと言うとステージ後方であまり動かないポジションです。

 

ステージに上がるとライトアップされているため逆光でほとんど観客席は見えません。

 

なので演者側としては以外にも緊張せずリラックスして演奏できます。

 

しかしそのまっ暗な客席をなにげなく見ると、なんと中央後方席にいる池田センセーだけが、白く輝き、浮かんで見えるではありませんか!

 

上着を脱ぎ(本人は極度の暑がりらしい)ソファーの右側の肘掛に体を傾けこちらを見ています。

 

もうビックリしたのなんのって、常日頃から『池田センセーは仏さま』と洗脳されていましたから、「これはまさにホトケさまのお姿!」

と勘違いしたことは言うまでもありません。

 

これが最初の印象です。

 

それから10年くらいが経ち、以前も書きましたが、シナノ企画で文化祭の撮影をするようになった頃お会いしたセンセーからは、あまりオーラは感じられませんでした。

 

その後も、創価大学、総本山、本部幹部会などでもお会いし、最後にお会いした世田谷池田記念講堂では、なんの気配も感じず、普通のオジさんだった時は自分の感覚を疑うほどガッカリしたものです。

 

その後、例の11.16のスピーチが始まりました。

 

これを以って考えると、正本堂建立の頃、自分が宗祖御遺命の“本門の戒壇”を建立するんだ!という壮大な野望があったことは、良い意味でも悪い意味でも広宣流布に向かっている勢いがある姿だったのでしょう。

 

その気骨が“オーラ”となって現れていたのかもしれませんが、その勢いが違う方向へ向かうと、同時に“オーラ”も消えうせて行ったのでした。

 

正本堂落慶後に起きた本尊摸刻事件(昭和52年路線)を皮切りに、王仏冥合論から端を発した自身の総理大臣就任計画、それが叶わず、せめて宗教界での君臨を目指していたのでしょう。

 

 

また、晩年のセンセーは「ノーベル平和賞」受賞を夢見ていたように見えます。

 

せっせと世界の大学に図書の寄付行為を始めました。

 

それにより○○大学名誉博士号を漁るように獲得し自身を鼓舞します。

 

その資金は当然会員から集めた『広布基金』が原資です。

 

図書を寄贈することは『広宣流布』に直結するのでしょうか?

 

その本がキリスト教イスラム教の教義が元としての本であっったとしても?

 

何をかいわんやです。

 

 

 

また以前に、センセーはカレルギー伯と対談したおり、

 

『栄誉は欲しくありません。また下さると言っても受けることはありません!』

 

 

と断言していたにもかかわらず、インド、ペルー、ドミニカ、コロンビア、パナマなどから送られた“勲章”の巡回展を催しました。

 

 

なぜか当時の発展途上国ばかりで日本の勲章はありません。

 

私も錦糸町で行われた“勲章展覧会”を見に行きました。

 

この“展覧会”に友人を連れて見に行くように打ち出しがありましたが、もちろん恥ずかしくて友人など誘えません。

 

誘われた人だって『なんで人の勲章を見なければならないいんだ?』と思うのが普通の感覚でしょう。

 

それらの国の貴重な美術品ならまだしも、です。

 

私は行かないと後で何を言われるか分かりませんので数合わせで行きました。

 

 

『(名誉は)受けることは無い!』と言っていたセンセーのこの姿に、世間一般では『ここまで落ちたら終わりだよね~』と言う声が聞こえてきました。

 

 

この“勲章巡回展”も不評だったのでしょう。

 

いつの間にかこのような企画展は消滅しました。

 

それより哀れなのは『本を寄贈する』『勲章を貰う』→『ノーベル平和賞受賞』がもらえる。

 

と考えていたことではないでしょうか?

 

現在センセーは創価学会の医療施設「南元センター」の5Fで糖尿病、脳梗塞により入院中とのこと。

 

センセーの看護を担当していたAさんの証言では『突然、奇声を上げてご自分の著作や写真を投げる』という。

 

創価学会三代会長の池田大作氏は、死期間近な病床の中で何を回想しているのか?

 

~ 続く ~

 

 

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