女犯・妻帯制度考
新型コロナウィルスの影響でどこにも行けず、
巣ごもりGW は皆さまどのようにお過ごしでしたか??
今回は日蓮正宗の歴史とは関係ありませんが、
前回のおまけとして、
僧侶の女犯・妻帯の歴史を考えてみたいと思います。
「品川の客のにんべんあるとなし」
江戸時代に流行った川柳です。
東海道、品川宿。
ここは江戸への入口でもあったため大変な賑わいでした。
人が集まる処、当然、性風俗産業も賑わいます。
つまり、品川宿の買春客は、人偏がある「侍」と無い「寺」つまり僧侶が多かったことを野次った川柳です。
また、坊主頭だったため、医者に変装して女郎買いをするのが常套手段でした。
しかし、女犯を犯した僧に対しては厳しい処罰が待っていました。
「御定書百箇条」では、江戸の住職は遠島(島流し)、住職ではない僧侶は日本橋に三日間晒されたうえ、本寺に引き渡されます。
(女犯の罪で日本橋に晒される坊主)
天下の往来である日本橋でのこの恥辱、たまったものではないでしょう。
今でいえば銀座4丁目数寄屋橋前とか渋谷スクランブル交差点でしょう(^_^;)
禁欲できなかった未熟者として、江戸の町の笑い物にされたのです。
しかし処罰はそれでは終わりません。
僧侶は本寺に引き渡された後、裸にされて魚をくわえさせられ、四つん這いにさせられて寺を追放されました。
(裸にされ、から傘一本持たされて追放、と言うのもありました)
まさに犬畜生ということでしょう。
(ひじょーに厳しィ~! 財津一郎風に)←古っ!
これは幕府が定めたものではなく、寺で決められた私的な刑でした。
また
慶安元年(1648)、天下を揺るがす一大事件が起きます。
それは、日蓮宗・延命院の住職・日潤が、大奥や大名家の女中たちと、毎日のように淫行していたという
「延命院事件」です。
もともと延命院は第3代将軍・徳川家光によって開かれた寺です。
その寺に若くして住職となった日潤は、そのイケメンさと説法のうまさでたちまち女中たちのアイドルになりました。
(説法のうまさは、今も昔も信者を集める必須条件ですね~)
そして、いつしか女中たちに手を出し、床の相手をするようになります。
女中たちも、参詣と称して堂々と通うようになりました。
その年齢層は10代から60代まで幅広かったというから驚きです(^_^;)
(どんだけ~!)
そんな横行に寺社奉行が気がつかないわけはありません。
しかし大奥の女中の中には、側室候補もいるため手出しできず、また、将軍家ゆかりの寺として、証拠も無くおおっぴらに踏み込むわけにもいきません。
しかし脇坂安董(わきさかやすただ)という人物が寺社奉行になると、彼は機転を利かして家臣の娘を潜入させ、ようやっと証拠を突き止めました。
結果、日潤は死罪。
大名家の女中たちはすべて解雇、大奥の女中たちはお咎めなしとなりました。
これなどは極端な例ですが、いずれにせよ、僧侶の女犯は重罪だったのです。
では
本当に僧侶は妻帯(女犯)をしていなかったのでしょうか?
… … … … … … … … …
実は皆さまよく御存じの、かの有名な浄土真宗の開祖、親鸞は妻帯しておりました。
しかも2回!
親鸞の説明は割愛しますが、最初の結婚は20代後半の頃、一子をもうけております。
その後、専修念仏が禁止され、師匠の法然ともども流罪に処せられます。
法然は土佐へ、親鸞は越後へと流されました。
親鸞はそこで二回目の結婚をします。
そして3男3女をもうけました。
仏教界から見たらかなりの破戒僧です。
そして号を「愚禿」、名を「親鸞」と名乗り「非僧非俗」などとうそぶいて流浪の生活を送っておりました。
ではその親鸞、
我が妙光寺の先代、尾林住職がこの親鸞を一刀両断に破折したコラムがありますので、ここにご紹介いたします。
(妙光寺発行の小冊子『正法を正法と知るために』より転載)
いま「教行信證」に依りますと、
「しかればすでに僧にもあらず、俗にもあらず、このゆえに禿の字をもて姓とする」(国訳諸宗部22-346)
と言い、「愚禿親鸞」と申すのでしょうか、
愚かな僧と言う意味の「愚禿」と霊鳥、すぐれた者と言う意の「親鸞」では一致しないではありませんか。
これでは名は体を表していないことになります。
しかも親鸞は
「これによりて真宗の詮を鈔し、浄土の要をひろふ。ただ仏恩ねふかきことをおもうて、人倫のあざけりはじず」(同22-347)
と言って、決して浄土の要を悟ったとは言っていない。
あくまでも浄土の要を拾ったのだと書いております。
京都、東京にそして安芸、加賀に強大な門徒集団を誇ろうとも、これが真宗開祖の言葉であります。
また、「浄土和讃」によりますと、
「久遠実成の阿弥陀仏 五濁の凡愚をあわれみて 釈迦牟尼仏としめしてぞ 伽耶城には応現する」と記しております。
久遠実成の阿弥陀仏なんていうことが、法華経のどこにありますか。
「久遠実成」とは法華経独歩の開顕であり、もとより浄土の三部経にはありません。
親鸞は法華経の法義を盗み入れたのです。
(以上)
浄土真宗の開祖・親鸞とは所詮は妻帯・女犯僧の破戒僧であり、教義も法盗人なのです。
いずれにしても、俗から見た僧侶の女犯・妻帯は、体たらくな行体にしか思えてならないのです。
御開山日興上人いわく
先師の如く聖僧たるべし
~了~
ブログ運営者 ポリ銀の感想
城内さん、堂々と所属寺院・実名・顔出しですげ~な。
盲信者は是が非でも是と言い張る妻帯問題。
かっこいいっす。
一、先師の如く予が化儀も聖僧たるべし。但し時の貫首或は習学の仁に於ては、設ひ一旦の媱犯有りと雖も、衆徒に差し置くべき事。(日興遺誡置文 1885㌻)
「媱」の字は「肩を曲げて歩くさま」、そこから転じて「見目良い」「美しく舞う」「戯れる」といった意味。女犯や淫行のことかどうか。。。私には判別できかねます。
妻帯は不邪淫には当たらないという話も聞きますが。
お坊さんの閨閥人事は一目瞭然といいますか、猊下様の代々なんてこともありまして。。。
聖と俗の問題は賛否ありますね。
右の条目大略此くの如し、万年救護の為に二十六箇条を置く。後代の学侶、敢へて疑惑を生ずること勿れ。此の内一箇条に於ても犯す者は日興が末流に有るべからず。仍って定むる所の条々件の如し。(日興遺誡置文 1885㌻)
末文には厳しいお言葉が。
過ちては則ち改むるに憚るなかれ(論語)。