昭和52年路線(2)(3)
しかし戸田先生の弟子である池田センセーは
75万世帯から一挙に
800万世帯!!
(一説には1000万世帯)への急成長を成し遂げます。
【会長就任後 絶好調の池田センセー】
公明党の最盛期の得票率が550万票ですから、
多めに見ても500~800万世帯が妥当でしょう。
(現在の実数はかなり落ち込んいると思われます
)
戦後、数十年でなぜそんなに急成長できたのでしょうか?
日蓮正宗は750年以上も前から存在しているのにもかかわらず、にです。
ここがミソになります。
前代未聞の信者数の急増。
戸田先生ですら
75万世帯止まり。
しかも
「創価学会は
病人と貧乏人の集まり」
と揶揄されても下町などに行くと
約10人に1人は学会員です。
その原動力は戸田先生の死身弘法の戦いが基盤にあったからだ!
と云われる方もおりますが、
なぜか
『池田センセーは現代の仏様だから成し遂げられた偉業!』
と言う結論に帰着するのです。![]()
【全国各地で行われた文化祭 どこもすごい人だった】
さて、創価学会出現前の総本山
『大坊の我々の食事は、当時三食とも
味噌汁だけの食事であったが、
タクアンだけはおいしいのがパクパク食べれた。
学校の弁当のおかずは大抵がお新香程度で
時には
飯に塩をふりかけただけを詰めて行った』![]()
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また華王寺住職であられた前川慈肇師も
『豆腐の味噌汁といえば、ステーキかとんかつに匹敵するくらいの御馳走であった』![]()
とも書かれておられ
松岡慈契師によると
「ダチコン式」なる
味噌汁の豆腐をすくい上げるウラ技が存在した、とのことである。
(大石寺雑々想記より)
ダチコン式ってなんだろう??![]()
とにかく、疲弊していた総本山の
貧乏ぶりがよく分かります。
そこに救世主とも言うべく
『創価学界』が出現して
御供養、塔婆供養と
日銭が入り貧乏寺も潤っていくのです。
お新香しか食べれなかったお坊さん達に
莫大な御供養金が日に日に入るようになったのです。
お坊さんだって人間だもん。
ちょっとお金を使いたくなりますよね。![]()
その逸話をひとつ、
私の叔父さん(城内準ノ助)は静岡銀行・原町支店の支店長で退職をしました。
(原町は現沼津市。総本山に程近い場所)
以前も書きましたが我が城内家は西山本門寺、大詮坊の筆頭檀家です。
西山も大石寺に帰伏していた時期もありましたが、叔父さんはガンとして
受け入れませんでした。
叔父さんにその訳を聞くと。
『若い頃は富士宮支店の外回りをやっていた。
すると真昼間、料亭からすぐに現金を持ってきてくれと電話があり
現金を持っていくと、そこでは大石寺の坊主どもが袈裟を脱いで、
飲めや歌えのドンチャン騒ぎをやっていた。
こんな坊主どもは信じられない!』
と吐き捨てるように言っておりました。
ATMやカードが無い時代、
現金決済なので外回りの若い行員を足蹴のごとく使っていたのでしょう。
たぶん、1回や2回ではなかたと思われます。
私には返す言葉もありませんでした。![]()
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私の弟(城内由郎)の話も一つ、
弟は若い頃、富士宮の料理屋で板前修業をしておりました。
そこの店には夜な夜な大石寺の坊さんたちが呑みに来ていたそうです。
店の大将は
『あんなナマグサ坊主どもにいい肴は食わせねぇー』と陰口を叩いていたそうです。
弟はいまだ学会に残っております。![]()
このような醜態をされけ出した大石寺(の坊さん)を信じられなくなった弟や叔父さんは悪者でしょうか??![]()
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これらは“氷山の一角”かもしれません。
第二十五条「一、先師の如く予が化儀も聖僧為る可し」
日興上人様の聖僧精神を保てないのであれば、
今すぐにでも袈裟衣を脱いで還俗してください。
それがお坊さんです!
(だいたいこの御文を出すと正宗のお坊さんは
『何を言うか!!末法は無戒である!!』と
のたまうのであります。
)
いずれにしても創価学会の出現により、
多大な御供養金が入るようになった宗門に
微妙な変化がでてきたこと事実です。
では、なぜ創価学会は急速な進歩を遂げられたのでしょう??
その証として絶大なる功徳がいただけた』
からです。
その結果、
病人は病気が治り、
貧乏人は貧乏から脱却できる。
という、体験が次々と涌き出てきたのです。
当時はまだ経済成長の過程でもあり
戸田先生の時代はまだ戦後です。
このカオスな昭和時代に体験談を主軸に
折伏しまくり、勢力を拡大していったのです。
でも、ちょっと待ってください。
創価学会の原動力の源は
総本山にまします、
本門戒壇の
大御本尊様に
仏力と法力が備わっているからではないでしょうか。
そこに創価学会の信力と行力が加わり
一挙にメジャーに登りあがったのです。
と思っている人の多いこと。
)
また、70才以上の一般人でも
「戸田城聖」の名前だけは知っている、
という人がたくさんいます。
大聖人様は
「法自ら弘まらず人、法を弘む」と仰っております。
法だけでは弘まりません。
人(総じて言えば創価学会)が出現してあのように爆発的に信者が増加したのです。
結果、創価学会は
戒壇の大御本尊様の功徳により長足の進歩を遂げました。
前回も述べましたが、それにより疲弊した総本山や末寺が潤い始めたのは事実です。
たとえば東京都の西側を流れる多摩川べりに
小さな正宗寺院が創価学会の寄進で建てられました。
玄関を開けるとすぐ本堂、
しかも100畳にも満たない小さな本堂です。
しかーし、
お彼岸、お盆ともなればお塔婆が
約6000本も立ちます。
(お所化さんが3人でフーフー言って書いてました)
春、秋のお彼岸とお盆だけで
18000本!
当時は1000円/本ですから
それだけで
1800万円
の粗利があります。
あんな小さなお寺でも10本/日くらいはお塔婆が立っておりましたから
御供養を含めるとそうとうな収入があったと考えられます。
そこの講頭さんの話ですと、
『住職さんは学会幹部との会合の時間を割きますが、
法華講の時はほとんどお座なり(いいかげん)だった』
と嘆いておりました。
そりゃそうでしょう!
800:1なわけですから。
相手にされなくて当然です。![]()
その住職さんが当時を振り返り
『その当時は忙しくてお昼ご飯も食べれなかった。
お経が終わると、御受戒。
また塔婆を書いて、お経を上げるとまた御受戒と
目が回るくらい忙しかった』と、また
『その他には、お葬式やら結婚式やら法事やらで
折伏なんてしてるヒマが無かった』![]()
とも、
つまり
という構図がいつの間にか出来上がってしまったのです。
塔婆を書く、御受戒をする。
それだけで日増しに日銭が増える。
住職さんのクルマがクラウンに変る。
(当時は「いつかはクラウン♪」というCMが流れていたなぁ~
)
宗門は創価学会様、様、状態に入っていきます。
筆者が学会男子部時代、初めて御大会に参加し、
(宗門の二大法要なので相当信心を頑張らないと参加できましぇ~ん)
布教講演なるものを御影堂で拝聴したときは
『池田センセーは素晴らしい仏法の大指導者ですぅ!』
と泣きながら説法しているお坊さんを見た時は
ドン引きしてしまいました。![]()
【当時の券、まだあった、、】
しかし日蓮正宗では戒壇の大御本尊様あってからこその創価学会である。
と考えるのは当然です。
そこに小さなボタンの掛け違いが発生します。
そしていつの間にやら学会内には
学会が主。
宗門が従。
という暗黙の“主従関係”が生まれてきました。
『ひさしを貸して母屋を取られる』
のことわざがピッタリの関係に発展していきます。
そして決定的なのは
『お寺に行くな!』![]()
という意味不明な指導が
暗黙のうちに徹底されるていくのです。
~ 以下、次号に続く ~




