日蓮正宗のススメ

人生談義と時事放談

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正林寺法華講員手引書

日蓮正宗の御葬式の意義

日蓮正宗の御葬式は、最後臨終を御本尊様に御願いする重要な儀式です。一生成仏が出来るか出来ないか決まるのです。日蓮正宗で御葬式を行えば、確実に一生成仏できますが、しかし、信心していても他宗派で御葬式を行うと、一生成仏できません。それだけ日蓮…

欲望に主導されない信心を

功徳乞食は餓鬼界です 人間は欲望がなければ生きることが出来ませんが、行き過ぎた人生を駄目にするような欲望に執着してはいけません。時々勘違いされる方がおりますが、御本尊様を軽視し、自分自身の我見に依る欲望を満足させるために信心をする方がおりま…

和合集団を乱す言動は慎みましょう

自己主張って、たいてい的外れなんですよねぇ。 和合集団を乱す言動とは、自己中心的で周囲のことを考えない言動です。信心を真面目に修行していけば、自分自身を常に省みて、和合集団を乱すような言動は行わなくなりますが、己心の魔や師子身中の虫が邪魔を…

正しい認識で、身の供養と財の供養を

御供養には心も添えてくださいな 「供養」とは供給資養の義であり、供給・供施・供ともいいます。諸物を仏法僧の三宝・父母・師長・死者などに供給する大切なことです。 日蓮正宗における「供養」の意義は、下種三宝様である御本尊様と日蓮大聖人、日興上人…

初心を忘れない信心を

常にフレッシュな気持ちでいたいですね。 信心におけるところの大事な初心とは、即身成仏を目指すことです。即身成仏に向かって、志しを忘れずに修行することです。初心となる即身成仏の志を中心として、信心には細かい修行に対する志すべき初心があります。…

折伏における話術の要諦

話術がないよりは、あった方がいいのは分かるんですが 話術の要諦は、自分自身の感情をコントロールすることがまず大事です。感情を律することが出来れば、自分自身の悩みや迷いである煩悩を操ることが出来ることに繋がります。つまり「煩悩即菩提」を身口意…

折伏で話術が磨かれる

大衆は話術士が大好きですが・・・ 信心をしていない人でも、話が上手く話術に勝れている人がいます。末法時代には、邪な能力が勝れ邪智に秀でた人が生まれるときです。邪智に長けている人は、信心から見た場合、「三類の強敵」や「第六天の魔王の眷属」、「…

折伏が閉ざした人心の目を開く

目ヂカラぜよ! 日蓮大聖人は御書の中に『開目抄』を残されております。『開目抄』は、末法の迷える私達の、閉ざし盲目となった、心の目を開くために書き残されたのです。『開目抄』の「開」の字には、二意あり、一には障りとなるものを除く(所除)の義、二…

御本尊様を受持させる難しさ六難九易

世の中に難関と呼ばれる事柄は数知れずですが・・・ 折伏は難事中の難事です。それが「六難九易」であります。法華経の「見宝塔品第十一」に、例を挙げて仏の滅後に法華経を受持することの難しさを明かしたものです。九易自体は大難事でありますが、仏の滅後…

外面似菩薩 内心如夜叉に御用心

はい、女心はわからないッス 邪な智慧に長けて人生を生きる人には、巧みに外見を尊い菩薩のように取り繕い、心の中では、人間とは思えない、夜叉といわれる悪鬼が考えるような考えを持ち、迫真の演技で振る舞い、人を騙しながら生きる人がいます。それが「外…

余暇を有効に演出する止暇断眠の精神

余暇≒レジャーですか? 日蓮大聖人は『富木殿御書』に、 「我が門家は夜は眠りを断ち昼は暇(いとま)を止めて之を案ぜよ。一生空しく過ごして万歳悔(く)ゆること勿(なか)れ」(御書1169)と「止暇断眠」について御教示であります。人生には無駄を省…

信心は焦らず地道にコツコツと

正しい信仰者にショートカットの道はありません。 日蓮大聖人は『頼基陳状』に、 「一丈の堀を越えざる者二丈三丈の堀を越えてんや」(御書1132)と仰せであり『種々御振舞御書』に、 「一丈のほり(堀)をこへぬもの十丈二十丈のほりを越ゆべきか」(御…

人生を優雅に飾る智慧の「慧」

知識と智慧は違いますよう~ 幸せになるためには、正しい智慧である「慧」がなければいけません。智慧を得るためには、御本尊様に御題目を唱えることです。「戒」と「定」に依って得た、悪心の戒めと心の落ち着きを定めたことで、正しい智慧である「慧」を御…

落ち着きを持つ秘訣である禅定の「定」

禅宗の見性体験は、単なる変性意識のことですよ~。 「定」とは、私達の気持ちを定めることです。つまり、心を一つの対象に集中して安定させること。心の散乱を静めた瞑想の境地です。 この「定」は、生活や仕事を安定させ更に大成するには大事なことです。…

防非止悪を意味する戒律の「戒」とは

お酒飲んだら地獄ッスか? 防非止悪を意味する戒律の「戒」とは - 正林寺法華講員手引書 戒定慧の三学にあるのが「戒」です。仏法全般においてあるものです。仏法の中でも最高の三学が三大秘法の御本尊様です。 世の中に多く知られているのが小乗の戒律が知…

人生を楽しくする秘訣は少欲知足

山吹色のお菓子などいかがでしょうか? 「欲」は次から次へと心の中に生まれるものです。この「欲」は扱いを間違えると人生を大きく踏み外します。「欲」は自分自身の気分を満たすために生まれ、「欲」があるからこそ私達は生きることが出来ます。私達が住ん…

私達が住む所を娑婆世界という

娑婆の空気はいいもんですなぁ 「娑婆世界」とは、忍土・忍界と訳し、苦しみが多く、忍耐すべき世界の意です。人間が現実に住んでいるこの世界。自由を束縛されている軍隊・牢獄、または遊郭などに対して、その外の自由な世界。俗世間をいいます。 この「娑…

「御線香」を供える理由

『戒体即身成仏義』に、 「道場を荘厳(しょうごん)し焼香散華(しょうこうさんげ)して」(御書1)と仰せのように、御本尊様に「御線香」を御供え申し上げることは、道場となる御本尊様御安置するところを荘厳にし、仏様が安住される「常寂光土」を再現す…

寺請制度に固執する人は謗法与同罪

「寺請制度」とは、自分の意志に関係なく役人が勝手に家族の宗旨を決めた制度であります。江戸時代、庶民がキリシタン信徒ではなく檀徒であることを、その檀那寺に証明させた制度です。つまり、人間が決めたことであり、「仏様」がこの宗旨の仏法をしなさい…

慈悲魔に御用心

慈悲魔ってのは、「悪霊」のピョートル(左)みたいな奴のことだな。。。 『小乗大乗分別抄』に、 「慈悲魔と申す魔」(御書710)と仰せであり、慈悲に似せた魔の働き「慈悲魔」が存在します。ある宗教団体が会員の心を巧みにとらえ利用する一つの通力で…

成仏とは何か

成仏って言葉、本当の意味を知っていますか? 世間一般では、他界し亡くなった故人を「成仏」したといいます。しかし、本来仏法から見たとき、間違いであります。「成仏」とは仏に成ることです。「仏(ほとけ)」という意味が世間においていい加減です。間違…

己心で騒ぐ師子身中の虫とは

創価学会員や顕正会員のことですが・・・何か? 「師子身中の虫」とは、私達の心の中で騒ぐ虫です。「師子」とは百獣の王ライオンのような強い動物を意味し、ライオンでも己の体に入り込んだ寄生虫には命を奪われるということです。体は大きくても小さな毒性…

怨嫉を静めるには四恩を知ることから

他人への嫌悪感がなくなる日は来るのでしょうか? 生活していくなかで気持ちに「怨嫉」が生まれることがあります。特に他人に対して生まれる心の迷い煩悩です。自分と他人を意識しすぎ他人より勝りたい劣りたくないという本能的な迷いからくるものです。「怨…

罰について

罰に気付くには、幸福洗脳からの脱却がカギですね 罰には四つあります。総罰・別罰・顕罰・冥罰です。因果の道理を理解せず人生を無謀に生きていくと「罰」が当たったと世間ではいいます。「罰」は一種の警告であり、「罰」が当たる前に気づく事が必要です。…

末法は「有名無実」が氾濫します

名が有って実なし 日蓮大聖人は『開目抄』に、 「法華経已前の諸の小乗経には、女人の成仏をゆるさず。諸の大乗経には、成仏往生をゆるすやうなれども、或は改転の成仏にして、一念三千の成仏にあらざれば、有名無実の成仏往生なり」(御書563)と仰せの…

末法の正しい仏像とは日蓮大聖人

ガンダーラの仏像はイケメンです 今現在、末法時代に一番相応しい本尊として崇める「仏像」は、日蓮大聖人であります。日蓮大聖人以外は、正法時代と像法時代に利益があった仏像です。 「仏像」といいますと観念的に謗法の考えが頭に過ぎる方が多いでしょう…

嫌な出来事は「空」を観じることから

太陰太極図の3Dモデル「フロウ」は空仮中円融三諦のイメージ? 生きていく上で嫌な出来事も経験します。嫌な経験をすることで人間は成長します。信心に置き換えた場合、成仏の大切な糧に変わるのであります。御本尊様に御題目を唱えるところに、信心をしなけ…

仏法は多数決で判断できません

多数決に正しさの根拠はあるのか? 日蓮大聖人は『聖愚問答抄』に、 「世間・出世善き者は乏しく悪き者は多き事眼前なり。然れば何ぞ強(あなが)ちに少なきをおろかにして多きを詮とするや。土沙は多けれども米穀は希なり。木皮は充満すれども布絹は些少(…

信心は謗法払いが必要です

謗法払いを教えていますか? 「謗法払い」とは、正しい仏法に背いている間違った本尊や法具・神棚や位牌などを取り払うことです。信心をし御本尊様を自宅にお迎えするとき必ず行う日蓮正宗の「化儀」です。日蓮正宗を信心する以前に信仰していた本尊や神様は…

信心は所作仏事が大切

所作が大事なのは舞踊だけではありません 「所作仏事」とは、私達が朝夕の勤行で唱える『如来寿量品第十六』の経文です。私達の凡眼凡智では知ることの出来ない、仏様の御化導は五百塵点劫の大昔から一度も止まることなく続いています。仏様の振る舞いを真似…