謗法とは
日蓮大聖人は『四信五品抄』に、
「慧又堪へざれば信を以て慧に代ふ。信の一字を詮と為す。不信は一闡提(いっせんだい)謗法(ほうぼう)の因、信は慧の因、名字即の位なり」(御書1112)
と正しい仏法を信じない不信が謗法であると仰せです。つまり謗法とは、正しい仏法に背き、御本尊様を信じないことです。正しい法である仏法を謗るという意味が謗法です。謗法の罪は恐ろしく、地獄でも一番苦しい無間地獄に堕ちなければいけません。また正しい仏法を信心している人を、悪く言ったり謗る人も謗法になります。
謗法の果報は、横難横死という姿で顕れます。予測が付きにくい罪障であります。謗法を容認する集団におりますと、謗法の意識が薄れ冥罰を命に深く刻むことになり、未来に様々な不幸な現証が現れます。これは当然のことです。
厳密には、日蓮正宗を信心しない人全てが正法誹謗の果報を免れません。これはどの様なことかというと、成仏という幸せになる法則に随っていないからです。幸せになる法則には、私達の心の中の迷いや悩みの扱いを正しく説く方法があります。この法則を無視するために不幸な現証が起こります。人間関係の気まずさなどは、謗法の考えが深く関わっています。時として信心していても、対人関係に不安を感じる人がいます。信心に対する考え方に、未だ信心以前に身に付いた謗法の考えが邪魔しています。
謗法には、神社の参詣や他宗寺院へのお詣りがあります。信仰を目的としない、謗法破折を目的とした神社・他宗派の寺院見学は問題ありません。謗法の現状を正しく把握するためには、実状を自分自身の目で見ることが大事です。この目的を忘れて、神社の神や他宗派の寺院にある本尊を崇拝するために参詣することは謗法になります。神社や他宗の寺院へ行くという同じ行為でも、目的意識の違いにより、謗法になります。抵抗を感じる方もいますが、謗法厳戒を旨とし、邪宗破折の興学を深める知識を得るために行くことが大事です。謗法の現実を見ることで、更に正しい仏法の存在を明らかにさせることができます。己自身を知り、相手も充分に理解していなければいけません。謗法与同罪を恐れながら、慎重に破折する知識を身に付けることが大事です。
謗法をおかすことは、世間法である法律などに触れることとなり、罰則を課せられます。謗法をおかすということは、正しい理解力や判断力を失うことになります。正しい理解力や判断力を失えば、当然道から外れる可能性が高くなり、心の中に生まれる欲望に左右され、犯罪を犯すことに繋がります。
謗法とは広く分かりやすくいえば、人間としての道を外れることをいいます。正しい仏法は、人間としての道を外れないために説かれるのは当然のこと、それ以上に、人間という悩み多き心の問題を解決し、更に境界を高める仏様の教えであります。謗法とは人間よりも尊く有り難い仏様を、疑い謗ることでもあります。仏様を信じないで人間を信じる人が世の中には非常に多くいます。そこに幸せになれない不幸の根本原因があります。
謗法の詳しい説明は、日蓮大聖人が説かれており、日蓮正宗の寺院でも教えを聞くことが出来ます。謗法を知り、謗法をおかさないよう、日々勤めていくところに、生活の絶対的な安定があり、成仏という幸福な世界があります。
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