1002夜:顕正会で1000万を夢見ていた人々へ
年を取ると、時間の経過が加速度的に早くなりますね。
どうも、ポリ銀です。
今日からいよいよ新年度ですが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。
私は、昨日、今日とお休みでして。。
実質、明日からが新しい年の始まりになります。
手前味噌で申し訳ないのですが、コロナの影響ゼロでして。。
50歳でセミリタイヤ生活には入れそうもありません。
これもまた、別感の功徳ということでしょうか?
日如上人様のお言葉でしたかしら。。。
信心をしている人は、不幸でいい、貧乏でいいって思っても、仏様が無理やり幸福にしてくださるんです。
というのがあったように思います。
ありがたいことですが、私はお陰様を被っておりますね。
顕正会ではかつて「平成25年には1000万」という、浅井センセーの誓願がありました。たしか、平成10年の正本堂取り壊しにちなんで、祝賀会をしたときに発した言葉だったように記憶しています。
僕は夢見がちな青年でした。
真っ向から信じ切っていました。
未だに夢見続けている人もいるようですが、駅前でビラを配っている人だけでなく、かつて顕正会で夢を見失った人にも、もう一度人生を蘇生するために、日蓮正宗の寺院を訪ねてほしいと思っています。
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信心の話が"数"メインの組織活動しか経験していないと、非常に薄っぺらいものに感じるんです。
数の意識は功徳(御利益)にリンクしていますので、報われないと簡単に捨ててしまうという構図ができあがります。
そして、大抵の顕正会員が信心の根源である、戒壇の大御本尊様のことなど頭からすっ飛ばしてしまうのです。
あれだけ戒壇の大御本尊様、戒壇の大御本尊様と「戒壇の大御本尊様ガー」と執着していて、顕正会に不信感を持った瞬間、全てを捨ててしまうことの不条理。
よくよく考えてみましょう。
顕正会員は御授戒を受けたこともなく、御開扉も未経験で、国立戒壇の妄想と宗門誹謗だけをドグマとして刷り込まれ、勧誘活動に疲れ切ってうやむやのまま人生問題を棚上げしてしまうのです。
ドグマってのは独断的な教義のことです。
仏法の教義はそんな単純な図式で整理できるものではないのです。
現在の顕正会員にどれだけの教学力があるのかは未知ですが、平成初期の頃の会員と比べてもお粗末なものだと思います。
まずは、自分が唱えていた御題目の意味を、とことんまで掘り下げて学んでみることをお勧めします。
妙法七字拝仰 上巻、妙法七字拝仰 下巻は、信徒向けの講義です。
それでも難しいですよ。
読み通すこともなかな大変です。
でも、全ては御題目から始まるのですから、一度、真剣に勉強してみてください。
ここが分かれば、あとはスーっとわかってきます。
日蓮正宗要義 改訂版、で、教科書的な俯瞰的知識を養ってください。
これも入門書ですが、歯ごたえがあります。
顕正会の基礎教学書 日蓮大聖人の仏法など、屁みたいなものです。
モトケンや脱会員で無宗教の人々は、よく、「罰などない」「今は幸せにやっている」と言いますが、本当に自身の境涯を開く生き方が出来ているでしょうか?
世間の三毒にまみれた人々と同じ、愚痴と怠惰と瞋りを繰り返していませんか?
異流儀をやめても、元からの宿業は消えていません。
自分が信じていたはずの、本物の信心とは何か?巡り会えるかもしれません。
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