日蓮正宗のススメ

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1199夜:十如是と自我偈に御題目では、功徳になりませんか?

疑問に思うことってありますよね

質問:勤行って、御経本を読む時間の方が、圧倒的に多いですよね。朝の出勤前や疲れて帰って来た夜に、長時間の勤行はしんどいのですが。御題目だけではダメなんですか?

勤行の悩みって、多くの法華講員が抱えているんじゃないでしょうか?

破門前の創価でも、勤行をコンプリートできていた人なんて、一握りの熱心な活動家くらいだったのです。

私個人の考えでは、在家の修行に優先順位は存在していると思っています。
何もかも完璧にこなそうとして、挫折感から退転してしまうより、ポジティブ思考で前向きにやっていくほうがいいでしょう。

まず、一番は御本尊様をおうちにお迎えすることです。

勤行がどうのとか、折伏がどうのという前に、仏様がそばにいるかどうか。仏様に随身できているかどうか。これが大事なのではないかと思っています。

法華講員80余万人といいますが、世帯下付も含めてどれくらい御本仏様が行き渡っているか。入信願書に署名して、御授戒を受けただけの人数を差し引いて考えなくてはいけません。

家族の反対があって、お寺や法華講員宅に通っている人もいるでしょう。
それもいつまでもというわけにはいきません。
必ず近いうちに、御本尊様を下付していただく境涯にならなくてはなりません。
信心があれば、そこは必ず環境が変わってきます。

さて、今日の話はその第一段階をクリアした人のハナシです。

まずは、御給仕をしましょう。
お樒の水を毎日替え、御仏壇をきれいにしましょう。
そして、お題目を三回唱えて出勤・就寝する癖をつけましょう。

第四 与如来共宿の事
  御義口伝に云はく、法華の行者は男女共に如来なり。煩悩即菩提・生死即涅槃なり。今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は与如来共宿の者なり。傅大士の釈に云はく「朝々仏と共に起き、夕々仏と共に臥す。時々に成道し、時々に顕本す」云云。

現在の日蓮正宗では、御形木御本尊様を入信したばかりの方にも下付してくださいます。
御本尊様は大聖人様の分身です。
おうちに仏様が来てくださっているのです。
御授戒を受けた人が唱える題目は本門の題目です。
猊下様の丑寅勤行の功徳が流れ通ってきます。
これを信心の血脈というのです。

朝起きたら洗顔して、仏壇にお水を具えお題目。
夜寝る前にもお題目。
これを続けることで、「今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は与如来共宿の者なり。」です。

次第に生命力もついて元気になってきます。
そしたら、勤行の実践に励んでみることもできるようになるでしょう。
でも、無理や見栄、ハッタリは必要ありません。

御文に云はく、此の経を持ち申して後、退転なく十如是・自我偈を読み奉り、題目を唱へ申し候なり。但し聖人の唱へさせ給ふ題目の功徳と、我等が唱へ申す題目の功徳と、何程の多少候べきやと云云。更に勝劣あるべからず候。(松野殿御返事1046㌻)

信者の松野さんが大聖人様からいただいたお手紙です。
方便品の十如是と自我偈を読んで、お題目を毎日唱えていたことがわかります。
在家としてはまじめに信心していた姿ですね。

但し御不審の事、法華経は何れの品も先に申しつる様に愚かならねども、殊に二十八品の中に勝れてめでたきは方便品と寿量品にて侍り。余品は皆枝葉にて候なり。されば常の御所作には、方便品の長行と寿量品の長行とを習ひ読ませ給ひ候へ。又別に書き出だしてもあそばし候べく候。余の二十六品は身に影の随ひ、玉に財の備はるが如し。寿量品・方便品を読み候へば、自然に余品はよみ候はねども備はり候なり。薬王品・提婆品は女人の成仏往生を説かれて候品にては候へども、提婆品は方便品の枝葉、薬王品は方便品と寿量品の枝葉にて候。されば常には此の方便品・寿量品の二品をあそばし候ひて、余の品をば時々御いとまのひまにあそばすべく候。(月水御書303㌻)

又云はく「現世は安穏にして後生には善処ならん」等云云。又云はく「諸余の怨敵皆悉く摧滅せん」等云云。取り分け奉る御守りの方便品・寿量品、同じくは一部書きて進らせ度く候へども、当時は去り難き隙ども入る事候へば略して二品奉り候。相構へ相構へて御身を離さず重ねつゝみて御所持あるべき者なり。此の方便品と申すは迹門の肝心なり。此の品には仏、十如実相の法門を説きて十界の衆生の成仏を明かし給へば、舎利弗等は此を聞きて無明の惑を断じ真因の位に叶ふのみならず、未来華光如来と成りて、成仏の覚月を離垢世界の暁の空に詠ぜり。十界の衆生の成仏の始めは是なり。当時の念仏者・真言師の人々、成仏は我が依経に限れりと深く執するは、此等の法門を習学せずして、未顕真実の経に説く所の名字計りなる授記を執する故なり。貴辺は日来は此等の法門に迷ひ給ひしかども、日蓮が法門を聞きて、賢者なれば本執を忽ちに翻し給ひて、法華経を持ち給ふのみならず、結句は身命よりも此の経を大事と思し食す事、不思議が中の不思議なり。是は偏に今の事に非ず。過去の宿縁開発せるにこそ、かくは思し食すらめ。有り難し有り難し。次に寿量品と申すは本門の肝心なり。又此の品は一部の肝心、一代の聖教の肝心のみならず、三世の諸仏の説法の儀式の大要なり。教主釈尊、寿量品の一念三千の法門を証得し給ふ事は三世の諸仏と内証等しきが故なり。但し此の法門は釈尊一仏の已証のみに非ず、諸仏も亦然なり。我等衆生の無始已来六道生死の浪に沈没せしが、今教主釈尊の所説の法華経に値ひ奉る事は、乃往過去に此の寿量品の久遠実成の一念三千を聴聞せし故なり。有り難き法門なり。(太田左衞門尉御返事1223㌻)

上記のように方便品と寿量品が法華経の肝要、略法華であることは、大聖人様の御書にも書かれています。

また、日寛上人様の当流行事抄序文には、

大覚世尊設教の元意は、一切衆生をして修行せしめんが為なり。修行に二有り、所謂正行及び助行なり。宗々殊なりと雖も同じく正助を立つ、同じく正助を立つれども行体各々異なり。流々の正助は今論ぜざる所なり。当門所修の二行の中に、初めに助行とは、方便寿量の両品を読誦し、正行甚深の功徳を助顕す。譬えば灰汁の清水を助け、塩酢の米麺の味を助くるが如し。故に助行と言うなり。此の助行の中に亦傍正有り。方便を傍と為し、寿量を正と為す。是れ則ち遠近親疎の別有るに由る故なり。傍正有りと雖も倶に是れ助行なり。次に正行とは、三世の諸仏の出世の本懐・法華経二十八品の最要・本門寿量の肝心・文底秘沈の大法・本地難思の境智冥合・久遠元初の自受用身の当体・事の一念三千・無作本有の南無妙法蓮華経是れなり。荊渓尊者の謂えること有り「正助合行して因んで大益を得」云云。行者応に知るべし、受け難きを受け値い難きに値う、曇華にも超え浮木にも勝れり。一生空しく過ごさば万劫必ず悔いん、身命を惜まずして須く信行を励むべし。「円頂方袍にして懶惰懈怠の者は是れ我が弟子に非ず、即ち外道の弟子なり」と云云。慎しむべし慎しむべし、勤めよや勤めよや。

との御指南です。また、日蓮正宗 勤行要典の解説勤行―その仕方と観念文の意義 (信心修行の基本)には、正式の勤行の仕方が詳しく書かれていますので、ぜひともお読みになってください。

そのことを知り、踏まえたうえで、時間のないときは十如是・自我偈・題目・御観念文でも、題目三唱でも続けて行くということが大切かと思います。

何を言っているのかわからないスピード勤行に、早口5分の唱題よりはいいんじゃないでしょうか?

いやいや勤行をするのは、仏様に失礼ですし怨嫉・愚痴の念は罪障を積みます。

子どもの時、私は親から暴力でおどされ、御本尊様を恨み呪いながら勤行していました。
まったく功徳がないばかりか、罰の連続で小学校時代が終わったのです。
強制は何の意味もないばかりか、害なのです。
無理は道理の反対語です。
無理はいけません。
継続が力です。
そして、何よりも御供養です。
お寺様への御供養こそがあなたの信心なのです。
それが功徳になって、御利益として還ってくることを知っておきましょう。


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