日蓮正宗のススメ

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トチロ~さんが、「大白法」の「異流儀破折」に苦言を呈した件について

Twitterでトチロ~さんが、大白法に苦言を呈していました。
浅井昭衛さんの信徒歴が20数年という、書き手の勘違いに怒り心頭な感じです。
トチロ~さんは、顕正会問題の玄人というか、僕の目を覚まさせてくれた人。
この人が苦言を呈するというのは、なかなか珍しいことなので、僕も少し思ったことを書かせてもらおうかな。。。と。

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遺憾千万

顕正会ってのは、元々、妙信講っていう法華講が前身。
昭和49年に講中解散処分を受けました。
浅井甚兵衛・浅井昭衛親子は、信徒除名処分。
応援していたと目された僧侶も擯斥処分に。
異流儀第一号なんです。
異流儀認定としては、正信会や創価学会の先輩格。
創価学会員の会員数が、800万世帯≒2000万人と言われた時代、詳しい事情を知っていた人は少なかったようです。

実際、私が12年前にお寺に再入信させていただいた時には、支部の人に「顕正会?」「何をしてる団体ですか?」など、その無名ぶりに赤面させられっぱなしでした。法華講の人には、「正本堂問題」とか「国立戒壇問題」なんて説明も通じず、「何ですか?」って言われたりもしました。

温度差ってのを感じましたね。

さすがに現在80歳を越える御年の御住職様は、顕正会のこともよくご存じでして、当時の事情もお話してくださいました。
公明党が選挙に負けるから、国立戒壇はやめますって創価学会が言って来ちゃってさ。それで言わないことにしたの。。。」
呆気ない位のあっさりとしたお言葉でした。
執着している者にしてみれば、赤誠がどうの諌臣がどうのと気負っていますが、正宗の教義ではない言葉ですから、使用しないことにしたところでなんの問題もなかったわけです。
戒壇の事と義の話にしても、代々法華講員としてお寺に信伏随従してきた人にしてみれば、大御本尊様のことを「御戒壇様」とお呼びしているわけですから、御前が事の戒壇であることに新奇な印象なんてないわけですよ。
正宗の教義を宗義書で学んで意気軒高になっていた、俄仕込みの教学かぶれがいきり立ってただけのハナシなんです。

創価ダメ出しさんが、広宣流布の事相についていいお話を書かれていますので、ご紹介して顕正会の破折に替えたいと思います。

sokadamedasi.blog27.fc2.com

御講拝読御書研鑽(2021年9月・如説修行抄)

法華折伏破権門理の金言なれば終に権教権門の輩を一人もなくせめをとして法王の家人となし天下万民諸乗一仏乗と成つて妙法独り繁昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨壤を砕かず、代は羲農の世となりて今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得、人法共に不老不死の理顕れん時を各各御覧ぜよ現世安穏の証文疑い有る可からざる者なり。

先月に続いて今月の私の菩提寺の御講参詣は中止になり、ややテンション下がり気味ですが今月の御講拝読御書の研鑽をしていきます。まず今回の御文全体でいうとこの御文は「立正安国」の原理と広宣流布の事相を示されています。「現世安穏の世の中」とは「安国」でありそれを実現するためには折伏(立正)をするというが「立正安国」の原理です。折伏とは御文にあるように「権門の理を破す」ことです。創価のやっているような選挙の応援をすることではありません。公明党の支援など「法戦」でもなんでもありません。公明党をいくら応援しようとも仮に公明党が単独与党となったとしても大聖人の言われる「安国」にはならない。むしろ公明党が与党に与してからの世相をみれば「暗黒」なのは既に現証として現れています。また【吹く風枝をならさず~災難を払ひ長生の術を得】の部分は広宣流布の暁にはこのような世界になるという事相です。【人法共に不老不死の理顕れん時】とは戒壇大御本尊様が本門寺の戒壇に現れ全ての人々の目前に姿を表されるということです。それは【万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば】となった時です。ですから顕正会の言う「事の戒壇建立」というのは広宣流布達成時に必然的に現れる事相であって戒壇を建立するのが大聖人の御遺命ではないのです。あくまでも広宣流布することが大聖人の御遺命なのです。その御遺命が達成した暁には本門寺に戒壇を建立し戒壇大御本尊をご安置しなさいということなのです。ですから創価や顕正のやっていることは大聖人のご指南を捻じ曲げている謗法行為であると言えます。そして広宣流布が達成した時には経文に説かれる「現世安穏」の世になる。というのが今御文の全体的なご指南です。では広宣流布が達成するまでは「現世安穏」じゃないのかといえばそうではなく、個人に約せば戒壇大御本尊への信心があれば「現世安穏」になります。先ほども書いたように【人法共に不老不死】の体とは戒壇大御本尊です。法華経寿量品に説かれる「常住不滅」とは「不老不死」の人法でありその体は戒壇大御本尊即日蓮大聖人です。【人法共に不老不死の理顕れん時】というのは戒壇大御本尊の功徳(法力・仏力)が顕れる時であり、その時が自身と自身を取り巻く周囲が「現世安穏」となるわけです。そんなこと言っても全然「「現世安穏」にならないじゃないか。と思う法華講さんもいると思います。私もいまもって全然「現世安穏」ではありませんから「自分では信心をちゃんとやっているのに何で現世安穏にならないんだ」と時に思うのでその気持ちは良く分かります。そんな私達と同じように「信心やっているに現世安穏じゃない」と愚痴った在家信徒がいます。四条金吾がそうです。『此経難持御書』(四条金吾殿御返事)の冒頭に四条金吾が日昭にぼやいたことが書かれています。そんな金吾のボヤキに大聖人は、
◆此の経をききうくる人は多し、まことに聞き受くる如くに大難来れども憶持不忘の人は希なるなり、受くるはやすく持つはかたしさる間成仏は持つにあり、此の経を持たん人は難に値うべしと心得て持つなり
とご指南されています。『此経難持御書』は短い御書なので読んでみてください。何故信心しているのにすぐに「現世安穏」にならずに却って苦難に合うのかというと『佐渡御書』等に書かれていますが我々は過去からの謗法があるからです。本来ならその謗法の果報として未来にわたり様々な苦しみを受けなければならない所を信心により先にまとめて軽くその果報を受けているというわけです。いわば「現世安穏」の前に先に「後生善処」の作業をしているわけです。つまり信心をしていま苦難を受けているというのは将来必ず「現世安穏」が待っているという事です。なんて偉そうに書いていますが私も常々将来の不安を感じる時があります。そんな時は先輩の四条金吾の事を想います。所領を没収され主君や同僚たちに疎まれ妬まれ全く「現世安穏」とは程遠かった金吾でしたが大聖人のご指南を信じ固く信心を持った結果は皆さんがご存知の通り主君からの信頼を回復し没収された3倍の所領を得たのです。この金吾の体験談が私には何よりも勇気を与えてくれます。そんなわけで自行化他の題目を実践し来るべき「現世安穏」を目指して日々精進していきたいと思います。

如説修行抄は日寛上人御書文段に、詳しい解説がありますので、本山への御供養として御購入・研鑽されることをオススメいたします。589㌻から掲載されています。