エセー Les Essais

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1109夜:己れ自らを知るために

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ソクラテス

「汝の事を行い、汝自らを知れ」という偉大な箴言しんげんは、プラトンの中にしばしば挙げられている。その二つの部分は、合して我々の義務の全体を包み、それぞれがまた同じようにもう一方の部分を含む。自分のことを行わなければならない者は、「自己第一の修業は、自分が何であるか、何が自分に適当であるか、を知ることだ」と悟るであろう。それから、己れ自らを知る者は、もう他人のことと自分のこととを混同しない。何事よりも先に自分を愛し自分をやしなう。余計な仕業や無益な考えや企てを捨てる。※(始め二重山括弧、1-1-52)愚者は、これにその欲するがままをゆるすもなお満足せざるべし。されど賢者は、現にあるものに満足し、決して自らに不満をもつことなし※(終わり二重山括弧、1-1-53)キケロ)。

エセー 第一巻 第三章 我々の感情は我々を越えてゆくこと

Twitterに「モンテーニュは必要ないです。御書だけを読んでください。謗法の哲学者から学ぶことなどないですから」とのコメントが寄せられた。
驚きはしない。
この界隈ではありがちな意見だ。
コメントをくれた人には、こんなブログ読んでないで、しっかり御書を研鑽したまえとだけ言っておきたい。
当然、即、ブロックした。

わたしは、真理をどんな手の中に見出しても歓迎し愛撫する。喜んでそれに降伏する。それが近づいてくるのを認めれば、遙か彼方からそれにむかってわたしの折られた剣を捧げる。(c)そして、人があまりに横柄おうへいに威張った面構えでのさばり出ない限り、人がわたしの書物に加える非難にも一肩入れる。いや修正のためというよりはむしろ礼儀のために、しばしば文章を改めもした。そのように気がるにゆずることによって、人の正直な忠告をねぎらいまた励ますことが好きだからである。さよう、それがわたしの損になっても。だが現代の人々をこの心境に導くのはなかなか容易でない。彼らは訂正する勇気をもたない。叱正に堪えるだけの勇気をもたないからである。それでいてお互いに面と向うと、常に取りつくろった物言いをしている。わたしはただ正しく判断され認識されることを大きな喜びとするのであるから、ほめられてもくさされてもどっちでもかまわないのだ。わたしの思想それ自身がきわめてしばしば反対し合いけなし合っているくらいであるから、他人がそれをしてくれても結局わたしにとっては同じことなのだ。わたしは原則として、他人の叱責に対してもただ自分の欲するだけの権威しか与えないのだから。だがわたしだって、あまりに高姿勢な男とは絶交する。例えばわたしの知っているある男なんかは、自分の忠告が容れられないと不平をいい、人が彼の言葉に従わないとそれを無礼だと考える。ソクラテスが常ににこにことして、彼の論説に対する他人の反駁をきいたのは、彼の力量の然らしめるところといいうるであろう。いや、どうせ勝利は彼の側に帰するに違いないので、彼はそれらの反対を新たな光栄の資料として受け入れたのだともいい得るであろう。だがふつうはその反対で、敵が我々より優れていてこっちをばかにしているという考えくらい、反駁に対して我々の感情を微妙にするものはないのである。だが理屈から言っても、当然弱い者の方こそ喜んで人の叱正を受け入れるべきで、それによって始めて弱者も立ちなおり改まることができるのだとおもう。(b)わたしは本当に、わたしを恐れる者との交際よりもわたしに打ってかかる人々との交際を求めている。我々を賞賛し我々の前にゆずる人々を相手にすることは、無味有害な愉快たのしみである。アンティステネスはその子供たちに向って、決して自分をほめてくれる人々に感謝したり満足したりしてはならないといった。わたしは火の出るような論戦のまっただ中において、相手の力強い理由の下にいさぎよく平伏しながら自分に勝つことの方を誇りとする。それは弱い敵に勝った満足にはるかにまさるよろこびである。
エセー 第三巻 第八章 話合いの作法について

モンテーニュの「エセー」は正直な本である。
彼が自分を知るために、自分を知ってもらうために書いた本だ。 
最初の随筆文学と言われ、エッセイの語源ともなっている。
分量も膨大で、岩波文庫6巻、白水社版7巻だ。
「エセー」の素晴らしさに気付いたのは、比較的最近のこと。
昨年のコロナ給付金で白水社版7巻を買いそろえた。
岩波文庫版は少し以前より所持していた。
私は読書とブログだけが趣味でいきがいである。
なぜこれほどまでに憑りつかれるのか、自分でもよく分かっていなかった。
哲学というのは、ドイツ風の講壇哲学のことだとばかり誤解していたから。
でも、自分のブログを書くという行為は、自分を知り、自分を知ってもらうために書いていたのだと、モンテーニュに気付かされたのだ。
モンテーニュの作品は、何度も推敲を重ねていることに味わいがある。
ブログに貼り付けている関根訳や、岩波版には修正時期がわかるように表記がついている。(c)などというのがそれだ。
エッセイの熟成具合まで味わうのが通らしい。
私はまだその域には達しえていない。
エリック・ホッファーはある時期、古本屋で手に入れ吸い込まれるように読み、この本は自分のことが書かれている本だと悟ったという。
当ブログでも、様々な哲学書や文学作品を紹介してきた。
自分の信仰を全うするために、教義の本しか読まないと決意されている方を、とやかく言う気は毛頭ない。

凡そ成仏とは、我が身を知るを仏に成るとは申すなり。我が身を知るとは、本よりの仏と知るを云ふなり。一切衆生螻蟻蚊虻まで生を受くる程のもの、身体は六根・六境・六識の十八界をもて組み立てたる身なり。此の衆生は五陰和合の身なり。釈に云はく「五陰和合を名づけて衆生と為す」と。此の五陰は十二因縁なる故なり。(十二因縁御書53㌻)

ただ、不思議なことに大聖人様も「我が身を知るを仏に成るとは申すなり。我が身を知るとは、本よりの仏と知るを云ふなり。」と仰せである。
もちろん、作法受得によって御本尊様に向かい、本門の題目を唱えることによって知るのである。

正直に方便を捨て但法華経を信じ、南無妙法蓮華経と唱ふる人は、煩悩・業・苦の三道、法身・般若・解脱の三徳と転じて、三観・三諦即一心に顕はれ、其の人の所住の処は常寂光土なり。能居・所居・身土・色心・倶体倶用の無作三身、本門寿量の当体蓮華の仏とは、日蓮が弟子檀那等の中の事なり。是即ち法華の当体、自在神力の顕はす所の功能なり。敢へて之を疑ふべからず、之を疑ふべからず。(当体義抄694㌻)

「正直に方便を捨て」 とあるから、モンテーニュのエッセイ集など読まずに御書を読めというのもうなずけるところだ。
ただ、私にとっては、カミュの「異邦人」「ペスト」、ドストエフスキー罪と罰」「悪霊」「カラマーゾフの兄弟」以来の衝撃と感銘を与えてくれている、モンテーニュの「エセー」を手放せそうにない。
しかも、カミュドストエフスキー同様、モンテーニュ実存主義的異邦人である。
つまりアウトサイダーなのだ。

「あまりに深く、あまりに多くを見とおす」人間であるアウトサイダーにとっては、現実の社会における人々の尊厳も、哲学も、宗教も、すべてが、野蛮で、無統制で、不合理なものに艶だしを塗って、なんとか文明的、合理的なものに見せかけようとする欺瞞の試みにしか見えない。
そして、「(自分には)才能もなく、達成すべき使命もなく、これと言って伝えるべき感情もない。わたしは何も所有せず、何者にも値しない。が、それでもなお、なんらかの償いをわたしは欲する。」
アウトサイダーとは、世人や文明規範の価値を受け入れることができず、それらを蔑視し、世界も自己も無意味なのだとみなすと同時に、それでもなお何か代わりとなる究極の真理、あるいは体験、あるいは目的を欲している者なのである。
カミュの言う不条理に向き合う存在だ。《不条理》とは「この世界が理性では割り切れず、しかも人間の奥底には明晰を求める死に物狂いの願望が激しく鳴りひびいていて、この両者がともに相対峙したままである状態」のこと。
またカミュは、世界の不条理性(=絶対的な意味や価値は無いという事実)に対して、自殺も、哲学上の自殺(=神など現状人間の理性では理解不能な存在を設定し解決を図るという飛躍)も選ばない。明晰に現実を眺め続ける、あらゆることに意識的になり虚像を拒絶し自分の頭で判断をし続けていくという姿勢、そういった生き方を提唱している。(※カミュは決して神のような形而上の存在を否定しているわけではない。ただ理解不能なものの上に一切を築かないというスタンス) 非常に面倒だし困難を伴うであろうがカミュの提唱する生き方が個人的にはしっくりくる。
カミュドストエフスキーモンテーニュ
そんなニアリーイコールで結ばれる、疑似等式が私の中で成立しているのだ。
過去にはカミュドストエフスキーについて書いている。
興味のある人は読んでみて欲しい。

 

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