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ペスト (新潮文庫) カミュ (著), 宮崎 嶺雄 (翻訳)を読んでいます:新型コロナウイルスのパンデミックは来るのか?

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パンデミックとは感染爆発のことです。
ペスト (新潮文庫)

ペスト (新潮文庫)

  • 作者:カミュ
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1969/10/30
  • メディア: ペーパーバック
 

あらすじ

『ペスト』はアルジェリアのオランという町が舞台となっている。

ある年の4月、大量のネズミが路上に現れ死んでいくのが発見されるようになる。静かな恐怖が市民たちを襲い、地元新聞は対策の必要を訴え始める。その後しばらくたってから、役所はネズミの収集と火葬を開始した。 

そのころ、医師リウーの暮らす建物で門番をしているミッシェル老人が、高熱を発して死亡する。これと同様の症例がオラン市内のあちらこちらに現れるようになった。 

医師リウーの同僚であるカステルは、これが腺ペストであることを確信する。 カステルとリウーは、ペストの疑いに対して真剣に取り組もうとしない役所やほかの医師たちに対して緊急の処置をするよう訴える。しかし役所が対策を始めたのは、この伝染病がオランを完全に襲ってからだった。 

市全体が封鎖され、市民たちは愛する人たちを離れ離れになり、その離別がいつになったら終わるのか分からに状況に追い込まれてしまう。 

こういった状況の中、神父パヌルーは教会を訪れる信者たち対して厳格な説教を行い、「このペストはオランの持つ罪に対する神からの罰である」と説いた。 

一方、新聞記者レイモン・ランベールはパリにいる妻のもとに戻ろうと、オランからの脱出を請願するが、当局が許可してくれない。そこでランベールは、犯罪歴のあるコタールという人物と連絡を取り、彼の持つ裏社会とのつながりを利用して違法な方法でのオラン脱出を試みようとした。 

そのころ医師リウー、彼と共にペスト対策に奔走するタルー、作家を志すグランたちは、ペストの脅威にさらされながらもオランの惨状とたたかい続けていた。 

ランベールは違法ルートによる脱出計画を立て、実行は目前に迫った。そのときランベールは、リウーの妻も(ペストではない)ある病気のために転地療養中であり、夫婦離れ離れになっていることを聞かされる。ランベールは実行直前で脱出を取りやめ、リウーたちとともにペストとたたかう決心をした。 

コタールは犯罪歴のある人物で、今まで逮捕・投獄の恐怖に苦しんでいた。そんな彼はペストのまん延でオランの市民たちが混乱する様子を見て、恐怖に苦しんでいるのが自分一人でないことを感じ、安心を覚えていたのだった。 

さらにコタールは、封鎖されたオランと外部との間で行われる密輸に手を出し、多額の富を貯えていた。 

隔離状態が数か月にわたった結果、オラン市民の多くは自分ひとりの苦しみだけに取りつかれた状態を脱し、ペストがオラン市民全体に関わる災難であると考えるようになる。そして市民たちは各自が社会的責任のもとで、ペストに対抗する活動に参加するようになった。 

そのころ一市民であるオトン氏の幼い息子がペストに感染し、長期間の苦しみののち死亡した。リウー医師はパヌルー神父に対し、オトンの息子は何の罪も負っていないのに犠牲になったのだ、と声を荒げる。 

パヌルー神父はオトンの息子の死にショックを受け、あらためて説教を行い、このペストがオラン市民の罪に対する神からの罰であるという最初の説教を訂正する。そしてクリスチャンは、神についてすべてを信じるか、またはすべてを信じないか、どちらかを選ばなくてはならないと説いた。 

そのパヌルー神父もまたペストに侵されるが、医師の診察を拒み、神の手に自分の運命のすべてをゆだねる。そして十字架を握りしめながら息を引き取った。 

しかし、亡くなったパヌルー神父を調べたリウー医師は、その症状が今までのペストとは異なることに気づく。そしてついにペストの大流行にも終わりが訪れたのである。 

すると犯罪人コタールは、ふたたび自分だけが恐怖に苦しむことになるのを感じ、銃の乱射騒ぎを起こす。また作家志望のグランはペストで苦しんでいたが回復し、新しい人生を始めることを誓う。 

こうしてペスト流行が衰え始めたそのタイミングで、今まで医師リウーとともにペスト対策に奔走してきたタルーがペストに感染し、死亡する。 

オランの封鎖が解かれると、新聞記者ランベールの妻は彼のもとにやってきて再会を果たす。その一方で、リウー医師は彼の妻が療養先で亡くなったことを知らされた。 

オランの市民は通常生活に戻っていった。しかしリウーは、ペストとの戦いは終わっていないという。ペスト菌の微生物は何年間も活動を休止したまま潜伏し、いつでも復活する可能性があるからだった。

アルベール・カミュのこの作品は、「異邦人」と並び称される彼の代表作です。

パンデミック・パニックを描いた作品ではありません。

人生の不条理と、人類を襲う試練(メタファーとしての:疫病・ファシズム・戦争・災害)に向き合う、人々の葛藤を描いた実存主義文学作品です。

ノーベル文学賞作品でもあります。

発表当時(1947年)には、ナチスの暴威の記憶が生々しく、ファシズムの脅威と対峙させられた、占領下の人々(特にカミュは自身のレジスタンス活動で見た状況)をペストの猛威にさらされた、オラン市民として読まれ世界中で激賞されたようです。

現在リアルタイムで中国の新型肺炎が、感染症として認知され世界中で注目されています。

日本にも春節旅行で大勢の中国人観光客が訪日し、ネット上で日本政府の水際対策の不備が問題視されていますね。また中国政府の発表が遅いとの批判もあります。

カミュのペストが描く状況は、非常にリアル且つ詳細で、現在封鎖されている地域を彷彿とさせますし、今は対岸の火事といった感のある日本も、パンデミックとなれば他人ごとではありません。

翻訳が硬いといいますか、思想的な記述が多いため読みづらく感じる部分もありますが、小説として完璧ともいえるような完成度で書かれています。まさに不条理文学の結晶体と言えるでしょう。

カミュのいう不条理とは、「明晰を求める理性と、理性で説明できない世界の差異」から生まれるということでした。

その不条理をごまかすことなく見つめることにより、「反抗」「自由」「熱情」に満ちた生になると言っています。

  • 反抗:理性で説明できない世界を、妥当な原理に当てはめようとすることにあらがうこと
  • 自由:限られた運命の中で、規則にとらわれない精神と行動の自由
  • 熱情:意識的により多くを経験すること

「ペスト」という作品は、登場人物によって不条理が人間に加える動揺を、これでもかというくらい描き出しています。

カミュのいう不条理をもう少し詳しく説明しますと。。。
“不条理という言葉のあてはまるのは、この世界が理性では割り切れず、しかも人間の奥底には明晰を求める死に物狂いの願望が激しく鳴りひびいていて、この両者がどもに相対峙したままである状況についてなのだ。”

つまりこういうことです。
明晰を求める理性 ← 不条理性 → 理性で説明できない世界

例えばこういうことです。
人生が生きるに値するか否か ← 不条理性 → 理性的に言えば価値などない。じゃあ死ぬのか?

よって、“真に重要な哲学上の問題はひとつしかない。自殺ということだ。”という結論が出てきます。

不条理を発見してしまった人間は苦悩します。
不条理が生まれるのは、この二つの事項(明晰を求める理性と、理性で説明できない世界)の差異からだと、カミュは繰り返し説きます。なので、どちらか一方がなくなれば、不条理も消滅します。つまり端的に言ってしまえば、不条理が消えるのはこの二つ場合となります。
・明晰など求めない頭になるか
・世界の方が説明できるようになるのか

カミュドストエフスキーの小説作品を分析するのですが、なぜ小説というものを検討するかというと、小説創造というものは、他の芸術に比べ、説明への誘惑が強いというのです。これはなんとなく分かりますよね。言葉を媒体としている芸術ですからね。言葉は人の理性から生まれてきたようなメディアです。理性で説明できない世界を、この言葉で記述する、結論を出したいという欲求が大きくなることは想像できます。

キルケゴールをはじめとする実在主義=神への上訴の道。
実存主義がどんな哲学か、ここでは触れませんが、実存主義の哲学者は、この不条理な状態の解決する策として、「理性で説明できない」ことは「神の領域」としてしまっている、とカミュは言っています。ここでいう「神」は、必ずしもキリスト教の神というわけではなく、「人間の理性の及ばない領域にある何か」ということでくくれます。
理性で説明できない世界 = 神の領域 = 人間が考える必要のないこと。もう考えなくていいんだから、不条理は消滅します。でもですね、哲学というのは「考える」もので、カミュはこの状態を「哲学上の自殺」と呼んでいます。また、別の言葉では「希望」、「上訴」、「飛躍」などと言っています。

さて、カミュドストエフスキーの『悪霊』のなかのキリーロフという登場人物を分析します。自殺をするということを除いて、この人物は、カミュのいう不条理に当てはまる人物です。ドストエフスキーについて、カミュはこう評しています。
“おそらく、ドストエフスキーほど、この不条理な世界に、これほど身近かで、これほど苦しみを味わわせる魔力をあたえた小説家は、ただのひとりもいないであろう。”

ところがですね、一方で、ドストエフスキーの最後の作品『カラマーゾフの兄弟』を分析すると、そこにはキリーロフとは真逆の回答が見られるというのです。“存在は虚妄であり、しかも存在は永遠である。”不条理が消え去った世界です。ドストエフスキーは上訴の道を選んでいます。

なので、ドストエフスキーの作品は、「不条理な作品(回答をあたえない)」ではなく、「不条理な問題を提起する作品」となります。このように、不条理からの距離感も、作家によって様々なのでしょうが、読者としては、こういった作品に触れることで、不条理な苦行がいかに難しいのかということが理解できます。

偉大な芸術作品は、人間が幻想を乗り越え、自分の現実に少しでも接近してゆく機会を与えてくれると、カミュは述べています。

「不条理」が生まれては消え、消えては生まれ、さらにそれ自体が矛盾に満ちた「不条理な生」ですね。カミュは「不条理な生」をこのように言っています。
“自分の生を、反抗を、自由を感じとる、しかも可能なかぎり多量に感じとる、これが生きるということ、しかも可能なかぎり多くを生きるということだ。”

“以上ぼくは不条理から、ぼくの反抗、ぼくの自由、ぼくの熱情という三つの帰結を抽き出した。意識を活動させる、ただこれだけによって、ぼくは、はじめは死への誘いであったものを生の準則に変える、-そうしてぼくは自殺を拒否する。”

ドストエフスキーの「悪霊」は、登場人物の自殺で幕を閉じます。「悪霊」を問題提起の書として評価しつつも、「自殺」を不条理からの逃避とみなしたカミュ

そんなカミュが、不条理なこの世界に突きつけた、「反抗」「自由」「熱情」の世界。それが「ペスト」なんだと思います。

正しい生き方なんてものを求めない。

でも、逃げない。

主人公はとんでもなくカッコイイっす。

是非、読んでみてください。

 

ペスト (新潮文庫)

ペスト (新潮文庫)

  • 作者:カミュ
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1969/10/30
  • メディア: ペーパーバック
 
アルベール・カミュ『ペスト』 2018年6月 (100分 de 名著)

アルベール・カミュ『ペスト』 2018年6月 (100分 de 名著)

  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: NHK出版
  • 発売日: 2018/05/25
  • メディア: ムック