日蓮正宗のススメ

人生談義と時事放談

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1149夜:自然体で生きるには?寛容・中庸・不可知論(Que sais-je?としての)

(b)わたしは踊るときには踊る。眠るときには眠る一人で美しい果樹園を散歩するときだってそうだ。わたしはそのうちの幾時間かは、何かほかの出来事に気をとられているかも知れないが、またほかの幾時間かは、やはり散歩に・果樹園に・その静寂のうれしさに・そして自分ひとりに・もどっている。自然は、我々の生存のために我々に課したもろもろの行為が、我々にとって快楽でもあるようにと、さながら慈母のように心を配った。そして我々を理性によってのみならず、欲望によってそこに赴かせる。こういう自然の掟をまげるのは正しくない。
 わたしはあのカエサルアレクサンドロスがその大事業のまっ最中に、(c)自然的な・したがって必要で正当な・(b)快楽をあのように十分に享楽したのを見ても、決してその魂を弛緩しかんさせたとはいわない。むしろそれを強化したという。彼はつよい気魄によって、あの激しい仕事と骨の折れる思想とを、日常生活の規則に従わせたのであるから。(c)もしも彼らが一方を日常の天職・一方を非常時の天職・と考えていたのだとすれば、彼らこそ賢者であろう。我々は大ばかである。我々はいう。「彼は無為の中にその一生をすごした」「ぼくは今日何もしなかった」――と。冗談ではない。君たちは生きたではないか。それこそ君たちの仕事の根本であるだけでなく、その最も輝かしいものではないか。――「もし大事業をする好機が与えられたなら、ぼくもこの腕前を見せてやったのに」と君はいうが、もし自分の生活を考え導くことができたのなら、それだけで君はあらゆる事業のうちの最も偉大な事業を成しとげたことになる。自然は自分を示し自分を発揮するのに、運命などを必要としない。すべての段階において、幕の裏でも幕がなくても、同じように自分を示す。我々の日常をととのえることこそ我々の務めで、それは書物を作ることでもなければ、戦に勝ち国々を取ることでもない。我々が生きるための秩序と平安とを勝ち得ることである。我々の偉大で光栄ある傑作とは、ふさわしく生きることである。そのほかのことは、統治することも、お金をためることも、家をたてることも、皆、せいぜい附帯的二次的な事柄にすぎない。

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モンテーニュ「エセー」より

僕はモンテーニュ「エセー」の愛読者だ。
モンテーニュのおかげで、冷静になることができた。
正義中毒から目覚めることが出来たんだ。
正義系宗教団体を渡り歩いて来て実感することは、彼らの自己欺瞞に対する吐き気なんだ。
正義なんて存在しねえ。
嘘なんだよ。
正義中毒・功徳乞食・罰への恐怖からくる隷従。
それしかない。
今日の空を見上げたか?
季節の移ろいに思いを馳せたか?
モンテーニュはタオイストだったんだ。
西洋に生まれた奇種。
なんて言っても、正義中毒者には通用しねえか。

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ekikyou-dokugaku.com老子荘子易経・エセー。
僕は無為自然を生きる。