日蓮正宗のススメ

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1104夜:ミニクイアラソイ

 

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同士討ちや仲間割れはみっともないです

最近、Twitterで同門内での言い争いがありました。
私は参加してなかったのですが、なぜかその内の誰かの返信グループに入れられていまして、変な通知が大量に送られてくる羽目に。。
(;´д`)トホホ。
何度か返信グループに除外の申請をしたけどスルーされてて。
仕方なく目ぼしい中心者をブロックいたしました。
これを機にというわけでもないのですが、ブログの名前を変更させてもらいました。
また、リンク先Twitterも変更しました。
今まで通りbotは残しておきます。

昔、僕は親友を失ったことがあります。
理由は宗教がらみ。
多くの友人を失ってきました。
毎日、モンテーニュの「エセー」を少しずつ読んでいるのですが、彼の教養・中庸・寛容の精神に畏敬の念を抱くようになり、私淑するまでになったのです。
モンテーニュが生きた時代は、フランス史上最悪の動乱期。
世界史的にはルネサンス期に該当します。
カトリックVSプロテスタントによる内戦(ユグノー戦争)と、猛威を振るうペスト禍の中、公務を果たしながらも判隠遁的な生活を全うした人です。

モンテーニュは公にはカトリック教徒でした。
しかし、本心では懐疑主義的な不可知論を信奉していることが、彼の随筆の行間からうかがい知ることが出来ます。
彼の疑問は「すばらしいはずの信仰をしているはずの人々が、なぜかくも残虐で卑劣な行いを為すことができるのか」というものでした。
これは、私が幼いころからずっと抱いてきた疑問であります。
私にも信仰があります。
その信仰は仏教といいつつも一神教です。
因果俱時法門がありますので、創造神を定律しなくても世界観を保持できるからでしょう。
その秘密は無始無終という観念にあります。
不生・不滅、不常・不断、不一・不異、不来・不去の八不中道由来の概念です。
御本仏日蓮大聖人様は、過去久遠元初も末法の今日も日蓮大聖人様です。
されど、過去久遠元初も末法の今日も先行する迹仏の法華経を典拠とします。
ここに不思議妙法の妙理が存在しているということでしょう。
しかし、思議を絶しております、言語道断の境地で説明不可能です。
ま、それはさておき、一神教ですから独善ですし他の宗教は全て邪教になります。
温度差はあれども、ユダヤ教キリスト教イスラム教たちと同類ですね。
日蓮正宗だけは違うとか、法華講創価や顕正と違うとか、それは贔屓の引き倒しというものです。
それでも、私は信仰を捨てる気もないですし、アンチに走るつもりも毛頭ございません。
それも、モンテーニュに見習ってということです。
もっと学的に硬い人でいうならば、アダム・スミスしかりです。
私は彼の「道徳感情論」は、モンテーニュの「エセー」を論文にしたものだと思っています。
モンテーニュアダム・スミスも口を揃えて言います。
「革命や革新、変革にうまく機能したものはない」と。
教義は横に置いて考えてみても、創価・顕正は日蓮正宗を批判して破門になった者達ですが、なんら社会に幸福を齎してはいません。
むしろ害悪を垂れ流し、さらなる内部抗争や分裂に明け暮れています。
頭で考えた通りには進んでいかないのです。
では、どうするのか?
父祖伝来の方法を踏襲しつつ、少しずつ改善を重ねていくほかないのです。

先日のTwitter上での内輪揉めを見た時、げんなりしました。
お寺の愚痴に襲い掛かる妄信者の群れ。
誹謗中傷のひどさ。
結局、これの繰り返しかよと。
一神教界隈は折伏の精神、ジハードソウルですから見て見ぬ振りができないように、きれいに洗脳されています。
道徳感情が少しの刺激で爆発するようになっているのです。
しかたないかなと思いつつも、しんどいなと。
それで、ブログタイトルも変更することを決意しました。
徐々に新ブログへ移行していくつもりです。
新ブログはコチラ↓

montaigne.doorblog.jp新ブログの方も興味があったら見に来てくださいね。
僕はこれからの余生を思索の日々として、信仰を保ちつつ中庸と寛容の精神で生きて行こうと思っています。