アクセス解析では、絶不調のエピクテトスシリーズなんですが、私の煽りに乗っていただいて、お怒りのメールをいただきました。
お前なあ、信心してるのになんで哲学とか言うわけ?頭おかしいんじゃねえの?進撃の巨人と仏法は関係ねえし!お前、なんで哲学とかやってんの?謗法だろうがよ?お前のブログなんざ、二度と読まねえ。
差出人不明のフリーメールにての御質問、誠にありがとうございます。
間違いなく、質問者様は引き続き拙ブログを閲覧くださると確信しまして、公開対話にさせていただきます。
私見ではございますが、質問者様は法華講民であろうと推察しております。
創価民も顕正民も似たような見識でしょうけども、日蓮正宗礼賛記事を期待して御訪問いただく、妄信法華講民様からは、苛立たしさを露わにしたクレームを頂戴いたしますので、おそらくそうではないかと。。。
それでは、なぜ、私が哲学を勉強しているのかについてお話しするとともに、おススメの哲学書4冊を御紹介いたします。
目次
1 日本人が宗教団体に入る理由とは?
宗教2世問題
ここで私の言う宗教2世とは、生まれた環境が特定の宗教団体に属する家系であった人の総称です。
最低でも親世代から、古い場合は先祖代々まで。
家庭という根本的な生活単位が、特定の宗教団体に支配されている状況を指します。
初詣に行くとか、葬式を家の〇〇宗でするとか、結婚式はチャペル式でとか、そういうのは含みません。
日本人は無宗教とか言われますが、新興宗教を中心に宗教団体に属している人は結構います。
そういう人々は程度の差こそあれ、信仰の自由がない状態から人生が始まるわけで、一般社会との違和感や軋轢を感じながら成長することになります。
ここには、日本社会に潜む無意識的な問題が存在しているように思われます。村上春樹さんは1Q84 BOOK1-3 文庫 全6巻 完結セット (新潮文庫)において、真っ向からこの問題に取り組んでいらっしゃいます。
勧誘から洗脳へ
もう一つ、多くの宗教団体加入者に見られるパターンは、軽い気持ちで誘われて知らず知らずの内にどっぷりとハマってしまったというもの。
時々世間を騒がすような洗脳騒動なんかも、多くはこの軽い気持ち系からのマインドコントロールに至るお話です。
芸能界でも、え?この人が?ってありますよね。
Toshlさんや、中島知子さん、貴乃花さんが、スピリチュアル系のメンターに支配されて、人生を狂わされた話は記憶に残っています。
人知れず抱える苦悩、病気、寂しさなど、人の心にできる隙間。。。そこに付け入る怪しい人々。。
地獄に仏とすがりついた先が、ペテン師だった。。。
悲しすぎる結末に、人は他人事として安堵感を覚えますが、果たして本当に他人事でしょうか?
哲学を勉強すれば、怪しい宗教に洗脳されることはなくなる
1 思春期に出会った創価学会の反乱
私は高校三年生まで、創価2世の子供として、創価学会基準で真っ当に育ちました。
親の暴力に蹂躙されてという条件付きではありましたが、毎日の御勤めもこなし、教学試験にも合格し、少しずつ宗教的確信も深めている時期ではありました。
そんな時、精神的支柱だった池田センセーが、宗門に反旗を翻したのでした。
受験シーズン真っただ中の11月に。
創価大学進学も視野に入れていましたが、他大学も視野に入れて受験に臨みました。
最終的にそれからの創価と宗門との混乱や、醜聞騒ぎもあって、創価大学法学部を蹴って他大学に進学することに。。。
そして、選んだ先が哲学科だったのです。
2 哲学科に進んだ理由
頭ごなしに信じるのではなく、考えることを学びたかったというのが、一番の理由でした。
信仰の世界では疑いを持つことは御法度です。
疑えば地獄行。。。
恐怖で縛る世界観から逃げ出したかった。。。
これが本音でしたね。
そして、それは正解でした。
哲学科で習ったこと、それはどのように考えることが正しいのかを考えること。
いたずらに哲学者の中から、自分の好みに合う人を選んで心酔するのでは、それは宗教を信じるのと同じです。
私が学んだ哲学科では、懐疑主義からカリキュラムが組まれていて、自分たちが生きるこの社会の思考の枠組みを、根底から考え直し吟味する手法を学びました。
3 初心者が学ぶのにおススメの哲学書4選
1 デカルト
我思う故に我あり。
この言葉は知っている人も多いでしょう。
これは何を意味するのか?
それを知る人はあまりいません。
世界の第一原理を追究するために、デカルトは数学的な手法で哲学を探求します。
有名な方法的懐疑。
徹底的に疑いつくしてなお残るもの、それは、疑っている自分の思考作用。
これだけは確実に存在していると言えるのだ。。。
そこから、始めるのが正しい思考法なのだと。。
2 ドストエフスキー
ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」は、東大新入生に勧めたい書籍ナンバーワンにも選ばれていましたね。
私の大学でも教授から勧められました。
読んでみればわかりますが、宗教世界の崩壊に面していたロシアの青年たちの苦悩が、まさに人生の指針なく生きる、現代日本人にとって響くのです。
私には創価と宗門の軋轢や、宗教そのものに対する疑念など、自分の問題としてのように読めたのです。
小説を通じて考えることを学んだ、最強の古典でした。
3 実存主義との出会い
大学一年の夏休み、この本に出会った衝撃は忘れられません。
実存主義。
言葉も知りませんでしたが、友人に勧められて読んで、胸打たれました。
ニーチェとハイデガーの存在を知ったのも、この本が初めてでした。
ニーチェもハイデガーも、ともに宗教否定の哲学者ですが、宗教なきあとの世界をいかに生きるべきかに、真っ向から立ち向かった哲学者です。
不条理で意味のない世界を。意味ある世界にするために。。。
今もこの考えが私の背中を押し続けています。
哲学最良の入門書ですね。
4 異邦人
言わずと知れたカミュの代表作。
薄い本ですが、中身は爆弾のように強烈です。
意味のない世界。
神のいない世界。
そこに生きる自分。
それでも、人は真っ当に生きていくことができるのか?
真っ当とは何か?
ペストと合わせて読むことをお勧めします。
若い時は異邦人がカッコよすぎて、最高の小説だと思いましたが、昨年のコロナ禍をきっかけにペストを読んで、私はペストの主人公リウーのようになりたいと思ったんです。
人は、信仰などなくとも、真っ当に生きていくことができる。
いやむしろ、妄信よりは害が少ないと思えるようになりました。
哲学は謗法なのか?
最後にこの、哲学は謗法なのか?
根源的な問いに答えたいと思います。
日蓮大聖人様は、開目抄冒頭に
夫一切衆生の尊敬すべき者三つあり。所謂、主・師・親これなり。又習学すべき物三つあり。所謂、儒・外・内これなり。
と、仰せです。
となります。
これが御本仏の教育原論なのであります。
哲学は最終的には倫理学に到達します。人生、いかに生きるべきかという問題です。ヨーロッパ諸科学と補い合って、人生を豊かにする手助けになるのです。
でも、信心がなくては元も子もありません。
スマホを手にして、グーグルマップで地図検索するとき、それは、現代諸科学の恩恵なのです。道すがら風景を楽しんだり、文化遺跡に感銘を受けるのが哲学で、付いた先に日蓮正宗寺院がある。。。
こういう連関を十如是一念三千法門というのです。詳しくは究極の哲学書、一念三千法門を熟読玩味してください。
今日はこの辺で。。。