面白そうな法華講員ブログを見つけました:城内啓一郎の鷗鵡老日記
品川・妙光寺様の御信徒さんだとか。
本名・顔出しは尊敬いたします。
を読みましたら、平成3年の脱会・正宗帰依だそうです。
うらやましい。
僕もあの時に脱会していたら。。
脱会はしたんだけど、顕正会に行っちゃって。。。
今世は失敗作になっちゃいました。
確かに今思い出しても、1990.11.16スピーチは衝撃的でしたね。
僕はまだ高校三年生でしたけど、それでも「あ~これはダメだ」って思いましたもの。
平成2年 11.16の池田スピーチ(抜粋)
(1)
「文化運動、ね。文化も一生懸命、今、仏法を基調にしてね、文化・平和。文化は要らないと、謗法だ。もうわけがわからない、ね。なんにも苦労していないから。本当のことを、社会を知らないから、折伏もしていないから。それがいけないって言うんですよ。折伏だけで、全部教条的にね、やれ、おかしいよ」
(2)
「猊下というものは信徒の幸福を考えなきゃあいけない。権力じゃありません。」
(3)
「全然、また難しい教義、聞いたって解んないんだ。誰も解らないんだ、ドイツ語聞いているみたいにね。それで『俺偉いんだ。お前ども、信徒ども、信者、信者って』そんなのありませんよ、この時代に。時代とともにやればいい、学会は。」
(4)
「あくまで御書です。御本尊です、法は。これが解かればいいんです。あと、ちゃんと日淳上人、それから堀猊下、全部日達上人、きちーっと学会を守ってますよね。」
(5)
「教条的な画一的な、時代にも相反した、そんなんで、今日のね、大宗教の発展があるわけがない。その苦労がわからないんです。どれほど学会がすごいか」
(6)
「世界の仏法流布という平和文化運動の実践運動をですよ、それがいけないと言うんですよ。折伏だけで、全部ね、教条的にね、やれっちゅうんです。おかしいじゃないか。そう書いてあるのに。」
(7)
「平和運動、正しいんです。文化運動、正しいんです。大いにやりましょう。それがなかったならば、何やってきゃ、どうしたら折伏出来るか。そうでしょう。ただ…、真言亡国・禅天魔、法を下げるだけでしょう。」
(8)
「50周年、敗北の最中だ。裏切られ、たたかれ、私は会長を辞めさせられ、ね。もう宗門から散々やられ、正信会から、馬鹿にされ。それでその上、北条さんが『もう、お先まっ暗ですね。』『何を言うか、60周年を見ろ、もう絢爛たる最高の実が、60周年が来るから元気だせ。』会長だから、これがよ。私は名誉会長だ。『そうでしょうか。』馬鹿かー。本当にもう、誰をか頼りに戦わんですよ、本当に・・・」
(9)
「大聖人が我が門下の死は、私どもの死は、信者の死なんて言わないです、大聖人は。そういうことはほとんどないです。門下、我が一類とかね、正信会なんて『信者、信者』言って、みんな信者だ、御本尊のよ、坊さんだって、違いますか、坊さんだけほか拝んでんのかよ。」
(10)
「今はですよ、出家ってもね、あのー、ちゃんと奥さんをもらって赤ちゃんつくってさ・・・」
(11)
「700年間折伏がそんなに出来なかったんですよ。よーく知っていらっしゃるんです。今はもう当たり前と思ってね。威張っている人がいる。とんでもない」
(12)
「ゴ大統領は、新思考法といって、もう、どんなことでも模索している。同じ布教においても、こういうふうに、みんな一生懸命考えながら、工夫して折伏するのがないでしょう、ね。日蓮正宗で、いなかったんですよ。それを学会がやってるから、学会を絶対にすばらしい、ということであります。」
(13)
「昭和62年の年末に学生部結成30周年を記念して、この演奏、第九の演奏を私は聞きました。本当にいまでも忘れない。したがって、私は、提案だけれども、創立65周年には、5万人で、創立70周年には10万人の、私はこの『歓喜の歌』の大合唱をして後世に残したいと思います。」
僕はまだ子供で、創価学会の人たちがどのような思いで、信仰をしていたのか如実には知りませんでした。教学任用試験で男子部の人に、教学の勉強を教えてもらって、初めて仏法のことを知って「すげ~!」って感動してたレベルでしたから。
城内さんの記事には、色々と興味深いことが書かれています。
時々、引用させてもらいながら、自分の考えも書いていきたいな。。。
私的には、なかなかおもしろいこと(妄信者・盲信者が即ギレマジギレしそうなこと)をズケズケ言ってて、好きになりました。
面白そうなんで、消されちゃう前に当方のブログで転載・保存させてもらおうっと。
新しいカテゴリで「城内啓一郎の鷗鵡老日記」を設けました。
日蓮正宗の歴史の勉強にもなりますね。
いいブログです。