「弁惑観心抄」を購入しました。
弁惑観心抄という書物を御存じでしょうか?
日応上人様の著作です。
日応
日応(にちおう、1848年11月15日 - 1922年6月15日)は、大石寺第56世法主。68世日如の曽祖父。大石姓。池袋法道院開基。
略歴[編集]
- 1848年(嘉永元年)11月15日、誕生。
- 1858年(安政5年)11月8日、第52世日霑を師僧に出家得度。道号を慈含と名乗る。
- 1885年(明治18年)6月8日、能化に補任
- 1889年(明治22年)5月、55世日布より法の付嘱を受け、大石寺第56世日応として登座。
- 1891年(明治24年)4月7日-1891年(明治25年)4月7日にかけて、日蓮宗興門派の第15代管長に就任。
- 1899年(明治32年)、日蓮宗興門派は本門宗と改称。
- 1900年(明治33年)、行政より本門宗からの分離独立が認可されて日蓮宗富士派と公称。
- 1908年(明治41年)11月10日、第57世日正に法を付嘱。
- 1922年(大正11年)6月15日、73歳で遷化(死去)した。
著書に、弁惑観心抄がある。
弁惑観心抄[編集]
『弁惑観心抄』日応上人 | Michaelshacksonのブログ
「弁惑観心抄」 日応上人
「大漫荼羅一幅に於て三宝を具足するを以て別体住持二種の三宝必要なしと云はば三宝に開合あるの義を弁へざるが故なり。
夫れ当家所立下種の三宝は久遠元初無作本有の妙法蓮華経より唯我与我の師現はれて事行の信心を顕示し末法但妄の衆生を救済し玉ふ者なれは漫荼羅一幅に三宝を具するは則ち合帰の事相にして別体の三宝は則ち妙法の漫荼羅より開発したる事相なり」(204p)---------------------
唯授一人嫡々血脈相承にも別付総付の二箇あり。
其別付と者則法体相承にして総付者法門相承なり、
而して法体別付を受け玉ひたる師を真の唯授一人正嫡血脈附法の大導師と云ふへし。
又法門総付は宗祖開山の弟子旦那たりし者一人として之を受けさるはなし。
蓋し法門総付のみを受けたる者は遂には所信の法体に迷惑して己義を捏造し宗祖開山の正義に違背す、(中略)
吾大石寺は宗祖開山より唯授一人法体別付の血脈を紹継するを以て五十有余代の今日に至るも所信の法体確立して毫も異議を構へたる者一人もなし。
而して別付の法体と者則吾山に秘蔵する本門戒壇の大御本尊是なり、
故に開山上人より目師への付属書に云く「日興宛身所給弘安二年大本尊日目授与之」云々、
此法体相承を受くるに付き尚唯授一人金口嫡々相承なるものあり
此金口嫡々相承を受けされは決して本尊の書冩をなすこと能はす、
(中略)
仮令広布の時といへとも別付血脈相承なるものは他に披見せしむるものに非す、
況や今日該抄を世上に伝播せしむるか如きは無論唯授一人の別付相承に非すして法門総付の相承なること顕然なり(211p)---------------------
此の金口の血脈こそ宗祖の法魂を写し本尊の極意を伝るものなり。
之を真の唯授一人と云ふ、
(中略)
故に予は断言す、汝等か山は不相伝なり、無血脈なり、と。
宜しく猛省すへし。(219p)
日蓮正宗の相伝に対する邪難、特に驥尾日守の「末法観心論」への弁駁の書として著された書です。
不相伝家は古来より、戒壇の大御本尊様と血脈相承を邪難してきました。
昨今の創価が吠えるのを待つまでもなく。
坂本龍馬よりちょうど12歳年下の方です。
日如上人様の曾祖父様です。
年末年始、一度、手に取ってみてくださいまし。
一念三千法門もお勧めです。