エセー Les Essais

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1119夜:ハイデガー「存在と時間」の誘惑

 

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左から、ヴィトゲンシュタインヒトラーハイデガー。1889年生まれの同い年。

それまでの哲学をひっくり返した天才、ヴィトゲンシュタイン
ナチスの指導者、ヒトラー
そして、究極の哲学書存在と時間」を著した、ハイデガー
奇しくも時代を動かしたこの3人が同じ年の生まれであるとは。。。
なかでも、ハイデガーは、私を宗教2世の呪縛から解き放ってくれた恩人。
存在と時間」は未完の大著。
挫折の金字塔なのだ。
なぜそれが上梓から100年を過ぎても、今でも問題の書なのか?
それは存在論に正面から挑んだ、人類最初で最後の書だから。

皆さんは、一度でもこんな疑問を持ったことがあるだろうか?
「なぜ何もないのではなく、なにかが存在しているのだろうか?」
一体全体、「ある」とは何か?
この問いに宗教や神話の力に頼らず、明晰判明な論理的帰結によってのみ答えようとした書。
人類究極の書なのだ。

実はハイデガーの哲学的直観においては答えは出ていた。
存在とは時間であると。
時間とは現存在(人間のこと)の臨在という在り方に由来しているのだと。
おそらくこの直観は正しく、正確に言い当てているのだが、その証明に挫折したのだ。
近年、ハイデガーの直観を理論物理学者の、カルロ・ロベリが支持する見解を提示している。
また、プルーストの「失われた時を求めて」でも、時間はそこに人間存在がある限りにおいて時間化することを、3000㌻に渡る大著の中で文学的に表現しているのだ。

そう、時間は実体として存在してはいないのだ。
人は「今を大切に」などといとも簡単にいってのけるのだが、「今」とは何か、全くわからないのだ。
過去も存在せず、未来も存在しない。永遠の今に臨んで在る(臨在)だけ。
しかし、ハイデガープルーストの周到に練りこまれた、言語表現に身を浸すとき至福の恍惚感として味わうことができるのだ。
これは、文章を読むことで「空」を悟ってしまうように、自己の意識を志向させられるから起こる感覚。
無自性といい、無本質という自己同一性の否定を味わうのだ。
自分などいない。
一瞬たりとも同一人物などいない。
主体などない感覚。
しかし、人間はこの虚構性の中から文明や文化を生み出した。
一万円札を「こんなもの共同幻想の産物だ!」と罵ってみたところで、それを本当に破り捨てられない。
これが「空」が力を生み出し「仮」を生み出す力学。
国家も民族も、社会も会社も、そして宗教も、みな同じ虚構。
虚構は嘘ではない。
虚はうつろ。
構はかまえ。
うつろが組み立てられたものが虚構なのだ。
虚構を味わう快感に誘惑され、日本では大勢の人がハイデガープルースト、ロベリの名文に今日も酔い痴れる。
ああ、存在の神秘よ。
時間の不可思議さよ。
僕をその波間に漂わせてくれ。