ヴィクトール・フランクル「夜と霧 」読了しました。
陰惨な記述が続く解説部分をなんとか通り抜け、フランクル博士の体験記を読み始めたら、ページをめくる手を止めることが出来なくなりまして。。。
読了直後の正直な感想をTwitterに投稿したのが、夜中の12時過ぎだったけか。。
フランクル博士の「夜と霧」読了。一気に読んでしまった。人間の尊厳、生きる意味を改めてかんがえさせられた。圧巻の一言。
— 日蓮正宗のススメ Bot (@hokekoin) 2020年5月2日
解説部分の裁判記録では、戦争犯罪人として裁かれた人々の蛮行が、これでもかこれでもかと記述されていて、正直、胸糞が悪くなっていました。
それが、博士の体験記に突入すると一転。
そこには自分の人生観を変えてくれるような、名言の数々や感動のシーンが溢れんばかりに描かれていたのです。
もっとも感動した言葉が、
「およそ生きることそのものに意味があるとすれば、苦しむことにも意味があるはずだ。苦しむこともまた生きることの一部なら、運命も死ぬことも生きることの一部なのだろう。苦悩と、そして死があってこそ、人間という存在ははじめて完全なものになるのだ。」
でした。
また、一貫して博士の行動原理となった考え方の根本となった言葉が、
「あらゆるものを奪われた人間に残されたたった一つのもの、それは与えられた運命に対して自分の態度を選ぶ自由、自分のあり方を決める自由である。」
です。
理不尽な死に直面させられてなお、人間の尊厳を守りうるものは、自分の身の振る舞いであるということを、改めて教えられた気がします。
大聖人様の御金言に、
「教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞いにて候けるぞ。穴賢(あなかしこ)穴賢。賢きを人と云ひ、はかなきを畜という」(崇峻天皇御書・新1174)
とあったのを思い出しました。
大聖人様御在世に弟子・檀那となられた人々は、大聖人様の苦難に処するお振舞をご覧になって帰依されたのでしょうね。
博士を支えたのは生き別れになって、安否確認すら叶わない状態の妻との対話でした。実際には、博士が妻の幻影と会話していた時には、すでに奥さんは殺害されていました。それでも、家族への愛が地獄を生き延びる柱となったのです。
そして、「人は強制収容所に人間をぶちこんですべてを奪うことができるが、たったひとつ、あたえられた環境でいかにふるまうかという、人間としての最後の自由だけは奪えない」という信念にもとづき行動し続け、解放の時を得たのです。
また、博士と同じように悲惨な収容所生活の中で、人間の尊厳を保ち貫いて亡くなっていった人々も大勢いたようです。
「最期の瞬間まで誰も奪うことのできない人間の精神的自由は、彼が最期の息を引き取るまで、その生を意義深いものにした。なぜなら、仕事に真価を発揮できる行動的な生や、安逸な生や、美や芸術や自然をたっぷりと味わう機会に恵まれた生だけに意味があるのではないからだ。そうではなく、強制収容所での生のような、仕事に真価を発揮する機会も、体験に値すべきことを体験する機会も皆無の生にも、意味はあるのだ。」
日蓮大聖人様の佐渡でのお振舞は、私たち凡夫の到底及ばない境地ではありますが、苦難の時に心の中でお題目を唱え続けることが出来るのです。日蓮正宗の信徒であるならばそのように振舞うことを心がけておきたいと思いました。
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最蓮房御返事には、自受法楽(仏が、自らの悟りの内容を深く味わい楽しむこと。転じて、法悦にひたること。)の御姿が書かれております。
大事の法門をば昼夜に沙汰(さた)し成仏の理をば時時・刻刻にあぢはう、是くの如く過ぎ行き候へば年月を送れども久(ひさし)からず過ぐる時刻も程あらず、例せば釈迦・多宝の二仏・塔中に並座(びょうざ)して法華の妙理をうなづき合い給いし時・五十小劫・仏の神力の故に諸の大衆をして半日の如しと謂(おも)わしむと云いしが如くなり、劫初より以来父母・主君等の御勘気を蒙(こうむ)り遠国の島に流罪せらるるの人我等が如く悦び身に余りたる者よも・あらじ、されば我等が居住して一乗を修行せんの処は何(いず)れの処にても候へ常寂光の都為(た)るべし、我等が弟子檀那とならん人は一歩を行かずして天竺の霊山(りょうぜん)を見・本有(ほんぬ)の寂光土へ昼夜に往復し給ふ事うれしとも申す計(ばか)り無し申す計り無し。
通解
大事な法門を昼夜に思索し、成仏のことわりを時々時刻々に味わっている。このように過ごしているので、年月を送っても長く感じず、過ぎた時間も、それほどたっているように思えない。例えば釈迦・多宝の二仏が多宝塔の中に並座して法華経の妙理をうなずきあわれたとき、五十小劫という長遠の時間が経っていたにもかかわらず仏の神力によって諸々の大衆に半日のように思わせた、と法華経従地涌出品第十五に説かれているようなものである。
この世界の初め以来、父母・主君等のお咎(とが)めを受け、遠国の島に流罪された人で、私達のように喜びが身にあふれている者はまさかいないであろう。
それゆえ私達が住んで法華経を修行する所は、いずれの所であっても常寂光の都となるであろう。私達の弟子檀那となる人は、一歩と歩まないうちに天竺の霊鷲山を見、本有の寂光土へ昼夜のうちに往復されるということは、言いようがないほどうれしいことである。
私はアウシュビッツでどのように振舞っただろうか?
自分の態度価値を貶めるような振る舞いをしなかっただろうか?
普段は正しい仏法を弘めるなどと言いながら、他人の物を奪ったりしなかっただろうか?
苦しい毎日の中でも、仲間の間をめぐり、励ましの言葉をかけ、時にはもっと飢えている人に自分のパンを与える被収容者がいました。態度価値の実現だけは、どのように劣悪な環境にあっても可能なのです。態度価値を実現する精神的自由だけは、どのような劣悪な環境でも、人から奪い取ることは不可能なのです。
「夜と霧」を読みながら、何度となく繰り返される博士の言葉に、私は自分の不徳を恥じました。
でも、「夜と霧」を読んだ以後の私は、今日から今までと違う人生態度を取ることが出来るようになるだろうと確信しています。
この本は、人生の伴侶になるでしょう。