エセー Les Essais

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1115夜:エセー(全7巻) 白水社 読了

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長旅を終えたような感覚です

白水社版のエセーを全7巻購入したのは、去年のコロナ特別給付金の使い道としてだった。
すでにエセー 6冊セット (岩波文庫)は持っていて、こちらの方は職場に持参して、合間にちょこちょこ読んでいる。
エセーはエッセイ(随筆)の語源になった書物だ。
現代風に言えば数十年継続したブログ。
取り扱うテーマも雑多で多岐にわたる。
それでも、一貫した精神というか道筋のようなものが存在していて、そこに古今東西の多くの人々を魅了してきた秘密があるのではないだろうか。
私がエセーの著者、モンテーニュに惹かれたのも、その一貫の道にあったのかもしれない。
中庸と寛容。
ここに尽きる。
中庸とは中立ではなく、自分の考えを持ちながら異なる立場や意見に心を開くこと。
寛容も同じことだ。
そして、その中庸や寛容を貫くためには、二つの指針が存在する。
無知の知
人徳
この二つがなければ空疎な観念になってしまうのだそうだ。
無知の知は、謙虚さの源泉で自分が何も知り得ていないことを自覚すること。モンテーニュほどの博識の者が言うと説得力が増す。
無知は知識量の少なさを言うのではない。
感性・知性・理性という、人間の認識能力の限界をわきまえるということだ。
人徳とは言行一致を尊ぶということ。
モンテーニュは多くのギリシャ・ローマの思想家から、引用句を借りてきている。しかし、そこには必ず言葉を吐いた者の人物評が伴うのだ。
つまり、いくら良い思索や言葉があろうと、その行いや人間性が善くない者の言説は、自分の思想としないという姿勢。
ここに人間通の見識が見て取れると言えよう。
皮肉なことに、モンテーニュの愛読者となる後世の賢人に、半狂人のルソーやニーチェがいるのもおもしろい。
私個人の生き方にも大きな影響を与えてくれた。
今まで東洋の古典に影響を受け続けてきた私だが、本物の中庸と寛容を貫いている書物に出会ったことがなかった。
強いてあげれば貞観政要 全訳注 (講談社学術文庫)があるのだが、皇帝の問答録であり思索的な深みまでは網羅されていない。
あまりに立場が違い過ぎる。
モンテーニュは私自身の生き写しのようにも思われるのだ。
マラーノ*1として生まれ、表向きはカトリック教徒であったモンテーニュ
ユグノー戦争*2の戦禍に巻き込まれ、新旧両派の調停役を担わされている。
また、当時はペスト禍の吹き荒れた時代で、親友*3や近親者の多くを疫病で失う経験をしている。
過酷な運命を生きながら、鬱屈とした暗い実存主義ではなく、明るく前向きな実存主義者として善く生き、善く死んだのだ。

モンテーニュと言えば懐疑主義者と解説されることもあるが、私は懐疑を主義としたのではないと思っている。
信仰を持ちながら、信仰に疑いを抱くこともあった。しかし、疑いに固執せずに疑いから離れるすべを心得ていたというべきであろう。
これが中庸の真骨頂なのだ。
無知の知を信条としつつ、汝自身を知れの宣託を実行した人。
私もそうありたい。

(a)ただ次のようであるなら、というのはもしもわたし自らが五里霧中にさ迷っているなら、もしもわたしの理屈が空虚で間違っているのに自ら少しも悟らず、人からそれを指摘されてもなお悟ることができないようなら、それこそわたしの責任である。まったく、過失はとかく自分の眼にとまらぬものではあるが、人から指摘されてもそれらが見えないようなら、それはやはり判断が健全でない証拠である。学問と真理とは判断がなくとも我々のうちに宿ることができるが、判断もまた学問や真理がなくともわれわれのうちに宿ることができる。それどころか無知の自覚こそ、判断の最も立派な最も確かな証拠であると思う。わたしは運命よりほかに、わたしの項目パラグラフをあんばいしてくれる参謀*をもたない。夢想が心に浮ぶがままに、わたしはそれらを積み重ねる。それらは、或るときは一ぺんに群がって出て来る。或るときは連綿として相ついで出て来る。わたしは皆さんに、わたしのもって生れたいつもの足取りを、あのとおり千鳥足ではあるが、見てもらいたいと思っている。わたしは自分を、そのときの気分のままに赴かせている。それにこれらは、知らないことがゆるされない事柄でもないし、口から出まかせに・はばかりなく・語っていけない事柄でもないのである。
* sergent de bande. 一定の作戦計画によって部隊を各所に配置する人、つまり参謀 sergent de bataille のことである。
 それはわたしだってもっと完全に物事を理解したいが、しかしあんなに高価な代償は払いたくない。わたしの企ては余生を静かにすごすことにある。いまさら苦労を重ねようとは思わない。そのためにわたしが頭を悩まそうとまで思うほどのものは、何一つない。そんなことは、学問のためにだって、その学問がどんなに高価なものだからといって、わたしは御免こうむる。わたしが書物をあさるのは、ただそこにまじめな遊びかたによって、少しばかりの楽しみを見つけようとするからにすぎない。また研究もするけれども、わたしはそこにただいかにして己れみずからを知るべきかを論ずる学問、よく死によく生きる道を教える学問だけを、求めているのである。
エセー 第二巻 第十章 書物について(青空文庫 ミシェル・ド・モンテーニュ  翻訳者 関根 秀雄)

 

 

 

 



*1:マラーノ(marrano)は、スペイン語で豚、もしくは汚らしい人を示す言葉。歴史的な用語としては、かつてスペインにおいて、コンベルソと呼ばれたキリスト教に改宗したユダヤ人を侮蔑的にマラーノと呼ぶことがあった。

*2:ユグノー戦争(ユグノーせんそう、フランス語:Guerres de religion, 1562年 - 1598年)は、フランスのカトリックプロテスタントが休戦を挟んで8次40年近くにわたり戦った内戦である。

*3:エティエンヌ・ド・ラ・ボエシは、フランスの裁判官、人文主義者。エティエンヌ・ド・ラ・ボエティやラ・ボエシーと表記されることもある。1563年8月18日、ペストとみられる病症で死亡した。詩人、翻訳家、著作家としてパリにも名を知られる存在であった。臨終の床でモンテーニュに「死はそれほどに悪いものではないさ」と語り、自分の死を悲しむ人々に逆に慰めの言葉をかけつつ死去した。