日蓮正宗のススメ

万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨壤を砕かず

創価ダメ出しさんに学ぶ:創価学会と韓国の等質性、御歴代批判の愚かさ。見えてくるのは真実相なり。

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台風も日本海に通り抜けました

台風一過の今日、皆様におかれましてはご健勝のことと存じます。

明日からはまた、猛暑が帰ってくるのでしょうか?

残暑という言葉が虚しく聞こえるほどの、炎熱地獄の日本列島であります。

私はといいますと、本来はお盆休み返上の過労地獄に堕ちる予定でありましたが、14日は昼まで、15日は台風特休、明日あさっては予定通りの公休消化となりました。

思わぬ3.5連休に別感の功徳を味わっております。

台風も我が家には被害をもたらすことなく通り過ぎてくれました。

www.asahi.com

創価ダメ出しさんのブログを拝見しましたら、小五月蠅い韓国にたいして辛辣な批評がありましたのでご紹介したいと思います。

なんだか似ているんだよね。

韓国への「ホワイト国」除外に対しかの国の反日反応が日増しに強まっている。
「ボイコット日本」は不買運動にとどまらず、GSOMIA破棄、竹島での軍事練習などの安保や
東京オリンピックのボイコットなどをチラつかせ恫喝まがいの発言が相次ぐ。

また、カーリングの親善試合への日本チーム招待の取り消し、日本で行われる「ミスインターナショナル」への「ミスコリア」の不参加を始め各種交流の中止などのスポーツ・文化の面にも及んでいる。

俺は別に韓国を好きでもなければ嫌いでもない。あえて言うなら韓国は俺にとっては無関係・無関心の部類の国である。がここまで執拗に反日をされると「嫌韓」にならざる得ないというのが正直なところだ。韓国なんて興味の対象にならない国ではあるが、俺は日本人として日本が好きだし日本人として日本に関連することについて無関心ではいられないからだ。

しかし韓国もほとんどすべての面で日本をボイコットするならばいっそ国交断絶でいいじゃんかと思う。どっちみち南北統一をすれば日本としても正常な国交をすることは不可能なのだからいっそのこと韓国は思い切って日本と断交するべきだろう。日本との断交は南北統一への大きな一歩となること間違いなしと思うから文大統領には是非日本との断交の英断を下してもらいたい。

そもそもいくら隣同士でも韓国・・いや朝鮮人と日本人は悲しいかな絶対的にソリが合わない。
「友好国」とかいいながら半世紀も反日教育を続けているお国である。

そんな国と真の友好は結べないと思うのだがいかがだろうか?
今すぐに韓国が反日教育をやめたとしても最低でも約100年は反日国家であろう。
なのでここはせめて今後100年間くらいは断交してもいいかと思うのだある。
正式に「断交」といわなくても、事実上の断交でもいい。

お互いに何の協力もしない。干渉しない。在日の方には申し訳ないが日本国籍になるのがイヤならば故郷にお帰り願いたいものである。


さて、そんな韓国と韓国民をみると「創価創価民に似てるよなぁ」ってつくづく思う。
これは別にこじつけで言っているわけじゃなくて、本当によく似てるって思う。
徴用工やレーザー照射に対して説明を求めてもシカトなのにこっちが二国間協議に応じないと
「日本は対話に応じない」と声を荒げてアピール。
平成の創宗問題も最初は例の池田スピーチに対する宗門からの文書での回答を拒否したのがいけなかったのに、いつの間にか「宗門が対話を拒んだって」って話になり、
それでもまだ僧俗和合の道はあったのに、破門されてもいないうちから「宗門攻撃」
で破門されれば今度は全ての責任は宗門にあると言わんばかりの論調だ。
例のローソク集会と日顕宗撲滅唱題会もなんかやってることが稚拙さ加減も含めて似ている。

また「ウソも100回言えば本当になる」論法は正に創価お得意の論法である。

他にも謝罪しない。詭弁を使う。論点をすり替える。など巷やネットでの創価活動民と反日韓国民の共通点は本当に多い。要は「まともな対話」を出来る種類の人ではない。

大作センセのありがたい指導でも

▼「一」言われたら「三」言い返す。「三」言われたら「十」言い返す
 ――この不屈の反撃精神こそ 言論戦の方程式である。

▼ 反逆者には「この野郎、馬鹿野郎」でいいんだ!

とあるように創価が韓国で流行るのもなんとなく頷ける。

池田大作朝鮮人説は昔から言われていることで個人的には大作センセが朝鮮人だろうと日本人だろうと全くそこには興味がないが、ここまでいまの韓国がやっている事が創価と似ているとなると一体なぜなのかと興味がわく。創価民の多くは日本人なのにやってることはいまの反日韓国人と同じ。となるとこれは人種の問題ではなく「教育」の問題なのだろうね。いまの韓国の若い世代で実際に日本によって何がしかの被害を受けた人はいないだろうが「反日教育」を受けて育つと日本が憎くてしかたないという風になるの。いまの若い世代の学会員も同じ。日顕上人や宗門によって何か被害を受けたことなどないのに創価の「反宗門教育」によって宗門憎しの塊と化している。韓国の反日教育と同じで創価でもいまでも教学試験の名を借りて「日顕宗を破す」などという「反宗門教育」を会員に対して行っている。

断交ならぬ破門をされて当然だろう。道理や理論が全く通じず自分達の主張と要求ばかりを感情的になって話してくる学会員の姿と反日に血眼になっている韓国政府と韓国国民の姿は本当にダブって見える。それにしても韓国は大作センセや創価学会と固い友情で結ばれているはずなのにこの状況を打破できないのかね?まぁ所詮相手に対しておべんちゃら使って小遣いをあげるだけの創価・池田民間外交ではいざという時には何の役にもたたない友情しか結べないけどさ。この際「韓国公明党」を作って反日を緩和させたらどうだろうか?いや「韓国公明党」が先頭に立って反日やりそうだからダメか。

創価≒韓国という図式。

私も隣人が創価学会員なので、この論評には大きく首肯してしまった。

創価脳≒朝鮮人脳なのだ。

火病という、キレやすい地獄界の命。

第一に地獄界とは観仏三昧経に云く「五逆罪を造り因果を撥無し大衆を誹謗し四重禁を犯し虚く信施を食するの者此の中に堕す」と阿鼻地獄なり、正法念経に云く「殺・盗・婬欲・飲酒・妄語の者此の中に堕す」と大叫喚地獄なり、正法念経に云く「昔酒を以て人に与えて酔わしめ已つて調戯して之を翫び彼をして羞恥せしむるの者此の中に堕す」と叫喚地獄なり、正法念経に云く「殺生・偸盗・邪婬の者此の中に堕す」と衆合地獄なり、涅槃経に云く「殺に三種有り謂く下中上なり○下とは蟻子乃至一切の畜生乃至下殺の因縁を以て地獄に堕し乃至具に下の苦を受く」文。(十法界明因果抄)

自己中心的な餓鬼界の命。

第二に餓鬼道とは正法念経に云く「昔財を貪りて屠殺せるの者此の報を受く」と、亦云く「丈夫自ら美食を噉い妻子に与えず或は婦人自ら食して夫子に与えざるは此の報を受く」と(十法界明因果抄)

強きを怖れ弱きを侮る畜生界の命。

第三に畜生道とは愚癡無慙にして徒に信施の他物を受けて之を償わざる者此の報を受くるなり、法華経に云く「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば、当に畜生に堕すべし」文已上三悪道なり。(十法界明因果抄)

内心はプライドと劣等感の塊という、修羅界の命。

第四に修羅道とは止観の一に云く「若し其の心・念念に常に彼に勝らんことを欲し耐えざれば人を下し他を軽しめ己を珍ぶこと鵄の高く飛びて下視が如し而も外には仁・義・礼・智・信を掲げて下品の善心を起し阿修羅の道を行ずるなり」文。(十法界明因果抄)

人間らしさの欠片さえ感じられない人々。

第五に人道とは報恩経に云く「三帰五戒は人に生る」文。(十法界明因果抄)

三帰五戒とは、

さんき‐ごかい【三帰五戒】

〘名〙 仏語。三宝に帰依することと、殺生・偸盗(ちゅうとう)・邪淫(じゃいん)・妄語(もうご)・飲酒(おんじゅ)の五つを禁ずるいましめ。

のことだから、彼奴らは仏法無縁の一闡提人てことだわな。

大聖人様は端的に、

数ば他面を見るに或時は喜び或時は瞋り或時は平に或時は貪り現じ或時は癡現じ或時は諂曲なり、瞋るは地獄・貪るは餓鬼・癡は畜生・諂曲なるは修羅・喜ぶは天・平かなるは人なり他面の色法に於ては六道共に之れ有り四聖は冥伏して現われざれども委細に之を尋ねば之れ有る可し。(如来滅後五五百歳始観心本尊抄

と御教示くださっていますが、 「瞋るは地獄・貪るは餓鬼・癡は畜生・諂曲なるは修羅・喜ぶは天」の五道しか体現できていないのが、創価脳や韓国脳の人たちなんだよ。

「喜ぶは天」って言っても、四悪趣がベースの陰湿な喜びなんだ。「悪い方向に趣く天界」なんだよ。

昔から、この順番が不思議で仕方がなかったんだよね。

だけど、「平かなるは人なり」の意味に気付いてから、「人間らしさ」の大切さをしみじみと感じるよ。

一代の肝心は法華経法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり、不軽菩薩の人を敬いしは・いかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ、穴賢・穴賢、賢きを人と云いはかなきを畜といふ。(崇峻天皇御書)

仏≒人という図式。

「人」というのは、仏道修行して成るものだということ。

世間の人々も、創価脳も自分を「人」だと思っているだろう。

しかし、仏道修行をしない者は「人でなし」ということになり、謗法堕地獄の因縁を結びながら日々を生きているということなのです。

初座で天界に願い事をしてはいけないのはなぜか?

あくまでも「人」が妙法を唱えて、供養する立場の違いがあるからだと、御僧侶に教えてもらったことがある。天界の人々は口に妙法を唱えることが出来ないのですと。

六道の最高の境界は、仏道修行をする「人」だったのです。

天には堕天の報いが常につきまとう。これが天人五衰の相と呼んでいる実情だ。

仮に著名な実業家や、金持ちなどに創価民がいても気にすることなど、毛頭ないのが仏法の道理なのだが、彼奴らと言えば人生の表層しかとらえることが出来ず、名聞名利の追及に汲々として一生を終えていく。

昔、印象的だったことがあった。

創価から法華講に帰って来たばかりの老婦人が、私に向かって念仏のように「功徳の話が聴きたい」と繰り返していたっけ。

よほど功徳に肖りたいと思っていたのだろうけど、創価なんてのは功徳乞食宗教でしかなかったんだなって、創価二世の私は哀しくなった。

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日精上人への創価の誹謗について。

先日、創価の日精上人に対する誹謗についてのご質問をもらったので今日はその件について書いておく。
創価は日精上人が造読・造仏などの謗法を犯したと以前から誹謗しているが、
その主張が全くの想像の域をでない、いや妄想・・いやいや単なる誹謗中傷で日興門流の血脈相承を貶めんがためのプロバガンダに過ぎないことは今や日興門流の僧俗の破折で明確ではあるが、多くの学会員さんが創価の患部・活動家に騙されてるのは見捨てて置くわけにはいかない。詳しく創価の精師に対する破折は他サイトに譲るとして今日はなるべく分かりやすく創価の精師に対する誹謗を指摘しておく。(取り敢えず造仏を中心に書く)

まず、精師の造仏に関する文証と呼べるのは、精師著作の「随宜論」、北山本門寺の通称「北山文書」、要法寺寿円日仁の「百六箇対見記」、日因上人の「日因随宜論批判」である。このうち「北山文書」と「「百六箇対見記」は大石寺を批判するために書かれたもので信ぴょう性に欠ける。特に「北山文書」は奉行所に提出する予定だったが提出できなかったところを見ると内容に虚偽があったと思われる文書である。また精師の「随宜論」は精師が法主に登座する以前の書で大檀那である敬台院の強い意向で法詔寺への造仏を許したことに対する宗内の僧俗の疑問に対するご指南と言える書だ。もちろん「随宜論」との名が示すようにそれは仏像に執着があった敬台院を善導するため宜しきに従って説いたところの方便である。故に因師の「日因随宜論批判」は方便を批判したに過ぎない。大聖人も門下を善導する方便として仏像建立した門下を称えている御書も多くある。時代は下って創価大作が御本尊を勝手に謹刻したがそのうちの一体が日達上人から許されたのが創価本部の本尊だが、そうであるならば大聖人も謗法なのか?創仏像どころか本尊謹刻の謗法を犯した創価大作を信心の上から許された日達上人は創価ロジックでいば精師以上の大謗法の法主となるだろう。敬台院の造仏は許せなくて、創価の本尊謹刻は許してちょっていうのは随分と虫のいい話じゃね~か。

さて、ではそれ以外に日精上人が登座後も造仏・造読していたという文証はあるのかね?「無い」んだよそんなものは。
こう書くと「造仏しなかった文証出せ」とか狂ったこと言い出す罵活動家がいるが、造仏・造読しないなんてのは当たり前の事でそんな当たり前のことをわざわざ書き残すわけね~だろ(笑)「造仏がなかった」という文証が無ければ謗法を犯したという理屈なら日興上人から全員「造仏・造読していたかもしれない法主」に認定されるっての。文証などなくても現在の大石寺を見れば一目瞭然だろ。大石寺の何処に仏像が安置されているんだ?え?後の法主が撤去した?へ~宗内にそんな記録があるのかね?で?いつ誰が撤去したんだ。そもそも精師が造仏・造読の謗法を犯していたなら同時代の門流の僧俗がその旨を書き残してるはずだがそれもない。それどころか

◇駿州富士大石寺は開山日興上人已来四百年に及び当時まで法義少しも違乱仕らず候(第22世日俊上人)
◇而して後、法を日目に付し、日目亦日道に付す、今に至るまで四百余年の間一器の水を一器に移すが如く清浄の法水断絶せしむる事無し(日寛上人・文底秘沈抄)


と精師を知るご歴代が血脈について一点の疑義もないことを書き残されている。さらに創価が精師を誹謗するときに利用する堀日亨上人ですら精師によって血脈相承が汚されたかの如き発言も文証もないのである。さて創価罵活動家は日亨上人が精師を批判したことを持ち出しし精師批判を口にするが日亨上人の精師批判は詳細は省くが完全に誤読だ。精師が要法寺出身だったことで先入観もあっただろう。ただ精師自ら「日蓮聖人年譜」の中で要法寺・日辰の邪義を破折してるのだから亨師の精師に対する批判は誤解であることは間違いない。
こう言えば「法華講のくせに歴代法主を否定するのか」「歴代の法主でも誤読などの間違えを犯すじゃないか」と鬼の首でもとったようにはしゃぐ罵活動家もいるが、そもそもが「法主無謬」なんていう教えなんてないわけで、法主であっても日常的な間違いや勘違い失念があって当然でありそれらが存在したからといって唯授一人血脈を否定することにならない。また日亨上人の精師批判を否定したところでこれまた唯授一人を否定することにはならないのである。そもそも亨師の精師批判は法門法義でなければましてや法体に関する話ではなく、文献・歴史といった学問的見地なのである。そうした学問的見地に時の法主の誤解があろうとなかろうと全く血脈相承を否定する根拠になんぞならないのある。そのような事を持ち出して唯授一人血脈を否定しようとするザマは正に不相伝の身延と同じで唯授一人血脈が何であるか理解できていない不信心のヤカラなのである。

◇「唯授一人嫡々血脈相承にも別付総付の二箇あり、その別付とはすなわち法体相承にして総付は法門相承なり、而して法体別付を受け玉ひたる師を真の唯授一人正嫡血脈附法の大導師と云うべし」(日応上人・弁惑観心抄)

との日応上人のご指南の通り、ご歴代に流れる唯授一人血脈とは「法体相承」なのである。故に学術的見解に間違いがあろうと、そしてその学術的見解の間違いを指摘しようと、唯授一人血脈には何の関係もないのである。
法主が造仏・造読の謗法を犯した。などという無根拠の妄想を吐き唯授一人血脈を否定せんとする創価罵活動家こそが謗法なのである。「法体相承」を否定するということは「法体」そのものを否定するということであるという道理すらわからないのがいまの創価罵活動家は、大御本尊を否定すれば自宅の本尊も否定することになることすらわからなくなった一闡提なのだよ。
何はともあれ、日精上人が生涯「造仏・造読」の邪義を犯した謗法の法主というのであれば、
ハッキリとそれを証明する文証を出してみせろということだな。
ハッキリと日精上人が造仏・造読を指南した文証をあげてみろって話だ。
少し前に対論しに来て2ターンでバクれた創価のH君じゃないが、
創価の謗法プロバガンダに乗せられて騙されはいけません。
本当に大聖人の仏法を信じているのであればちゃんと自分自身で勉強することです。
それができないのであれば、自分は「創価大作教」であると素直を認め
今後は自らを「創価池田教」と名乗り、宗門のことをちゃんと「日蓮正宗」と呼び
自分たちは日蓮大聖人とは無関係です。と宣言したまえ。
創価だけでなく、顕正会も歴代上人様への誹謗を行うのだが、天に唾する行為だと気づいていない。
私は敬台院様と戸田・池田両会長の差は、僅差而雲泥だと思っている。
大旦那が常に慢心者とは限らないが、人並み優れた財力・権力・知力があると、道を誤りやすいのは世の常。他人の諫言に順わなくなるから。
しかし、結果的に敬台院殿>戸田城聖氏>>>>>>>>池田センセーである。
それは大石寺に参詣してみればわかる。
それぞれの御仁の墓がどの位置に建立されているのか?
三烈士の墓は御戒壇様のお膝元に。
敬台院殿は子孫とともに御影堂裏に・・・つまり、御戒壇様の御前。
戸田氏は五重塔の前に。
池田センセーの墓が大石寺に建立されることは永遠にない。
そして外護の大任を果たした、南条殿は在家で唯一人、過去帳に戒名が載っている。

天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか。(如来滅後五五百歳始観心本尊抄

創価が屁理屈をいくら並べたところで、自讚毀他したところで、創価民も池田センセーも日蓮正宗に追善供養をしてもらうことはできない。つまり堕地獄必定なのである。

上の御文は、現実社会のあらゆる現象と仏法は一体であり、私たちの生活のなかに仏法の真理があらわされていることを教えられているのです。現実の社会は、「政治」や「経済」によって動いているといっても、それを動かす主体は人間にほかなりません。ゆえに大聖人は、妙法を受持し、純真に信仰を貫く人は、社会のあらゆる現象の実相を見極めていけることを、大聖人様は「世法を得可きか」と仰せなのです。

つまり、信徒の功績顕彰に差異があるのも、世法の実相なのだよ。