日蓮正宗のススメ

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【法華経を信じ給うとも謗法あらば必ず地獄にをつべし】 うるし千ばいに蟹の足一つ

法華経を信じ給うとも謗法あらば必ず地獄にをつべし】
うるし千ばいに蟹の足一つ

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創価新報による中傷】
 本年、1月18日付けの「創価新報」に、私の中傷記事が載りました。
 まずは、創価学会の体質を如実に顕している記事を紹介します。
 聖教新聞 平成16年3月1日号の
《正義と勝利の座談会 27》にはこうあります。

『海外遊興のたびに〝断罪〝の日顕
秋谷 だいたい日顕が20年前にブラジルで何をやったか。一乗寺での法要以外は全部、遊びだったじゃないか(笑い)。

弓谷 女房の政子をはじめ総勢30人も引き連れて大遊興旅行。リオデジャネイロでは、肌をあらわにした女性ダンサーを呼んで大騒ぎ。これは写真も残っている(笑い)。さらには、イグアスの滝を見物したり、アマゾンの川下りをしたり。信者のことなんか、そっちのけで遊び回っていた。
青木 まったく、何しにブラジルに行ったんだ、あいつらは!
和田 ブラジルのメンバーが、どれほど大変な苦労をして、広宣流布の道なき道を開いたか。ところが日顕は遊びが目的で行ったんだ。どれほど悪辣(あくらつ)か。

そもそも、サンバショーをはじめ、全ての日程を組んだのは学会側でした。宗門から注文は付けていません。
サンバショーにはロベルト斎藤理事長、ジョージウィリアム・アメリカ理事長、辻副会長をはじめ、大勢の学会幹部も参加していました。

一乗寺二十周年記念誌』を見ると、日顕上人は、サンパウロの学会本部で読経された後に、スピーチをされ、さらに中に入りきれなかった学会員にまで、改めてご挨拶をされています。
また、リオデジャネイロの学会の会館、マナウスで集まった学会員へもスピーチをされています。
写真に写っている現地メンバーは皆素晴らしい笑顔です。
これらをすべて踏みにじり、改竄し、己の延命と安泰を図ろうと謗法の念慮で行ったのが、《正義と勝利の座談会》なるものです。

 さて、今回の創価新報による
『新時代を生きる 青年部座談会』
の中で自分達の活動を自画自賛し、それと対比する形で《冷酷極まる日顕宗》との見出しを付け、私がその良い例だと言わんばかりに、慈本寺のホームページに掲載している法話の内容に難癖を付けているのです。
 慈本寺のホームページを立ち上げた当初より、創価学会の方でも閲覧されている方があり、それが縁で相談を伺い、脱会をする方もありますから、彼等も気になるのかも知れませんが、かえって「慈本寺のホームページを大々的に宣伝してくれてありがとう」という気持ちです。

 記事によりますと、角田創価班委員長はこう言っています。
「昨年末、東京青梅市にある慈本寺の住職・小橋道芳は、折伏のノルマ、登山の強要に疲れ果てた法華講員の悲鳴に対して、堕落の信心だ、と切り捨てている。」

 これは、折伏や登山に関して、たとえ成就しなくとも、一生懸命努力をしている人に「堕落の信心」と言っているのではないことは、ちゃんと文章を読めば分かる話で、よくぞ「法華講員の悲鳴」とか「切り捨てる」とか大げさに言えるものだと感心します。

 また、鈴木男子部書記長は、
「地元でも話題になった話だ。あろうことか登山に際し健康上の不安を抱えている人に対しては「登山の道中で死ねるなら、これ程の歓びは無い位の気概を持って下さい。死にはしませんから」と放言している」と言います。
 それを受けて前島牙城会委員長は、
「なんて坊主だ!行事の主催者側が、参加者の無事故、安全を第一に考え、運営に当たるのは社会の常識だ。いわんや、聖職者ではないか!それをあろうことか、健康不安を抱える人に対して「死にはしない」などと暴言を吐くなど、到底許されるものではない。信徒のことを「数集めの道具」「供養を集める道具」としか見ない坊主根性丸出しの発言だ」と、「!」マークをたくさん付けて鼻息を荒くしています。

 これも私の文章をちゃんと読めば、あくまでも「登山しようと努力することが大切」であり「大事な修行を簡単に諦めることは勿体ない」と言っているのであって、瀕死の病人や衰弱した御年寄りを無理矢理車に乗せて本山へ連れ出そうとしているのでは無いと分かります。

 これら、毎回ご丁寧に送りつけてくる創価新報を見ていて理解に苦しむのが、彼等がどういう目線でモノを言っているのかよく分からないのです。
 こちらから学会員の方へ話をしようとすると、「もう日蓮正宗とは関係ないのだから俺たちに構うな」とか「お前達から破門したくせに」と言います。
 しかし、今回のように執拗に絡んできて「安全第一に考えて登山しなければいけないじゃないか」と言う。そこだけは、彼等に御教示賜るまでもなく、その通りだと思います。
 しかし、もう日蓮正宗とは関係のない団体なのですから、「登山なんて行っても意味が無い」とか「大御本尊に功徳は無い」と堂々と会員に向けて発言すればいいのに、そこまでは言わない(言えない)のです。
 宗内の折伏についても然りで、「どこそこの寺院は、住職が宗門の役についているのに、折伏が達成できなくて情けないではないか。」などとまるで叱咤激励しているような記事になっています。
 違う団体と言いながら、全員が日蓮正宗の御法主上人のしたためた御本尊を拝んでいますので、日蓮正宗の信徒団体だったころの感覚が完全に抜けていないのかも知れません。
 反対に我々が創価学会を見た場合、学会を大聖人の仏法とは全く認めていませんので、彼等がこの先どんなに会員を増やそうと、折伏をしているとも広宣流布に近づいているとも認めません。
 また、学会製の本尊も本尊とは認めていませんから、魔札を拝まされる会員が不憫でなりません。
 学会本部で、録音された濁声(だみごえ)の読経が流れる御開扉のまねごとも、痛々しい限りであり、脱会した人の話によりますと、会員同士で参拝券の押し付け合いが行われているようです。
 彼等は、この世に存在する宗教の中で、最悪の「邪宗」に変節してしまっていることに気付いていないのです。

【登山の意義】
 その昔、日蓮大聖人の御在世に、佐渡在住の阿仏房は、当時、日蓮大聖人のお住まいになっておられた身延山まで、90歳という老体を顧みず、数度にわたって参詣されました。
 また、日妙聖人は女性の身でありながら、危険な道中をしのび、渇仰の思いをいだいて、佐渡におられた日蓮大聖人にお目通りを願われました。
現在と異なり、交通機関は全くなく、一歩一歩、足を運び、山河を越えての登山でした。
 また、身延に移られた大聖人様の元へ、弘安四年九月、二十三才の南条時光殿が病の身でありながら、身延の山中で不自由な生活をなさっている大聖人を偲んで、御供養の品々を、使者を使ってお届けしました。
 使いの者より、時光殿の病を知って心を痛められた大聖人様は、
「参詣遥(はる)かに中絶せり。急ぎ急ぎに来臨(らいりん)を企(くわだ)つべし。是にて待ち入って候べし。」(1569頁)
 とお手紙をしたためられ「この身延にて私は待っているから、一日も早く病気を治して参詣しなさい」激励されました。
 学会幹部は、この大聖人様の御振舞さえ、「聖職者のくせに信徒の安全を考えていない」とか「信徒を供養集めの道具としか見ていない」と批判するのでしょうか?
 登山の歓喜も、真の仏力法力に浴した事の無い人間が、宗門批判のために登山について語ったところで、罪障を積むだけであり、哀れです。
 彼等が人生の師匠と仰ぐ池田名誉会長は、登山の意義について、
「われわれが登山して、大御本尊を拝することは、そのまま日蓮大聖人様にお目通りすることであり、偉大なる功徳を享受できることは言うまでもないのである。」(大白蓮華・昭和38年10月号の巻頭言)
「登山会の意義について申し上げたい。私どもにとって、信仰の根本の対象は、いうまでもなく本門戒壇の大御本尊である。その大御本尊にお目通りすることが、登山会の最も大事な目的であり、意義である。」(昭和45年9月30日『第一回全国登山責任者総会』)
と指導していたのです。

 日蓮大聖人様を末法の御本仏と仰ぐ者にとって、大御本尊様の元へ登山させて頂くことは当たり前のことであり、そこには厳然たる功徳があるのです。
 創価学会も、大御本尊様の功徳に浴したからこそ発展できたのであり、大御本尊から離れ、折伏を捨て、コマーシャルやインターネット広告で教宣の拡大を図ろうとする醜悪な姿を、大聖人様は決してお許しにはなりません。
 創価学会をはじめ、正信会や顕正会は、自分達から日蓮正宗を見限り出て行ったように錯覚していますが、何年経とうと大御本尊様にお目通り叶わない身である現実は、大聖人様から破門された姿であり、いわゆる御仏智であることを、ちゃんと自覚すべきなのです。

 かつての創価学会は、謗法に関してはとても敏感で、『曾谷殿御返事』の
「何に法華経を信じ給ふとも、謗法あらば必ず地獄にをつべし。うるし千ばいに蟹の足一つ入れたらんが如し。」(1040頁)
の御文を、繰り返し引用していました。

「うるし千ばいに蟹の足一つ」とは、古代中国の格言で、『樹木から採取している大量の漆も、そこへ迷い込んだ沢ガニの足が一つ入っただけで、漆の効能は全部なくなってしまう。』という意味で、どんなに少しの謗法でもあってはならないという譬えなのです。
 
 今月拝読の御法主日如上人猊下の御指南でも、創価学会ついて、
創価学会の姿を見てごらんなさい。戒壇の大御本尊様に対する信仰を否定してしまった。初め皆さん方も、その差は少しだと思ったかも知れません。
 しかし、何年も経った今はどうでしょう。完全に邪義邪宗そのものでしょう。学会自身も昔は、そういう謗法を破折していたのです。しかし今や、破折していた邪義邪宗になってしまった。だから、やはり小さな謗法から、しっかりと気をつけていかなければならないのです。」(大白法29年2月1日 教徳寺移転新築の砌)
とご指南なさっています。

 創価学会は、かつての笑顔と希望にあふれた組織とは全く別の、邪義邪宗に成り下がっているという現実を、我々は未だに気付いていない会員に知らしめていく使命があるのです。

吉田正信さん御夫妻の登山】
 話は変わりますが、滋賀県・本地寺の御信徒に吉田正信さんという方がいらっしゃいます。
『大白法平成20年6月16日号』や『地涌の流類への道』という本に体験談が載っており、読んだ方もいらっしゃるかと思います。
 吉田さんは、浄土真宗西本願寺派の元僧侶で、江戸時代後期から150年間続くお寺の住職をしておりました。
 しかし、奥さんは、吉田さんが家族のことも忘れて念仏僧侶の仕事と寺を守ることばかりに明け暮れている姿を見て、いつも嘆き悲しんで、苦しんでいました。
 そして奥さんが法華講の方へ相談したのが縁となって、紆余曲折ありましたが家族で入信され、遂には住職を辞められたのです。
 この吉田さんが、《元浄土真宗のお坊さんだった僕が本物の仏教である日蓮正宗に帰依して掴んだ幸せノート》というブログをされております。ご本人の許可を頂いて、以下に引用させて頂きます。

 《 『御開扉』 2016-02-07  テーマ:妻の信心 》
 2013年の今日、僕は癌で末期の妻をレンタルしたエスティマに乗せて、車椅子も載せて前日の夜から名神東名高速道路を突っ走り言いましたなあ
「泉!つらいやろけどーーもうすぐ着くで!君の大好きな大石寺に行くで!」
妻は体を横にして不平ひとつも言わず泣きながらこう言いましたなあ。
「とーさん!ゆっくりでええよ。気をつけて、とーさん!私を本気で連れてきてくれるその気持ちが嬉しいで!」
揺れる車はきっと辛かったと思います。
富士宮大石寺について、車椅子に泉を載せて、私は一生懸命、御開扉を受ける奉安堂に急ぎましたですなあ。
そして、御開扉!妻はこう言いましたですなあ。
「とーさん!ありがとうーこれが私にとってこの世で最後の御開扉かもしれん、だから猊下様の御祈念ほんまにほんまに嬉しい!とーさん!ここは霊山浄土やなあ。とーさんと生きてきてよかったです。とーさんが私を本気で幸せにしてくれた。嬉しいで!子どもたちは大丈夫や、とーさん!2人で生きられるまで一生懸命生きようなあ。ほんまー嬉しい!」
そんな思い出が今日の富士宮大石寺での御登山に刻まれましたですなあ
「とーさん!御開扉は出発やで!!」
そう言って泣きながら笑っていた妻が今日はご本尊様の中にいてくれましたですなあ 嬉しい御登山でしたなあ。


この御夫婦の会話の中に、大聖人様の御法門への深い信解と歓喜が現れています。
吉田さん一家が日蓮正宗へ帰依されて間もなく、奥さんの癌が見つかるのですが、愚痴も不信も漏らさず、むしろ病気になったことで家族の絆が深まったと奥さんは心から喜ばれるのです。
今、奥さんは霊山浄土にて、御家族を見守っておられます。

吉田さんのブログを拝見しますと、素直に過去の自分の過ちを反省され、何て強い方なのだろうと感心いたします。
人知れず涙に暮れる事もあるでしょうが、奥さんと日蓮正宗に帰依して過ごされた日々を、丹念に思い出されてブログを綴られています。お二人の絆は奥様亡き後も、深くつながっていることがよく分かります。
大聖人様は
「命限り有り、惜しむべからず。遂に願ふべきは仏国なり」 (富木入道殿御返事 御書 488頁)と仰せですが、人生においていかなる事が起きようと、それらをバネとして、大聖人様の教えに一歩でも近づこうと心掛けていくことが大切です。
世俗の名誉や金品は、生者の全てを奪い去る死の前には無力です。
 只、お題目を唱え修行して命に積んだ宝だけが、死に臨んでの私たちの唯一の宝なのです。
 
 先月の御講終了後、ある御婦人に「温かくなったら私がお山に連れて行ってあげるから、一緒に行きましょうよ。」 と声をかけましたら、その方は「お願いします。しばらくご無沙汰していましたので、きっと御開扉では感激して泣いてしまうと思います。」と嬉しそうにおっしゃっていました。
 それから半月後、その方は倒れてしまい、何とか峠は越えましたが、現在も闘病中です。
 何年も前から複数の大病を患っていましたが、それを感じさせないほど、はつらつと寺院参詣されていただけに、もっと早く励ましながら本山へお連れしていればと悔やまれるのです。

 私達はありがたいことに、本山へ簡単に行ける距離に住んでいます。吉田さんのような思いで登山されている同志が世界中にいらっしゃることを、我々は決して忘れてはなりません。