エセー Les Essais

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受持即受戒といい、作法受得というも、勤行・唱題に全てが具わるという話。

雲, 月, 空, 満月, 曇った, 積乱雲, 夕暮れ, 月の出, 月光

「持経の処即戒壇なり、法界道場云云。(上行所伝三大秘法口決1705㌻)」
持経とは三大秘法の中の本門寿量の本尊のことを指します。
釈迦の法華経のことではありません。
大石寺の本門戒壇の大御本尊様を受持することを言います。
具体的に言えば、日蓮正宗で御授戒を受けて、自宅に下付された御本尊様を御仏壇に御安置することが第一歩です。
我が家に生きておられる、御本仏様がお出ましになるのですから、それだけでも大変ありがたいことです。
謗法さえしなければ、来世も「在々諸仏土、常与師倶生」の果報を受けるでしょう。
日蓮正宗卒塔婆を通り過ぎた風にすら、兜率天へと畜生を誘う功徳が具わります。
義の戒壇に生きる人類は、知らずに結縁しているのです。
殊更に日蓮正宗から退転し謗法さえ侵さなければ、来世もまた日蓮正宗信徒として、今世よりもステップアップした修行をさせてもらえるでしょう。
「必定と云ふ事なり。」「即身成仏。」「運載荷負の義、一乗とは三大秘法の中の本門寿量の本尊云云。一切衆生の生死の愛河を荷負する船筏、煩悩の嶮路を運載する車乗なり。」(上行所伝三大秘法口決1704㌻)
三大秘法の口伝によれば、成仏は必定であると説かれております。それも、私たち自身のままで。
持戒清潔にして作法受得の義なり。」「三大秘法の中の本門戒。」(上行所伝三大秘法口決1704㌻)。要するに、猊下様を筆頭に末寺住職様の御給仕を真似て、衣の裾にすがりつく信心をしていけば、自然に成仏できるのです。
その根本は日々の御給仕と勤行唱題です。さらに、分に応じた御供養・折伏・登山・教学研鑽が続きます。
修行ですから、その差によって果報も変わってくるでしょう。
それが仏力・法力・信力・行力という四力です。
日寛上人の「如説修行抄」文段の中のご指南に、「常に心に折伏を忘れて四箇の名言を思わざれば、心が謗法に同ずるなり。口に折伏を言わざれば、口が謗法に同ずるなり。手に数珠を持ちて本尊に向わざれば、身が謗法に同ずるなり。故に法華本門の本尊を念じ、本門寿量の本尊に向い、口に法華本門寿量文底下種・事の一念三千の南無妙法蓮華経と唱うる時は、身口意の三業に折伏を行ずる者なり。」とあります。数珠を手にかけ御本尊に向かい、戒壇大御本尊(法華本門の本尊)を念じ勤行唱題をしている時は、我が身の身口意の三業を折伏しているのです。他者に向かって折伏をするのに自分自身が謗法であっては折伏成就などするわけありません。折伏成就の第一歩は自分自身への折伏であり、それが勤行唱題ですから勤行唱題は「折伏」の修行なのです。
次に同じく日寛上人の「妙法曼荼羅供養抄」の文段の中に、「心に本尊を信ずるは意業供養なり。口に妙法を唱うるは口業供養なり。身に曼陀羅を礼するは身業供養なり」とのご指南があります。
大御本尊を信じ、御本尊に向かい勤行唱題を申しあげることは、全て身口意三業でご本仏日蓮大聖人へのご供養になるのです。いわゆる「法供養」というご供養です。ご供養したくても金銭的に苦しい時もありご供養できない自分を恥じ入ることも有るかもしれませんが決して恥じることはありません。日々の勤行・唱題は立派なご供養になっているのです。
そして最後に登山(参詣)ですが。これは大聖人の御書の中に、「我等が弟子檀那とならん人は一歩を行かずして天竺の霊山を見本有の寂光土へ昼夜に往復し給ふ事うれしとも申す計り無し申す計り無し(最蓮房御返事)との御妙判の通りです。ここでは「天竺の霊山」とありますが、末法の霊山・寂光土とはご本仏・日蓮大聖人=戒壇大御本尊のおわします大石寺です。私達が勤行唱題をしているその時は、まさに一歩も動かずして戒壇大御本尊の許へ参詣しているのと同じなんですね。ちゃんと勤行唱題をしていれば、毎日朝晩2回私達は登山(参詣)をしていることになるのです。このように勤行・唱題の修行には、「折伏・ご供養・登山(参詣)」の全ての修行の意義が備わっています。
でも、問題は僧侶の修行である勤行形式が、在家の我々には実践が難しいということです。
朝の勤行は少なく見積もっても45分はかかります。
仕事の形態や通勤時間によりけりですが、通勤に1時間以上かかったり、勤務時間が不規則であったりする人には、なかなか捻出できるものではありません。
略式になってしまう人もいるでしょうし、御題目のみの人もいるでしょう。
それでも御本尊様は人本尊様であられますから、怒ったり見捨てたりすることはありません。大慈大悲の仏様です。
その代わり、信心修行できる環境に身を置くことが出来るよう、御祈念していくことが大事です。
そして、休日にはしっかりと正式の勤行・唱題をすればいい。
別体の修行にも励めばいい。
それは、懈怠謗法ではありません。
休みの日にまですっ飛ばせば懈怠ですが。
また、別体の御奉公や御供養をすればいいのです。
御仏壇にお酒やお菓子を奉納すればいい。
寺院参詣して御供養すればいい。
志を信心にしていけばいい。
それが受戒であり作法受得となるのです。
創価学会顕正会のように、自分勝手に異流儀を立てればおしまいです。
健気な信心を仏様は御照覧であります。
皆がそれぞれの宿業の果報を受け、バラエティに富んだ人生を歩んでいます。
その人界の果報を、受持即受戒・即身成仏の果報に転じてまいりましょう。
それが叶うのが日蓮正宗の信仰です。