イチロー選手の引退会見に思う 現代の声聞・縁覚の生き方
イチロー選手の引退会見後、余韻が去らない。
雑誌・テレビなど多くのメディアが彼の野球人生について語る。
イチロー選手は、私の一歳年下だ。
彼は典型的な縁覚界のスーパースターだった。
縁覚とは二乗の境界を生きる人。
飛花落葉(舞い散る桜の花びらや、枯葉の落ちる様)を見て無常を悟る人。
人間界の心にある縁覚の心とは、無常を悟る心だけではない。
一つの道に一意専心できる心。
精進する中に喜びや葛藤を見出し、挑戦し続ける心。
これも一つの声聞・縁覚の姿ではあるまいか。
イチロー選手は独特の野球道を歩み、45歳でバットを置いた。
その独特さが人々を魅了したのも事実だが、人望の無さを嘆く言葉は、菩薩界の徳を持ち得ない二乗の衆の悲哀であろう。
問うて曰く経文並に天台章安等の解釈は疑網無し但し火を以て水と云い墨を以て白しと云う設い仏説為りと雖も信を取り難し、今数ば他面を見るに但人界に限つて余界を見ず自面も亦復是くの如し如何が信心を立てんや、答う数ば他面を見るに或時は喜び或時は瞋り或時は平に或時は貪り現じ或時は癡現じ或時は諂曲なり、瞋るは地獄・貪るは餓鬼・癡は畜生・諂曲なるは修羅・喜ぶは天・平かなるは人なり他面の色法に於ては六道共に之れ有り四聖は冥伏して現われざれども委細に之を尋ねば之れ有る可し。
問うて曰く六道に於て分明ならずと雖も粗之を聞くに之を備うるに似たり、四聖は全く見えざるは如何、答えて曰く前には人界の六道之を疑う、然りと雖も強いて之を言つて相似の言を出だせしなり四聖も又爾る可きか試みに道理を添加して万が一之を宣べん、所以世間の無常は眼前に有り豈人界に二乗界無からんや、無顧の悪人も猶妻子を慈愛す菩薩界の一分なり、但仏界計り現じ難し九界を具するを以て強いて之を信じ疑惑せしむること勿れ、法華経の文に人界を説いて云く「衆生をして仏知見を開かしめんと欲す」涅槃経に云く「大乗を学する者は肉眼有りと雖も名けて仏眼と為す」等云云、末代の凡夫出生して法華経を信ずるは人界に仏界を具足する故なり。(如来滅後五五百歳始観心本尊抄)
しかし、十界互具の道理から言えばイチローの心にも、必ず菩薩界の心は縁に触れて涌現するはずだ。
人を育てる中に二乗的な喜びを見出し、自利利他の境界に生きる道を模索してほしい。
ちなみに日蓮正宗信徒の落合博満さんは、選手としても実績を残し、監督としても実績を残した。
落合さんの信仰姿勢はどのようなものかは存じ上げないが、信心強盛の奥様とともに自受法楽の人生を実現された。 息子さんも活躍されていますね。
落合さんは、イチローのメジャーでの成功をいち早く見抜いていた。
イチローの衰えについても気づいていた。
一流人は一流人を知る。
イチローは第二の人生を落合氏に学び、大石寺の信徒として自受法楽の人生を開拓してほしいものだ。
落合博満 バッティングの理屈―――三冠王が考え抜いた「野球の基本」
- 作者: 落合博満
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2015/07/03
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログを見る
- 作者: 落合博満
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2011/11/17
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- 購入: 21人 クリック: 445回
- この商品を含むブログ (119件) を見る