御題目の南無妙法蓮華経について
『御講聞書』に、
「今末法に入りて上行所伝の本法の南無妙法蓮華経を弘め奉る。日蓮世間に出世すと云へども、三十二歳までは此の題目を唱へ出ださゞるは仏法不現前なり。此の妙法蓮華経を弘めて終には本法の内証に引き入るゝなり」(御書1844)
と仰せであり、御題目の「南無妙法蓮華経」は宗祖日蓮大聖人によって、はじめて唱えられました。この御題目はインドの釈尊から、日蓮大聖人が上行菩薩として相承された秘法であります。それが「上行所伝の本法の南無妙法蓮華経」です。『御講聞書』に、
「薬とは是好良薬(ぜこうろうやく)の南無妙法蓮華経なり」(御書1837)
と仰せのように、末法という今の時代に、人々の心の病を治す良薬です。様々な苦悩を取り除き、安楽をもたらすのであります。
「南無妙法蓮華経」について『御義口伝』に、
「南無とは梵語(ぼんご)なり、此(ここ)には帰命と云ふ。帰命に人法之(これ)有り。人とは釈尊に帰命し奉るなり、法とは法華経に帰命し奉るなり。又云はく、帰とは迹門不変真如の理に帰するなり、命とは本門随縁(ずいえん)真如の智に帰するなり。帰命とは南無妙法蓮華経是なり。釈して云はく、随縁と不変と一念の寂照(じゃくしょう)なり。又云はく、帰とは我等が色法なり、命とは我等が心法なり。色心不二なるを一極(ごく)と云ふなり。釈籤(しゃくせん)に云はく『一極に帰せしむ、故に仏乗と云ふ』と。又云はく、南無妙法蓮華経の南無とは梵語、妙法蓮華経は漢語なり。梵漢共時(ぼんかんぐじ)に南無妙法蓮華経と云ふなり。又云はく、梵語には薩達磨芬陀梨伽蘇多覧(さだるまふんだりかそたらん)と云ひ、此には妙法蓮華経と云ふなり。薩(さ)とは妙なり、達磨とは法なり、芬陀梨伽とは蓮華なり、蘇多覧とは経なり。九字は九尊の仏体なり。九界即仏界の表示なり。妙とは法性なり、法とは無明なり。無明法性一体なるを妙法と云ふなり。蓮華とは因果の二法なり。是(これ)又因果一体なり。経とは一切衆生の言語音声を経と云ふなり」(御書1719)
と御教示であります。南無とは帰命を意味し、「南無妙法蓮華経」を梵語では「薩達磨芬陀梨伽蘇多覧(さだるまふんだりかそたらん)」といいます。
御題目は世間でも広く知られ、日蓮宗各派や新興宗教あたりも唱えていますが、「南無妙法蓮華経」の正しい意味が現在まで伝えられているのは日蓮正宗だけです。それが先の『御講聞書』の「此の妙法蓮華経を弘めて終には本法の内証に引き入るゝなり」という甚深の御指南です。他宗他門では御題目を唱えていても「本法の内証に引き入るゝ」という謂われを一切知りません。
この「本法の内証」ということが、日蓮正宗に於いて血脈相承という姿で正しく伝えられています。この「本法の内証」である本門戒壇の大御本尊様と御法主上人猊下の御指南に随従していかなければ「引き入るゝ」ことはありません。世間ではこのことを無視して御題目を唱えているのが日蓮宗各派と新興宗教であり、その中でも創価学会が「本法の内証」を全く理解していません。
一見同じような御題目の「南無妙法蓮華経」でありますが、深い深い意味があります。更に深い意味は、日蓮正宗管長であられる時の御法主上人猊下の御指南を拝聴させて頂くことであります。また日蓮正宗の寺院でも永代経や御講で御住職様が御法話をして下さいます。

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