1218夜:ペットも成仏させてあげられるのでしょうか?
ペットは成仏できるだろうか?
【質問】
昔、ケガをした子猫を拾ったことがあり、一生懸命に看病をしたのですが死んでしまいました。その時、子猫の遺体を御宝前に置き、お題目を唱えていったところ、硬直しかけていた遺体が柔らかくなっていきました。
このように、自らの意志で仏道修行をすることのできないペットでも、こちらの唱えるお題目の功徳で成仏できるのでしょうか?
【回答】
できます。
たしかに、自らの意志によって仏道修行ができるのは、人間に限られます。それは、動物の中でも、人間だけが因果を弁えることができ、その上から、仏法を信じて仏道修行に励むことができるのです。
では、人間以外の動物や植物は成仏できないのか、といえば、そうではなく、我々人間が行じた仏道修行の功徳をめぐらすことによって、成仏できるのです。
この、動物(畜生)が成仏するか否かという問題をめぐって、昔、他門流において、法論が行なわれたこともあるそうです。それは、三途(地獄・餓鬼・畜生の三悪道)が成仏するかしないか、という法論で、最終的に成仏できないとした側が負けて詫び状を出した、ということです。冗談のような本当の話です(笑い)。
さて、『法華経提婆達多品』には、竜女の即身成仏ということが説かれています。
法華経以前の経では、女性はその身のままでは成仏できない、男性に生まれ変わった後に仏道修行をしなければ成仏できない、とされていました。ところが、法華経に至って、蛇身をもった女性である竜女の即身成仏が説かれ、これによって、女人にも畜生界の衆生にも成仏の道が開かれたのです。
なぜかといえば、法華経において、この宇宙法界の全ての衆生に十界が具わっていることが明かされたからです。我々人間の中にも、畜生の中にも、さらには一切衆生の中にも、全て十界が具わっている。その十界の中の仏界を開くなら、畜生界の衆生でもその身のままで成仏ができる、という法理が示され、その現証として竜女の即身成仏が説かれたのです。
ですから、畜生(動物)であっても成仏はできます。
では、現実問題として、どうやって畜生が仏道修行の功徳を得ることができるのか、ということですが、これについて日蓮大聖人は、
「去りぬる幼子のむすめ御前の十三年に、丈六のそとばをたてゝ、其の面に南無妙法蓮華経の七字を顕はしてをはしませば、北風吹けば南海のいろくづ、其の風にあたりて大海の苦をはなれ、東風きたれば西山の鳥鹿、其の風を身にふれて畜生道をまぬかれて都率の内院に生まれん」(御書一四三四頁)
と仰せられ、我々が妙法の御塔婆を立てたときに、その御塔婆に当たった風がそこをすり抜けて、やがて海や山に至ると、そこに住む魚や鳥・鹿などが全て功徳を得て救われる、と説かれています。
このことから、我々人間が積む仏道修行の功徳を畜生に廻してあげれば、畜生であってもその身のまま成仏する、ということがいえるのであります。
現実に、ペットが死んだ時、その遺体を御宝前に置き、お題目を唱えて回向をしていったところ、ずっと柔らかいままで硬直が起きなかった、腐敗もしなかった、という事例が、講中の中でいくつも聞かれています。
その顕著な例として、ある講員が飼っていた、セキセイ・インコのことを紹介しましょう。
そのインコは飼い主の口真似をしてお題目を唱えていたそうです。もちろん、単なる口真似ではありますが。
そのインコが死んだときに、御宝前に置いてお題目を上げていったところ、いつまで経っても柔らかいままで、また温かく、両方の羽を持つとスムーズに開いたり閉じたりして、本当に眠っているような状態でした。そして、二日経っても三日経っても、そのままの状態が維持されていて、あまりに不思議だったので、お寺に持っていって御僧侶にお見せしたところ、その御僧侶も「成仏している」と言って驚き、お経を上げてくださったそうです。
そのような状態が二週間も維持していたそうですが、時間と共に徐々に水分が抜けていくのがわかったので埋葬した、ということです。その最後の時まで、インコの体は柔らかく、羽もきれいに開き、温かかったそうです。
これと同様の事例は、猫や犬の場合でも、聞くところであります。
その中には、このインコのようにお題目を唱えることはできなくても、あるいは勤行を始めると必ず横に来て、終わるまでじっとしている、という猫や犬もいます。畜生でも、信心に対してそのようにできるものもいれば、逆に、勤行になると逃げていってしまうものもいます。それを、無理やりに引っ張ってきて、勤行をさせようとする飼い主もいるようですが(笑い)。
不思議なもので、そのペット自らの仏法への関わり方の違いによって、遺体の相にも違いがあるようです。本当に成仏したと思われる相と、それほどではないけれども、よその犬や猫が死んだ時とは明らかに違う善い相だった等、自ずから差異が出ています。
いずれにしましても、畜生の成仏ということは、法華経の一念三千の法理によって定まっているところであります。
それも、我々が信心に励んで常日頃にお題目を唱え、それを自ずから耳に聞かせてあげる、死んだ時はお題目を唱えて回向してあげる、あるいは御塔婆を立てて追善供養してあげる――そのようにしていくならばペットでも成仏ができる、ということです。
昔、ケガをした子猫を拾ったことがあり、一生懸命に看病をしたのですが死んでしまいました。その時、子猫の遺体を御宝前に置き、お題目を唱えていったところ、硬直しかけていた遺体が柔らかくなっていきました。
このように、自らの意志で仏道修行をすることのできないペットでも、こちらの唱えるお題目の功徳で成仏できるのでしょうか?
【回答】
できます。
たしかに、自らの意志によって仏道修行ができるのは、人間に限られます。それは、動物の中でも、人間だけが因果を弁えることができ、その上から、仏法を信じて仏道修行に励むことができるのです。
では、人間以外の動物や植物は成仏できないのか、といえば、そうではなく、我々人間が行じた仏道修行の功徳をめぐらすことによって、成仏できるのです。
この、動物(畜生)が成仏するか否かという問題をめぐって、昔、他門流において、法論が行なわれたこともあるそうです。それは、三途(地獄・餓鬼・畜生の三悪道)が成仏するかしないか、という法論で、最終的に成仏できないとした側が負けて詫び状を出した、ということです。冗談のような本当の話です(笑い)。
さて、『法華経提婆達多品』には、竜女の即身成仏ということが説かれています。
法華経以前の経では、女性はその身のままでは成仏できない、男性に生まれ変わった後に仏道修行をしなければ成仏できない、とされていました。ところが、法華経に至って、蛇身をもった女性である竜女の即身成仏が説かれ、これによって、女人にも畜生界の衆生にも成仏の道が開かれたのです。
なぜかといえば、法華経において、この宇宙法界の全ての衆生に十界が具わっていることが明かされたからです。我々人間の中にも、畜生の中にも、さらには一切衆生の中にも、全て十界が具わっている。その十界の中の仏界を開くなら、畜生界の衆生でもその身のままで成仏ができる、という法理が示され、その現証として竜女の即身成仏が説かれたのです。
ですから、畜生(動物)であっても成仏はできます。
では、現実問題として、どうやって畜生が仏道修行の功徳を得ることができるのか、ということですが、これについて日蓮大聖人は、
「去りぬる幼子のむすめ御前の十三年に、丈六のそとばをたてゝ、其の面に南無妙法蓮華経の七字を顕はしてをはしませば、北風吹けば南海のいろくづ、其の風にあたりて大海の苦をはなれ、東風きたれば西山の鳥鹿、其の風を身にふれて畜生道をまぬかれて都率の内院に生まれん」(御書一四三四頁)
と仰せられ、我々が妙法の御塔婆を立てたときに、その御塔婆に当たった風がそこをすり抜けて、やがて海や山に至ると、そこに住む魚や鳥・鹿などが全て功徳を得て救われる、と説かれています。
このことから、我々人間が積む仏道修行の功徳を畜生に廻してあげれば、畜生であってもその身のまま成仏する、ということがいえるのであります。
現実に、ペットが死んだ時、その遺体を御宝前に置き、お題目を唱えて回向をしていったところ、ずっと柔らかいままで硬直が起きなかった、腐敗もしなかった、という事例が、講中の中でいくつも聞かれています。
その顕著な例として、ある講員が飼っていた、セキセイ・インコのことを紹介しましょう。
そのインコは飼い主の口真似をしてお題目を唱えていたそうです。もちろん、単なる口真似ではありますが。
そのインコが死んだときに、御宝前に置いてお題目を上げていったところ、いつまで経っても柔らかいままで、また温かく、両方の羽を持つとスムーズに開いたり閉じたりして、本当に眠っているような状態でした。そして、二日経っても三日経っても、そのままの状態が維持されていて、あまりに不思議だったので、お寺に持っていって御僧侶にお見せしたところ、その御僧侶も「成仏している」と言って驚き、お経を上げてくださったそうです。
そのような状態が二週間も維持していたそうですが、時間と共に徐々に水分が抜けていくのがわかったので埋葬した、ということです。その最後の時まで、インコの体は柔らかく、羽もきれいに開き、温かかったそうです。
これと同様の事例は、猫や犬の場合でも、聞くところであります。
その中には、このインコのようにお題目を唱えることはできなくても、あるいは勤行を始めると必ず横に来て、終わるまでじっとしている、という猫や犬もいます。畜生でも、信心に対してそのようにできるものもいれば、逆に、勤行になると逃げていってしまうものもいます。それを、無理やりに引っ張ってきて、勤行をさせようとする飼い主もいるようですが(笑い)。
不思議なもので、そのペット自らの仏法への関わり方の違いによって、遺体の相にも違いがあるようです。本当に成仏したと思われる相と、それほどではないけれども、よその犬や猫が死んだ時とは明らかに違う善い相だった等、自ずから差異が出ています。
いずれにしましても、畜生の成仏ということは、法華経の一念三千の法理によって定まっているところであります。
それも、我々が信心に励んで常日頃にお題目を唱え、それを自ずから耳に聞かせてあげる、死んだ時はお題目を唱えて回向してあげる、あるいは御塔婆を立てて追善供養してあげる――そのようにしていくならばペットでも成仏ができる、ということです。
nichirendaihonin.hatenablog.com
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只天台の御料簡に十如是と云ふは十界なり。此の十界は一念より事起こり、十界の衆生は出で来たりけり。此の十如是と云ふは妙法蓮華経にて有りけり。此の娑婆世界は耳根得道の国なり。以前に申す如く「当知身土」云云。一切衆生の身に百界千如・三千世間を納むる謂れを明かすが故に、是を耳に触るゝ一切衆生は功徳を得る衆生なり。一切衆生と申すは草木瓦礫も一切衆生の内なるか 有情非情。 抑草木は何ぞ。金錍論に云はく「一草・一木・一礫・一塵、各一仏性・各一因果あり縁了を具足す」等云云。(一念三千法門110㌻)
耳の機能がある生き物を畜生というのです。
細菌やウィルス、ダニなど、耳の機能のない者は餓鬼道です。
畜生が成仏できるには、二つの道しかありません。
本門の題目を聴くか、本門の題目を唱える人の糧となるか。
御本尊様に縁出来れば、業生眷属として来世は日蓮正宗信徒に生まれるのです。
丑寅勤行には、その日に亡くなった亡者が、本門の題目に触れた縁で集っているのです。
生死の中間ですから、その時に大聖人様の御内証へ帰一させていただけるのです。
犬猫の轢死体や、昆虫類、植物など。。。あなたが目にする生き物には、必ず本門の題目を聞かせてあげてください。
本門の題目とは、日蓮正宗の御授戒を受けた、戒壇の大御本尊様を信ずる者の題目です。