日蓮正宗のススメ

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1216夜:大謗法で死んだ者への追善供養は可能か?

大謗法者だいほうぼうしゃに対する追善ついぜん供養について

【質問】
池田大作は、死後、間違いなく無間むけん地獄じごくちると思います。当然とはいえ、本当に恐ろしいことだと思います。そのとき、御塔婆おとうば供養をしてあげてもよいでしょうか。

【回答】
それは、とても大切なことですね。

やはり、日蓮大聖人の大慈悲の仏法を修行する者として、謗法ほうぼう者に対しても、ただ憎悪ぞうおする、ということであってはならないと思います。謗法ほうぼうに対する強い怒りと、しかし相手が謗法ほうぼう果報かほうとして地獄にちることへのあわれみ――その両面がなくては、謗法ほうぼうの恐ろしさを真にわきまえている、とはいえないでしょう。

むろん、謗法者ほうぼうしゃが悪事をおかし続けている間は、悪に対する強い怒りを持つべきであり、それがおもてとなりましょう。しかし、臨終りんじゅうを迎えて無間むけん地獄じごくちてしまえば、もはやそれ以上の謗法ほうぼうおかすこともできず、生前の謗法ほうぼう果報かほうとして、永劫えいごうにわたる地獄の苦しみを受け続けるしかなくなってしまうのです。生前は許しがた謗法ほうぼう者でも、死んでしまえば、可哀相かわいそうな地獄の生命となる、そのことに対する哀れみの心も、仏道修行者として持てなくては、仏法の教えを心から信じているとは言えません。(「ハイ。」)

ちなみに、大石寺過去帳には、第二祖日興上人に反逆した五老僧の名前がしるされており、七百年来、御歴代上人方によって追善ついぜん供養が行なわれています。これは、五老僧の生前には、その大謗法だいほうぼうを徹底的に破折された日興上人が、五老僧の死後は、その追善ついぜんとむらわれていた、という証左でもあります。

ですから、池田大作のような大謗法者だいほうぼうしゃであっても、その死後においては、哀れみ追善ついぜん供養すべき対象となるのです。

また、そのような心を持っていてこそ、大謗法だいほうぼうの学会員らに対する折伏においても、最後にはその慈悲心が相手の謗法ほうぼうの心をくだいて、折伏成就じょうじゅする、と信ずる次第です。

気になる故人への回向は惜しみなく

私の所属する寺院の御住職様は、正信会僧侶が死去して占拠していた寺院が返還された際、そこの住職だった正信会僧侶の塔婆を立てて追善供養されていました。

私とて破門前とはいえ、創価二世に生まれ顕正会を経由して、罰に苦しんだ挙句の果てに法華講に入った経歴があります。

仮にそういう使命を誓って生まれてきていたとしても、それはそれとして積んだ罪業は計り知れないと思っています。

創価学会顕正会、他の謗法を経験した方は、今の日蓮正宗信徒の境涯に慢心せず、縁のあった方々を救っていく努力をしてあげましょう。

亡くなっていれば、塔婆供養を願い出てあげましょう。