1223夜:日本の国が滅びない理由とは?
日蓮大聖人は、「日本は一国を挙げて邪宗を信奉している謗法の国であるから、他国から攻められて亡ぼされるであろう」と予言されました。
そして、現実に蒙古が襲来してきました。しかし、神風が吹いて蒙古は退散し、日本が亡びることはありませんでした。
このことについて、世間の人達は、「大聖人の予言は外れたではないか」と言います。これは、どう考えたらよいのでしょうか。
【回答】
日蓮大聖人は『立正安国論』の中で、「邪教を信奉して正法に違背し続けるなら、この国は必ず他国から侵略されて、国土が荒乱するであろう」と述べられ、その他の御書においても、「すみやかに謗法を断絶しなければ、蒙古に攻められて国が亡びる」等と警告されています。
果たせるかな、『立正安国論』で予言されてから十四年を経て文永の役、さらには弘安の役という、二度の蒙古襲来が起き、大聖人の仰せの正しさが実証されたのですが、その際、俗に“神風”などと呼ばれる大風が吹いて蒙古の船団を破壊したため、ついに蒙古の日本侵略は成らなかったのです。
そのことについて、質問にもありましたように、後世の学者や念仏の者達が、「国が亡びる、という日蓮の予言は外れたではないか。日蓮は英雄になり損ねたのだ」とか「念仏の祈りによって神風は吹いたのだ」等々、さまざまな妄言を発しているわけです。
しかし、これは考えなくてはなりません。
たとえば、親が愛する我が子を叱るとき、「そんな悪い子は警察に連れて行かれますよ」とか「遠くに捨ててきちゃいますよ」などと言いますが、それは、子供を真っ直ぐに育てようとする、親が子を想う愛情から言っている言葉です。その子供が警察に連れて行かれないから親が間違っていた、とか、遠くに捨てに行かないから親は嘘つきだ、などということはありません。
それと同じことなのです。
日蓮大聖人は
「日蓮は日本国の人々の父母ぞかし、主君ぞかし、明師ぞかし」(御書八三〇頁)
とも仰せのように、この日本の国を、ひいては全世界を救うために御出現あそばされた、御本仏にあらせられます。
その仏様が、あえて“日本が亡ぼされる”と仰せられたのは、ひとえに謗法によって苦悩する民衆を、一刻も早く正法に帰依せしめて救わんとの、厳愛のお言葉と拝すべきでありましょう。
それでも人々が謗法を捨てることがなかったため、ついに蒙古が襲来してきました。その時、大聖人は何と仰せになったか――「それ、予言が適中したぞ」「自分の言ったとおりになったではないか」などと、予言の適中を誇るような事は、けっして口にされてはおられないのです。それどころか。
「小蒙古の人大日本国に寄せ来たるの事
我が門弟並びに檀那等の中に、若しは他人に向かひ、将又自ら言語に及ぶべからず。若し此の旨に違背せば門弟を離すべき等の由存知する所なり。此の旨を以て人々に示すべく候なり」(御書一五五九頁)
つまり“このたびの蒙古襲来は立正安国論の悲しむべき適中であり、日本国の一大事である。我が門弟ならびに信徒においては、他の人に対してはもとより、私語の中においても、けっして予言の適中を誇ようなことを言ってはならない。もし、これに背く者があれば、破門に処するので、皆にも伝えるように”と言われているのです。
ここに、いかに日蓮大聖人が、日本の国を大切に思っておられたかを窺い知ることができましょう。
それ故に、予測されていた事態とはいえ、現実に蒙古が来襲するに至って、大聖人が身延の山中において、心静かに日本の安泰を祈念あそばされたことは申すまでもありません。
その祈りによって、日本は亡国を免れることができたのです。
「且く禁をなして国をたすけ給へと日蓮がひかうればこそ、今までは安穏にありつれ」(御書一〇六六頁)
すなわち、蒙古に襲来されながらも日本が亡びなかったのは、御本仏日蓮大聖人が、厳然とこの国に控えておられたからに他ならないのです。
それを、「日蓮の予言は外れた」「英雄になり損ねた」等と言うのは、さすがに、その方自身の境涯を物語る妄言です。大聖人の大慈大悲の御境涯は、我々凡夫に推し計ることなどできないのです。
さらに、もう一つ、重要なこととして、『観心本尊抄』に
「今の自界叛逆・西海浸逼の二難を指すなり。此の時地涌千界出現して、本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊、此の国に立つべし」(御書六六一頁)
とあり、現在起きている自界叛逆(内乱)に加え、やがて西海浸逼(他国からの侵略)の難が起きるであろう、そして、その時に一閻浮提第一の大御本尊が日本の国に建立されるであろう、と宣言されています。
この『観心本尊抄』は文永十年二月の御著述でありますが、その直前の二月十五日に北条時輔の乱が起き、翌年の文永十一年十月に最初の元寇である文永の役が起きて、それ以降、日本中が蒙古襲来の恐怖に直面しました。
この一大危機が極みに達した弘安二年、大聖人は、まさに『観心本尊抄』に宣言されたとおり、本門戒壇の大御本尊を御図顕あそばされたのです。
しかして、に一閻浮提第一の大御本尊が建立されたことによって、この日本国は、全世界に妙法を流布すべき根本の本国土となりました。されば、その尊い国土が滅亡してしまうはずはありませんし、滅亡する国土に大聖人がに一閻浮提第一の大御本尊を建立される、などという道理もありません。これまで、いかに強く「亡国」を警告してこられたにせよ、大御本尊が建立された以上、この妙法の本国土が危機に瀕することはあっても、滅び去る、などということは、あろうはずがないのです。
それ故、大聖人は、それまで蒙古を『大蒙古国』、日本を『小日本国』『わずかの小島』等と称しておられたのですが、現実に蒙古が襲来するに及んで。
「小蒙古の人大日本国に寄せ来たる」
と、御確信の一端を披瀝あそばされたのです。それは、日本こそ、一閻浮提第一の大御本尊の在す処であり、ここから全世界の広宣流布が進められていく本国土である、だから、断じて滅び去るはずがない、という一大確信と拝し奉るのであります。
そして事実、その後の弘安の役によっても、ついに日本は亡びませんでした。
「大聖人の予言が外れた」などというわけではないのであります。
第四に国を知るとは、通じて之れを論ぜば、法華有縁の国なり。別して之れを論ぜば、本門の三大秘法広宣流布の根本の妙国なり。日本の名に且く三意有り。
一には所弘の法を表わして日本と名づくるなり。謂わく、日は是れ能譬、本は是れ所譬、法譬倶に挙げて日本と名づくるなり。経に云わく「又、日天子の、能く諸の闇を除くが如く」云云。
宗祖の云わく「日蓮が曰く、日は本門に譬うるなり」云云。日は文底独一本門に譬うるなり。四条抄に「名の目出度きは日本第一」と云うは是れなり云云。
二に能弘の人を表わして日本と名づくるなり。謂わく、日蓮の本国なるが故なり。故に顕仏未来記に云わく「天竺・漢土にも亦法華経の行者之れ有るか如何。答えて云わく、四天下の中に全く二の日無し、四海の内豈両主有らんや」云云。故に知んぬ、此の国は日蓮の本国なり云云。
三には本門流布の根本を表わして日本と名づくるなり。謂わく、日は即ち文底独一の本門三大秘法なり。本は即ち此の秘法広宣流布の根本なり、故に日本と云うなり。応に知るべし、月は西より東に向かい、日は東より西に入る、之れを思い合わすべし。
然れば則ち、日本国は本因妙の教主日蓮大聖の本国にして、本門の三大秘法広宣流布の根本の妙国なり。
問う、若し爾らば蓮祖出世の後応に日本と名づくべし、何ぞ開闢已来日本国と名づくるや。
答う、是れ霊瑞感通し嘉名早立する故なり、例せば不害国の名の如し。記の一の末に云わく「摩訶提は此に不害と云う、劫初已来刑殺無き故なり。阿闍世に至って指を截るを刑と為す。後に自ら指を齧むに痛し、復此の刑を息む。仏当に其の地に生まるべき故に吉兆預め彰わる。(依義判文抄)
正当なリベラル思想は育たず、外国にはない反愛国・自虐史観に立脚した、亡国の思想が蔓延しています。
大国ロシアに攻め込まれた、ウクライナの人々を見習うべきですね。