初めて見つけたときは、枯れ葉か何かがくっついているのかなって思いました。
コウモリだと気づいてからもしばらくは、死んでいるのか?生きているのか?よく分かりませんでした。
翌日。。。
生きていました。
でも、左の翼は破れていました。
飛べなくなって、休息していたようです。
野生の動物なので、触れることはできません。
コマ切れ肉を置いてみたりしましたが、食べる気配はありませんでした。
水も飲ませてあげたかったのですが、どうしたらいいかわからず、御題目を聴かせてあげて、御本尊様に無事と死後の丑寅勤行への参詣が叶うように、御祈念させていただきました。
昔、お世話になった御僧侶に、私たちと縁する畜生界の衆生との因縁について、とても勉強になるお話を聴かせていただいたことがありました。
人間と同じ国土世間で生きる衆生には、畜生界と草木、そして、一部の餓鬼界(細菌やウィルス)があります。
人間以外の衆生は、妙法を口唱することができません。
これは、天界の諸天善神ですら同じだそうです。
諸天供養はお願い事を祈ってはいけないと教えられました。
境界は天人の方が上ですが、彼らもまた我々の唱える妙法の功力(法味)を食して、威光勢力を発揮する存在でしかなく、仏法上では直接法体を受持する人間の方が、位が高いのだそうです。
ですから、神頼みは本末転倒の行いだとか。
コウモリさんのような、畜生界の衆生は人間界と共生し、妙法を聴くことを出世の本懐としているそうです。
過去世の宿業は持っていますが、今世での謗法罪障はありません。謗法は言葉で誹謗するから起きます。言葉を持たない畜生界の衆生には、謗法行為は不能の罪となり、免れているのだとか。
ですから、今世だけに限って言えば、謗法の人間よりも罪障がなく、妙法を耳で聞くだけで成仏できるのだそうです。
確かに、我が家の愛犬を御塔婆供養していただいた時に、御塔婆に「汝是畜生頓証菩提也」と書かれていました。追善供養ではなく、頓証菩提なんです。
もちろん、塔婆と成った木も仏身を成就しているわけです。
今回出会ったコウモリさん、もしかしたら、我が家の屋根裏に住んでいた子かもしれません。
勤行・唱題を聴いてくれていたのかな。
最期のお別れに出てきたのかな。
羽が自己修復して復活できていたらいいのに。。。
今日は姿が見えなくなっていました。
命終の後は、丑寅勤行に参詣出来たらいいのにね。
妙法(日蓮正宗僧俗の唱える南無妙法蓮華経)に縁した衆生は、死んだ日の丑寅の時刻に直接冥途の道を行かず、大石寺の客殿に導かれるのだそうです。
かつて日達上人様が、丑寅勤行の時に上の方を見上げられて、「今日は大勢来てるなぁ。。。よし、みんな戒壇の大御本尊さまの元へ送ってあげよう」と仰って、勤行を始められたことがあったそうです。
その日、何があって大勢の命が参詣したのかはわかりませんが。災害があったのかもしれません。
御書にも耳根得道のことが掲載されています。
只天台の御料簡に十如是と云ふは十界なり。此の十界は一念より事起こり、十界の衆生は出で来たりけり。此の十如是と云ふは妙法蓮華経にて有りけり。此の娑婆世界は耳根得道の国なり。以前に申す如く「当知身土」云云。一切衆生の身に百界千如・三千世間を納むる謂れを明かすが故に、是を耳に触るゝ一切衆生は功徳を得る衆生なり。一切衆生と申すは草木瓦礫も一切衆生の内なるか 有情非情。抑草木は何ぞ。金錍論に云はく「一草・一木・一礫・一塵、各一仏性・各一因果あり縁了を具足す」等云云。法師品の始めに云はく「無量の諸天・竜王・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦樓羅・緊那羅・摩睺羅伽、人と非人と及び比丘・比丘尼、妙法蓮華経の一偈一句を聞き、乃至一念も随喜せん者は我皆阿耨多羅三藐三菩提の記を与へ授く」云云。非人とは総じて人界の外一切有情界とて心あるものなり。(一念三千法門110㌻)
以前の記事にも耳根得道について書いたことがありました。
お読みいただければ嬉しいです。
nichirendaihonin.hatenablog.com
蜘蛛さんは元気に赤ちゃんを孵化させました。
秋口には、室内でお母さん蜘蛛も見かけました。たぶん。立派な大きさだったので。