日蓮正宗のススメ

凡そ謗法とは謗仏謗僧なり。三宝一体なる故なり。

私たちに前世の記憶がない理由とは?

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記憶喪失とは事情が違うようです

三世の生命観を仏法では説いています。

しかし、私には過去世の記憶がありません。

不思議でしょうがなかったので、御僧侶に聞いてみたことがあります。

ポリ銀「過去世の記憶がないのは何でですかね?」

僧侶「罪障消滅してるからなんですよ。」

ポリ銀「ええええええ~!?」

僧侶「罪障が残ってたら、人に生まれてくることは不可能ですから。。。」

ここから先は、私の会通です。

成仏することを仏果を得るって言いますよね。

仏界の果報を得るってことです。

人界に生まれるのだって、人界の果報を得ているということなんでしょう。

「人身は受けがたし爪の上の土」(崇峻天皇御書)

の御金言は有名ですが、人間に生まれてくるのってかなりハードルが高い。

しかも、末法に御本仏の生国に生まれる幸運は、宝くじ1等当選の比じゃない。このことは日寛上人様の六巻抄にも詳しく書かれています。

三大秘法の「時」と「国」を知る 【依義判文抄】二二

 


 第三に時を知る
とは、末法に入り一切の仏法悉く皆めつじん。故に大集経に「ごの五百歳白法びゃくほう隠没おんもつと云うなり。正にの時に当たりて三大秘法広宣流布、故に薬王品に「ごの五百歳広宣流布」と説くなり、宗祖云わくごの五百歳に一切の仏法滅する時、上行菩薩妙法蓮華経の五字を持たしめ、謗法一闡提いっせんだいやから癩病びゃくらいびょうの良薬と為す」云云。つぶさには撰時抄の如し。此くの如く知るを則ちこれ時を知ると謂うなり。

第四に国を知るとは、通じて之を論ずれば法華有縁うえんの国なり、別して之を論ずれば本門の三大秘法広宣流布の根本の妙国なり。
 日本の名に
しばらく三意有り。
 一には
しょの法を表わして日本と名づくるなり。謂わく、日は是れのう本は是れしょ法譬倶ほっぴともに挙げて日本と名づくるなり。経(薬王品)に云わく「又にっ天子てんしもろもろの闇を除くが如し」云云。

宗祖云わく日蓮云わく、日は本門にたとうるなり」云云。日は文底独一本門に譬うるなり、四条抄に「名の目出度めでたきは日本第一」と云う是れなり云云。

二にのうの人を表わして日本と名づくるなり。謂わく、日蓮の本国の故なり。

故に顕仏未来記に云わく「天竺てんじく・漢土に亦法華経の行者之有るか如何。答えて云わく、四天下てんげの中に全く二の日無し、四海の内あに両主有らんや」云云。故に知んぬ、此の国は日蓮の本国なり云云。

三には本門流布るふの根本を表して日本と名づくるなり。謂わく、日はすなわち文底独一の本門三大秘法なり、本は即ち此の秘法広宣流布の根本なり、故に日本と云うなり。まさに知るべし、月は西より東に向う、日は東より西に入る、之を思い合わすべし。しかれば則ち日本国は本因妙の教主日蓮大聖の本国にして本門の三大秘法広宣流布の根本の妙国なり。

問う、しからば蓮祖出世の後、まさに日本と名づくべし、何ぞ開闢かいびゃく已来いらい日本国と名づくるや。

答う、是れれいずい感通かんつう嘉名かめい早く立つる故なり、例せば不害国の名の如し。記の一末に云わく「摩訶提まかだ此に不害と云う。こうしょより已来いらい刑殺無き故なり、阿闍世に至りて指をるを刑とす、後自ら指を痛し、また此の刑をむ。仏まさに其の地に生まるべき故に吉兆きっちょうあらかじあらわる、所以ゆえに先ず不害国の名を置く」等云云。
 今
また是くの如し。蓮祖当に此の国に生まれ独一本門の妙法を弘通ぐつうすべき故に吉兆預め彰わる。所以に先より日本国の名を置くなり彼此ひし異なりと雖も其のおもむき是れ同じきなり、あに之を信ぜざるべけんや。此くの如く知るをすなわこれ国を知るとうなり。

海外の御信徒様の願いは、来世は日本の国に日蓮正宗信徒として生まれてくることだそうです。

でも、日常、様々な困難にヒィヒィ言っている私には、その有難さはピンときません。

それは、罪業と罪障の違いが分かってなかったから。

罪業というのは宿業や現業

罪障というのは、罪業から起こってくる障り、妨げのこと。

人の果報を受けるにも、罪障があれば妨げられるのは同じこと。

前世で日蓮正宗の葬儀をしてもらったとか、子孫が塔婆供養してくれたとか、なんらかの罪障消滅と仏縁があったからこそ、私は日本に人として生まれてこれた上に、日蓮正宗信徒として生きてられるんです。

果報者とは私のことなんです。

愚痴ってはいけませんね。

もしかしたら、前世は畜生かもしれませんし。

僧侶「ポリ銀さん、動物であろうと虫であろうと、花や草木であろうと、自分の周囲の衆生にお題目を聞かせてあげてください。畜生界だけが人間界と国土世間が重なっているのは、彼らが妙法を耳にするためなんですよ。畜生は口がきけないから、今世では謗法罪障は積みません。お寺や家庭の唱題を耳にすると、それだけで来世は人として日蓮正宗の修行ができるようになるのです。もちろん、日蓮正宗で成仏する人の命をつないでくれた食べ物も同じです。ご飯を食べる前に題目三唱しましょう。」

一切衆生の恩っていうことです。

お寺の庭にお題目を聴きに来ていた白蛇の話も聞きました。

ある時、日達上人様は丑寅勤行の前に客殿の天井を見上げられ、「今日は大勢きているなぁ。よし、みんな戒壇の大御本尊様の御許へ送ってあげよう。」と言われたことがあったそうです。

それは、その日なくなった衆生が、たまたま日蓮正宗僧俗のお題目に縁していたりすると、丑寅の時刻に閻魔殿へ行く途中、丑寅勤行に参列することができるのだとか。その勤行の功徳で戒壇の大御本尊様の御内証に、同一帰入させていただくことができると教えてもらいました。

それ以来、私は路上で犬猫の死骸を見たりすると、必ずお題目を唱えてたり念じたりしています。「今日の丑寅勤行に参列させてもらってね。」「どうか、大聖人様の御慈悲に縁出来ますように」との思いを込めて。

虫にもお題目を聞かせてあげるようになりました。不思議なもので、虫にお題目を聴かせると寄ってきます。

僧侶「ゴキブリなんかでも殺そうとすると必死で逃げるでしょ?あれはね、畜生界に生まれてきている本当の目的を果たそうと、命が必死になって生き延びようとしているんです。彼らの命は短いですからね。その目的は血脈の通った妙法を聴くことなんですよ。衆生は虫でも草木でも「音を聞く」能力は具わってるんです。だから、害虫駆除は仕方なくても、仕留めた時はお題目を聴かせてあげてください。」

私は、御僧侶にこの話を聴いて以来、可能な限り実践しています。

少しでも地涌の士を未来に数多く出現させるために。

仏種については、下記の記事をご参照ください。

四節三益について

 

    久遠以来、どのようにして衆生が種熟脱の三益を受けてきたか?

 

 仏の化導と衆生の関係について、天台大師は大きく四種類に分けることができると『法華文句』のなかで説いています。それを「四説三益」といいます。今ここでは、天台解釈の範疇よりも一歩深く、法華経文底本門を本義とする日蓮大聖人の仏法の視点に立った「四節三益」ついてお話しします。

 インド応誕の釈尊は、法華経本門を説示し、自身の本地である久遠の成道を開顕しました。しかしこれは、日蓮大聖人の仏法からすると「本果第一番成道」といい、本仏が悪縁の衆生を救済するため方便を設け、垂迹身を顕現された第一番目の成仏の姿と、その仏が説く教えの実体を指します。ですから妙法蓮華経という本法を刹那に覚知し、凡夫即極の成道を遂げた根源の本仏の本地は、釈尊説示の本果をさかのぼる「久遠元初」という本因妙の悟りを指向される日蓮大聖人を置いて他に顕わすことはできないのです。
 久遠(釈尊の本地)をさかのぼる久遠元初の往昔、ひとりの聖者として出現された日蓮大聖人が宇宙法界の真理を覚知して即座開悟し、ただちに無量の慈悲をもって一切の衆生に南無妙法蓮華経の功徳種を下種されました。その化導を受けた衆生が、それ以後、どのように対応していったかによって、それぞれの姿に別れていく。これが「四節三益」ということです。

 

第一類
 まず第一類の衆生は、南無妙法蓮華経の教えを仏様より下種されました。そして、その功徳を聞いて一度は信じたものの、以後、悪縁に引き落とされ、あるいは己心の魔に負けて退転してしまったのです。これらの衆生は、南無妙法蓮華経の悪口は言いません(誹謗しない)が、不信謗法となってしまいました。ですからその後、数億年、数十億年という永遠の月日を経て、途方も無いほど遠回りをしながら何度も何度も釈尊のよ、うな垂迹(仮の・方便)仏に出会い徐々に、根本の仏種(南無妙法蓮華経の功徳)を調熟させていきました。そして、その最後の締めくくりとして三千年前に、インドに出現した釈尊による法華経の説法を聞き成仏することができた衆生であります。

 

第二類
 次の第二類の衆生は、久遠元初に仏から折伏されて南無妙法蓮華経の下種を受け、そのまま素直に信心して、当座に成仏していった方々であります。これらの尊貴の衆生はその後、常に本仏の化導を助けるため、いつでも、どこででも一心に南無妙法蓮華経の仏法を受持し続けていく衆生であります。代表的な衆生が、法華経に登場する久遠本仏の本弟子である「地涌の菩薩」です。

 

第三類
 次の第三類の衆生は、久遠元初に仏から下種を受けたものの、その時ですら信じることができませんでした。信じないどころか、ただちに本仏や本法を誹謗したのです。そして死後に、それらの人々は、永遠の時間を地獄・餓鬼・畜生・修羅等の四悪趣で苦しみ抜くことになります。
 永遠の時を経て謗法罪を少しづつ消滅させ、ようやく三千塵点劫という大昔に、大通智勝仏という仮の仏に出会い、その仏によって再び法華経を聞かされて深い信心の境界に入り成仏した人。あるいは、その三千塵点劫の法華経説法が縁となり、その時には信受することはできなかったけれども、仏になるための種を徐々に養うようになり、今から三千年前、インドの釈尊説示の法華経に出会って、ついに成仏した衆生です。これには、舎利弗とか目連とかの、釈尊の弟子がこの部類に入るとされます。

 

第四類
 そして第四類の人は、これはもう、どうしようもない。久遠元初でも仏の言葉を信じることなく、以後、仮の垂迹仏に出会っても信仰心すら持つこともなく、インドに釈尊が出現して、ようやく法華経に接し、仏法に多少の興味を持つようになった衆生です。しかしそれでも、釈尊の在世では成仏はできなかった。そういった人々は、釈尊滅後、末法に入るまでの二千年の間(正法時代・像法時代)に、方便の諸経を縁として仏種を調熟しながら、徐々に成仏していったとされます。またこれらの衆生の一部は、成仏が間に合わず、末法にまで流入するとされました。

 このように、仏により聞法下種を受けた後、成仏していく姿には、それぞれ異なった姿・形があるのです。しかし、様々な姿形の違いがあるとはいっても、最終的には、根源の南無妙法蓮華経を深く信ずることによって、誰もが成仏していくことには違いはないのです。

 

末法は「本未有善」の衆生 ~誰もが南無妙法蓮華経を信ずべき時

 末法に生を受けた我々は、「本未有善の衆生」と言われます。「本未有善」とは、いまだかつて南無妙法蓮華経の下種を受けたことがない、あるいは完全にその本種を失ってしまい成仏の根源である仏種が「無」となった状態を指します。ですから、我々本未有善の衆生は、釈尊のような垂迹仏や、阿弥陀如来のような架空の仏を拝んでも、種のない畑に肥料や水を撒くようなもので、成仏という果を得ることは絶対にできません。
 本未有善の末法衆生は、久遠元初・本因妙の本仏であられる日蓮大聖人の仏法を素直に信じ、成仏の根源種である南無妙法蓮華経の下種を最初から受けていく必要が、誰にでもあるのです。
 今、南無妙法蓮華経の大御本尊を目の当たりに拝することのできる我々は、これより先、けっして退転などせず、素直に日蓮大聖人の仏法を信じて、かつて地涌の菩薩方がそのまま信じて即座に成仏し、永遠の時の流れの中、常に大聖人とともに同じ道を歩み、時には大聖人の代理として、人々を救済する大慈悲を起こして折伏に挑戦していく。尊い功徳の人生、功徳の道を歩んでいくことこそ、自身の尊い仏縁と使命を全うする唯一の道と言えるのではないでしょうか。 

www.myotsuuji.info

 

四十九、現当二世の秘術
2018年7月11日 に kirimoto3 が投稿
日顕上人猊下御指南

南無妙法蓮華経を唱えて自行化他の信心修行に励むことの理由の一つは、この法のみが唯一末法現代の一切衆生の機根に適合しているからである。末法衆生は、釈尊の過去の長い化導に縁がなく、その教えを習ったことのない人々である。故に、現代社会において、小乗教はもちろん、諸々の大乗教についても、それを真剣に生活の規範として学び行じ、目的を達成している者は皆無と言えよう。すなわち、現代人の思想は西洋文明その他、外道の様々な信仰や思想の低級な真理観、倫理観、価値観のなかに埋没し、加えて貪・嗔・癡の三毒充満はいよいよ著しく、このようななかで釈尊の仏教の実体は形骸化している。まさに、白法隠没の相である。故に、現在存在する仏教各宗や、それの一分をまねて自己流に利用する無数の新興宗教は、本来の釈尊の正しい見解に基づく、各時代に適合した教と機と時に対して説かれた仏教の精神に違反し、矛盾する偽宗教である。これらを信じても肝要な仏種はなく、したがって成仏はありえない。末法衆生には、直ちに各人の仏性を喚起させる仏種それ自体を顕す法が真実の救済となる。すなわち、南無妙法蓮華経である。衆生の持つ迷妄の心と、肉体により起こる様々な迫害・障害・煩悩・業・苦を止めるには、生命の奥底より仏種を発動せしめる以外にはなく、その仏乗種は、ただ南無妙法蓮華経にのみ存するからである。
顧みるに、法華経述門は諸法実相十如の法門により、法界は円融して九界即仏界・仏界即九界の正理を示されるが、その理を説いた仏は、この土に出現し修行して初めて成仏したのである、その始覚の十界互具の教えには、永遠の実体が欠除するため、その法理は常住不変のものではなく、したがって救済の教えに確実性を欠いている。故に、述門の教法は、末法には利益がないとして抑止される。本門は、この難を免れている。すなわち、釈尊は久遠の仏身を顕して、始成正覚の難を打ち破り、仏身の常住に伴う十界円融によって無始の九界常住が明らかとなる。九界の常住に仏界が一体となり、無始の仏界の常住に九界が一体となる。
この九界仏界常住の悟りは、さらにその根本として、無始の九界仏界一如の本因下種、妙法蓮華経の法体に帰する。これによって在世の衆生は、これまで種々の形相で修行した高貴な仏法上の位を、転して凡夫名字即の位に立ち還り、信の一字をもって本地難思境智の妙法を信解する。そこに、三世流転の苦難が根本的に解決し、凡夫即極の成仏を遂げるのである。これを、等覚一転名字妙覚と言う。
この釈尊の化導は、地涌の出現に伴う言説によって久遠の長寿を示したのであり、在世の衆生は、まず釈尊と同じく自己の常住を悟り、次いで、転して久遠元初凡夫即極の仏身と一体の下種妙法を信解した。したがって、下種の妙法それ自体が、直ちに本門の化導の表面には顕れていない。この相による成仏は在世の衆生であり、それは久遠からの釈尊の化導との因縁によるのである。したがって、在世の本門の法は脱益の利益であり、釈尊と久遠以来の因縁がない末法衆生には、その仏種が発動する用きをなさない。故に、末法は久遠元初の本仏日蓮大聖人の御化導により、即身成仏の仏種を下すところの南無妙法蓮華経のみが一切衆生の迷妄に起因する、あらゆる障害苦難を止める現当二世の秘術なのである。

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総本山第六十七世日顕上人猊下御教示 すべては唱題から―唱題の功徳と意義六十一カ条