創価のHPから引用すると、
しかし、若き日の池田先生はただひとり、会場の片隅で師の誓願の実現を深く決意。弘教の先頭に立ち、あらゆる戦いを勝利で飾り、75万世帯達成の原動力となったのです。
だそうです。
ちなみに、昭和二十七年八月二十七日、創価学会は東京都知事より宗教法人の認証を受けました。
僕は、創価学会という団体の諸悪の根源は、別法人格取得にあったと考えています。
第二代戸田会長は、創価学会が「宗教法人」を取得するに際して、宗門に対し、
一、折伏した人は信徒として各寺院に所属させること
二、当山の教義を守ること
三、三宝(仏・法・僧)を守ること
の三原則を遵守するとの約束をしました。
が、そもそも、戸田さんには宗門に対する怨嫉の心と、慢心、金儲けの魂胆が潜んでいたのではないかと思っています。
法華講員さんの中にも、いまだに戸田崇拝者がいますが、功労の一部をもって手放しに誉める気にはなりません。
戸田さんとその師匠の牧口さんは、戦前からの信者です。
ネットで検索すれば、彼の二人についてさまざまなことが書かれています。
相互参照して類推すると、おおよそ次のように人物像を描くことが出来るでしょう。
牧口さんは教育者であり、在野の思想家でもありました。
戸田さんと共に、アメリカのプラグマティズム哲学者・教育者デューイの講演を聴きにいったこともあるようです。
戦後、戸田さんが大東亜戦争の敗北原因として、「我が国の国家神道がデューイの哲学に敗れた」と、その本質を言い当てています。
プラグマティズムは優れた実践的哲学ですから、二人はこれに心酔していたのですね。
牧口さんの著作に、創価教育学体系というのがありますが、なかでも有名なのが「価値論」です。
戦後、戸田さんは自分なりの会通を加えて頒布しました。
でもね、牧口さんの論敵はカントでした。
特に純粋理性批判。
牧口さんは、信仰心の篤い人でしたが、一種の疑念を持っていたんです。
悟りとか啓示とか、特殊な宗教経験は共有できるのか?と。
これは、大問題なのです。
仏教は釈迦の悟りを根本にしております。
ユダヤ教・キリスト教・イスラム教は、神からの預言がベースです。
特殊な人間の、専有観念は存在しうるのか?
牧口さんは獄中で、カントの純粋理性批判を読み続けたそうです。
戸田さんは、牛乳瓶の蓋で御数珠を造って、200万遍の題目を唱えるうちに、刑務所の壁から大御本尊様が浮き出すのを観たとか。
まあ、いずれにしても、都市伝説です。
皆様は、日蓮正宗に帰依し、本門の題目を唱えるほかに手だてはないのです。
創価学会の皆様が、正気を取り戻すことを切に願う次第であります。