日蓮正宗のススメ

凡そ謗法とは謗仏謗僧なり。三宝一体なる故なり。

個人の<悟り>と集団の<悟り>

 

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道徳感情はなぜ人を誤らせるのか ~冤罪、虐殺、正しい心

道徳感情はなぜ人を誤らせるのか ~冤罪、虐殺、正しい心

 

ブッダも最初からこんなことを判っていたわけではなく、出家と云っても師匠に仕えたり修行仲間がいたりしました。それでは駄目だと気づいてから完全に独りになって、ようやく<悟り>を得たのでした。

ところが、因果とその根源である人間関係を断ち切ることにより<悟り>を開いたのに、ブッダは人間関係そのものである教団を作るという相反した行動を取ることになります。

人に<悟り>を教えるなんて矛盾だと考えたのか、ブッダも絶対やるつもりはなかったのに、説得されてやることになったのです。

<悟り>を開いた偉い人がいると聞きつけて、ぜひ教えを請いたいと人々が集まってきて、あまりに熱心に懇願されたから、とうとう根負けしたという具合になるのが常識的な流れでしょう。

ところが、仏典では、梵天の説得によって気持ちが変わり、まだブッダの偉大さに気づいてないため話を聴くつもりもない人々に、ブッダのほうから押し売りで教えを説いて弟子にしたということになっています。

梵天というのは、宇宙の原理ブラフマン神ブラフマーのことです。仏教では、教団を作るということそれ自体が、宇宙の根本原理に関わっていると考えられているのです。

<悟り>とは矛盾する教団なんかを作ったことから、ブッダが個人として<悟り>を開いて認知バイアスを克服していたかどうかは怪しいところがあると私は思っています。

しかし、まさしくその<悟り>とは矛盾する教団なんかを作ったことから、集団として<悟り>を得る道を見出だしたわけです。

この個人としての<悟り>と集団としての<悟り>の両輪を軸にすると、ブッダが残した教えはすべて矛盾なく読み解けるのです。

ブッダ以外の宗教者の修行
ブッダと同じようなことは、他の宗教でも考えられていました。目の前にあるはずの現実が何故かそのまま見ることができないので、どうしても真実を見たいという人たちが昔からいたのです。

プラトンイデア論だけではなく、原初の宗教家や哲学者はみなさんだいたいそんなようなことを云ってました。そういう人たちは、ほとんど一般社会から離れて出家しますし。認知バイアスに気づいている賢者は何人もいたのです。

彼らの多くは断食や激しい修行で肉体や精神を追い込むことによって、認知バイアスを克服し、真実を見ようとしました。人間としての正しい機能を失うことによってこそ、認知バイアスは克服できるということを見抜いていたわけです。認知バイアスは進化によって身に着けた人間機能の副産物なのですから、これは正しい方法です。

しかし、理屈としては正しくとも、実行するのにこれほど難しいことはありません。肉体や精神を追い込むとまず幻覚が見えて、これこそ真理だと思い込む宗教者が結構います。でも、幻覚なんてのは認知バイアスそのもので、そんなものが見えるようではまだまだ修行が足りません。

完全に肉体や精神がボロボロになれば、幻覚さえ見えなくなる。なんの思考もできず、眼がたんなる機械的なカメラになって、あるいはたんなるガラス玉になって、初めて目の前の真実がゆがむことなくそのままの姿で映るようになるのです。

脳が機能停止すれば、「上の線のほうが長いはずだ」とか、「ここに因果関係があるはずだ」とか、そんな勝手な解釈をしなくなりますから。

しかし、そこまで激しく肉体や精神を追い込むと人間は死んでしまいます。ひょっとすると一瞬なら体験できるかもしれませんが、生還してまともな思考ができるようになると認知バイアスも戻って来て、記憶としても正確には想い出せなくなります。

その瞬間は肉体や精神がボロボロでまともな思考ができないのですから、自分の内部で起きたことを文字などの記録に残すこともできません。

一瞬でも体験できるなら死んでもいいと、限界を超えた修行をやらかして実際に死んだ人もいたでしょう。けれども、ほとんどの賢者は何かに役立てたいという志を持っているもので、それではいけないらしいのです。死んでもいいのなら、わざわざ修行なんかしなくとも、どうせそのうち死んで認知バイアスは消えてなくなりますし。

ブッダも出家して初めの何年かは、常人なら死んでしまうような壮絶な苦行をやったのです。しかし、これでは駄目だと気づいてやめてしまいました。代わりに、繁栄していたヴァッジ国のやり方を取り入れることになります。

ヴァッジ国から民主主義を学ぶ
ヴァッジ国は、いくつかの部族による連合国家でした。そのうち最も有力だったリッチャヴィ族の名前でも仏典には出てきます。両者は同じ集団を指しているので、ここではヴァッジ国で統一しておきます。

これは仏教がだいぶ広まったあとのことですが、強大な軍事力を誇るマガダ国の王が豊かなヴァッジ国を征服しようと考え、ブッダに助言を請いました。

それに対して、大勢の人々が集まる集会をたびたび開いて物事を決めているヴァッジ国は強力であり、戦争で滅ぼすことは無理だとブッダは答えているのです。

さらには自分の教団でも、このやり方を取り入れました。大勢の人々が集まる集会をたびたび開いて物事を決めることを続ければ、自分が死んだあとも仏教教団が衰亡することはないだろうと弟子たちに教えています。

つまり、たんなる抽象的な理想論やイデオロギーではなく、民主制には組織の生存率を上げる具体的な力があると云っているわけです。

当時はアテネとヴァッジくらいしか存在しなかった民主主義国家が、現在は地球上の有力国のほとんどを占めるようになるという、数千年の熾烈な生存競争の結果としてその正しさは証明されました。

先の修行の話と突き合わせれば、「三人寄れば文殊の知恵」というのは、知恵が三倍で賢者になるのではなく、それぞれ個人の<因果>や<物語>を三分の一ずつに分断し、筋の通った思考ができないアホにすることによって認知バイアスを克服、間違いを犯す確率を減らすのではないかと思われます。認知バイアスを克服する唯一の方法は、人間に考えさせないことなのです。

独裁や少数エリート支配では、どれだけ頭が良くても人間である限り必ず認知バイアスに囚われて失敗します。妥協の産物である民主主義は、特定の誰の考えでもないので人間の認知バイアスが入りにくい。

もちろん、認知バイアスを完全に克服するわけではなく、美しい理想を掲げることの多い独裁や少数エリート支配よりいくらかマシという比較の問題なのですが。生存競争ではその少しの差が、生死を分ける決定的な違いを生むのです。 

戦前の少年犯罪

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言葉の恐るべき力
このやり方が凄いのは、個人的な修行と違って、肉体や精神をボロボロにすることなく、認知バイアスを克服し、<悟り>を開いてしまうことにあります。

ボロボロになってないからこそ、その<悟り>を法律という形で記録することもできる。

議論が終ってひとりになると、認知バイアスが戻って<悟り>が判らなくなってしまうのですが、悟ったときに決めた法律に縛られるので、国家運営などの間違いを犯さなくて済みます。

個人的な<悟り>を得るための修行で問題となったことが、すべて解決できているのです。

さらに凄いことは、人間の認知バイアスの元凶である言葉を使って、認知バイアスを克服しているところです。

何度も云うように、言葉による<評判>を媒介とした協力関係システム<間接互恵性>のため、人間は因果にこだわり認知バイアスを生むのです。言葉を使えるからこそ、人間はほかの動物にない巨大で強力な集団を形成することができました。

しかし、言葉を使えるからこそ、ほかの動物にはない認知バイアスを抱え込んで大量に人が死ぬような悲劇も招くようになったわけです。

ところが、民主主義では、議論してお互いの認知バイアスをつぶし合うのも言葉。法律として記録し、またその後に間違いを犯さないよう行動を縛るのも言葉。

ブッダはヴァッジ国の強さの要因として、大勢の人々が集まる集会だけではなく、過去の正確な情報を参照して物事を決めている点も上げています。同じことをすれば、仏教教団も末永く繁栄するだろうと語っています。

ブッダの時代のインドは文字による記録はありませんから、長老の伝承と云ってますが。これも、認知バイアス克服のために言葉を使用するということです。

筋の通った思考ができないアホになることと、正確な情報を元に判断することは正反対のように見えます。しかし、人間が頭の中で因果や美しい物語を勝手にでっち上げることを防ぐという意味では、まったく同じなのです。

驚くべきことにブッダは、認知バイアスをもたらし、また認知バイアスを克服する、言葉の両面の恐るべき力を正確に見抜いていたのでした。

仏教は、ときに言語を否定したり肯定したりして矛盾しているように感じられます。それは、真理は言語を超越してるとか、そういう外側からの説明の話ではありません。

認知バイアスが言語によってこそ起り、また言語によってのみ克服できるという内在した両面の動力、あるいは言葉こそがすべての現象を引き起こす統一場であることを、ブッダが正確に認識していたところから発するものなのです。

言葉はたんなる説明の道具ではなく、我々を取り巻く世界を、人間が認識できる宇宙を創り出す基本物質なのです。 

道徳感情論 (日経BPクラシックス)

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ブッダの真の悟りとはなんだったのか?
仏典には、ブッダがヴァッジ国に民主主義を教えてやったと書いてるそうです。

実際には、多民族が入り交じり交易が盛んだったヴァッジ国では、昔から民主主義は定着しており、ブッダがそこから学んだというのはインド学者の意見が一致しているところです。

ブッダ菩提樹の下で悟ったのは、激しい修行や瞑想なんかでは<悟り>を開くのは絶対無理で、ヴァッジ国のやり方である民主主義こそが<悟り>への唯一の道であると気づいたということしょう。

瞑想も、人間の頭で物事を一切考えなくすることで、認知バイアスを克服できるかもしれません。しかし、続けていると食事もできずに死んでしまいますし、瞑想をやめるとまた認知バイアスが戻ってきて意味がないのは、激しい修行とまったく同じなんですから。

その後のブッダの言動を見てみると、教団を作って常に議論して民主主義による認知バイアス克服をやりたかったために、仏教という誰にも到達できない難しい思想を方便として使ったのではないかとさえ思えます。

ともかく、民主主義国家であるアテネの哲学者たちも判っていなかったことを、人類史上最初に気づいたのですから、それ自体で充分すごい<悟り>ではあります。なにせ、当のヴァッジ国の人々でさえ、自分たちの強さの原理を理解できていなかったのです。

ヴァッジ国は強力であり戦争で滅ぼすことは無理だとブッダに教えられたマガダ国王は、巧みな計略を立てます。腹心の大臣をヴァッジ国に亡命させ、その地に不平等と不和をもたらしたのです。三年で不和は拡大して集会も開かれなくなる。この機会を待っていたマガダ国王は、ほとんど戦闘をすることもなく、やすやすとヴァッジ国を征服しました。

国に不平等をもたらす者は、敵国のスパイと見なして間違いありません。インド以外の歴史も、それを証明しています。民主主義を破壊して、認知バイアスの間違いで国が滅ぶからです。

誰も理解できなかった民主主義の不思議な力を、ブッダは最初に気づいただけではありません。それ以降の人類史でも、その真の秘密をにぎる者はひとりもおりませんでした。

前回取り上げたアダム・スミスエドマンド・バークは、常に自分が間違える可能性が高いことを自覚して、人の意見や正確な情報をできるだけ集めることにより、徐々に完成を目指すという、<公平な観察者>や<保守主義>という思想を生み出しました。

道徳感情>で増幅された認知バイアスによって幾何学的で美しい理想に囚われた<システムの人>が、フランス革命を引き起こして多くの人々を虐殺したような悲劇を防ぐため、<公平な観察者>や<保守主義>が必要だと考えたのです。これらはブッダの真実を見る<悟り>の方法に近いところがあります。

しかし、スミスやバークは、極めて分厚い本で曖昧な形で示しているに過ぎません。

民主主義によって因果を断ち切り認知バイアスを克服して<道徳感情>による間違いを避けるという、明解な方法論を短い言葉で云い表わしたブッダほどの理解には至っていなかったのです。

現代でも、民主主義は大切だと云う人は多いですが、それが認知バイアス克服の唯一の手段であるからだと、正しく理解している者は世界中見渡しても果たして存在するでしょうか。宇宙の根本原理のほうから頭を下げて頼みに来るくらい凄いこと、あるいは宇宙の根本原理に通ずる道だと判ってる人は、まずおりません。

うっかりこの文章を読んだあなたは、ブッダ以来2500年間、誰も手にできなかった世界と人間の真の秘密をその手ににぎってしまったわけです。

もっとも、今回の抽象的な話だけでは、まだ懐疑的な諸氏もおられることでしょう。

次回は、歴史などを振り返りつつ、民主主義が<道徳感情>による認知バイアスを克服する唯一の手段であるとはどういうことなのか、さらに掘り下げて考察することになります。

その認知バイアス克服の原理が判れば、野党のたったひとつの仕事は政府案に何が何でも絶対反対することだけで、野党が政府に賛成したり、対案なんぞを出したりすれば国家の破滅にもつながることが理解できるようになるでしょう。

道徳感情>で激動の世界を読み解くシリーズの一覧ページはこちら
http://gendai.ismedia.jp/list/author/kangaeruro 

道徳感情はなぜ人を誤らせるのか ~冤罪、虐殺、正しい心

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