日蓮正宗のススメ

法華講員のブログ

【仏になるみちは善知識にはすぎず】真の善知識とは  ”慈本寺 御住職の法話”

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麻です。まっすぐですね~。

 【麻畝(まほ)の性(しょう)】       
 日蓮大聖人の『立正安国論』に
「汝蘭室(らんしつ)の友に交わりて麻畝の性となる」(御書402頁)
と、有名なお言葉があります。
 植物の蓬(よもぎ)は本来曲がって育つ性質ですが、麻畑の中に育つ蓬は麻に支えられてまっすぐ伸びるようになります。 
 これは善良な人に交われば悪もその感化を受けて自然と正されるという譬えです。 また日本では一般に「朱に交われば赤くなる」と言い、人は環境や交際する仲間によって悪にも善にも成る事を例えています。 私達の生活の中でも、悪人や不良と付き合えば、悪影響を受ける事は当然のことで、一様に理解できる事です。 
 ところが信仰に関してはどうでしょうか。今日の世間一般の人達は、信仰の善悪の基準自体が分からないために、無益の信仰、因果を無視した信仰や、教義の無い信仰、また古くから伝わるだけの信仰、個人崇拝の信仰など、いい加減な信仰をしてむしろ罪障を積んでいる人が多いのです。 
 悪人と付き合って自ら悪人になり、罪を犯せばこの世で罰を受けるだけですが、誤った信仰をすれば、現世と来世にわたって地獄に堕ち、成仏することができないのであり、これほどの不幸な恐ろしい事はありません。 
 そのように多くの人々を誤った信仰に導く人を「悪知識」といい、逆に正しい仏法・成仏の道へと導いてくれる人を「善知識」というのです。(この「知識」とは、広く知られているという意味を含む友人・知人の意で、一般にいう物事の認識や熟知の意ではありません。)
 また、大聖人様は『衆生心身御書』にて
 「仏の御心はよき心なるゆえに、たといしらざる人も此の経をよみたてまつれば利益はかりなし。麻の中のよもぎ・つつのなかのくちなわ・よき人にむつぶもの、なにとなけれども心もふるまひも言もなをしくなるなり。」   (御書1212頁)
と仰せです。

 【仏になる道は善知識にはすぎず】 
 日蓮大聖人は『三三蔵祈雨事』に、
 『大風が吹いた時に根の弱い木は倒れるが、支えがしっかりしていれば、大風でも倒れない。また人間も同様に助けてくれる者が強ければ倒れず、真面目な人間でも一人だと悪に負けてしまう(趣意)』 (御書873頁)
と、善知識のことを、木の支えであり、人の助けであると分かりやすく教えられています。 
 人間としての真実の幸福境涯である成仏。それは楽をして得られる境涯でもなく、ただ黙って待っていればそのうちに順番がくるようなものでもありません。 
 南無とは帰命という意味で、帰命とは「命を懸(か )ける」という事です。成仏するにはまさに、この命を懸けるほどの決意と行動がなければならないのです。
 しかし、私達凡夫はどうしても心が弱く、意思が弱く、あるいは世間体を気にしたり、反対を恐れたりで、命を懸けるほどの信心がなかなか出来ないのが現状です。 
 そのような貪・瞋・癡の三毒強盛の私達を成仏へ導いてくださる方こそが善知識であり、日蓮大聖人は『同書』に『仏になるみちは善知識にはすぎず』(御書873頁)
と仰せられています。
 【いろいろな善知識】 
 では、この善知識とは具体的に誰の事でありましょうか。御書を拝するとおよそ四つに分けられます。まず一つは
 『守護国家論』に 
 「末代に於て真実の善知識有り。所謂法華・涅槃是なり。問うて云はく、人を以て善知識と為すは常の習ひなり。法を以て知識と為すの証有りや。答へて云はく、人を以
て知識と為すは常の習ひなり然(しか)りと雖(いえど)も末代に於ては真の知識無ければ法を以て知識と為すに多くの証有り」(御書149頁)
とあり、本来ならば、仏の正しい教えを伝え行ずる人を善知識というのであるが、末法には邪法・邪師がはびこって正師が住せず、法華経こそが善知識であると仰せられています。  
 つまり末法法華経である南無妙法蓮華経の題目が善知識となるのです。
 さらにその南無妙法蓮華経を御所持の御方、すなわち一切衆生を成仏に導かれる日蓮大聖人様こそが根本の善知識といえます。
 さらには、日蓮大聖人より法を御相承され、時代に応じて私達を善の道に導かれる御法主上人であります。
 次に『御講聞書』に
「善知識と申すは日蓮等の類の事なり。総じて知識に於て重々之有り。外護の知識、同行の知識、実相の知識是なり。所謂実相の知識とは南無妙法蓮華経是なり」
(御書1873頁)
と明示されています。 
 つまり二番目は同行の善知識、三番目は外護の善知識です。 
 同行とは同じ目標に向かって共に修行する者の意で、僧侶・指導教師のことです。
また外護とは内護に対する言葉で、在家の人が僧侶などに衣服や食物を供養して援護する意で御信徒・法華講のことです。 
 日蓮正宗の僧俗は御法主上人の御指南の下、共に広宣流布という崇高で大きな目標に向かって進んでおり、その中にも筋目をただして僧侶は信徒を導き、信徒間においてもお互いに励ましあって前進しています。 そして、皆さんそれぞれが、あの時の法話が、あの時の体験談が、あの時の指導が、あの時の励ましが救いになったという経験をお持ちだと思います。まさにそれが、仏の道に導いてくれる善知識なのです。 
 僧俗、講員同志、お互いが成仏に導いてくれる善知識なのだと心得て、それぞれの立場を理解し、信心する者同士として尊敬しあっていく事が最も大切です。

 【悪人こそ善知識】 
 次に四番目の善知識は、これこそ日蓮大聖人の御本仏としての、一切衆生を救うとの大慈悲の御境涯であります。 
 すなわち『種々御振舞御書』に
 「相模守殿こそ善知識よ。平左衛門こそ提婆達多よ(中略)釈迦如来の御ためには提婆達多こそ第一の善知識なれ。今の世間を見るに、人をよくなすものはかたうどよりも強敵が人をよくなしけるなり」 (新編御書1063頁)
と仰せられています。
 日蓮大聖人様の御生涯は法難の連続でしたが、そのほとんどが権力者・相模守殿(北条時宗)と平左衛門の理不尽な弾圧によるものでした。  
 しかし、その二人の大悪人に対してむしろ善知識と仰せられているのであり、一般の人にはとても理解出来ない御心境であります。 
 しかし大聖人様は法華経等の経文に照らして、平左衛門等は第六天の魔王にみいられた権力者であり、その者達が大聖人を迫害するのは、まさに大聖人が真実の仏であるという証明である。そして彼等によってこそ大聖人の本地が顕現されるということであり、実は最大の敵対者こそが、最大の証明者であるとの御本仏独特の一大確信のもと、善知識と見なされているのです。 
 また『上野殿御返事』には
 「日蓮仏果をえむに争でかせうばう(少輔房)が恩をすつべきや。何に況んや法華経の御恩の杖をや。かくの如く思ひつづけ候へば感涙をさへがたし」(新編御書1360頁)  と仰せられ、竜口法難の際に、草庵を襲撃し、大聖人様を法華経第五の巻でさんざん打ちつ付けた少輔房(しょうぼう)に対して、大恩人扱いをし、感涙抑えがたしとまで言われているのです。 
 それは、御本仏としての大慈悲の御心であると同時に、悪知識から難を受けることによって正法を修行する者が、過去世の謗法の罪障を消滅し、成仏できることを私達に教え下さっているのであります。 
 翻(ひるがえ)って、私達はどうでしょうか。    順縁・逆縁の両方を救うというのが法華経の精神であり、私達の信心、折伏であります。 
折伏に反発され、逆に悪口を言われるような逆縁の時、相手に対して憎しみや怒りを持つことはないでしょうか? 
 あるいは普段の生活のなかで、自らが間違っていても他人から注意指摘を受けると不愉快になってしまいがちですが、指摘された内容が正しいものであっても感情の面では反発したり、逆恨みしたりすることはないでしょうか? 
 なかには、講員同士においても、また信心の上でも自分の意に染まらない指導などに拒否感を持ったりしていないでしょうか?
 このようなことがないようにする為にも、日々の勤行を中心に絶えず御本尊様の御利益によって心を洗い、素直な信心、前向きの気持ちを持っていく事が大切です。
第31世日因上人が金沢法難の最中、臨終一結講に宛てられた御指南に、
 「一結講中異体同心、未来迄(まで)も相離れ申す
間敷(まじく)候。中に於て一人地獄に落ち入り候はば、講中寄り合い候て救い取べし。一人成仏せば講中を手引きして霊山え引導すべし。」
とあるように、真の異体同心とは、来世・成仏した先へも続くものであり、一人もそこから外れることのなきよう、互いに励まし合いながら進んで行くのです。

【現在の悪知識】 
 最後に悪知識について少し触れますと、大聖人様は『守護国家論』に
 「悪知識は無量の善身、無量の善心を壊る」(御書148頁)
と、身も心も両方を壊る恐ろしい者であると仰せられ、さらに『最蓮房御返事』に
 「悪人に親近すれば、自然に十度に二度三度其の教えに随ひ以て行くほどに、悪人になるなり」(新編御書586頁) と、親近すれば感化されて、次第に悪の道に入ってしまうと注意されています。そしてその姿について『法華初心成仏抄』に
 「人に吉と思はれ、人の心に随(したが)いて貴(たっと)しと思はれん僧をば法華経のかたき世間の悪知識なりと思うべし」(新編御書1319頁)と、仰せられています。
これは『勧持品』の三類の強敵と共に述べられているところで、まさに現代の「有髪(ゆうはつ)の僧」であり、その元締めである池田大作のことであり、人に良く思われようと勲章あさりをする姿そのものであります。   
 創価学会の人々は池田大作
 「怒りを忘れないのが正義の心である。日蓮大聖人もそうであられた。日興上人もそうであられた」
 (1993/11/9・聖教新聞) などという、大ウソのでたらめな指導(大聖人様は『開目抄』などにはっきりと「怒るは地獄」と仰せられている)を鵜呑みにして、ひたすら地獄への道を進んでいるのです。 
 そして、まさに悪知識となって法華講の信心、修行を妨害しようと必死です。
 59世日亨上人は、かつて「謗法」について次のとおり御指南くださっています。
「宗門で謗法と云ふのは、(中略)知らず知らず非宗教に成ったり非仏教に成ったり、他宗門に信を寄せようと思ふたり寄せたり、後には其為(そのため)に明(あきらか)に反対の態度を取りて宗門の人法を批難攻撃する事になる、此(これ)を度々訓誡(くんかい)せられても、頑(がん)として改心せぬのが、即ち大謗法である、此様(このよう)な人は残念ながら宗門から離れて貰(もら)はにゃ成らぬ。其(それ)は宗門では学問と修行との上位に、信心が置かれてあるから、信仰が無くなったり反対であったりする者は、小乗戒の婬盗殺妄(いんとうせつもう)の四重罪と等しく、世法の頸(くび)を斬(き )る罪に当る、生存の価値が無い計(ばか)りでない、生存して居れば他の多くの人を損(そこな)ふ恐れが有るからである、其で無信反信の謗法者は厳重の誡として宗門から放逐(ほうちく)せにゃならぬ」 (日蓮正宗綱要167頁)
この御指南からすれば、創価学会顕正会や正信会が反対の態度を取って破門になるのは当然であり、しかも「生存の価値がない」「他の多くの人を損なう恐れがある」人間に成り下がっているのです。
 これら哀れな人々を救える者は、まさに我々日蓮正宗の僧俗しかいません。
 私達は今こそ、大聖人様の「悪知識こそ善知識なり」との御心を我が心と拝し、罪障消滅の絶好の機会ととらえて、折伏にまい進してまいりましょう。
 本日から励んでいって頂きたいと思います。

 

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