日蓮正宗のススメ

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法に依って人に依らざれ(依法不依人)

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人への依存も依存症の一種です

 「法に依って人に依らざれ」という「依法不依人」は、釈尊が説かれた涅槃経の文です。日蓮大聖人は『開目抄』に、
 「最後の御遺言に云はく『法に依って人に依らざれ』等云云。不依人等とは、初依・二依・三依・第四依。普賢(ふげん)・文殊もんじゅ)等の等覚(とうがく)の菩薩、法門を説き給ふとも経を手ににぎらざらんをば用(もち)ゆべからず」(御書558)
と説かれ、更に『三世諸仏総勘文教相廃立』に、
 「涅槃(ねはん)経に云はく『法に依って人に依らざれ』云云。痛ましいかな悲しいかな、末代の学者仏法を習学して還(かえ)って仏法を滅す」(御書1420)
と仰せであり『頼基陳状』に、
 「誰人か時の代にあをがるヽ人師等をば疑ひ候べき。但し涅槃経に仏最後の御遺言として『法に依って人に依らざれ』と見えて候。人師にあやま(誤)りあらば経に依れと仏は説かれて候。御辺はよもあやま(誤)りましまさじと申され候」(御書1128)
と「依法不依人」について御教示であります。仏法を信じ修行していくには、正しい法に依って、法を無視した人の言葉に依ってはいけないということです。
 日蓮正宗以外は、法の道理を無視し、人師が自分勝手に解釈した教義をもとに成り立っています。釈尊が説かれた経文から逸脱しているのが現実です。折伏では、この経文を依り所とせず、経文と矛盾するところを徹底的に責めることが必要です。不幸の根源は経文から逸脱するところにあります。
 日蓮大聖人は、御在世当時に様々な仏教が氾濫していたことに疑問を持たれ、仏教の原点に戻り、釈尊が説き残された経典である法を頼りに、真実の仏法を求められたのであります。日蓮大聖人はどこまでも御自身の見解ではなく、経文を優先され教えを説かれました。それが「御書」であります。つまり釈尊の純粋な教えに準じています。それが日蓮正宗です。
 世の中の仏教各派は、仏教と称しながら釈尊の真意から外れ、正しい師に付かず独学で仏法を学び、その上で宗旨を立てています。世間の多くの人は、仏法に対し、判釈する正しい知識と物差しがありませんので、疑うことなく素直に有り難がり、御先祖様が崇めてきた宗教を尊び敬っているのが現実です。
 代々御先祖様が敬ってきた仏教の根源を今一度、真剣に考えられ「依法不依人」という仏法の法則に従って、御自分の宗旨を考え直されることを念願いたします。寺請制度によって信仰している部分がその背景にあります。
 仏法という法に依らず、人師である僧侶が我見で立てた仏教では成仏できません。法を無視し我意我見による仏教及び宗教が蔓延するために、平和な世の中にならないのであります。法を無視している何よりの証拠です。
 正しい法に基づく「依法不依人」という教えを説いているのが、日蓮正宗の寺院であります。正しい仏法を実践すれば必ず幸福になります。その正しい法が御本尊様として顕さられ、御題目の南無妙法蓮華経であります。 

法に依って人に依らざれ(依法不依人) - 正林寺法華講員手引書

 

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