日蓮正宗のススメ

凡そ謗法とは謗仏謗僧なり。三宝一体なる故なり。

創価脳青年への回答というか。。。メール処理?

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創価脳青年に受診してほしい病院ですね

創価脳青年からメールが。。。

とりあえず処理しておきました。

もう、対話にも何もならないです。

>「 あなたも、創価学会の言うことを信じているのでしょう?それと同じだということが分かりませんか?」
同じではありません。勘違いをされているようですが、我々創価学会員にとって唯一絶対に誤りのない存在は主師親の三徳を備えた御本仏日蓮大聖人ただお一人であって、池田先生・戸田先生といえども御書の内容に反することを言われたならば 「師なりとも誤ある者をば捨つべし」曾谷殿御返事1055 との御文に従いその誤りを弾劾するなり組織を離れるなりしなければなりません。「法主の言うことは絶対に正しい」と主張する宗門とは違います。
 
自分勝手な信心ですね
 
>「根拠ばかりもとめて客観性の罠に陥ると、最終的に不可知論者になってしまいますよ」
「若し証拠なくんば誰人か信ずべきや、かかる僻事をのみ構へ申す間邪教とは申すなり」祈祷抄1355
「仏法の邪正をただす事・皆経文をさきとせり」星名五郎太郎殿御返事1207
このように日蓮大聖人は証拠を重視しておられます。そのような発言は日蓮大聖人のご精神に背くのではありませんか。
 
また、切り文ですね。
 
>「戸田先生は、日蓮正宗の僧侶にダマされたまま死んだ間抜けですか?そんな人が、創価学会の永遠の師匠でしょうか?」
確かに戸田先生は宗門の誤った主張をそのまま用いてしまったこともあったようですが、創価学会を発展させ多くの人々を救った功績は甚大であると思います。
 
創価学会は退転しましたよ。戸田さんの悪臨終の相が前兆だったんじゃないですか?
 
>「多くの日蓮系宗派の中で、創価学会を正しいとする根拠は何ですか?相伝を否定してるんですよね?1930年11月18日まで、誰も成仏できなかったのかな?」
創価学会日蓮大聖人の仰せの通りの信仰を実践しているからです。創価学会が設立される以前であっても、日蓮大聖人の仰せの通りに信仰を貫いた人は当然成仏できるはずです。
 
はずですって・・・適当な仏様ですね。
 
>「御書には日蓮正宗相伝を否定する文証はない。」
あります。日蓮大聖人はこの様に仰せになっています。
 「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は日蓮に違わずして宣説す可きなり」御義口伝巻上744
 「日蓮が弟子と云って法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ」四菩薩造立抄989
 「設い天台の釈なりとも釈尊の金言に背き法華経に背かば全く之を用ゆ可からざるなり、依法不依人の故に」立正観抄528
 「仏の遺言に依法不依人と説かせ給いて候へば経の如くに説かざるをば何にいみじき人なりとも御信用あるべからず」唱法華題目抄9
 「唯人師の釈ばかりを憑(たの)みて仏説に依らずば何ぞ仏法という名を付くべきや。言語道断の次第なり」持妙法華問答抄462
 「仏法を修行せんには人の言を用う可らず只仰いで仏の金言をまほるべきなり」如説修行抄502
 「設い仏菩薩為りと雖も法華涅槃に依らざる仏菩薩は善知識に非ず況や法華涅槃に依らざる論師・訳者・人師に於てをや」守護国家論67
 「論師人師の料簡を閣いて専ら経文による」善無畏三蔵抄881
 「仏法は強ちに人の貴賎には依るべからず只経文を先きとすべし」聖愚問答抄481
 「此の経の信心と申すは少しも私なく経文の如くに人の言を用ひず法華一部に背く事無ければ仏に成り候ぞ」新池御書1443
 「今の人他の所引の経論を信じて謂いて憑み有りと為して宗の源を尋ねず謬誤何ぞ甚しき」真言見聞148
これらの御文を拝すれば、御本仏日蓮大聖人以外の誰人の言葉も信じてはいけないということが明白にわかります。
 
全く明白になっていません。切り文です。

また、日興上人はこの様に仰せになっています。
 「富士の立義聊も先師の御弘通に違せざる事」日興遺誡置文1617 
 「案立若し先師に違わば一身の短慮尤も恐れ有り」五人所破抄1616 
僧宝日興上人といえども日蓮大聖人が仰せになっていない法門を立ててはいけないということです。
 「当門流に於ては御書を心肝に染め極理を師伝して」日興遺誡置文1618
 「時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事」日興遺誡置文1618
日蓮大聖人の御書を根本にするべきであって、法主であろうとも御書に背いたならば用いてはならないと仰せになっていますね。
 
学会が主張する御書根本なんて、日興上人様は一言も仰っておりませんが。

以上のように、日蓮大聖人はただ法のみを信じるべきことを強調され、日興上人も法主が誤りを犯すことを想定しておられました。従って宗門の「法主は絶対に正しい、法主に信伏随従しなければならない」という主張は誤っているということ、主張の正当性を証明するに際してはただ日蓮大聖人の御書のみを用いるべきであり、法主や他の人師の言葉を用いてはいけないということがわかりますがいかがですか。
 
そのようなことは一言も仰っていません。
 
守護国家論は、法然の選択集破折の書。切り文不可。
経典に後加文を加えたり前後を入れ替えたりする者が魔の伴侶であるという仏法の真理は全ての宗に当てはめることができるはずです。
「当世日本国の真言等の七宗並に浄土・禅宗等の諸学者等、弘法・慈覚・智証等の法華経最第一の醍醐に法華第二・第三等の私の水を入れたるを知らず仏説の如くならば・いかでか一切倶失の大科を脱れん、大日経法華経より劣る事七重なり而るを弘法等・顚倒して大日経最第一と定めて日本国に弘通せるは法華経一分の乳に大日経七分の水を入れたるなり水にも非ず乳にも非ず大日経にも非ず法華経にも非ず而も法華経に似て大日経に似たり大覚世尊此の事を涅槃経に記して云く「我が滅後に於て正法将に滅尽せんと欲す爾の時に多く悪を行ずる比丘有らん、乃至牧牛女の如く乳を売るに多利を貪らんと欲するを為ての故に二分の水を加う、乃至此の乳水多し、爾の時に是の経閻浮提に於て当に広く流布すべし、是の時に当に諸の悪比丘有て是の経を鈔略し分て多分と作し能く正法の色香美味を滅すべし、是の諸の悪人復是くの如き経典を読誦すと雖も如来の深密の要義を滅除せん、乃至前を鈔て後に著け後を鈔て前に著け前後を中に著け中を前後に著けん当に知るべし是くの如きの諸の悪比丘は是れ魔の伴侶なり」等云云。」諌暁八幡抄577
このように守護国家論で引用された涅槃経の文を用いて諌暁八幡抄では法然の選択集だけではなく「真言等の七宗並に浄土・禅宗等の諸学者等」を破折していますね。当然、宗門の後加文を破折するために用いても構いません。善無畏三蔵抄も同様です。
 
相伝猊下様御一人が所持される内証ですから、引用御書では破折にはなりません。
 
>あなたは創価の言葉を信じているんでしょ?
上にも述べたとおり、我々創価学会員にとって唯一絶対に誤りのない存在は主師親の三徳を備えた御本仏日蓮大聖人ただお一人であって、池田先生・戸田先生といえども御書の内容に反することを言われたならば 「師なりとも誤ある者をば捨つべし」曾谷殿御返事1055 との御文に従いその誤りを弾劾するなり組織を離れるなりしなければなりません。三代の会長や本部の言葉を全て信じているわけではありません。
 
貴殿がなぜ正しい判断ができると言い切れるのですか?
 
>用いられています。我見教学を指します。
具体例を示してください。
 
創価教学で検索してね。
 
>思います。。。計我ですね
計我とは「自分の独りよがりな考えで仏法を推し量り解釈すること」です。僕は「思います」という表現を用いましたが、きちんと文証を示したではありませんか。独りよがりな考えではありませんので計我ではありません。
 
それも計我です。
 
>いっぱいあります
過去に創価学会が日寛の主張を用いたこともあったようですが、現在は創価学会が自らの主張を正当化するために日寛の主張を用いることなどありえないはずです。
 
あったんですね。
 
創価学会は過去に許されないことをしていたことになりますね?破前だから無罪ですか?
確かに過去に創価学会が誤った主張をしたこともありました。しかし現在は誤りを認め訂正しています。宗門も誤りを誤りと認めるべきではありませんか。
 
やっぱり誤ってたんですね。解散してください。
 
まだご回答を頂いていない質問を再掲します
二箇相承において日蓮大聖人が法を付属した対象は日興上人ただお一人であるので、それによって「代々の法主への信仰」という結論を導くことはできませんがいかがですか。
御本尊七箇之相承について
御本尊七箇之相承の第七条に「日蓮と御判を置き給ふ事如何、師の曰はく首題も釈迦多宝も上行無辺行等も普賢文殊等も舎利弗迦葉等も梵釈四天日月等も鬼子母神十羅刹女等も天照八幡等も悉く日蓮なりと申す心なり、之に付いて受持法華本門の四部の衆を悉聖人の化身と思ふ可きか」とありますね。つまり「一切衆生日蓮である」という意味です。それなのになぜ「日蓮在御判と嫡々代々と書くべしとの給ふ事如何、師の曰く深秘なり代々の聖人悉く日蓮なりと申す意なり」という後加文のみを取り上げて法主一人が特別であるかのように偽装するのですか。
ポリ銀さんは前のメールで「戒壇の大御本尊を信受しないのであれば実体のない法を根本にすることになる」と批判されましたが、まさにおっしゃる通りで、法とは実体のないものだと思います。法とは本来永遠不滅の存在であるはずですが、弘安2年10月12日の御本尊のような実体として存在しなければならないのだとすると、日蓮大聖人が700年前に誕生するまでは法が存在しないことになってしまうではありませんか。矛盾すると思いますがいかがですか。
平成3年7月31日能化文書「唯授一人の血脈の当処は、戒壇の大御本尊と不二の尊体にましますからであります。」について
ポリ銀さんは宗門の主張をそのまま引用されたようですが、ポリ銀さんご自身はこのことについてどう思われるのですか。宗門は代々の法主の内証が日蓮大聖人の内証と等しいと主張していますね。つまり代々の法主の内証は久遠元初の自受用身すなわち御本仏であると主張しているわけです。これほどの大増上慢、大謗法をなぜ見抜くことができないのですか。
戒壇の大御本尊と唯授一人の血脈相承を信仰の根本とする」という主張は「無二に信ずる故によって此の御本尊の宝塔の中へ入るべきなり」日女御前御返事1244 「唯御書の意に任せて妙法蓮華経の五字を以て本尊と為す可し」富士一跡門徒存知の事1606 との御文に違背していますね。このことをどう思われますか。
 
ブログにて回答済みです。
 
On 2019/05/10 0:44, ポリ銀 wrote:

  

妄想の対処法―認識プロセスを観察し、妄想ループを絶ち切る: 『マドゥピンディカ・スッタ(蜜丸経)』

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