法華講員との対話:自分に与えられたと感じられる御書に出会おう!
あなたにとって、かけがえのない一編が必ず存在します。
1 崇峻天皇御書の衝撃
中学の時に学会版の御書を買ってもらった。
御書を読まない父親が、私には御書を学んで欲しいと願い、近所の学会の会館で買ってきてくれたのだ。
それから33年。
御書を読みたい一心で努力してきた。
読めるようになったといえば慢心だし、読まないといえば懈怠か。
四百余編といわれる大聖人様の御書の中で、自分自身に与えてくださったんじゃないかと、思えないような御書が存在する。
それが、崇峻天皇御書である。
消息文を中心に勉強し始めた中学の頃以来の一編だ。
君は人に殺され給うべき相ましますと、王の御気色かはらせ給いて・なにと云う証拠を以て此の事を信ずべき、太子申させ給はく御眼に赤き筋とをりて候人にあだまるる相なり(崇峻天皇御書)
ここの一文に出くわした時、雷に打たれたような衝撃が・・・
俺の目も同じだ。。。
思春期だったこともあって、目の中に見える太く赤い筋が気になっていた。
五常と申すつはものあり此れを身に離し給わずば害を脱れ給はん、此のつはものをば内典には忍波羅蜜と申して六波羅蜜の其の一なりと云云、且くは此れを持ち給いてをはせしが・ややもすれば腹あしき王にて是を破らせ給いき、或時人・猪の子をまいらせたりしかば・こうがいをぬきて猪の子の眼をづぶづぶと・ささせ給いていつか・にくしと思うやつをかくせんと仰せありしかば(崇峻天皇御書)
腹あしき(短気な言動癖)は、四条金吾の性格の一大特徴でもあるのだが、崇峻天皇ならびにMeToo(ミートゥー)だった。
2 御眼に赤き筋の正体は宿業
30代半ばの時だったか、検診で目の検査をしてもらった際、再びこの御書のことを思い出すできごとがあった。
医師が私の眼球を撮影した写真を見ながら、「すごい血管ね。ものすごく太い」と言ったのだ。私自身も自分の眼球の写真を見た。「おおおっ!」一目でわかる太い血管、節くれ立って存在感をアピールしていた。
医師の説明では、異常はないとのこと。母親の胎内で眼球が形成される時に、何らかの要因で太い血管になっただけ。。。だとか。。。それって。。。宿業だよね?
3 現在も健在だが冥伏(みょうぶく)してしまった如是相の不思議
最近も検診で眼球を撮影してもらった。
眼球写真には相も変わらず、太い血管が健在しているのだが、普通に自分の顔を鏡で見ても見当たらない。
白目は白い部分だけなのだ。
いつのころからか見えなくなってしまった。
如是相とは「是(かく)の如きの相」と読む。姿・振る舞いのこと。
十如是の第一。
本末究竟等だから、果報も如是相に比例する。
そういえば、短気じゃなくなった。
自分で言うのは恥ずかしいけど。
切れキャラの汚名は返上して久しい。
孔子と申せし賢人は九思一言とてここのたびおもひて一度申す、周公旦と申せし人は沐する時は三度握り食する時は三度はき給いき(崇峻天皇御書)
を意識的に実践できたわけではない。
末法の凡夫なんて、みんな「論語読みの論語知らず」 ですから。
4 日蓮正宗の信仰で変わるほかに方法はない
これが今日の結論。
宿業を消すには御本尊様に祈るほかに方法はない。
もっと言えば大石寺へ参詣して、戒壇の大御本尊様にお目通りを成就し、御法主上人猊下様に罪障消滅を御祈念していただくのが一番だ。
御書根本・大聖人直結の創価脳3世との対話で学んだことだけど、いくら御書を研鑽しても邪宗頭のままでは、身に沁みないし十如に影響もないままだ。
法華講員の皆様には、信行学の成就を祈りたい。
御本尊様に御書研鑽の御祈念をしながら、自分に与えられているであろう一編に出会えるまで、一心に読み続ける努力をしていっていただきたい。
一心欲見仏 不自惜身命の気持ちで。