日蓮正宗のススメ

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創価学会員さんとの対話:能化文書が呈示されましたのでお答えしました。

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訂正があります

前回に引き続き、真摯さんとの対話を掲載させていただく前に、訂正とお詫びをば。

創価Web版御書全集から、一代聖教大意が削除されていたとの私の記事について、真摯さんから抗議がございました。言われたとおりに検索してみますと。。。

一代聖教大意
 
398ページ

※この御書は図表を含んでいるため表示できません

この御書の最初のページ前のページ
 
タイトル 聖寿 対告衆 述作地
一代聖教大意 37   鎌倉

 

この御書は図表を含んでいるため表示できませんとのことです。失礼いたしました。削除したわけではなかったのですね。

それでは、対話の続きを。

まずは真摯さんからの返信。

僕は20代の創価3世です。子供の時から学会の会合には参加していましたが、真面目に活動をし始めたのは最近のことです。

ブログを拝見しました。本因妙抄の後加文に対する僕の解釈を「又此の血脈並に本尊の大事は日蓮嫡嫡座主伝法の書・塔中相承の禀承唯授一人の血脈なり」の箇所を読み飛ばしていると評価されていますが、僕は該当箇所を読み飛ばしてなどいません。
まさに「又此の血脈並に本尊の大事は日蓮嫡嫡座主伝法の書・塔中相承の禀承唯授一人の血脈なり」の箇所を「産湯相承事・御本尊七箇相承の両書は唯授一人の血脈相承として代々の法主に伝えるべき書である」と解釈したのですが、ご理解いただけなかったのは残念です。
ポリ銀さんは「本尊の大事」を「戒壇の本尊」と解釈しているようですが、その直前に御本尊七箇相承のことが述べられていることを考えると「御本尊に関する大切なことを記した御本尊七箇相承」と解釈するのが妥当と思います。

もっとも、後加文など絶対に用いてはならないことは前に挙げた御書から明白ですので、この後加文をどう解釈するべきか議論しても無意味でしょう。
ポリ銀さんはどうしても本因妙抄の後加文を以て法主の絶対性を正当化したいのですか。
たしかに、どの御書が後世の偽作であるか判定するのは難しいことですが、少なくとも本因妙抄の該当箇所は後加文であるとわかっているのですからこれを用いることは絶対あってはいけないと思います。
後加文であると知っていながら後加文に執着するのは日蓮大聖人の依法不依人のご精神を踏みにじり、日蓮大聖人の弟子としての立場を放棄する行為であると思いますがいかがですか。
「此の経は相伝に有らざれば知り難し」一大聖教大意398 はWeb版で削除などされていません。
御書全文検索のページの下の方にある「ページ検索」に「398」と入力して検索してみてください。「この御書は図表を含んでいるため表示できません」とでてきますね。削除したのではありません。
創価学会日蓮大聖人の御書を削除することなど絶対にありえないと思います。戦時中に御書の一部を削除するという大謗法を犯した宗門とは違います。前にも示したようにこの御文は法主の絶対性を示した御文ではないのは明らかと思います。
さて引き続き①「必ず戒壇の大御本尊と唯授一人の血脈相承を信仰の根本としなければならない」という主張についてお伺いします。

まずは宗門の主張を再確認します。
平成3年7月31日能化文書 「本宗の根本は、戒壇の大御本尊と唯授一人血脈付法の御法主上人であります。具体的には、御法主上人の御指南に随従し、御本尊受持の信行に励むことが肝要です。なぜならば、唯授一人の血脈の当処は、戒壇の大御本尊と不二の尊体にましますからであります。したがって、この根本の二つに対する信心は、絶対でなければなりません。」平成3年10月16日の機関紙大白法に掲載 つまり法主は御本尊、日蓮大聖人と一体不二であると言っているわけです。
平成3年創価学会解散勧告 「本宗の僧俗は、必ず戒壇の大御本尊と唯授一人の血脈相承を、信仰の根本としなければなりません。」
機関紙大日蓮1991年6月号では法華講幹部に日顕のことを「現代における大聖人様」と呼ばせています
1997年8月教師講習会 日顕「どんな僧侶でも相承を受けた以上は生身の釈迦日蓮であり誹謗すると地獄に堕ちる」

要するに法主日蓮大聖人と同等の帰命する対象であり絶対正しいのだから法主の言うことに何でも従わなければならないと言っているわけです。
僕はこのことが不思議で仕方がありません。言うまでもなく、我々が帰命するべき対象は南無妙法蓮華経の御本尊しかありえません。その御本尊に法主を加えるという大謗法をなぜ法華講員には理解できないのでしょうか。
 
当然御書にそのようなことは書かれていません。日蓮大聖人は「無二に信ずる故によって此の御本尊の宝塔の中へ入るべきなり」日女御前御返事1244 と仰せのように御本尊への無二の信仰を強調されています。
日興上人も「唯御書の意に任せて妙法蓮華経の五字を以て本尊と為す可し」富士一跡門徒存知の事1606 と仰せになっています。御書のどこにも唯授一人の血脈相承を信仰の根本としなければならないとは書いてありません。
仏道修行にあっては、あくまでも仏の説いた「法」を根本とし、人師・論師に左右されてはいけません。
日蓮大聖人は「設い天台の釈なりとも釈尊の金言に背き法華経に背かば全く之を用ゆ可からざるなり、依法不依人の故に」立正観抄528 「仏の遺言に依法不依人と説かせ給いて候へば経の如くに説かざるをば何にいみじき人なりとも御信用あるべからず」唱法華題目抄9 と仰せになっています。経論にない邪説を説いたならば、どんなに立派に見える人物だとしても信用してはならないということです。
また日興上人も「時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事」日興遺誡置文1618 「先師の如く予が化儀も聖僧為る可し、但し時の貫首或は習学の仁に於ては設い一旦の媱犯有りと雖も衆徒に差置く可き事」日興遺誡置文1619 と仰せになっています。法主が間違いを犯したならば一般信徒に降格させるべきであるとの仰せです。
御書に照らして、宗門の「必ず戒壇の大御本尊と唯授一人の血脈相承を信仰の根本としなければならない」という主張は謗法であると言えると思います。

このことについてどのようにお考えになりますか。

能化文書が出てまいりました。

よくあるパターンと言えばよくあることですが。

でも、20代の創価3世さんとのことで、年寄りの私としては時の流れを感じてしまいます。

それで、以下が私の返信です。

法華講の方で私の間違い等に気付かれた方は、コメント欄にご指摘ください。ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

ポリ銀です。

 いただいたご返信への、私からの回答になります。

 相伝については、本人妙抄の「又此の血脈並に本尊の大事は日蓮嫡嫡座主伝法の書・塔中相承の禀承唯授一人の血脈なり」に固執したわけではありません。
 「戒壇の大御本尊と唯授一人の血脈相承」について、私の思いつく限りの御文証を列記させていただきます。

 身延相承書 (総付嘱書)

 日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり、国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ、事の戒法と云うは是なり、就中我が門弟等此の状を守るべきなり。
 弘安五年壬午九月 日 日 蓮 在御判
 血脈の次第 日蓮日興

 池上相承書 (別付嘱書)

 釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す、身延山久遠寺別当たるべきなり、背く在家出家どもの輩は非法の衆たるべきなり。
 弘安五年壬午十月十三日 武州池上
 日 蓮 在御判
 
 
 御本尊七箇相承
 
 一、日蓮在御判と嫡々代々と書くべしとの給ふ事如何、師の曰く深秘なり代々の聖人悉く日蓮なりと申す意なり。

 百六箇抄
 
 釈迦諸仏出世の本懐・真実真実・唯為一大事の秘密なり、然る間・万年救護の為に之を記し留む。就中六人の遺弟を定むる表事は先先に沙汰するが如し云云、但し 直授結要付属は一人なり、白蓮阿闍梨日興を以て惣貫首と為して日蓮が正義悉く以て毛頭程も之れを残さず悉く付属せしめ畢んぬ、上首已下並に末弟等異論無く尽未来際に至るまで予が存日の如く日興嫡嫡付法の上人を以て惣貫首と仰ぐ可き者なり。
 又五人並に已下の諸僧等日本乃至一閻浮提の外・万国に之を流布せしむと雖も日興嫡嫡相承の曼荼羅を以て本堂の正本尊と為す可きなり所以は何ん在世滅後殊なりと雖も付属の儀式之同じ譬えば四大六万の直弟の本眷属有りと雖も上行薩埵を以て結要の大導師と定むるが如し、今以つて是くの如し六人以下数輩の弟子有りと雖も日興を以て結要付属の大将と定むる者なり。

 日興跡条条事

 一、日興が身に宛て給わるところの弘安二年の大御本尊は日目に之を相伝す、本門寺に懸け奉るべし

 聖人御難事

 仏は四十余年・天台大師は三十余年・伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う、其中の大難申す計りなし先先に申すがごとし、余は二十七年なり其の間の大難は各各かつしろしめせり。


平成3年7月31日能化文書 「本宗の根本は、戒壇の大御本尊と唯授一人血脈付法の御法主上人であります。具体的には、御法主上人の御指南に随従し、御本尊受持の信行に励むことが肝要です。なぜならば、唯授一人の血脈の当処は、戒壇の大御本尊と不二の尊体にましますからであります。したがって、この根本の二つに対する信心は、絶対でなければなりません。」について

創価学会は、この文書にある「血脈の当処」と「御法主上人」とを宗門がただちに、まったく同じものと主張しているかのように言い掛かりをつけています。しかし、この創価学会の言い掛かりは、内証と外用を、悪質な作意をもって混同させたことによるものです。
「唯授一人の血脈の当処」とは、宗祖日蓮大聖人から第二祖日興上人に唯授一人の血脈をもって相伝された仏法の一切がましますところであり、それは代々の御法主上人にそのまま伝えられています。この「血脈の当処」こそ、歴代法主上人が御本尊を御書写される御境界であり、御法主上人の御内証と拝すべきなのです。

もし法主の【内証】が違うのであれば、学会にある全ての本尊には大聖人の魂が存在しない、ということになります。【内証】が一体であるからこそ、時の法主が書写した本尊が別体の本尊として成立するのです。【内証】においては三宝一体でなければ大聖人様の仏法は成立しません。
それは、何も日顕上人様が言い出したことでなく、日蓮正宗、ひいては日興上人様門下の教義であります。

かつて第六十六世日達上人は、
「大聖人様が広宣流布の時の大導師日目上人様として、第三代を継いで現われたのが猊座であります。(中略)そこが大聖人様のお席である。だから大聖人様は、あの席に常に生れ替っている」(達全2-3-320頁) と御法主上人の御内証について御指南あそばされる一方で、「法主が大聖人様の代わりだと、即座にこういうことを言うと、外から非難されますから、よくその点に注意していただきたい」(達全2-5-451頁) と、法主上人の外用についての御教示をされています。

第六十七世日顕上人も、「たしかに本宗信徒の立場からは、歴代法主の内証を大聖人様と拝することが、信仰上、大切でありますが、そこには三宝における内証と外用等の甚深の立て分け、筋道があるのです。(中略)しかし、それと学会が論難する『法主即大聖人』や『法主本仏』などとは、筋道も意義も異なるのであり、そのようなことは全く宗門には存在しておりません」(仏法破壊の邪難を粉砕す・245頁) と、三宝における内証と外用の立て分けについて御指南されています。

これらのことからも、貴殿の質問は、創価学会に影響されたものというべきです。

また、貴殿の引用された、

平成3年創価学会解散勧告 「本宗の僧俗は、必ず戒壇の大御本尊と唯授一人の血脈相承を、信仰の根本としなければなりません。」
機関紙大日蓮1991年6月号では法華講幹部に日顕のことを「現代における大聖人様」と呼ばせています
1997年8月教師講習会 日顕「どんな僧侶でも相承を受けた以上は生身の釈迦日蓮であり誹謗すると地獄に堕ちる」

も、信徒の立場から御法主上人猊下様を如何様に拝すべきかについて、御指南下されたものであると拝察しております。

御本尊七箇相承
 
 一、日蓮在御判と嫡々代々と書くべしとの給ふ事如何、師の曰く深秘なり代々の聖人悉く日蓮なりと申す意なり。

よくよく拝するべきでしょう。

謗法とは、御書に様々書いてありますが基本的には

◆凡そ謗法とは謗仏謗僧なり三宝一体なる故なり(真言諸宗違目)

とあるように三宝を謗ることをいいます。
大聖人様の仏法における三宝一体の「体」とは、いうまでもなく法体たる大御本尊です。
それを信受しないということが謗法なのです。
宗門がいつ大御本尊を信受しないと言ったのでしょうか?
私の記憶が正しければ、そう言っているのは創価の方であります。

また、謗法とは

◆正法を人に捨てさせるが謗法にてあるなり(顕謗法抄)

とあるように正法(大御本尊)を人に捨てさせるのが謗法ともいわれていおります。
これまた、私の記憶では大御本尊を信徒にすてさせたのは創価の方ではないでしょうか?

そもそも、日顕宗なんて創価学会は言っておりますが、正宗には「日顕教学」はもとより「日寛教学」なるものすら存在しません。
「日寛教学」「日寛教」などというのは身延くらいです。
対する、創価学会は自ら「創価教学」と自称し、自ら「日蓮正宗と関係ない独立した宗教法人だ」と言っているのではありませんか。

血脈を否定するのは、大聖人様直結を言いたいだけではありませんか?

それでは身延と同類だと思いますが。

なぜ、日蓮正宗の御本尊を信仰の対象にしているのですか?

回答可能であればお答えください。

20代という真摯さん、御授戒すら受けていない世代なのでしょうか?

御書に限定して議論したがるのは、なぜなのか分かりませんが、しかも都合の悪い御書は、御書全集に掲載されていても否定したりで、支離滅裂の感を禁じ得ませんが、私としては精一杯の回答をさせていただきました。

皆さまのご意見をお待ちしております。 

 

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