日蓮正宗のススメ

万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨壤を砕かず

創価学会員さんから、対話へのお申し込みをいただきました。

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対話集カテゴリーが交流の場になりますように

昨日、当ブログに対話集というカテゴリーを新設する旨を書きましたが、偶然なのか記事をお読みいただいての反応なのか、早速、創価学会員さんからメールを頂戴いたしました。

ご本人様から許可をいただいておりませんので、転載は避けたいと思いますが、私は大変感激いたしました。

なかなか、創価学会員さんや顕正会員さんとお話しできる機会もなく、一方的にSNSでの意見開陳で日々を過ごしておりますので、直接、メールのやり取りができるのがとてもうれしくてしかたありません。

私は日蓮正宗の信仰をオススメしている立場ではありますが、無理やり入信させようとか、洗脳しようとか、強弁して屈伏させようとか、そんな意思は持っておりません。

このブログが、対話をすることができるサイトになってくれれば本望です。

創価学会員でもありましたし、顕正会員でもありました。

そんな立場であるからこそ、相手の言い分も分かりますし、生い立ちなどを教えていただければお相手の方の性質も想像できます。

対話を銘打ちながら、荒らされまくった他サイトの存在も承知しておりますが、宗教組織に洗脳(適切な言い方ではないかもしれませんが、そして、私自身も相手から見ればそうであるのですが)されてしまっている方と、宗教を語りあうということがどのような行為でありうるのかについて、お互いに模索していければいいなと思っております。

そこで、本日は、創価学会員さんに私が返信した内容のみを掲載させていただきます。

お相手の方からの返信があれば、随時、匿名性に配慮しながらUPできればいいかなと思っております。

ポリ銀です。
 
メールをいただきありがとうございます。
 
〇〇様の疑問に対し、私がどのように考えるのかについて、メールでのやり取りを楽しみにしています。
ぜひ、宗門問題についてご意見をお聞かせください。
 
敬具

最初の返信です。

 

〇〇 様

 メールありがとうございます。
 拝読させていただきました。
 お返事は改めてご返信させてください。

 ところで、話は変わるのですが、私のブログで対話集というカテゴリーを設けました。
 もし、許可いただけるなら、〇〇様の匿名性を保持しながら、私との対話を他の方にも閲覧していただきたいと思っています。

 他のブログでも対話を重視すると言いながら、結局は罵詈雑言や誹謗中傷の泥仕合が演じられています。

 私はここだけの話ではありますが、在家同士が争うことも、無理やりにでも日蓮正宗へ勧誘するつもりもありません。

 信教の自由を謳った日本国憲法を尊重して、国立戒壇思想を放棄したのが日蓮正宗であり、創価学会だったのですから。

 ○○さんが狂信的な人でないことがわかり、安心いたしました。

 私の回答が○○さんにとっては、暖簾に腕押しのように受け取られることも想像しながら、私の宗教観を語り、〇〇さんの宗教観を語っていただければ幸いです。

 ○○さんもハンドルネームをお考え下さり、私のブログにコメントを頂ければさらなる幸甚の至りです。

 ポリ銀

 2回目の返信です。

○○ 様

日蓮正宗の教義について、ご質問いただいた件について、私なりの回答をさせていただきます。

○○ 様の御質問は、

宗門はこのように主張しています。
①「必ず戒壇の大御本尊と唯授一人の血脈相承を信仰の根本としなければならない」
②「代々の法主を尊信の対象としての(我々が南無し奉る日蓮大聖人・日興上人と同等の)僧宝として定める」
③「弘安2年10月12日の御本尊を日蓮大聖人の出世の本懐・一大秘法と定める」
④「僧と俗の間には本来的な差別が存在する」
⑤「御本尊には法主の許可、開眼が必要、大石寺から下付したものでなければならない」
⑥「大石寺に登山しないと罪障消滅できない、成仏できない」
⑦「宗門の僧による葬儀を行い、戒名を与えないと故人は地獄に堕ちる」
日蓮大聖人はこのようなことをただの一つも仰せになっていません。日蓮大聖人は「謗法とは法に背くという事なり」顕謗法抄455 と仰せです。したがって、上に挙げた宗門の主張はことごとく謗法であると思います。
上に挙げた宗門の主張のどれか一つでも日蓮大聖人の御書のみを用いて正当性を証明できますか。
ご返信をお待ちしております。時間がかかっても構いません。

とのことでしたね。

○○ 様は創価学会員さんということですので、御書というのは御書全集に限定されるということでしょうか?
創価学会さんがHPで公開されている、全文検索を用いて検索しながら、結果を見てみたいと思います。
私も平成4年の1月までは、創価学会員でしたし、創価学会の御書だけで日蓮正宗を信じていましたので、それもありかなと。

①「必ず戒壇の大御本尊と唯授一人の血脈相承を信仰の根本としなければならない」について

血脈相承で検索すると7件がヒットしました。

1立正観抄 530ページ
思議の法と説き給う何に況や等覚の菩薩已下乃至凡夫をや、問う名字を聞かずんば何を以て勝法有りと知ることを得んや、答う天台己証の法とは是なり、当世の学者は血脈相承を習い失う故に之を知らざるなり故に相構え相構えて秘す可く秘す可き法門なり、然りと雖も汝が志神妙なれば其の名を出すなり一言の法是なり伝教大師の一
2立正観抄 531ページ
血脈に云く「夫れ一言の妙法とは両眼を開いて五塵の境を見る時は随縁真如なるべし両眼を閉じて無念に住する時は不変真如なるべし、故に此の一言を聞くに万法玆に達し一代の修多羅一言に含す」文、此の両大師の血脈の如くならば天台大師の血脈相承の最要の法は妙法の一言なり、一心三観とは所詮妙法を成就せん為の修行の方法
3立正観抄 532ページ
無畏の妄語とに依ると云う事、天台伝教の解釈の如くんば己心中の秘法は但妙法の一言に限るなり、然而当世の天台宗の学者は天台の石塔の血脈を秘し失う故に天台の血脈相承の秘法を習い失いて我と一心三観の血脈とて我意に任せて書を造り錦の袋に入れて頸に懸け箱の底に埋めて高直に売る故に邪義国中に流布して天台の仏法破失
4本因妙抄 870ページ
 本 因 妙 抄  法華本門宗血脈相承事 本因妙の行者日蓮之を記す。 予が外用の師・伝教大師生歳四十二歳の御時・仏立寺天台山仏隴寺の大和尚に値い奉り義道を落居し生死一大事の秘法を決したもうの日、大唐の貞元二十一年太歳乙酉五月三日・三大章疏を伝え各七面七重の口決を以て治定し給えり、所謂玄義七面の決と
5本因妙抄 877ページ
産湯の口決・二箇は両大師の玄旨にあつ、本尊七箇の口伝は七面の決に之を表す教化弘経の七箇の伝は弘通者の大要なり、又此の血脈並に本尊の大事は日蓮嫡嫡座主伝法の書・塔中相承の禀承唯授一人の血脈なり、相構え相構え秘す可し秘す可し伝う可し、法華本門宗血脈相承畢んぬ。  弘安五太歳壬午十月十一日 日 蓮 在御判
6生死一大事血脈抄 1,337ページ
縁強盛なる故に現在に此の経を受持す、未来に仏果を成就せん事疑有るべからず、過去の生死・現在の生死・未来の生死・三世の生死に法華経を離れ切れざるを法華の血脈相承とは云うなり、謗法不信の者は「即断一切世間仏種」とて仏に成るべき種子を断絶するが故に生死一大事の血脈之無きなり。  総じて日蓮が弟子檀那等・自
7生死一大事血脈抄 1,338ページ
ず」云云、過去の宿縁追い来つて今度日蓮が弟子と成り給うか・釈迦多宝こそ御存知候らめ、「在在諸仏土常与師倶生」よも虚事候はじ。  殊に生死一大事の血脈相承の御尋ね先代未聞の事なり貴貴、此の文に委悉なり能く能く心得させ給へ、只南無妙法蓮華経釈迦多宝上行菩薩血脈相承と修行し給へ、火は焼照を以て行と為し・水
 本因妙抄

法華本門宗血脈相承事 本因妙の行者日蓮之を記す。

とありますので、本因妙抄を大聖人の御書と考えてよろしいですか?

また、末文に

又日文字の口伝・産湯の口決・二箇は両大師の玄旨にあつ、本尊七箇の口伝は七面の決に之を表す教化弘経の七箇の伝は弘通者の大要なり、又此の血脈並に本尊の大事は日蓮嫡嫡座主伝法の書・塔中相承の禀承唯授一人の血脈なり、相構え相構え秘す可し秘す可し伝う可し、法華本門宗血脈相承畢んぬ。
 弘安五太歳壬午十月十一日 日 蓮 在御判


とございますので、

①「必ず戒壇の大御本尊と唯授一人の血脈相承を信仰の根本としなければならない」
②「代々の法主を尊信の対象としての(我々が南無し奉る日蓮大聖人・日興上人と同等の)僧宝として定める」
③「弘安2年10月12日の御本尊を日蓮大聖人の出世の本懐・一大秘法と定める」
⑤「御本尊には法主の許可、開眼が必要、大石寺から下付したものでなければならない」

との疑問も特に問題がないかと思うのですが、いかがでしょうか?

塔中相承の禀承唯授一人の血脈とは何か?というのが気になるところですが、これも、面授口決で検索すると、

1御義口伝巻下 760ページ
云。 第廿五建立御本尊等の事 御義口伝に云く此の本尊の依文とは如来秘密神通之力の文なり、戒定慧の三学は寿量品の事の三大秘法是れなり、日蓮慥に霊山に於て面授口決せしなり、本尊とは法華経の行者の一身の当体なり云云。 第廿六寿量品の対告衆の事 御義口伝に云く経文は弥勒菩薩なり、然りと雖も滅後を本とする故に

と、御義口伝が出てきます。

戒定慧の三学は寿量品の事の三大秘法是れなり、日蓮慥に霊山に於て面授口決せしなり、本尊とは法華経の行者の一身の当体なり云云

とありますので、日蓮大聖人様が霊山で面授口決=塔中相承の禀承のことと拝察します。

で、血脈について御本仏様が、相構え相構え秘す可し秘す可し伝う可し、法華本門宗血脈相承畢んぬ、と仰せですから今も伝わっているんだろうなと考えております。
あくまでも宗教の信仰のもんだいですからね。何か科学的に証明しろと言われても、そもそもが凡夫に知覚しえない法華経の中での面授口決ですから。

それと、

④「僧と俗の間には本来的な差別が存在する」ですね。

三宝で検索すると

7真言見聞 142ページ
法華誹謗・正法向背の故なり、問う亡国の証文之無くば云何に信ず可きや、答う謗法の段は勿論なるか若し謗法ならば亡国堕獄疑い無し、凡そ謗法とは謗仏・謗僧なり三宝一体なる故なり是れ涅槃経の文なり、爰を以て法華経には「則ち一切世間の仏種を断ず」と説く是を即ち一闡提と名づく涅槃経の一と十と十一とを委細に見る可き


が出てきました。

三宝一体なんですね。三宝とは仏宝・法宝・僧宝は一体ですよと。在家は一体ではありませんね。

また、

よき師で検索してみると

1法華初心成仏抄 550ページ
らめ信じてこそ法の験も仏菩薩の利生も有るべしとは見えたれ、譬えばよき火打とよき石のかどと・よきほくちと此の三寄り合いて火を用ゆるなり、祈も又是くの如しよき師と・よき檀那と・よき法と此の三寄り合いて祈を成就し国土の大難をも払ふべき者なり、よき師とは指したる世間の失無くして聊のへつらうことなく少欲知足に
2妙密上人御消息 1,240ページ
例せば鎌倉の御家人等の御知行・所領の地頭・或は一町・二町なれども皆故大将家の御恩なり、何に況や百町・千町・一国・二国を知行する人人をや、賢人と申すは・よき師より伝へたる人・聖人と申すは師無くして我と覚れる人なり、仏滅後・月氏・漢土・日本国に二人の聖人あり・所謂天台・伝教の二人なり、此の二人をば聖人と
の2件がヒットしました。

「祈も又是くの如しよき師と・よき檀那と・よき法と此の三寄り合いて祈を成就し国土の大難をも払ふべき者なり」ですから、師(僧)と檀那(在家)は別けておられますね。

また、「賢人と申すは・よき師より伝へたる人・聖人と申すは師無くして我と覚れる人なり」ですから、師匠からの薫陶は大切です。

③「弘安2年10月12日の御本尊を日蓮大聖人の出世の本懐・一大秘法と定める」について、もう少し。

一大秘法という言葉は、日寛上人様のことばですから、御書から出せと仰っているのでしょうが、大聖人様は三大秘法のことを、三大事という言葉でも表現されています。

そこを敷衍して、一大秘法を一大事と置き換えてみますと、

31南条殿御返事 1,578ページ
山浄土に生れ給うべしいみじき果報なるかな。  其の上此の処は人倫を離れたる山中なり、東西南北を去りて里もなし、かかる・いと心細き幽窟なれども教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し・日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり、されば日蓮が胸の間は諸仏入定の処なり、舌の上は転法輪の所・喉は誕生の処・口中は正

が出てきます。

「教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し・日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり」とのお言葉が。一大事の秘法=一大秘法の御本尊様ですね。さらに、先の補足にもなりますが、「霊鷲山にして相伝し」と、面授口決の塔中相承の禀承唯授一人の血脈が出てきました。

「其の上此の処は人倫を離れたる山中なり、東西南北を去りて里もなし、かかる・いと心細き幽窟なれども教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し・日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり、されば日蓮が胸の間は諸仏入定の処なり、舌の上は転法輪の所・喉は誕生の処・口中は正覚の砌なるべし、かかる不思議なる法華経の行者の住処なれば・いかでか霊山浄土に劣るべき、法妙なるが故に人貴し・人貴きが故に所尊しと申すは是なり、神力品に云く「若しは林の中に於ても若しは樹の下に於ても若しは僧坊に於ても乃至而般涅槃したもう」と云云、此の砌に望まん輩は無始の罪障忽に消滅し三業の悪転じて三徳を成ぜん」

と、⑥「大石寺に登山しないと罪障消滅できない、成仏できない」に対するお答えが出てきてしまいました。「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり云云」との、先に出てきた御義口伝の御断言の裏付けともなる御文証でもありますね。ただ、日蓮正宗信徒として約10年間、日蓮正宗創価学会員時代も含めて、計28年間を経験しまして、登山への奨励はいただきましたが、罪障消滅できない、成仏できないとの脅しのようなことは言われたことがありません。当然、健康や経済的な理由で登山できない方もおられますから。私の周囲の法華講員で修羅界や畜生界の強い人間が、参詣できない信徒に件のような言説を吐いて優越感に浸っているのは見たことがあります。

最後に、⑦「宗門の僧による葬儀を行い、戒名を与えないと故人は地獄に堕ちる」ですが、質問がかなり攻撃的でたじろいでしまいますが、挑んでみましょう。

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葬儀での検索結果は0件でした。
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葬儀では残念ながら出ませんでした。葬式でも出ません。葬の一字で検索しますと、
1呵責謗法滅罪抄 1,131ページ
彼が七歳の時・乱に値うて行く処をしらず、汝等五子に養はれて二十四年・此の事を語らず、我が子は胸に七星の文あり右の足の下に黒子ありと語り畢つて死す、五子葬をなす途中にして国令の行くにあひぬ、彼の人物記する囊を落せり此の五童が取れるになして禁め置かれたり、令来つて問うて云く汝等は何くの者ぞ、五童答えて云
2富士一跡門徒存知の事 1,606ページ
任せて妙法蓮華経の五字を以て本尊と為す可しと即ち御自筆の本尊是なり。  一、上の如く一同に此の本尊を忽緒し奉るの間・或は曼荼羅なりと云つて死人を覆うて葬る輩も有り、或は又沽却する族も有り、此くの如く軽賤する間・多分は以て失せ畢んぬ。  日興が云く、此の御筆の御本尊は是れ一閻浮提に未だ流布せず正像末に

2件出ましたが、少し違うような気がしますね。ただ、日興上人様の「富士一跡門徒存知の事」に、「或は曼荼羅なりと云つて死人を覆うて葬る輩も有り」との文言がありますので、日興上人様には葬儀の相伝があると拝察しております。

ちなみに追善で検索すると

1唱法華題目抄 8ページ
縁しぬるをも飜えし又人の法華経を行ずるをも随喜せざる故に師弟倶に謗法の者となる。  之れに依つて謗法の衆生国中に充満して適仏事をいとなみ法華経を供養し追善を修するにも念仏等を行ずる謗法の邪師の僧来て法華経は末代の機に叶い難き由を示す、故に施主も其の説を実と信じてある間訪るる過去の父母夫婦兄弟等は弥地
2四条金吾殿御返事 1,121ページ
御志にて・これまで御使を・つかはし御身には一期の大事たる悲母の御追善第三年の御供養を送りつかはされたる両三日は・うつつとも・おぼへず、彼の法勝寺の修行がいはをが嶋にて・としごろつかひける童にあひたりし心地なり、胡国の夷・陽公といひしもの漢土にいけどられて北より南へ出けるに飛びまひける雁を見てなげきけ
3上野殿後家尼御返事 1,506ページ
夫のことわりなり、ただし聖人の上にも・これあるなり、釈迦仏・御入滅のとき諸大弟子等のさとりのなげき・凡夫のふるまひを示し給うか。  いかにも・いかにも追善供養を心のをよぶほどはげみ給うべし、古徳のことばにも心地を九識にもち修行をば六識にせよと・をしへ給う・ことわりにもや候らん、此の文には日蓮が秘蔵の
の3件がヒットしました。「いかにも・いかにも追善供養を心のをよぶほどはげみ給うべし、古徳のことばにも心地を九識にもち修行をば六識にせよと・をしへ給う・ことわりにもや候らん」の御金言がありますね。葬儀は御遺体を前にした追善供養の儀式ですから、大切に思いますし、私個人の体験はお耳に入れていただけないでしょうが、日蓮正宗創価時代に母親を、6年前に父親を日蓮正宗の葬儀で葬送いたしました。ブログには何度か書かせていただきましたが、「ええ?!」と驚くような体験をいたしました。ぶっちゃけ、それまであまり信じてなかったんですね。

それくらい、日蓮正宗の葬儀というのはすごいです。元を正せば創価学会員さんがその驚きを伝え、日蓮正宗の葬式は故人の折伏の場と豪語していたのです。母は、昭和62年に亡くなりましたので、葬儀には大勢の創価学会員さんが来てくれ、母の成仏の相をほめてくれました。中学生だった私も、その感激を味わいました。それにもかかわらず、後に顕正会で18年を無駄にしたことが悔やまれてなりません。

人によりけりですが、今の日蓮正宗の僧侶も、法華講員も地獄云々は法を下げるので口に出しません。ネットでは口汚く他宗派や異流儀の人に堕地獄を宣言する人がいますが、私は、賛成できません。

この件については、満足な証明は御書だけは無理ですね。ごめんなさい。

さて、戒名についても、つけなきゃ地獄云々は別として、少しく検索と回答をば。

戒名ではヒットしませんでした。

ただ、日妙で検索しますと、

1日妙聖人御書 1,213ページ
 日妙聖人御書 文永九年五月 五十一歳御作  過去に楽法梵志と申す者ありき、十二年の間・多くの国をめぐりて如来の教法を求む、時に総て仏法僧の三宝一つもなし、此の梵志の意は渇して水をもとめ飢えて食をもとむるがごとく仏法を尋ね給いき、時に婆羅門あり求めて云く我れ聖教を一偈持てり若し実に仏法を願はば当に
2日妙聖人御書 1,217ページ
釈・四王等・此女人をば影の身に・そうがごとく・まほり給うらん、日本第一の法華経の行者の女人なり、故に名を一つつけたてまつりて不軽菩薩の義になぞらへん・日妙聖人等云云。  相州鎌倉より北国佐渡の国・其の中間・一千余里に及べり、山海はるかに・へだて山は峨峨・海は濤濤・風雨・時にしたがふ事なし、山賊・海賊
がでました。ここに、「日本第一の法華経の行者の女人なり、故に名を一つつけたてまつりて不軽菩薩の義になぞらへん・日妙聖人等云云。」と、日妙殿に生前戒名を授けられた旨が記載されています。

また、曾谷 法蓮で検索すると

1法蓮抄 1,040ページ
 法 蓮 抄 建治元年 五十四歳御作  与曾谷法蓮日礼  夫れ以れば法華経第四の法師品に云く「若し悪人有つて不善の心を以て一劫の中に於て現に仏前に於て常に仏を毀罵せん其の罪尚軽し若し人一つの悪言を以て在家・出家の法華経を読誦する者を毀訾せん其の罪甚だ重し」等云云、妙楽大師云く「然も此の経の功高く理絶

が出てきます。与曾谷法蓮日礼とありますが、曾谷殿に大聖人様が与えられた戒名が法蓮です。

大聖人様が戒名を与えられたのは事実でしょうね。○○様の信心履歴が分かりませんが、日蓮正宗創価学会員時代の御記憶があれば、お仏壇に過去帳が安置されていたと思います。

過去帳の十四日には、「妙日尊霊」、十五日には「妙蓮尊霊」と記載されています。これは、大聖人様が宗旨を建立された直後に、御両親を折伏され、お母様に「妙蓮」、お父様には「妙日」という戒名を授けられたことを教えて下さるものです。また同じく一日を開いてみて下さい。「大行尊霊」とあります。この大行尊霊こそ、総本山開基檀那である南条時光殿の戒名です。

戒名を付けなければ地獄というのは、ちょっと分かりませんが、宗祖の時代から戒名が存在したことは事実のようです。私は、つけなければ地獄というのは、これまた法を下げる言説であると思いますが、日蓮正宗の戒名に関する説明を信受しております。「日蓮正宗でお付けする「戒名」の意義がお分かり頂けると思います。親が産まれた子の成長を願って付けた名前が俗名であり、そこには親の願い、希望が込められております。一方の戒名には、日蓮大聖人様の戒を受け、自の幸せと周りの幸せを願って精進をしたことを表す意義があり、信心が基本となって戒名があるのです。 」

あ、そうそう。⑤「御本尊には法主の許可、開眼が必要、大石寺から下付したものでなければならない」の開眼についてですが、

これまた、開眼で検索すると10件がヒットします。

6木絵二像開眼之事 469ページ
本の非情の草木にも非ず魔なり鬼なり、真言師が邪義・印真言と成つて木絵二像の意と成れるゆへに例せば人の思変じて石と成り倶留と黄夫石が如し、法華を心得たる人・木絵二像を開眼供養せざれば家に主のなきに盗人が入り人の死するに其の身に鬼神入るが如し、今真言を以て日本の仏を供養すれば鬼入つて人の命をうばふ鬼をば
10真間釈迦仏御供養逐状 950ページ
まだ顕れましまさぬ己心の一念三千の仏造り顕しましますか、はせまいりてをがみまいらせ候わばや、「欲令衆生開仏知見乃至然我実成仏已来」は是なり、但し仏の御開眼の御事はいそぎいそぎ伊よ房をもてはたしまいらせさせ給い候へ、法華経一部御仏の御六根によみ入れまいらせて生身の教主釈尊になしまいらせてかへりて迎い入
「法華を心得たる人・木絵二像を開眼供養せざれば家に主のなきに盗人が入り人の死するに其の身に鬼神入るが如し」「但し仏の御開眼の御事はいそぎいそぎ伊よ房をもてはたしまいらせさせ給い候へ、法華経一部御仏の御六根によみ入れまいらせて生身の教主釈尊になしまいらせてかへりて迎い入れまいらせさせ給へ」との御金言は、お聞き及びかもしれませんが、大聖人様が御本尊様の開眼を御指南されていたことの文証としてよく引用されますね。

実際、御開扉で猊下様が板御本尊様を開眼供養される場に同席させていただいたことがあります。
また、再入信の際には、家の御本尊様を寺院に奉掲し、開眼していただきました。開眼とは授戒だと拝察しております。

長々と書き連ねてしまいまして申し訳ございません。
学会版の御書を連想検索しながら、勉強させていただきました。
○○様にお話ししようとして、自分の勉強に付き合っていただいたようで、感謝しております。
これからも、末永く楽しい対話ができますよう願っております。

ポリ銀

本因妙抄からの引用があるので、却下されそうですが、最後の返信です。

とても楽しくお返事を書かせていただくことができました。

信教の自由が保障されている現憲法下だからこそ、自由に他宗・他門・異流儀の方とも交流してよいし、自分の意見も広く演説してよいのだと思っています。表現の自由もありますからね。

折伏に行けばその場で、その人の見識で仏法を語ってお寺に連れてきているわけですから、ネットを監視したり、快く思わないなんて言う宗教団体は、少し考え方を変えられた方がよいかと。

日蓮正宗信徒として、自分がネットにUPした言論に批判があれば、言論で答えたいと思います。自分に非があれば削除します。

みなさんも寛容の精神で、宗教と信仰の話を語り合いましょう。

宗教にとって組織はとても大切です。しかし、組織に監視され思想の自由を脅かされるというのは、現憲法下に生きてきた私たちの活き活きとした姿とは、到底思えないのです。

どうか、法華講員・創価学会員・顕正会員・正信会信徒、そしてそれぞれの元信者の方々の、健全な交流の場に、当ブログが発展せんことを願うものであります。