1197夜:日有上人・化儀鈔[日達上人略解]⑥
日有上人・化儀鈔[日達上人略解]⑥
【101】
一、法華宗の仏事作善に縁者親類の中に合力の子細之れ有り、是れは法華宗の人を能開とする故に世事を於いて他宗の合力有りとも世事は自他宗同時なり、法華宗能開と成れば所開の世事は自他同時なるが故に子細なきか云云。
合力とは金品を出し合って援助すること。能開とは、よく開会する方、ここでは施主を指す。よって所開は開会された方、受ける方。
当家の人が法事をなし、その席で親戚や縁者の中に金品を必要の人があってこの法事を機会に、その人を助けるために、金品を出し合っても(世間の無尽のごときもこれに入る)これは当宗の信者が施主となるので、たとえ他宗の人がまざっておって金品を出しても、金品のやり取りは信仰に関係ない世間的の交際でありますからお互いのことでやり取りしても、差支えありません。
(注、但し、謗法の寺や神社へ参詣するための頼母子講などの援助は、大謗法であります。
【102】
一、他宗の親を其の子法華経を持ち申すべく候、訪って給わる可き由申さば訪うべし、子とは親の姿の残りたる義の故に子が持つは親の法華経を持つ全躰なり云云。
他宗であった親が亡くなってその子が本宗に帰依して南無妙法蓮華経を信心しますから、親を弔って下さいと申し出たならば弔って上げなさい。それは、子は親の分身でありますから、子が南無妙法蓮華経と信心することは親が信心すると同じ義になりますから。
【103】
一、師匠の法理の一分を分かちたる弟子が正法に帰する時は謗法の師匠の正法を信ずる姿なるが故に弟子の望に依って謗法の師匠を訪うべきなり云云。
法理とは仏法教理のこと。他宗の師匠から仏法教理を伝授された弟子が、本宗に帰依する時は、謗法であったその師匠が本宗を信ずると同様でありますから、その謗法であった師匠を弔って上げるべきであります。
【104】
一、親師匠は正法の人なれども、其の子、其の弟子謗法たらば彼の弟子、子に同じては訪うべからず、但し謗法の弟子、子はイロハずして正法の方へ任さば彼の亡者を訪うべし、但し孝子なくんぱ取骨までは其の家にて訪うべし、其の親の姿が残りたる故に、其の後は謗法の弟子、子の供養受くべからず云云。
イロハずとは、いじらないこと、すなわち、関係しないこと。孝子とは、本宗の信心を継ぐ子のこと。たとえ親や師匠が本宗の人であっても、もし、その子や弟子が謗法の人であるならば、その謗法の子や弟子に同心して本宗であった親や師匠を弔ってはいけません。
但し、その謗法の子や弟子が関係しないで本宗の人々に任せきりならば、亡くなった親や師匠を弔いなさい。但し本宗の信心を相続する子がなければ、親が本宗を信心して余薫があるから葬式をなし、火葬したならば、骨上げまでは弔って上げなさい。それ以後は、謗法の子や弟子の意志が入るから、謗法の人の供養を受けてはいけません。
【105】
一、師範の時、世間の義に依って所領等を知行あらば、其の跡を続く弟子縦い他人たりとも、真俗の跡を続くに子細有るべからず、謗法の所領を領するには成るべからず、其の地頭のそ子の分に当るなり云云。
師匠が生前に一般世間の規定に従って所有しておったならば、その師匠が死んで、その跡を継ぐ弟子が、たとえ血縁関係のない他人であっても、師匠の領地を継いで領有して差支えありません。弟子が師匠の寺の法統を継ぎ、また、合せて世間的な師匠の領地を継いで、差支えないのであります。謗法領地を領有したということにはなりません。あたかも地頭が死んだ時、嫡子なく庶子(父が認知した子供)が跡を継ぐと同じ意味であります。
【106】
一、謗法の人、子を法華宗に成して彼の子の供養と号して法華経を供養する事有り、子が能開と成る上は子細なく之れを納むべし云云。
他宗謗法の人が、自分の子を本宗に帰依せしめてその子の名に於て本宗の御本尊様に御供養をすることがありますが、この場合は、その子が施主になるのですから差支えないので、受納してよろしい。
【107】
一、所にて仏事作善を広大になす時、其の所の謗法の地頭などの方へ、酒の初ほを進らする事一向世事仁義なり、又其所などに他宗他門の仏事、法会を成す時、其所の然るべき法華宗なんどの所へ酒の初ほをつかわす事有り是は世事の仁義なり、受け取る人も世事仁義と心得、請取る可きなり云云。
初ほは、初穂で、その年の始めて実った稲の穂のことで、神社仏閣、朝廷等総じて上へ奉るのが慣例である。それ故、すべてのもの、あるいは珍らしい物等を初穂と称したのである。ある所(場所)で、仏事法要を盛大に施行する時に、その土地の領主、あるいは知名の職の人、などに、お酒を初穂として贈ることは世間的の交際でありますから、差支えありません。また他宗の人が仏事法要をなす時、その土地の相当なる地位にある本宗の信者の所へ、お酒を初穂として届けることがありますが、これも世間的の交際だから、一般世間的の交際と心得て、受納して差支えないのであります。
【108】
一、法華宗の御堂なんどへ他宗他門の人参詣して散供まいらせ花を捧ぐる事有り之れを制すべからず、既に順縁なるが故なり、但し大小の供養に付いて出家の方へ取り次ぎ申して仏聖人へ供養し申せと有らば一向取り次ぐべからず、謗法の供養なるが故に、与同罪の人たるべし云云。
散供とは米を散じ上げること。賽銭は後世のことで、古代は米を散じ上げた。この米は鳥や鼠等の食となる。花は古代は専ら樒である。本宗の本堂へ他宗の人々が参詣して、散供米や樒を上げることがありますが、それを拒否してはいけません。これがその人々に取って順縁となるのでありますから。
しかし供養物の多少にかかわらず、住職に向って御本尊様に供養して下さいと申し出たならば、決して受け次いではいけません。その施物は謗法の供養物ですから、もし受けると与同罪の人となります。
【109】
一、非情は有情に随う故に他宗他門の法華経をば正法の人には之を読ますべからず、謗法の経なる故に、但し稽古のため又は文字を見ん為などには之を読むべし子細あるべからず、現世後世の為に仏法の方にては之を読むべからず云々。
非情とは、情けのない物体。すなわち国土木石等のこと。有情とは、情けをそなえた衆生。広く生物一般をいう。現世後世の為とは法華経の現世安穏後生善処の意。
物体は人に随う(物には所有する人の情が移る)のであるから、他宗の人の書写した法華経を、本宗の僧や信徒は読んではいけません。その法華経の本は謗法の経本でありますから。但しお経を暗記したり、文字が達筆だからそれを見る等のためならば、使用して差し支えありません。信心の上から、御本尊に向かって現世安穏後生善処を願う勤行に、これを使用して読んではいけません。
【110】
一、袈裟衣等惣じて仏具道具等の事。一向他宗に借すべからず、又他宗の仏具道具等をも法華経の法会に借るべからず、既に非情は有情に随うが故に謗法の有情の道具は自ら謗法の道具なり、但し世事の志にて謗法の道具を正法の方へ取り切り乃至料足などにてかい切って正法の方に成しては子細あるべからず云々。
仏具道具とは葬祭法要に使用する五具足曲勒等の類。料足は使用料、料金である。
袈裟、衣等その他一般の葬祭法要に使用する仏具や道具類については、決して他宗の葬祭法要に貸してはいけません。また、他宗の仏具道具類も、当字葬祭法要に借りてはいけません。前条に述べたごとく、物は所有する人の心が反映しておりますから。謗法の人の所有する道具は、正しく謗法の道具であります。但し交際上のことで謗法の道具であっても当方へ買い取るか、あるいは使用料を借り取って、一応、当方のものとして使用するのは差支えありません。
【111】
一、仏聖人の御使に檀方門徒へ行きて仁義にても引出物を得、布施などをも得たる時は本寺の住持の前にて披露するなり、其のまま我が所には置くべからず云云。
寺の公の御使として、檀信徒の家に行った時、世間普通の礼儀として品物を引出物として頂戴し、あるいは御供養を頂戴した時は、寺に帰って必ず住職(本山は法主上人)におみせして、その指揮に従うのであります。勝手に無断で着服してはいけません。
【112】
一、世間病なんどの有る檀方の方へ御仏の御使に行きて帰りたる時は、水をあびて本堂へ参りて其の後上人の御前へ参りて後に小児などのそばへも行くなり。
世間病なんどとは一般の流行病などの意。御仏の御使とは、法要に行くを指す。小児は、稚児あるいは小僧を指す。
流行病などに罹っている檀信徒の家に法要に行って、帰って来た時は、まず全身に水を浴び、不浄のものを流し(消毒の心もち)そして本堂へ参り礼拝して、住職(本山ならば法主上人)の所へ参って報告しその後に初めて小僧達のいる所へ行きなさい。
(注、医学の進歩してない、その昔に、自ずから病気を伝染せしめない心掛けを教えているので、小児等は病気に罹り易いから、病家から直接に小児の所に行かず、身体を水で消毒し、しかも相当の時間を経て、小児のそばに行くように誡められているのである)
【113】
一、法華宗は人の死去円寂の所をばいまず、只今茶毘のにわより来る禁忌の人なれども一向に忌まざるなり、只産屋月水等をば堅く是れをいむなり云云。
円寂とは、僧の死んだことを円寂という。死去も円寂も同義。本宗においては、人が死んだ所とて別にいみきらうことはしません。また、今火葬場から帰って来た喪に服すべき人々に対しても、決していみきらいません。(注、一般他宗の人々は、この場合、縁起が悪いなどと忌みます。また、特に神道ではやかましくいいます)ただし、産屋や月水等は、堅く忌みておるべきであります。
【114】
一、法華宗の御堂なんどをぱ日本様に作るべし、唐様には作るべからず、坊なんども結構ならんは、中門寄なんどをもすべし云云。
本宗の本堂などは、日本様式に建てなさい。中国式のごとく敷瓦をした形式(禅宗の本堂は此の式である)にしてはいけません。僧坊の方も立派に建てるならば中門を作り、あるいは車寄のような張り出した玄関を作ってもよろしい。
(注、日本式とは、一般世間に見られるあの本堂作りであります。しかし今日は西洋建築が盛んに取り入れられて来ているから、御本尊の尊厳を損せずみんな一様に参拝できるように建立すべきです)
【115】
一、薄袈裟にうづら衣はスワウハカマに対するなり、イクワンの時は法服なり椎を重ねたる衣に長編の袈裟は直垂に対するなり云云。
本宗の薄地の袈裟と粗末な衣を著けた時は、侍の素抱袴(侍の礼服)に匹敵します。侍の衣冠束帯の礼式の時は、正式の袈裟衣でなくてはなりません。一重の着物を重ねた衣で堅くごわごわした袈裟を着けた時は、侍の直垂の姿にあたります。
【116-01】一、釈尊一代の説教に於て権実本迹の二筋あり、権実とは法華己前は仏の権智、法華経は仏の実智なり、所詮釈尊一代の正機に法華以前に仏の権智を示めさるれば機も権智を受くるなり。さて法華経にて仏の実智を示さるれば又機も仏の実智の分を受くるなり、されば妙楽の釈に云く権実約智約数と訳して権実とは智に約し教に約す、智とは権智実智なり、教に約すとは、蔵通別の三教は権教なり、円教は実教なり、法華已前には蔵通別の権教を受くるなり、本迹とは身に約し位に約すなり、仏身に於て因果の身在す、故に本因妙の身は本、本果の身より迹の方へ取るなり、夫れとは修一円因、感一円果の自身自行の成道なれども既に成道と云う故に断惑証理の迹の方へ取るなり、夫より巳来機を目にかけて世々番々の成道を唱え在すは皆垂迹の成道なり、華厳の成道と云うも迹の成道なり、故に今日、華厳、阿含、方等、般若、法華の五時の法輪、法華経の本迹も皆迹仏の説教なる故に本迹共に迹なり、今日の寿量品と云うも迹中の寿量なり、されば経に約すれば是れ本門なりと雖も文
(この条は続く)
修一円因、感一円果とは、修因感果の理を云うのであって、本因妙を修して本果妙に至るのを云う。釈尊一代五十年の説教は権実と本迹の二た通りに分つことが出来るのであります。権実というのは法華経已前の教は仏の方便の教であり、法華経は仏の真実であります。
つまり釈尊一代の説法を聴聞する人々について、法華経已前においては釈尊は仏の方便をもって説かれた教でありますから、それを受ける人々も方便を受けるのであって、ついで法華経を説いて仏の真実を説かれたのでありますから、人々も真実の教を受けたのであります。
ゆえに妙楽大師の解釈に権実約智約数と説いております。権実を云うことは、智と教について論ずることができます。智について論ずるとは、方便を説く妙智と真実を説く妙智であります。教について論ずるとは、蔵通別の三教を方便教として説き、円教を真実教として説いております。
よって法華経已前の人々は蔵通別の三方便教を受けているのであります。本迹については、身と位とについて論ずることが出来るのであります。身について論ずれば、仏身には因身と果身とがあります。よって本因妙の身は本とし、本果妙の身より余は迹とするのであります。(血脈抄に日蓮は本因妙を本と為し、余り九妙を迹と為すなり、とあり)そのわけは、釈尊は本因妙を修行して本果妙に至る。御自身の自行で成道したのでありますが、すでに熟脱が成道でありますから、断惑証理の覚の辺は迹とするのであります。
成道以後、人々を目がけて救済のため三世にわたって成道を説くのは、すべて垂迹の成道であります。すなわち迹の仏身であります。それ故に、華厳経の仏と云うも迹仏であります。今日釈尊の華厳、阿含、方等、般若、法華の五時の説法は、迹仏であり、法華経が文上に本門迹門と分けられるが、ともに迹仏の説法でありますから、本迹ともに迹となるのであります。今日釈尊の寿量品も、迹中の寿量品と云う事になります。(血脈抄に、本因妙を本とし今日寿量の脱益を迹とするなり、とあり)よって法華経について論ずれば、本門といっても迹門ということになります。すなわち文上の寿量品は迹門であるということになるのであります。
【116-02】
さて本門は如何と云うに久遠の遠本本因妙の所なり、夫れとは下種の本なり、下種とは一文不通の信計りなる所、受持の一行の本なり、夫とは信の所は種なり心田に初めて信の種を下す所が本門なり、是れを智慧解了を以てそだつる所は迹なり、されば種熟脱の位を円教の六即にて心得る時、名字の初心は種の位、観行相似は熱の位分真究寛は脱の位なり、脱し終れば名字初心の一文不通の凡位の信にかえるなり、釈に云く脱は現に在りと雖も具に本種に騰ぐと訳して、脱は地住已上に有れども具に本種にあぐると釈する是れなり、此の時釈尊一代の説教が名字初心の信の本益にして悉く迹には益なきなり、皆本門の益なり、仍って迹門無得道の法門は出来するなり、是れ則ち法華経の本意減後末法の今の時なり。
(この条は続く)
本門とは、ここでいう本門とは寿量品の文底下種の意であります。一文不通とは、文字も読むことのできない愚人のこと。少しも解了を用いないことであります。此の時とは、末法を指す。
地住己上とは、別教の初地、円教の初住已上の菩薩の階級。ともに凡位を除いて聖位に入る位であります。宗祖は「迹の本は本に非るなり」と血脈抄に釈せられておりますとおり、釈尊の寿量品は迹中の寿量であります。そこで本門寿量品の文底下種の心はどうかというと、五百塵点劫の当初の南無妙法蓮華経にあるのであります。それが下種の本種のことで、下種とは一文の解了(智を用ゆること)もない愚者の信を指し、ただ受持の一行にあるのであります。
それは南無妙法蓮華経を信ずるところが種となるので、われわれ凡夫の心田に始めて南無妙法蓮華経の種を下すのが本門というのであります。宗祖は「久遠下種の妙法は本」と釈せられております。この南無妙法蓮華経に智慧、解了を加える時にはすでに釈となるのであります。それゆえ、種、熟、肌の三益をそれぞれ天台の六即の位に当てはめる時は、名字即の位は種、観行即、相似即の位は熟、分真即、究寛即の位は脱(注、理即は、仏性を理としてだれでも具している、というだけであるから、これは除く。日有上人は「理即は但だ種子の本法にて指し置きたるなり」と釈せられております)
種から熟となり、そして脱(得税)すれば、名字初心の一文の解了もない凡位の信の種位に返るのであります。妙楽大師は「脱は現に在りと雖も具に本種に騰ぐ」と釈して、すなわち成仏は別教の初地已上、円教の初住已上に許さるるけれども、結局は久遠下種にもどると説かれているのであります。
末法においては、釈尊一代の説法は寿量品文底の南無妙法蓮華経だけが利益があるので、その外の文上の寿量品ないし二十八品はことごとく迹であって利益なく、ただ文底下種の利益だけてあります。よって末法は迹門無得道の法門と云うことが出来るのであります。
日寛上人は「末法は順逆倶に下種益なり」と撰時抄文段に釈せられております。これで法華経の本意は滅後末法の今の時にあるということがわかります。観心本尊抄に「末法の始めを以て正が中の正と為す」と説かれるがごときであります。
【116-03】
されば日蓮聖人御書にも本門八品とあそばすと題目の五字とあそばすは同じ意なり、夫とは涌出品の時、地涌千界の涌現は五字の付属を受けて末法の今の時の衆生を利益せん為なるが故に地涌の在す間は滅後なり、夫れとは涌出、寿量、分別功徳、随喜功徳、法師功徳、不軽、神力、嘱累の八品の間、地涌の菩薩在す故に此の時は本門正宗の寿量品も滅後の寿量と成るなり、其の故は住本顕本の種の方なるべし、さて脱の方は本門正宗一品二半なり、夫れとは涌出品の半品、寿量の一品、分別功徳品の半品合して一品二半なり、是れは迹中本門の正宗なり、是れとは在世の機の所用なり、滅後の為には種の方の題目の五字なり、観心本尊抄に彼は一品二半、是れは但題目の五字なりと遊す是なり云云。
地涌千界とは涌出品に説く、大地から涌き出でた、たくさんの菩薩をいう。住本顕本とは本門開顕の十重顕本の第五、日有上人は就仏本意の理と釈せられております。仏の本意につき本を顕わすことであります。
(注、本文はちょっと読むと、日有上人が八品に組しているかの様に曲解されやすいが、熟読すると八品との間に厳然たる一線があるのが知れるのであります)
されば、宗祖日蓮大聖人が御書に本門八品(注、在世の種は八品)と題目の五字(注、滅後末法の種は本因妙の題目)と同じく種とせられております。そのわけは、涌出品の時に大地より涌出したたくさんの菩薩は、上行を上首として神力品において南無妙法蓮華経の付属を受けて、末法の今の時、その題目を下種して、われわれを利益するためでありますから、地涌の菩薩がいる期間は、在世においても滅後を表わすことともなります。
それ故、涌出品、寿量品、分別功徳品、随喜功徳品、法師功徳品、不軽品、神力品、嘱累品、の八品の間中、地涌の菩薩が出現しておりますから、この時は在世の本門正宗の寿量品(文上の寿量品)も、滅後の寿量品(文底の南無妙法蓮華経)と同じ形式となるのであります。本門八品は、仏の本意につき本を顕わすところの種の方となり、文上の本門の一品二半は脱の方となるのであります。
一品二半とは涌出品の半品と寿量品と分別功徳品の半品を合して、一品二半というのであります。すなわち、文上の迹中の本門正宗であって、この種、脱は、在世の人々のために必要であるのであります。滅後末法の人々のためには本因下種の南無妙法蓮華経であります。血脈抄に「応仏と天台とは正宗一品二半を本門と定む、報身と日蓮とは流通を本と定む」と、また「我が内証の寿量品とは脱益寿量の文底の本因妙の事なり、その教主は某なり」等の御文思い合わすべきであリます。観心本尊抄に「彼は脱、是れは種、彼は一品二半、此れは但題目の五字なり」と宗祖が御書判せられたとおりに、釈尊と宗祖とは種脱の異が明らかであります。
【117】
一、神座を立てざる事、御本尊授与の時、真俗弟子等の示し書之れ有り、師匠有れば師の方は仏界の方、弟子の方は九界なる故に、師弟相向う所、中央の妙法なる故に、併ら即身成仏なる故に他宗の如くならず、是れ即ち事行の妙法、事の即身成仏等云云。
示し書とは神座を授与の時、法主の名判ありて、本人の法名を書き示さる、その中央は南無妙法蓮華経であります。法名は、僧俗あるいは弟子の別なく、神座もしくは、御未来御本尊授与の時、法主上人の書き判あって、法名を書き示されて授与になるのであります。授与の本尊に法主が書き判せられるから法主は主の方で仏界の方であります。
法主が書き示されるは弟子の方で、九界の方でありその師弟相対して中尊の南無妙法蓮華経に相向ふので、その所が当位即妙の即身成仏であります。他宗のごとく、紙や木で立派な位牌を作るのとは、異なるのであります。他宗のごとく、ただ、亡者の者だけ書くのは、師弟相対でなく、即身成仏の件もなき理の姿であります。本宗のごとく、師弟相対して中尊の南無妙法蓮華経に向うのは、事行の南無妙法蓮華経で、事の即身成仏であります。
【118】
一、当宗には断惑証理の在世正宗の機に対する所の釈迦をば本尊には安置せざるなり、其の故は未断惑の機にして六即の中には名字初心に建立する所の宗なる故に地住已上の機に対する所の釈尊は名字初心の感見には及ばざる故に、釈迦の因行を本尊とするなり、其の故は我れ等が高祖日蓮聖人にて存すなり、経の文に若遇余仏便得決了文、疏の文には四依弘経の人師と訳する此の意なり、されば儒家には、孔子老子を本尊とし、歌道には人丸・天神を本尊とし、陰陽には晴明を本尊とするなり、仏教に於て小乗の釈迦は頭陀の応身、権大乗の釈迦は迦葉舎利弗を脇士とし、実大乗の釈迦は普賢文殊を脇士とし、本門の釈迦は上行等云云。故に滅後末法の今は釈迦の因行を本尊とすべきなり。其の故は神力結要の付属とは受持の一行なり、此の位を申せば名字の初心なる故に釈迦の因行を本尊とすべき時分なり、是れ則本門の修行なり、夫とは下種を本とす、其の種をそだつる智解の迹門の始めを熟益とし、そだて終って脱する所を終りと云うなり、脱し終れば種にかえる故に迹に実体なきなり、妙楽大師、離脱在現、上の如し云云、是れより迹門無得道の法門は起こるなり云云。
断惑証理とは、煩悩を断尽して涅槃を証すること。釈迦の因行とは久遠元初の本因妙の南無妙法蓮華経を指す。若遇余仏便得決了とは法華経方便品の句で声聞が今仏(釈迦仏)の化導に漏れたならば滅後に余の仏に遇い奉って成仏することが出来ると云うこと。その余仏とは、末法出現の宗祖日蓮大聖人のことであります。
脇士とは、仏の脇に侍して教化を助ける菩薩あるいは聖者。頭陀の応身とは、歴劫修行によって、ようやく得た劣応身の仏で、小乗の釈尊のこと。本宗にては、煩悩を断尽して証を得た釈尊在世中の正機である二乗に対しての仏でありますので、その釈尊を本尊としません。
末法は下種の南無妙法蓮華経が正宗で、在世および過去の仏法は、序分となります。本宗はいまだ煩悩を断尽しない凡夫で、六即の中では名字即の初心の者のための宗旨でありますから、別教の初地已上、円教の初住已上の聖者に対する仏である釈尊は名字初心の凡位の者の感覚には、とうてい、およばないのです。
そこで本宗は、久遠元初の本因妙の南無妙法蓮華経を本尊とするのであります。その仏は宗祖日蓮大聖人であります。本因妙抄に「本因妙の行者日蓮」と遊ばされてあるとおりであります。
また方便品に、もし今の釈尊にて得税ができなければ、滅後来世において他の仏によって成仏することができると、説かれてあります。妙楽大師は、この文を文句記において四依弘経の人師であると釈しております。末法における四依弘経の人師とは取りも直さず、宗祖日蓮大聖人であります。
中国の儒教においては孔子を、道教においては老子を、それぞれ本尊としております。わが国の歌道にては、柿本人麻呂、菅原道真を本尊とし、陰陽師(天文、暦数等をつかさどる)においては安部晴明を本尊とするのであります。すなわち、その道の覚者、指導者が、本尊とあがめられるのであります。
仏教においては、小乗教の仏(本尊)である釈尊は、修行を積んで貧者をはらった劣応身の仏であります。権大乗の仏である釈尊は、迦葉尊者、舎利弗尊者を脇士仏とし、実大乗教の仏である釈尊は普賢菩薩、文殊菩薩を脇士仏とし、法華経本門の仏である釈尊は、上行、無辺行、浄行、安立行の本化の四菩薩を、脇士仏とするのであります。
滅後末法は久遠元初の本因妙の南無妙法蓮華経を本尊として、「所謂る宝塔の内の釈尊、多宝、外の諸仏、並びに上行等の四菩薩を脇士」とするのであります。観心本尊抄に「此の時地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為す」の通りであります。
この地涌千界は、神力品において四句の結裏付属を受けて、滅後末法に出現して「一間浮提第一の本尊を此の国に立つ」のであります。その神力結要とは四句の結要、名体宗用すなわち南無妙法蓮華経であって、それを末法に流布するのであり、凡位のわれわれは受持の一行によって得られるのであります。
われわれの位は名字初心でありますから、このような久遠元初本因妙の南無妙法蓮華経を本尊とするのであります。このことを本門の修行といいます。それは下種を本位とするので、もし、その仏種を智慧解了によって行く迹門の始めを熟益とし、悟り終ったところを脱益とするのであります。脱し終れば種にかえるのでありますから、種を本とし、熟、脱は迹で、この迹は常に動進しているのでありますから、実体はないのであります。それゆえ、妙楽大師は「脱は現に在りと雖も具に本種に騰ぐ」と申され、脱にて成仏はなく、種に返って成仏があると示されているのであリます。これゆえに、迹門無得道と申されるのであります。
【119】
一、法華経を修するに五の様あり、夫れとは受持、読、誦、解説、書写等と云云、広して修するは像法の読誦多聞堅固の時節なり、今末法は根機極鈍の故に受持の一行計りなり、此の証人には不軽菩薩の皆当作仏の一行なり、不軽も助行には二十四字を修したもうなリ、日蓮聖人は方便寿量の両品を助行に用い給うなり。文を見て両品をよむは読、さてそらに自我偈を誦し今此三界の文を誦し、塔婆などに題目を書写するは、受持の分の五種の修行と心得べきなり云云。
五つの様とは、五種の行、すなわち五種法師の修行で、法華経法師品、法師功徳品に説かれる。皆当作仏の一行とは、常不軽菩薩品に説かれる不軽菩薩が、一切衆生の作仏を信じて但行礼拝の一行を行ずること。
法華経の修行に五種法師の行があります。それは、受持、読、誦、解説、書写の五つであります。広く五種の行を、それぞれ修行することは、像法の後期、読誦多聞堅固の時代の修行の方法であります。今日末法の人々は、鈍根、劣機の愚人でありますから、信ずるが故に受け、念ずるが故に持つの受持の一行だけで、よろしいのであります。
その証拠として、過去の不軽菩薩は皆まさに作仏すべしとの信のもとに、但行礼拝の一行のみ行じたのであります。しかし、その不軽菩薩も、但行礼拝の一行を正行としましたが、助行として「我深く汝等を敬う、敢て軽慢せず、所以は如何、汝等、皆、菩薩の道を行じて当に作仏することを得べし」の二十四字を、読誦修行したのであります。
宗祖日蓮大聖人は、唱題をもって正行としましたが、方便品と寿量品を助行として読誦せられました。以上のように、方便品、寿量品をもって読むのは読、暗誦して読むのは誦、塔婆に題目や経文を書くのは書写とそれぞれ、読誦書写の修行にあてはまりますが、その修行は受持正行の上にある五種の行で、どこまでも主体は久遠元初本因妙の南無妙法蓮華経を受持するをもって、正行と考えなければなりません。
【日達上人・註】
以下の二章は、日有上人の御仰せではなく、日住師が一乗要決と涅槃経から引用して加入して、正法精進を勧められたのであります。
【120】
一、一乗要決に日く諸乗の権実は古来の諍いなり、倶に経論に拠り互に是非を執す、余、寛弘(丙午)の歳冬十月病中歎じて曰く、仏教に遇うと雖も仏意を了せず、若し空手に終ては後悔何ぞ追わん、爰に経論の文義、賢哲の章疏、或は人をして尋ねしめ、或は自ら思択し、全く自宗他宗の偏党を捨て専ら権智、実智の深奥を擇ぴ終に一乗は真実の理、五乗は方便の説なるを得たる者なり、既に今生の蒙を開く、何ぞ夕死の恨を遺さんや文。
一乗は真実の理、一仏乗すなわち法華経は仏の真実を説いた教理であるの意。
五乗は方便とは、五乗は人、天、声聞、縁覚、菩薩の五つ、人天併称して四乗ともする。さらに人天乗を後の三乗に入れて、三乗と総称するのが普通である。天台大師が、一乗真実、三乗方便と判ぜられたのに対し、法相宗の慈恩大師が一乗方便・四乗真実と主張した。伝教大師は、この慈恩の解釈の誤りを指摘して、一乗真実・三乗(五乗)方便を釈せられたのであります。
恵心僧都(九四二~一〇一七)は、その著書一乗要決(寛弘三年〈一〇〇六〉の著)において、諸宗の権実は古来からあります。みな、それぞれ経論を根拠として、たがいに是非を論じあっております。が、私は(慧心僧都)寛弘三年(一〇〇六)十月に、ちょうど病中でありましたが、歎息して思いますのに、遇いがたい仏教に遇いたてまつっても、仏様の真意を了解できず、いたずらに一生を終ったならば、後悔してもおよぴません。
そこで、経文や論義および先師の章疏を、使いを中国につかわし、この時代の名僧四明智礼に問尋し、あるいは自分で思惟して、自他宗の偏執を捨てて、ただ仏の方便の説と、真実の説法とを分別取捨して、ついに一乗は真実の教理であり、五乗は方便の教であるという結論をえたのであります。これによって、自分の今生における迷いの目を開き得ましたので、すぐこのまま死んでも、少しも心のこりはありません。
【121】
一、涅槃経の九に曰く、諸の衆生命終の後、阿鼻地獄の中に堕して方に三思有り、一には自ら思わく我が至る所何れの処ぞや、則ち自ら知りぬ是れ阿鼻地獄なり、二には自ら思わく何の処より而も此に来生する、則ち自ら知りぬ人界の中より来る、三には自ら思わく何れの業因に乗じて而も此に来生する、即ち自ら知りぬ大乗方等経典を誹謗するに依って而も此こに来生す。
涅槃経の九に多くの人々は死んで阿鼻地獄に堕ちて初めて反省し、三思があります。
第一は、自分で今来たところはどこであるかと考え、これは阿鼻地獄であると思惟します。次に自分はどこから、この阿鼻地獄へ来たのであるかと考え、それは人間界より来たのであると思惟します。最後に、では自分はどういう因縁によって、この阿鼻地獄などへ来たのかと考え、それは大乗経典の法華経を誹謗した罪業によって堕墜したのであると思惟します。よって正法誹謗の罪の深きことを知るのであります。
(注、右二条は、特に引用して、われわれは生をこの世にうけて、仏法に遇いたてまつったならぱ、法華経の弘経に精進することをすすめ、謗法を固くいましめられたのであリます)
【本文・南条日住師】
「仰せに日く二人とは然るべからざる由に候、此の上意の趣を守り行住坐臥に拝見有るべき候、朝夕日有上人に対談と信力候わば冥慮爾るべく候なり」
時に文明十五年初秋三日書写せしめ了んぬ。
御訪に預るべき約束の間、嘲りを顧みず書き造らせ候なり、違変有るべからず候。筆者 南条日住
日有上人の仰せによれば、一人(日鎮上人)にかぎリ申し伝えてよろしいとのことであります。前述の各条を日常に拝見して守っていただきたい。そうすれば、毎日、日有上人とお話しをしあっていると同じであります。そこに、はかり知れない仏様のお心持があると思います。文明十五年(一四八三年)七月三日書写しおわる。
私(日住)は老年で、あなた(日鎮上人)に葬式をしていただく約束でありますから笑われてもかまいませんから、この条々をあなたのために書きつかわします。この条目に決して違背してはいけません。筆者 南条日住
以上、百二十一箇条を略解して見ました。まったく、今日の総本山の山法山規の綱格をなしているのであります。日興上人の御遺誡置文二十六箇条と、この百二十一箇条は、正宗をして宗祖滅後六百七十八年(昭和三十四年)の今日まで、一豪の謗法すら、なからしめた指針であったのであります。
なお、この化儀抄は、数条の項目と、名称の死語等を取れば、全抄が今なお玉条として活用されているのであります。正宗の僧俗は、本抄を、もう一度、熟読玩味いたしましょう。
一、法華宗の仏事作善に縁者親類の中に合力の子細之れ有り、是れは法華宗の人を能開とする故に世事を於いて他宗の合力有りとも世事は自他宗同時なり、法華宗能開と成れば所開の世事は自他同時なるが故に子細なきか云云。
合力とは金品を出し合って援助すること。能開とは、よく開会する方、ここでは施主を指す。よって所開は開会された方、受ける方。
当家の人が法事をなし、その席で親戚や縁者の中に金品を必要の人があってこの法事を機会に、その人を助けるために、金品を出し合っても(世間の無尽のごときもこれに入る)これは当宗の信者が施主となるので、たとえ他宗の人がまざっておって金品を出しても、金品のやり取りは信仰に関係ない世間的の交際でありますからお互いのことでやり取りしても、差支えありません。
(注、但し、謗法の寺や神社へ参詣するための頼母子講などの援助は、大謗法であります。
【102】
一、他宗の親を其の子法華経を持ち申すべく候、訪って給わる可き由申さば訪うべし、子とは親の姿の残りたる義の故に子が持つは親の法華経を持つ全躰なり云云。
他宗であった親が亡くなってその子が本宗に帰依して南無妙法蓮華経を信心しますから、親を弔って下さいと申し出たならば弔って上げなさい。それは、子は親の分身でありますから、子が南無妙法蓮華経と信心することは親が信心すると同じ義になりますから。
【103】
一、師匠の法理の一分を分かちたる弟子が正法に帰する時は謗法の師匠の正法を信ずる姿なるが故に弟子の望に依って謗法の師匠を訪うべきなり云云。
法理とは仏法教理のこと。他宗の師匠から仏法教理を伝授された弟子が、本宗に帰依する時は、謗法であったその師匠が本宗を信ずると同様でありますから、その謗法であった師匠を弔って上げるべきであります。
【104】
一、親師匠は正法の人なれども、其の子、其の弟子謗法たらば彼の弟子、子に同じては訪うべからず、但し謗法の弟子、子はイロハずして正法の方へ任さば彼の亡者を訪うべし、但し孝子なくんぱ取骨までは其の家にて訪うべし、其の親の姿が残りたる故に、其の後は謗法の弟子、子の供養受くべからず云云。
イロハずとは、いじらないこと、すなわち、関係しないこと。孝子とは、本宗の信心を継ぐ子のこと。たとえ親や師匠が本宗の人であっても、もし、その子や弟子が謗法の人であるならば、その謗法の子や弟子に同心して本宗であった親や師匠を弔ってはいけません。
但し、その謗法の子や弟子が関係しないで本宗の人々に任せきりならば、亡くなった親や師匠を弔いなさい。但し本宗の信心を相続する子がなければ、親が本宗を信心して余薫があるから葬式をなし、火葬したならば、骨上げまでは弔って上げなさい。それ以後は、謗法の子や弟子の意志が入るから、謗法の人の供養を受けてはいけません。
【105】
一、師範の時、世間の義に依って所領等を知行あらば、其の跡を続く弟子縦い他人たりとも、真俗の跡を続くに子細有るべからず、謗法の所領を領するには成るべからず、其の地頭のそ子の分に当るなり云云。
師匠が生前に一般世間の規定に従って所有しておったならば、その師匠が死んで、その跡を継ぐ弟子が、たとえ血縁関係のない他人であっても、師匠の領地を継いで領有して差支えありません。弟子が師匠の寺の法統を継ぎ、また、合せて世間的な師匠の領地を継いで、差支えないのであります。謗法領地を領有したということにはなりません。あたかも地頭が死んだ時、嫡子なく庶子(父が認知した子供)が跡を継ぐと同じ意味であります。
【106】
一、謗法の人、子を法華宗に成して彼の子の供養と号して法華経を供養する事有り、子が能開と成る上は子細なく之れを納むべし云云。
他宗謗法の人が、自分の子を本宗に帰依せしめてその子の名に於て本宗の御本尊様に御供養をすることがありますが、この場合は、その子が施主になるのですから差支えないので、受納してよろしい。
【107】
一、所にて仏事作善を広大になす時、其の所の謗法の地頭などの方へ、酒の初ほを進らする事一向世事仁義なり、又其所などに他宗他門の仏事、法会を成す時、其所の然るべき法華宗なんどの所へ酒の初ほをつかわす事有り是は世事の仁義なり、受け取る人も世事仁義と心得、請取る可きなり云云。
初ほは、初穂で、その年の始めて実った稲の穂のことで、神社仏閣、朝廷等総じて上へ奉るのが慣例である。それ故、すべてのもの、あるいは珍らしい物等を初穂と称したのである。ある所(場所)で、仏事法要を盛大に施行する時に、その土地の領主、あるいは知名の職の人、などに、お酒を初穂として贈ることは世間的の交際でありますから、差支えありません。また他宗の人が仏事法要をなす時、その土地の相当なる地位にある本宗の信者の所へ、お酒を初穂として届けることがありますが、これも世間的の交際だから、一般世間的の交際と心得て、受納して差支えないのであります。
【108】
一、法華宗の御堂なんどへ他宗他門の人参詣して散供まいらせ花を捧ぐる事有り之れを制すべからず、既に順縁なるが故なり、但し大小の供養に付いて出家の方へ取り次ぎ申して仏聖人へ供養し申せと有らば一向取り次ぐべからず、謗法の供養なるが故に、与同罪の人たるべし云云。
散供とは米を散じ上げること。賽銭は後世のことで、古代は米を散じ上げた。この米は鳥や鼠等の食となる。花は古代は専ら樒である。本宗の本堂へ他宗の人々が参詣して、散供米や樒を上げることがありますが、それを拒否してはいけません。これがその人々に取って順縁となるのでありますから。
しかし供養物の多少にかかわらず、住職に向って御本尊様に供養して下さいと申し出たならば、決して受け次いではいけません。その施物は謗法の供養物ですから、もし受けると与同罪の人となります。
【109】
一、非情は有情に随う故に他宗他門の法華経をば正法の人には之を読ますべからず、謗法の経なる故に、但し稽古のため又は文字を見ん為などには之を読むべし子細あるべからず、現世後世の為に仏法の方にては之を読むべからず云々。
非情とは、情けのない物体。すなわち国土木石等のこと。有情とは、情けをそなえた衆生。広く生物一般をいう。現世後世の為とは法華経の現世安穏後生善処の意。
物体は人に随う(物には所有する人の情が移る)のであるから、他宗の人の書写した法華経を、本宗の僧や信徒は読んではいけません。その法華経の本は謗法の経本でありますから。但しお経を暗記したり、文字が達筆だからそれを見る等のためならば、使用して差し支えありません。信心の上から、御本尊に向かって現世安穏後生善処を願う勤行に、これを使用して読んではいけません。
【110】
一、袈裟衣等惣じて仏具道具等の事。一向他宗に借すべからず、又他宗の仏具道具等をも法華経の法会に借るべからず、既に非情は有情に随うが故に謗法の有情の道具は自ら謗法の道具なり、但し世事の志にて謗法の道具を正法の方へ取り切り乃至料足などにてかい切って正法の方に成しては子細あるべからず云々。
仏具道具とは葬祭法要に使用する五具足曲勒等の類。料足は使用料、料金である。
袈裟、衣等その他一般の葬祭法要に使用する仏具や道具類については、決して他宗の葬祭法要に貸してはいけません。また、他宗の仏具道具類も、当字葬祭法要に借りてはいけません。前条に述べたごとく、物は所有する人の心が反映しておりますから。謗法の人の所有する道具は、正しく謗法の道具であります。但し交際上のことで謗法の道具であっても当方へ買い取るか、あるいは使用料を借り取って、一応、当方のものとして使用するのは差支えありません。
【111】
一、仏聖人の御使に檀方門徒へ行きて仁義にても引出物を得、布施などをも得たる時は本寺の住持の前にて披露するなり、其のまま我が所には置くべからず云云。
寺の公の御使として、檀信徒の家に行った時、世間普通の礼儀として品物を引出物として頂戴し、あるいは御供養を頂戴した時は、寺に帰って必ず住職(本山は法主上人)におみせして、その指揮に従うのであります。勝手に無断で着服してはいけません。
【112】
一、世間病なんどの有る檀方の方へ御仏の御使に行きて帰りたる時は、水をあびて本堂へ参りて其の後上人の御前へ参りて後に小児などのそばへも行くなり。
世間病なんどとは一般の流行病などの意。御仏の御使とは、法要に行くを指す。小児は、稚児あるいは小僧を指す。
流行病などに罹っている檀信徒の家に法要に行って、帰って来た時は、まず全身に水を浴び、不浄のものを流し(消毒の心もち)そして本堂へ参り礼拝して、住職(本山ならば法主上人)の所へ参って報告しその後に初めて小僧達のいる所へ行きなさい。
(注、医学の進歩してない、その昔に、自ずから病気を伝染せしめない心掛けを教えているので、小児等は病気に罹り易いから、病家から直接に小児の所に行かず、身体を水で消毒し、しかも相当の時間を経て、小児のそばに行くように誡められているのである)
【113】
一、法華宗は人の死去円寂の所をばいまず、只今茶毘のにわより来る禁忌の人なれども一向に忌まざるなり、只産屋月水等をば堅く是れをいむなり云云。
円寂とは、僧の死んだことを円寂という。死去も円寂も同義。本宗においては、人が死んだ所とて別にいみきらうことはしません。また、今火葬場から帰って来た喪に服すべき人々に対しても、決していみきらいません。(注、一般他宗の人々は、この場合、縁起が悪いなどと忌みます。また、特に神道ではやかましくいいます)ただし、産屋や月水等は、堅く忌みておるべきであります。
【114】
一、法華宗の御堂なんどをぱ日本様に作るべし、唐様には作るべからず、坊なんども結構ならんは、中門寄なんどをもすべし云云。
本宗の本堂などは、日本様式に建てなさい。中国式のごとく敷瓦をした形式(禅宗の本堂は此の式である)にしてはいけません。僧坊の方も立派に建てるならば中門を作り、あるいは車寄のような張り出した玄関を作ってもよろしい。
(注、日本式とは、一般世間に見られるあの本堂作りであります。しかし今日は西洋建築が盛んに取り入れられて来ているから、御本尊の尊厳を損せずみんな一様に参拝できるように建立すべきです)
【115】
一、薄袈裟にうづら衣はスワウハカマに対するなり、イクワンの時は法服なり椎を重ねたる衣に長編の袈裟は直垂に対するなり云云。
本宗の薄地の袈裟と粗末な衣を著けた時は、侍の素抱袴(侍の礼服)に匹敵します。侍の衣冠束帯の礼式の時は、正式の袈裟衣でなくてはなりません。一重の着物を重ねた衣で堅くごわごわした袈裟を着けた時は、侍の直垂の姿にあたります。
【116-01】一、釈尊一代の説教に於て権実本迹の二筋あり、権実とは法華己前は仏の権智、法華経は仏の実智なり、所詮釈尊一代の正機に法華以前に仏の権智を示めさるれば機も権智を受くるなり。さて法華経にて仏の実智を示さるれば又機も仏の実智の分を受くるなり、されば妙楽の釈に云く権実約智約数と訳して権実とは智に約し教に約す、智とは権智実智なり、教に約すとは、蔵通別の三教は権教なり、円教は実教なり、法華已前には蔵通別の権教を受くるなり、本迹とは身に約し位に約すなり、仏身に於て因果の身在す、故に本因妙の身は本、本果の身より迹の方へ取るなり、夫れとは修一円因、感一円果の自身自行の成道なれども既に成道と云う故に断惑証理の迹の方へ取るなり、夫より巳来機を目にかけて世々番々の成道を唱え在すは皆垂迹の成道なり、華厳の成道と云うも迹の成道なり、故に今日、華厳、阿含、方等、般若、法華の五時の法輪、法華経の本迹も皆迹仏の説教なる故に本迹共に迹なり、今日の寿量品と云うも迹中の寿量なり、されば経に約すれば是れ本門なりと雖も文
(この条は続く)
修一円因、感一円果とは、修因感果の理を云うのであって、本因妙を修して本果妙に至るのを云う。釈尊一代五十年の説教は権実と本迹の二た通りに分つことが出来るのであります。権実というのは法華経已前の教は仏の方便の教であり、法華経は仏の真実であります。
つまり釈尊一代の説法を聴聞する人々について、法華経已前においては釈尊は仏の方便をもって説かれた教でありますから、それを受ける人々も方便を受けるのであって、ついで法華経を説いて仏の真実を説かれたのでありますから、人々も真実の教を受けたのであります。
ゆえに妙楽大師の解釈に権実約智約数と説いております。権実を云うことは、智と教について論ずることができます。智について論ずるとは、方便を説く妙智と真実を説く妙智であります。教について論ずるとは、蔵通別の三教を方便教として説き、円教を真実教として説いております。
よって法華経已前の人々は蔵通別の三方便教を受けているのであります。本迹については、身と位とについて論ずることが出来るのであります。身について論ずれば、仏身には因身と果身とがあります。よって本因妙の身は本とし、本果妙の身より余は迹とするのであります。(血脈抄に日蓮は本因妙を本と為し、余り九妙を迹と為すなり、とあり)そのわけは、釈尊は本因妙を修行して本果妙に至る。御自身の自行で成道したのでありますが、すでに熟脱が成道でありますから、断惑証理の覚の辺は迹とするのであります。
成道以後、人々を目がけて救済のため三世にわたって成道を説くのは、すべて垂迹の成道であります。すなわち迹の仏身であります。それ故に、華厳経の仏と云うも迹仏であります。今日釈尊の華厳、阿含、方等、般若、法華の五時の説法は、迹仏であり、法華経が文上に本門迹門と分けられるが、ともに迹仏の説法でありますから、本迹ともに迹となるのであります。今日釈尊の寿量品も、迹中の寿量品と云う事になります。(血脈抄に、本因妙を本とし今日寿量の脱益を迹とするなり、とあり)よって法華経について論ずれば、本門といっても迹門ということになります。すなわち文上の寿量品は迹門であるということになるのであります。
【116-02】
さて本門は如何と云うに久遠の遠本本因妙の所なり、夫れとは下種の本なり、下種とは一文不通の信計りなる所、受持の一行の本なり、夫とは信の所は種なり心田に初めて信の種を下す所が本門なり、是れを智慧解了を以てそだつる所は迹なり、されば種熟脱の位を円教の六即にて心得る時、名字の初心は種の位、観行相似は熱の位分真究寛は脱の位なり、脱し終れば名字初心の一文不通の凡位の信にかえるなり、釈に云く脱は現に在りと雖も具に本種に騰ぐと訳して、脱は地住已上に有れども具に本種にあぐると釈する是れなり、此の時釈尊一代の説教が名字初心の信の本益にして悉く迹には益なきなり、皆本門の益なり、仍って迹門無得道の法門は出来するなり、是れ則ち法華経の本意減後末法の今の時なり。
(この条は続く)
本門とは、ここでいう本門とは寿量品の文底下種の意であります。一文不通とは、文字も読むことのできない愚人のこと。少しも解了を用いないことであります。此の時とは、末法を指す。
地住己上とは、別教の初地、円教の初住已上の菩薩の階級。ともに凡位を除いて聖位に入る位であります。宗祖は「迹の本は本に非るなり」と血脈抄に釈せられておりますとおり、釈尊の寿量品は迹中の寿量であります。そこで本門寿量品の文底下種の心はどうかというと、五百塵点劫の当初の南無妙法蓮華経にあるのであります。それが下種の本種のことで、下種とは一文の解了(智を用ゆること)もない愚者の信を指し、ただ受持の一行にあるのであります。
それは南無妙法蓮華経を信ずるところが種となるので、われわれ凡夫の心田に始めて南無妙法蓮華経の種を下すのが本門というのであります。宗祖は「久遠下種の妙法は本」と釈せられております。この南無妙法蓮華経に智慧、解了を加える時にはすでに釈となるのであります。それゆえ、種、熟、肌の三益をそれぞれ天台の六即の位に当てはめる時は、名字即の位は種、観行即、相似即の位は熟、分真即、究寛即の位は脱(注、理即は、仏性を理としてだれでも具している、というだけであるから、これは除く。日有上人は「理即は但だ種子の本法にて指し置きたるなり」と釈せられております)
種から熟となり、そして脱(得税)すれば、名字初心の一文の解了もない凡位の信の種位に返るのであります。妙楽大師は「脱は現に在りと雖も具に本種に騰ぐ」と釈して、すなわち成仏は別教の初地已上、円教の初住已上に許さるるけれども、結局は久遠下種にもどると説かれているのであります。
末法においては、釈尊一代の説法は寿量品文底の南無妙法蓮華経だけが利益があるので、その外の文上の寿量品ないし二十八品はことごとく迹であって利益なく、ただ文底下種の利益だけてあります。よって末法は迹門無得道の法門と云うことが出来るのであります。
日寛上人は「末法は順逆倶に下種益なり」と撰時抄文段に釈せられております。これで法華経の本意は滅後末法の今の時にあるということがわかります。観心本尊抄に「末法の始めを以て正が中の正と為す」と説かれるがごときであります。
【116-03】
されば日蓮聖人御書にも本門八品とあそばすと題目の五字とあそばすは同じ意なり、夫とは涌出品の時、地涌千界の涌現は五字の付属を受けて末法の今の時の衆生を利益せん為なるが故に地涌の在す間は滅後なり、夫れとは涌出、寿量、分別功徳、随喜功徳、法師功徳、不軽、神力、嘱累の八品の間、地涌の菩薩在す故に此の時は本門正宗の寿量品も滅後の寿量と成るなり、其の故は住本顕本の種の方なるべし、さて脱の方は本門正宗一品二半なり、夫れとは涌出品の半品、寿量の一品、分別功徳品の半品合して一品二半なり、是れは迹中本門の正宗なり、是れとは在世の機の所用なり、滅後の為には種の方の題目の五字なり、観心本尊抄に彼は一品二半、是れは但題目の五字なりと遊す是なり云云。
地涌千界とは涌出品に説く、大地から涌き出でた、たくさんの菩薩をいう。住本顕本とは本門開顕の十重顕本の第五、日有上人は就仏本意の理と釈せられております。仏の本意につき本を顕わすことであります。
(注、本文はちょっと読むと、日有上人が八品に組しているかの様に曲解されやすいが、熟読すると八品との間に厳然たる一線があるのが知れるのであります)
されば、宗祖日蓮大聖人が御書に本門八品(注、在世の種は八品)と題目の五字(注、滅後末法の種は本因妙の題目)と同じく種とせられております。そのわけは、涌出品の時に大地より涌出したたくさんの菩薩は、上行を上首として神力品において南無妙法蓮華経の付属を受けて、末法の今の時、その題目を下種して、われわれを利益するためでありますから、地涌の菩薩がいる期間は、在世においても滅後を表わすことともなります。
それ故、涌出品、寿量品、分別功徳品、随喜功徳品、法師功徳品、不軽品、神力品、嘱累品、の八品の間中、地涌の菩薩が出現しておりますから、この時は在世の本門正宗の寿量品(文上の寿量品)も、滅後の寿量品(文底の南無妙法蓮華経)と同じ形式となるのであります。本門八品は、仏の本意につき本を顕わすところの種の方となり、文上の本門の一品二半は脱の方となるのであります。
一品二半とは涌出品の半品と寿量品と分別功徳品の半品を合して、一品二半というのであります。すなわち、文上の迹中の本門正宗であって、この種、脱は、在世の人々のために必要であるのであります。滅後末法の人々のためには本因下種の南無妙法蓮華経であります。血脈抄に「応仏と天台とは正宗一品二半を本門と定む、報身と日蓮とは流通を本と定む」と、また「我が内証の寿量品とは脱益寿量の文底の本因妙の事なり、その教主は某なり」等の御文思い合わすべきであリます。観心本尊抄に「彼は脱、是れは種、彼は一品二半、此れは但題目の五字なり」と宗祖が御書判せられたとおりに、釈尊と宗祖とは種脱の異が明らかであります。
【117】
一、神座を立てざる事、御本尊授与の時、真俗弟子等の示し書之れ有り、師匠有れば師の方は仏界の方、弟子の方は九界なる故に、師弟相向う所、中央の妙法なる故に、併ら即身成仏なる故に他宗の如くならず、是れ即ち事行の妙法、事の即身成仏等云云。
示し書とは神座を授与の時、法主の名判ありて、本人の法名を書き示さる、その中央は南無妙法蓮華経であります。法名は、僧俗あるいは弟子の別なく、神座もしくは、御未来御本尊授与の時、法主上人の書き判あって、法名を書き示されて授与になるのであります。授与の本尊に法主が書き判せられるから法主は主の方で仏界の方であります。
法主が書き示されるは弟子の方で、九界の方でありその師弟相対して中尊の南無妙法蓮華経に相向ふので、その所が当位即妙の即身成仏であります。他宗のごとく、紙や木で立派な位牌を作るのとは、異なるのであります。他宗のごとく、ただ、亡者の者だけ書くのは、師弟相対でなく、即身成仏の件もなき理の姿であります。本宗のごとく、師弟相対して中尊の南無妙法蓮華経に向うのは、事行の南無妙法蓮華経で、事の即身成仏であります。
【118】
一、当宗には断惑証理の在世正宗の機に対する所の釈迦をば本尊には安置せざるなり、其の故は未断惑の機にして六即の中には名字初心に建立する所の宗なる故に地住已上の機に対する所の釈尊は名字初心の感見には及ばざる故に、釈迦の因行を本尊とするなり、其の故は我れ等が高祖日蓮聖人にて存すなり、経の文に若遇余仏便得決了文、疏の文には四依弘経の人師と訳する此の意なり、されば儒家には、孔子老子を本尊とし、歌道には人丸・天神を本尊とし、陰陽には晴明を本尊とするなり、仏教に於て小乗の釈迦は頭陀の応身、権大乗の釈迦は迦葉舎利弗を脇士とし、実大乗の釈迦は普賢文殊を脇士とし、本門の釈迦は上行等云云。故に滅後末法の今は釈迦の因行を本尊とすべきなり。其の故は神力結要の付属とは受持の一行なり、此の位を申せば名字の初心なる故に釈迦の因行を本尊とすべき時分なり、是れ則本門の修行なり、夫とは下種を本とす、其の種をそだつる智解の迹門の始めを熟益とし、そだて終って脱する所を終りと云うなり、脱し終れば種にかえる故に迹に実体なきなり、妙楽大師、離脱在現、上の如し云云、是れより迹門無得道の法門は起こるなり云云。
断惑証理とは、煩悩を断尽して涅槃を証すること。釈迦の因行とは久遠元初の本因妙の南無妙法蓮華経を指す。若遇余仏便得決了とは法華経方便品の句で声聞が今仏(釈迦仏)の化導に漏れたならば滅後に余の仏に遇い奉って成仏することが出来ると云うこと。その余仏とは、末法出現の宗祖日蓮大聖人のことであります。
脇士とは、仏の脇に侍して教化を助ける菩薩あるいは聖者。頭陀の応身とは、歴劫修行によって、ようやく得た劣応身の仏で、小乗の釈尊のこと。本宗にては、煩悩を断尽して証を得た釈尊在世中の正機である二乗に対しての仏でありますので、その釈尊を本尊としません。
末法は下種の南無妙法蓮華経が正宗で、在世および過去の仏法は、序分となります。本宗はいまだ煩悩を断尽しない凡夫で、六即の中では名字即の初心の者のための宗旨でありますから、別教の初地已上、円教の初住已上の聖者に対する仏である釈尊は名字初心の凡位の者の感覚には、とうてい、およばないのです。
そこで本宗は、久遠元初の本因妙の南無妙法蓮華経を本尊とするのであります。その仏は宗祖日蓮大聖人であります。本因妙抄に「本因妙の行者日蓮」と遊ばされてあるとおりであります。
また方便品に、もし今の釈尊にて得税ができなければ、滅後来世において他の仏によって成仏することができると、説かれてあります。妙楽大師は、この文を文句記において四依弘経の人師であると釈しております。末法における四依弘経の人師とは取りも直さず、宗祖日蓮大聖人であります。
中国の儒教においては孔子を、道教においては老子を、それぞれ本尊としております。わが国の歌道にては、柿本人麻呂、菅原道真を本尊とし、陰陽師(天文、暦数等をつかさどる)においては安部晴明を本尊とするのであります。すなわち、その道の覚者、指導者が、本尊とあがめられるのであります。
仏教においては、小乗教の仏(本尊)である釈尊は、修行を積んで貧者をはらった劣応身の仏であります。権大乗の仏である釈尊は、迦葉尊者、舎利弗尊者を脇士仏とし、実大乗教の仏である釈尊は普賢菩薩、文殊菩薩を脇士仏とし、法華経本門の仏である釈尊は、上行、無辺行、浄行、安立行の本化の四菩薩を、脇士仏とするのであります。
滅後末法は久遠元初の本因妙の南無妙法蓮華経を本尊として、「所謂る宝塔の内の釈尊、多宝、外の諸仏、並びに上行等の四菩薩を脇士」とするのであります。観心本尊抄に「此の時地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為す」の通りであります。
この地涌千界は、神力品において四句の結裏付属を受けて、滅後末法に出現して「一間浮提第一の本尊を此の国に立つ」のであります。その神力結要とは四句の結要、名体宗用すなわち南無妙法蓮華経であって、それを末法に流布するのであり、凡位のわれわれは受持の一行によって得られるのであります。
われわれの位は名字初心でありますから、このような久遠元初本因妙の南無妙法蓮華経を本尊とするのであります。このことを本門の修行といいます。それは下種を本位とするので、もし、その仏種を智慧解了によって行く迹門の始めを熟益とし、悟り終ったところを脱益とするのであります。脱し終れば種にかえるのでありますから、種を本とし、熟、脱は迹で、この迹は常に動進しているのでありますから、実体はないのであります。それゆえ、妙楽大師は「脱は現に在りと雖も具に本種に騰ぐ」と申され、脱にて成仏はなく、種に返って成仏があると示されているのであリます。これゆえに、迹門無得道と申されるのであります。
【119】
一、法華経を修するに五の様あり、夫れとは受持、読、誦、解説、書写等と云云、広して修するは像法の読誦多聞堅固の時節なり、今末法は根機極鈍の故に受持の一行計りなり、此の証人には不軽菩薩の皆当作仏の一行なり、不軽も助行には二十四字を修したもうなリ、日蓮聖人は方便寿量の両品を助行に用い給うなり。文を見て両品をよむは読、さてそらに自我偈を誦し今此三界の文を誦し、塔婆などに題目を書写するは、受持の分の五種の修行と心得べきなり云云。
五つの様とは、五種の行、すなわち五種法師の修行で、法華経法師品、法師功徳品に説かれる。皆当作仏の一行とは、常不軽菩薩品に説かれる不軽菩薩が、一切衆生の作仏を信じて但行礼拝の一行を行ずること。
法華経の修行に五種法師の行があります。それは、受持、読、誦、解説、書写の五つであります。広く五種の行を、それぞれ修行することは、像法の後期、読誦多聞堅固の時代の修行の方法であります。今日末法の人々は、鈍根、劣機の愚人でありますから、信ずるが故に受け、念ずるが故に持つの受持の一行だけで、よろしいのであります。
その証拠として、過去の不軽菩薩は皆まさに作仏すべしとの信のもとに、但行礼拝の一行のみ行じたのであります。しかし、その不軽菩薩も、但行礼拝の一行を正行としましたが、助行として「我深く汝等を敬う、敢て軽慢せず、所以は如何、汝等、皆、菩薩の道を行じて当に作仏することを得べし」の二十四字を、読誦修行したのであります。
宗祖日蓮大聖人は、唱題をもって正行としましたが、方便品と寿量品を助行として読誦せられました。以上のように、方便品、寿量品をもって読むのは読、暗誦して読むのは誦、塔婆に題目や経文を書くのは書写とそれぞれ、読誦書写の修行にあてはまりますが、その修行は受持正行の上にある五種の行で、どこまでも主体は久遠元初本因妙の南無妙法蓮華経を受持するをもって、正行と考えなければなりません。
【日達上人・註】
以下の二章は、日有上人の御仰せではなく、日住師が一乗要決と涅槃経から引用して加入して、正法精進を勧められたのであります。
【120】
一、一乗要決に日く諸乗の権実は古来の諍いなり、倶に経論に拠り互に是非を執す、余、寛弘(丙午)の歳冬十月病中歎じて曰く、仏教に遇うと雖も仏意を了せず、若し空手に終ては後悔何ぞ追わん、爰に経論の文義、賢哲の章疏、或は人をして尋ねしめ、或は自ら思択し、全く自宗他宗の偏党を捨て専ら権智、実智の深奥を擇ぴ終に一乗は真実の理、五乗は方便の説なるを得たる者なり、既に今生の蒙を開く、何ぞ夕死の恨を遺さんや文。
一乗は真実の理、一仏乗すなわち法華経は仏の真実を説いた教理であるの意。
五乗は方便とは、五乗は人、天、声聞、縁覚、菩薩の五つ、人天併称して四乗ともする。さらに人天乗を後の三乗に入れて、三乗と総称するのが普通である。天台大師が、一乗真実、三乗方便と判ぜられたのに対し、法相宗の慈恩大師が一乗方便・四乗真実と主張した。伝教大師は、この慈恩の解釈の誤りを指摘して、一乗真実・三乗(五乗)方便を釈せられたのであります。
恵心僧都(九四二~一〇一七)は、その著書一乗要決(寛弘三年〈一〇〇六〉の著)において、諸宗の権実は古来からあります。みな、それぞれ経論を根拠として、たがいに是非を論じあっております。が、私は(慧心僧都)寛弘三年(一〇〇六)十月に、ちょうど病中でありましたが、歎息して思いますのに、遇いがたい仏教に遇いたてまつっても、仏様の真意を了解できず、いたずらに一生を終ったならば、後悔してもおよぴません。
そこで、経文や論義および先師の章疏を、使いを中国につかわし、この時代の名僧四明智礼に問尋し、あるいは自分で思惟して、自他宗の偏執を捨てて、ただ仏の方便の説と、真実の説法とを分別取捨して、ついに一乗は真実の教理であり、五乗は方便の教であるという結論をえたのであります。これによって、自分の今生における迷いの目を開き得ましたので、すぐこのまま死んでも、少しも心のこりはありません。
【121】
一、涅槃経の九に曰く、諸の衆生命終の後、阿鼻地獄の中に堕して方に三思有り、一には自ら思わく我が至る所何れの処ぞや、則ち自ら知りぬ是れ阿鼻地獄なり、二には自ら思わく何の処より而も此に来生する、則ち自ら知りぬ人界の中より来る、三には自ら思わく何れの業因に乗じて而も此に来生する、即ち自ら知りぬ大乗方等経典を誹謗するに依って而も此こに来生す。
涅槃経の九に多くの人々は死んで阿鼻地獄に堕ちて初めて反省し、三思があります。
第一は、自分で今来たところはどこであるかと考え、これは阿鼻地獄であると思惟します。次に自分はどこから、この阿鼻地獄へ来たのであるかと考え、それは人間界より来たのであると思惟します。最後に、では自分はどういう因縁によって、この阿鼻地獄などへ来たのかと考え、それは大乗経典の法華経を誹謗した罪業によって堕墜したのであると思惟します。よって正法誹謗の罪の深きことを知るのであります。
(注、右二条は、特に引用して、われわれは生をこの世にうけて、仏法に遇いたてまつったならぱ、法華経の弘経に精進することをすすめ、謗法を固くいましめられたのであリます)
【本文・南条日住師】
「仰せに日く二人とは然るべからざる由に候、此の上意の趣を守り行住坐臥に拝見有るべき候、朝夕日有上人に対談と信力候わば冥慮爾るべく候なり」
時に文明十五年初秋三日書写せしめ了んぬ。
御訪に預るべき約束の間、嘲りを顧みず書き造らせ候なり、違変有るべからず候。筆者 南条日住
日有上人の仰せによれば、一人(日鎮上人)にかぎリ申し伝えてよろしいとのことであります。前述の各条を日常に拝見して守っていただきたい。そうすれば、毎日、日有上人とお話しをしあっていると同じであります。そこに、はかり知れない仏様のお心持があると思います。文明十五年(一四八三年)七月三日書写しおわる。
私(日住)は老年で、あなた(日鎮上人)に葬式をしていただく約束でありますから笑われてもかまいませんから、この条々をあなたのために書きつかわします。この条目に決して違背してはいけません。筆者 南条日住
以上、百二十一箇条を略解して見ました。まったく、今日の総本山の山法山規の綱格をなしているのであります。日興上人の御遺誡置文二十六箇条と、この百二十一箇条は、正宗をして宗祖滅後六百七十八年(昭和三十四年)の今日まで、一豪の謗法すら、なからしめた指針であったのであります。
なお、この化儀抄は、数条の項目と、名称の死語等を取れば、全抄が今なお玉条として活用されているのであります。正宗の僧俗は、本抄を、もう一度、熟読玩味いたしましょう。