日蓮正宗のススメ

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日蓮正宗 法華講員の体験談 「どんな壁も折伏実行で乗り越えることができる」

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仏様の力で壁を乗り越えましょう

(H30.01.21南近畿地方部総会より)
寧楽寺支部 K畑N啓さん(イニシャル)

 折伏〟でその先へ 夢にも思わなかった結果に
 私は、若い頃にヤクザの道に入り悪いことを悪いと思わずに生きていました。刑務所に二回目に入ったとき、いつまでこんなことをしているんだ、このままじゃいかん、極道をやめよう、という思いが涌いてきました。
人生をやり直そうと勤行を始める

伯母から御書とお経本の差し入れがあり、また毎月、『大白法』『妙教』の差し入れもありました。私は、伯母を縁として中学生のときに入信していたのです。人生をやり直したい、まじめな人生を歩こうと決心し、刑務所の中で勤行を始めました。勤行は今日まで欠かさず続いています。
 刑務所を出所して、寧楽寺に挨拶に行って決意を述べると、御住職・渡辺雄布御尊師より「折伏をしなさい」と言われました。また、伯母にこれからの人生を相談すると、「それには折伏しかない」と教えられました。
 よし判った、折伏をしようと決意し、手当たり次第に折伏をしました。四年ほど前の頃です。仕事は、解体工事の作業員として働きました。

折伏で変わった境界 福島の除染に携わる

 そうして一年が過ぎた頃、福島で放射能汚染の除染の仕事をしないかという話が入ってきました。東日本大震災で福島の原子力発電所が大きな被害を受けたことは、皆さんも覚えていらっしゃることと思います。
 発心してからの一年間で、五十人近くの人を折伏しました。それ故でしょうか、まじめに生きていこうという思いは強くなり、何かお国のためになる仕事はないかと思っていました。ちょうどよいのではないかと思って、除染作業の仕事をすることにしました。
 福島には十二名で行きました。私ともう一人は既に信心していたので、一緒に行くあとの十名を折伏しました。私自身の体験を踏まえて話し、さらに寧楽寺で御住職様が謗法厳誡等、お話くださって折伏してくださり、十名は御授戒を受けて入信しました。

最初の困難

 そして福島に到着したところ、何と仕事も寝る所もないのです。
 悪質なブローカーに騙されたのでした。身ぐるみはがされた上に裸で知らない町に放り込まれたようなものです。途方に暮れました。
 私一人なら大阪に帰るという選択肢もありましたが、他に十一人の仲間がいます。もうこうなれば、福島で除染作業をやると決めた以上やるしかない、ここで負けるわけにはいかない、と腹を括り、除染作業を請け負っている会社に片っ端から飛び込み、仕事をさせてくださいとお願いして回りました。
 何軒か回って、やっと条件のよい会社と契約できました。ほんまによかった、みんなを安心させることができてよかったと、心から思いました。
 仕事の現場は福島県川又町の山木谷地区という所で、当時は放射能が特に高かった場所です。そこで、いろいろな人と出会いました。全国から除染作業をするために、作業員が続々とやってきていました。
 皆がみんなお国のためとは考えていません。給料がよいからという理由で来ている人が大半でした。そういう訳で少し温度差はありましたが、他人は他人、自分なりにがんばってみようと思い、危険な現場ではありましたが懸命に仕事をさせてもらいました。

仕事ぶりが認められ

 一生懸命にがんばって仕事をしていたら、ある日、元請けの所長さんから、職長になりなさいと言われました。びっくりしましたが、訳も判らず職長になりました。
 それからがたいへんでした。書類作成や会議など、今まで経験したことのないことの連続で、朝六時に現場事務所に出動して、朝のKYの作成。KYというのは「活動報告書」という書類です。危険予知報告活動といって、その日の現場の危険箇所を調べて報告することです。
 また、朝礼の準備などをします。そして職長四人で総勢二百四十名の人員の配置、現場の段取りもします。
 毎日が忙しく、やったことがない仕事ですので、本当にたいへんでした。朝六時に現場到着ですので、朝三時半に起床して、勤行して、朝ご飯を食べて寮を五時前に出発します。夜は七時まで仕事をして寮に帰り、風呂と洗濯、夕の勤行、食事などを済ませて寝る、という生活を送っていました。
 そのようなとき、現場の元請け会社で管理技術者をされていた福田さんと出会いました。
 福田さんから、
 「君はこれからの人生をやり直したいと考えるなら、資格を持たないとゼネコン(大手総合建設業者)の仕事は難しいよ」
 と言われました。
 「ゼネコンの仕事を得るには資格を持っていて当たり前」ということです。そのような社会の仕組みを知らなかった私はハッとしました。そうか、よし、資格を取りまくってやるぞと決心しました。
 それからは、資格試験の行われる日時を調べては、試験を受けるための努力と勉強をしました。その結果、技能主任者の資格を七つと重機関係を三つ、そして特別講習を十四と、がんばって資格を取りました。
 やはり言われたように、資格を取るとゼネコンの仕事もできるようになってきました。徐々に大きな仕事も取れ、皆で喜んで仕事をしていました。

またまた途方に暮れるも守られて

 そのようなとき、ゼネコンの大成建設の所長に、私のことでどこからか、「お宅はヤクザ者を使うのか」という内容の電話があったようです。
 現場にいる私の所に元請けの所長が来て、「すぐに現場の仕事を止めなさい」と言うのです。
 何事かと思いましたが、どうやら私のせいで、一緒に来た十一人全員が現場退場になるかも知れないというのです。
 どういうことか聞くと、所長から、逆に「K畑さんはヤクザですか」と問われました。「違います」と言いましたが、昔のことを誰かが密告したのだなと思いました。
 私だけならいいのですが、一緒に来た他の十一名まで、明日から現場に出ないでくださいと言われました。
 もうだめだ、仲間に申し訳ないが、仕事ができなくなるかも知れないと思い、説明して謝りました。生活があるのにどうしよう、とみんなに言われて、途方に暮れました。
 そして明くる日、私への聞き取り調査がありました。建設会社の所長たちの前で、私だけ退場処分にしてください、他の者はこのまま仕事を続けさせてくださいと、必死でお願いしました。
 すると、
 「あなたのことはいろいろと調べさせてもらいました。警察にも問い合わせましたが、もうあなたは一般人になっているので会社のコンブライアンス(法令遵守にも抵触しません。問題なしです。明日から現場に出て一生懸命にがんばって仕事をしてください」
 と言われました。これは信心のお陰や!、御本尊様に守られた!、と思いました。
 あとで聞いた話ですが、私のことをいろいろと調べていくうちに、どこの現場よりも短期間で丁寧にきっちりと仕事をしていると評価されて、逆に私の仕事ぶりが認められたそうです。
 所長から
 「過去は変えられないけれど、未来は変えることができるから、がんばって仕事してくださいね」
 と、にこにこしながら言われました。私は、ほんまに諸天善神に守られるんや!、ピンチはチャンスの始まりやな!と思いました。このような次第で仕事は一層、順調に運び始めました。

舞い込んだ仕事 活躍の場が広がる

 明くる年の盆休みに大阪に帰って休んでいると、私が以前働いていた解体屋、H之内建設の社長さんと、茨城県にあるK保田建材の専務さんが私に会いに来られました。何事かと思いましたら、「これから仕事をしていくに当たり、手を組んでやりませんか」という申し出でした。
 K保田建材はそれほど大きな会社ではありませんが、五十年の歴史のあるしっかりした会社です。一匹狼でいるよりも、自分たちの保証もされると考えて、翌年からの除染作業をK保田建材ですることに決めました。このお二人も御授戒を受け、入信されました。
 しっかりした会社がついてくれたお陰で大きな仕事が取れるようになり、福島の除染仕事だけでなく、岩手県の山間部の土地造成、北関東での大規模ソーラーパネル設置など、全国規模の、何億円というお金の動く仕事が入ってくるようになりました。
 昨年から、関西でも仕事をしようと、関西支社を大阪に作りました。私は取締役事業本部長という難しい肩書きまでついて、大阪に戻って仕事をするようになりました。
どんな時も折伏を実践したからこそ

 こんなことになろうとは、福島に行ったときには夢にも思わなかったことです。
 私は福島、北関東など、どこの現場に行っても折伏をしました。御住職の御指導をいただいて、行った先の寺院で、御授戒を執り行っていただきました。人生は山あり谷ありですが、折伏をしないと前には進みません。今まで百名近くの方の折伏が成就しましたが、その何倍もの人に断られています。
 例えば、青森で折伏したときなど、十三名の方がいったんは入信を決めて謗法払いをしたのに、御授戒用紙に名前を書いている最中、突然一人が
「先祖代々うちはイタコです。やっぱり……」
と言い出すと、全員が右へ倣えしてしまった、ということもありました。イタコというのは津軽半島の恐山などで、死者の霊を口寄せするのです。
 「何でや、せっかく正法によってこれから幸せになれるのに」
 と思いました。
 そういうことがあると、
私がもっともっと幸せになれば、周りの人たちが「なぜそんなに幸せなの」と聞いてくれ、「幸せになりたかったら邪教を捨てて日蓮正宗の信心をしましょう」と折伏がもっとできるのにな、と思います。
 昔は、お金があって何でも手に入ればそれが幸せだと思っていましたが、すべてをなくしたとき、そんなものは幸せではないのだと気づきました。今は家族もでき、家族全員で朝と夕の勤行ができて幸せです。

これからも折伏と育成の行動誓う

 最後に、もう一つ皆さんに報告することがあります。
 私は昔はヤクザ者でしたから、入れ墨や覚醒剤などで自分の体を傷めてきました。このような者は、多くが肝臓に障害が出るのです。私もC型肝炎に罹り、肝臓のγ―GTP(肝臓や胆管の細胞が壊れると数値が高くなる〕が六〇〇を超え体調不良があって、長生きはできないと思っていました。
 ところが、会社の定期検診を受けたところ、何と数値が基準値範囲内の三〇に下がっているのです。驚いて、そんなばかな、間違いかも知れないと思い、改めて他の病院で検査をしてもらったところ、間違いなく三〇に下がっていました。医師は「C型肝炎は完治しています」と断言してくれました。嬉しくて嬉しくて、誰にでも言って回りたい気持ちです。
 長く生きられないと思っていたのが、C型肝炎が治り、信心の無量の功徳を戴き、本当に幸せな人生が始まるかと思えば、毎日が楽しくて楽しくて仕方がないです。
 これからも折伏をして、折伏した人か勤行を一人ででき、一緒に登山したり折伏できるよう、努力してまいります。
大白法H30.02.16

 

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