日蓮正宗のススメ

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1228夜:勤行要典の解説 方便品第二


妙法蓮華経方便品第二

【真読】
妙法蓮華経方便品第二
そんじゅうさんまいあんじょうごうしゃほつしょぶつじんじんりょうもんなんなんにゅういっさいしょうもんひゃくぶつしょのうしょしゃぶつぞうしんごんひゃくせんまんのくしゅしょぶつじんぎょうしょぶつりょうどうほうゆうみょうしょうじんみょうしょうもんじょうじゅじんじんほうずいしょせつしゅなん

【訓読】
 とき世尊せそん三昧さんまいより、安詳あんじょうとしてって、舎利弗しゃりほつに告げたまわく、諸仏しょぶつ智慧ちえは、甚深じんじん無量むりょうなり。智慧ちえもんは、難解なんげ難入なんにゅうなり。一切いっさい声聞しょうもん辟支仏ひゃくしぶつることあたわざるところなり。所以ゆえいかん。ほとけかつて、百千万億ひゃくせんまんのく無数むしゅ諸仏しょぶつ親近しんごんし、ことごと諸仏しょぶつ無量むりょう道法どうほうぎょうじ、勇猛ゆうもう精進しょうじんして、名称みょうしょうあまねきこえたまえり。甚深じんじん未曾有みぞうほう成就じょうじゅして、よろしきにしたがってきたもうところ意趣いしゅがたし。

【通釈】
 その時に、世尊は無量義処三昧という深い冥想めいそうから、真実の智慧をもって、ゆったりとおごそかに起ち上がり、智慧第一の舎利弗にお告げになった。
「あらゆる仏が有する真実の智慧は、はるかに深遠であって無量である。その智慧の門は、実に難解であって入りがたい。すべての声聞や辟支仏には、けっして知ることのできないものである。その理由はなんであろうか。仏は、過去において百千万億もの無数の諸仏のもとで間近く仕え、それぞれの仏の持つ無量の仏道の法をことごとく行じ、意志堅固に、勇んで精進を重ねてきた。そしてその崇高な名声は、一切に聞こえわったのである。このように、はるかに深遠で、いまだかってない法を成就して悟りを得、時や衆生の機根に応じて、様々に説いてきたのであるから、その真意や意向は、実に理解しがたいということである。

【語句解釈】
①世尊…仏の異称、釈尊のこと。
②三昧…無量義処三昧のこと。
舎利弗釈尊十大弟子の一人で、智慧第一といわれた。
④声聞…四諦(苦・集・滅・道)の法を観ずる修行によって阿羅漢果を得た者のこと。
⑤辟支仏…縁覚・独覚ともいう。十二因縁(無明・行・識・名色・六入・触・受・愛・取・有・生・老死)の法を観じ、あるいは飛花落葉等の他の縁によって真理を悟った者のこと。
⑥勇猛精進…勇ましく強い心を持って、ひたすら仏道修行に励むこと。
⑦未曾有の法…いまかつて説かれたことのない勝れた教法。


【真読】
しゃほつじゅうじょうぶつらいしゅじゅいんねんしゅじゅこうえんごんきょうしゅほう便べんいんどうしゅじょうりょうしょじゃくしょしゃにょらいほう便べんけんみつかいそくしゃほつにょらいけんこうだいじんのんりょうりきしょぜんじょうだつさんまいじんにゅうさいじょうじゅいっさいほう

【訓読】
 舎利弗しゃりほつわれ成仏じょうぶつしてより已来このかた種種しゅじゅ因縁いんねん種種しゅじゅ譬喩ひゆをもってひろ言教ごんきょうべ、無数むしゅ方便ほうべんをもって衆生しゅじょう引導いんどうして、もろもろじゃくはなれしむ。所以ゆえいかん。如来にょらい方便ほうべん知見ちけん波羅密はらみつみなすで具足ぐそくせり。舎利弗しゃりほつ如来にょらい知見ちけん広大こうだい深遠じんのんなり。無量むりょう無礙むげりき無所畏むしょい禅定ぜんじょう解脱げだつ三昧さんまいあって、ふか無際むさいり、一切いっさい未曽有みぞうほう成就じょうじゅせり。

【通釈】
 舎利弗よ、私は成仏してからこれまでの間、様々な物事の因縁の相や様々な譬喩を用い、広く言辞をもって教えを演説するなど、無数の方便を用いて衆生仏道へと誘導し、物事へのあらゆる執着から解放させてきた。それはどうしてかといえば、如来は人々を仏道へ導くための巧妙な方便と、真実の悟りに到達する智慧の一切を具え持っているからである。
舎利弗よ、如来智慧は、まことに広大で限りなく、深遠にして極まることがない。したがって衆生の教化における、苦を抜き楽を与える四つの無量心、弁舌にさまたげなき四つの無礙、金剛のような十種の智力、説法に際して畏れなき四つの無所畏、心を一所に定めて静かに真理を思惟しゆいする四つの禅と四つの定の境地、悟りの境地に達すべき禅定法たる八つの解脱、三つの三昧を有して、深く際限のない境地に入り、一切にわたっていまだかってない法を成就したのである。

【語句解釈】
①方便…衆生を教化するために用いる仮りの教え。真実の教法に導くために用いる巧みな手段のこと。
②無量…慈無量心・悲無量心・喜無量心・捨無量心の四つの無量心のこと。
③無礙…法無礙・義無礙・辞無礙・楽説ぎょうせつ無礙の四つの無礙のこと。
④力…仏の具有する知是処非処智力・知三世業報智力・知諸禅解脱三昧智力・知諸根勝劣智力・知種々解智力・知種々界智力・知一切至処道智力・知天眼無礙智力・知宿命無礙智力・知永習気じっけ智力の十種の智力のこと。
⑤無所畏…一切無所畏・漏尽無所畏・説障道無所畏・説尽苦道無所畏の四無所畏のこと。
⑥禅定…禅定とは、心を一処に定めて散乱させず、煩悩をって深く深く真理を思惟しゆいすること。禅には四禅、定には四定がある。四禅は欲界を離れて色界の四禅天に生じさせる初禅・二禅・三禅・四禅の四つの禅、四定は色界から無色界へと導く、空無辺処定・識無辺処定・無所有処定・非想非非想処定の四つの定のこと。さらに小乗には観練薫修の禅、大乗には百八三昧等がある。
⑦解脱…煩悩の束縛から解放され、生死の迷いの苦から脱すること。三界の煩悩を断って、その繋縛けばくから離れる八種の禅定、すなわち内有色相外観色・内無色相外観色・浄背捨身作証・虚空処・識処・無所有処・非想非非想処・滅受想処の八つを八解脱、または八背捨という。さらに大乗の解脱としては、自他一切の繋縛を離れ、教導自在等の意がある。
⑧三昧…空三昧・無相三昧・無願三昧の三三昧のこと。


【真読】
しゃほつにょらいのうしゅじゅふんべつぎょうせつしょほうごんにゅうなんえっしゅしんしゃほつしゅようごんりょうへんほうぶっしつじょうじゅしゃほつしゅせつしょしゃぶっしょじょうじゅだいいちなんほうゆいぶつぶつないのうじんしょほうじっそうしょしょほうにょそうにょしょうにょたいにょりきにょにょいんにょえんにょにょほうにょほんまっきょうとう

【訓読】
 舎利弗しゃりほつ如来にょらい種々しゅじゅ分別ふんべつし、たくみ諸法しょほうき、言辞ごんじ柔軟にゅうなんにして、しゅうこころ悦可えっかせしむ。舎利弗しゃりほつようを取って之を言わば、無量むりょう無辺むへん未曾有みぞうほうを、ほとけことごとく成就したまえり。みなん、舎利弗しゃりほつまた説くべからず。所以ゆえいかん。ほとけ成就じょうじゅしたまえるところ第一だいいち稀有けう難解なんげほうなり。ただほとけほとけとのみ、いまし諸法しょほう実相じっそう究尽くじんしたまえり。所謂いわゆる諸法しょほう如是相にょぜそう如是性にょぜしょう如是体にょぜたい如是力にょぜりき如是作にょぜさ如是因にょぜいん如是縁にょぜえん如是果にょぜか如是報にょぜほう如是にょうぜ本末ほんまっ究竟くきょうとうなり。

【通釈】
 舎利弗よ、如来はよく種々に分別し、巧にあらゆる法を説く。その言辞はまことに柔らかく、衆生の心を悦びで満たすのである。
舎利弗よ、要約してこのことを言うなら、仏は、無量で計り知ることのできない、また、いまだかつてない法を、ことごとく成就したということである。しかし、やめよう、舎利弗よ。もはやこれ以上説くべきではない。その理由はどういうことかといえば、
仏が成就したものは、最も稀であり、実に理解しがたい法である。
そういうところの実相とは、あらゆる存在法に本然として具わり、また現れているところの如是相、如是性、如是体、如是力、如是作、如是因、如是縁、如是果、如是報、如是本末究竟等である」と。

【語句解釈】
①言辞柔軟…柔軟とはやわれかなこと。仏が用いる、衆生の心にかなった優しい言語。柔軟語。
②稀有…めったにないこと。まれなこと。
③如是相~如是本末究竟等…如是相とは事物の相、如是性とは性質、如是体とは本体、如是力とは体に具わる力、如是作とは作用、如是因とは果を招く内的(直接的)原因、如是縁とは結果を生じる外的条件、如是果とは因による結果、如是報とは果が形として現れる報い、如是本末究竟等とは如是相より如是報までの本末が究竟して等しいこと。この十如是は諸法実相を明かし、一念三千の法門の依拠となっている。
 なお、十如是の初めの三如是(相・性・体)は、仏身に約せば三身如来となり、理に約せば三諦となり、功徳に約せば三徳となる。

《三転読文》
十如是の文を三転して読むことを「三点読文」という。天台大師は義によって文を読めば三転となることを明かしている。すなわち、是相如等と読むのは空諦の義、如是相等と読むのは仮諦の義、相如是等と読むのは中諦の義であり、三転読文によって、この空仮中の三諦円融の妙旨が顕れるのである。
 しかし、末法日蓮大聖人の仏法においては、凡夫のありのままの姿、すなわち仮の姿のままの凡夫身に妙法の仏性、仏の当体を顕していくという意義から、天台の三諦読みにとらわれず、如是相、如是性等と三回とも同じ読み方でよいのである。