日蓮正宗のススメ

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日蓮正宗 法華講員の体験談「病により自我を改める機会を戴き、これからめざすは、みんなで幸せになる信行」

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凡夫の嘆きは信心で解決できます

 私は涌徳寺支部、坪井地区に所属しています。両親の折伏が成就した体験をお話させていただきます。
 私は十年前の三十六歳のときに、坪井地区の中村地区長に折伏され、入信しました。当時から住んでいる所が鹿児島市内でお寺から離れているため、御報恩御講への参詣の大事について等、電話で地区長から聞いていました。
 入信した頃は、朝の勤行をすると遅刻しそうな日が続き、
「お経のどこかを短縮できませんか」
と、今考えたらとんでもないことを尋ねたりしていました。地区長からは、
「あと五分早く起きて勤行を始めてください」
と言われました。
会合参加は大事 誓願の意味を知る

 そんな私は、自分中心の信心をしていたため、「誓願」について正しく捉えられず、誓願と言われるたびに、
「なぜ人数にこだわるんだろう」
と思っていました。
 そんな私が
「八代地区の座談会なら、少し近いから参加できるんじゃない?」
と声をかけられ参加するうちに、事願の意味が判ってきて、私の両親も折伏誓願の中に入れていただきたいと祈るようになりました。
 私の実家は、祖母が熱心な生長の家の信者で、両親はそんな祖母につかず離れずの態度でした。両親共、特に信仰心はなく、というより、むしろ全く信じないタイプで、日蓮正宗の話を何度しでも、あっさり聞き流されました。
 私の甥が脳腫瘍になり、そのことで姉一家が日蓮正宗に入信し、当病平癒のため住職代務者・近藤恒道御尊師の御指導をいただいて鹿児島の西大宣寺に参詣するようになっても、けっして耳を傾けようとはしませんでした。
 母の言い分は、
「体がきつくて、あなたみたいには、お寺に行けない」
でした。また、
 「病気になっても駆け込み寺のような信心はしたくない」
とも言いました。いつも最後は、お互い感情的になり話ができなくなってしまいます。
 唱題を重ねているうちに、自分の折伏が自分勝手であることに気づきました。地区の仲間から、
 「もっとご両親の気持ちに寄り添ってあげて。喧嘩になったらだめだよ」
とアドバイスを受けても、
 「こんなに一生懸命話しているのに、何で入信しないんだろう」
 と、母たちを責める気持ちでいっぱいになってしまうのでした。折伏は慈悲行だと頭では判っていても、私自身に慈悲心が涌いてきません。
 「どうやったら慈悲の心が出てくるんだろう」
と、苦しみながら唱題を続けました。
 それから母が病気で手術を受けたのですが、母の体力が戻ったら、何とかお寺に連れていこうと思っていた矢先、今度は私が病気になりました。乳ガンでステージⅡA、全摘という診断でした。
 手術して退院したばかりで体力のない母に私の病気の話はできないという気持ちと、でも私の入院前に入信して欲しいという気持ちで、もう、どうしたらいいか判らなくなっていました。
病には原因が――業病の捉え方を知る
 九月の支部総登山の折、近藤代務者様に、私の病気のことをご報告させていただきました。すると、
 「業病ですから、業が消えたら病気も消えますよ」
と、明るく御指導くださいました。
 また、中村地区長が
「せっかく病気になったのだから、今できる精いっぱいの信心をしよう」
 と言ってくださいました。さらに、熊本市内、西区島崎に住む曽我地区長から体験談を聞くことができ、病をこの信心で絶対に乗り越えようと一日五時間の唱題を決意しました。
 それから坪井地区の仲間がそれぞれご登山して大石寺に集結してくれ、みんなで一緒に御開扉を受けました。入院二日前のことです。絶対に大丈夫だと思えました。
 ご登山から鹿児島ヘ帰って、私の入院までに母が御授戒を受けるチャンスは、残り二日となりました。
 母から、
 「明日はお寺には行きません」
と断りのメールがありました。すると
 「母はなぜ入信しないのだろう。何か理由があるはずだ」
 と、母を理解したい気持ちが涌いてきました。
 次の日、入院の前日ですが実家に行き、母に
 「何で入信しないの、何が嫌なの」
と尋ねました。すると、
 「お寺にしょっちゅう通う体力がないし、あんたみたいに信心する自信がない」
 と話してくれました。でも母は、先祖供養はしたいと思っていたのです。「じゃあ、まず御経日に一緒に行って追善供養をしよう。一つずつやっていこう」
 と言い、
 「今日お寺に行って欲しい」
 と話すと、あっさり
 「判った。今日行きます」
 と言ってくれ、入信できました。このときの私はこれまでとは違って、感情的にならずに、ただただ両親に何があっても絶対的に安心できるこの信心をさせてあげたい、という一気持ちでいっぱいでした。
 次の日、入院する私のために、母は
 「手術の時は御題目を唱えるからね」
と言ってくれました。私は、これで細胞が変わった、ガンは消えると確信しました。
 手術も無事に終わり、病理検査の結果は、ステージⅠになっていました。心配されていたリンパへの転移もなく、抗ガン剤、放射線治療も全く必要なく、ホルモン治療のみでした。御本尊様が守ってくださったと確信しました。
 また、皆さんの御祈念のお陰だと、感謝でいっぱいになりました。お恥ずかしい話ですが、信心は一人ではできないことを今回初めて実感しました。これまでも、講中の方たちに支えられて信心していたのだと思います。
仲間を増やしみんなで幸せに
 ガンになったことで自分本位な信心をしていたことが判りましたので、鹿児島班としても、みんなで信心していける活動をしていきたいと思いました。去年の十一月から、鹿児島まで中村地区長に来ていただいてミニ座談会をしています。術後でまだ車の運転ができない私のために、地区長や坂口さんが運転して、家庭訪問に連れていってくれたり、信心活動を手伝ってくれます。
 今年は、鹿児島班で五名の誓願を決意しています。これからも近藤代務者様の御指導を受け、班の誓願を達成し、今世でも、来世でも一緒に信心活動できる仲間を鹿児島でもっと増やして、みんなで幸せになっていきます。
 平成三十三年・宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年、法華講員八十万人体勢構築に向けた支部誓願達成に、異体同心の団結で励んでいきます。
感想:「せっかく病気になったのだから、今できる精いっぱいの信心をしよう」病気の人に、なかなかこうは言えません。しかし信心の確信に立った人は自分がそういう体験を積んでいるので、「あなたも頑張りなさい」といえるのでしょう。すばらしい! 私たち1人1人がそういう原体験を積むべきなのです。また私もその応援とすべくここに体験談を掲げている次第です。
「なぜ人数にこだわるんだろう」これも当然初心者は疑問に思うところかもしれません。しかし今簡単に言えば「大願とは法華弘通なり」大聖人様の仏法は折伏にあると言っても過言ではないのです。
大白法H30.06.16号より