日蓮正宗のススメ

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1227夜:勤行要典の解説 発刊の辞・勤行について

発刊に当たって
 本宗の信仰修行の基本は朝夕の勤行です。それ故に、勤行において 読誦どくじゅする方便品と寿量品の文意、そして御観念文の意味を知ることは、本宗僧俗にとってたいへん重要です。
 宗内においては、これまでにも勤行要典に関する解釈書がいくつかされてきましたが、それらは初心者にとって難解なものであったり、逆に簡略にすぎるもの、あるいは達意的な解釈に偏ったものなど様々でした。そこで本書では、それらを改めるかたちで、より解りやすく、正確な解説をするよう心掛けました。
 なお、経文については教相上の通釈にとどめ、文底下種仏法の深義による解釈にまでは立ち入っていないことを付記します。
 本書が、読者各位の信心の深化と行学増進の一助となることを期待してやみません。

平成二十年三月二十八日

日蓮正宗宗務院

凡例

一、本文中に引用した文献名には略称を用いた。文献の略称および書名は次のとおり。

御書………平成新編日蓮大聖人御書(大石寺版)
法華経……新編妙法蓮華経並開結(大石寺版)
六巻抄……六巻抄(大石寺版)
文段………日寛上人御書文段(大石寺版)
文句会本…訓読法華文句記会本(富士学林版)
止観会本…訓読摩訶止観弘決会本(富士学林版)

勤行について
 勤行とは勤行とは「勤つとめて善法ぜんぽうを行う」ことであり、仏前でお経を読み、礼拝らいはい供養することをいいます。
 日蓮正宗においては、御本尊に向かって、法華経の方便品第二と如来寿量品第十六を読誦し、南無妙法蓮華経の題目を唱えることをもって勤行とします。
 この勤行は一日に朝と夕の二回行い、御本尊に対して仏法僧の三宝への報恩謝徳を申し上げ、また広宣流布などの諸願成就じょうじゅを祈念し、さらに先祖の追善供養などを行います。 これを毎日、真心を込めて実践することによって、私たちは成仏という本当の幸福境界きょうがいに到達することができるのです。
 勤行の時に方便品と寿量品を読むのは、日蓮大聖人が『月水がっすい御書』に、
法華経は何いずれの品ほんも先に申しつる様ように愚かならねども、殊ことに二十八品の中に勝れてめでたきは方便品と寿量品にて侍はべり。余品は皆みな枝葉にて候そうろうなり。されば常の御所作しょさには、方便品の長行じょうごうと寿量品の長行とを習ひ読ませ給ひ候へ」(御書303頁)
と仰せのように、この両品が法華経の迹門(前半十四品)と本門(後半十四品)の中心として勝れた意義と功徳を持っているからです。
 第二十六世日寛上人の『当流行事抄』に、
「開山已来化儀化法、四百余年全く蓮師の如し、故に朝暮ちょうぼの勤行は但ただ両品に限るなり」(六巻抄193頁)
とあるように、本宗においては御開山日興上人の時代から今日に至るまで、宗祖日蓮大聖人と同じように両品を読誦してきたのであり、この勤行が本宗修行の根本であることが解ります。

正行と助行

 仏教の修行には正行と助行があります。本宗における正行とは南無妙法蓮華経の題目を唱えることで、助行は正行の題目の功徳を助け顕あらわすために行います。この助行には、傍ぼうと正しょうがあり、方便品の読誦が傍、寿量品の読誦が正です。
 正行と助行の関係について、日寛上人は『当流行事抄』に、
「当門所修の二行の中に、初めに助行とは、方便寿量の両品を読誦し、正行甚深じんじんの功徳を助顕す。譬たとえば灰汁あくの清水を助け、塩酢えんその米麺べいめんの味を助くるが如し。故に助行と言うなり」(六巻抄161頁)
と、方便品・寿量品の読誦は、例えば洗濯をするときに洗剤を加えて水の助けとしたり、調味料が食べ物の味を引き立たせるようなものであると仰せです。

方便品読誦の意義

 方便品の読誦には、所破・借文しゃくもんの二義があります。方便品には寿量品顕本以前の体外たいげの方便品と寿量顕本以後、本門に包摂された体内の方便品とがあります、本宗で読誦する方便品は、体内の意です。
①所破のため…一念三千の出処は方便品の十如実相の文であるが、ここで説かれる一念三千の義は、迹門で明かす始成しじょう正覚しょうがくの仏の教法であるため、本門の立場よりこれを破る。
②借文のため…久遠くおん元初がんじょの事じの一念三千を助け顕すために、方便品の十如実相などの文を借りる。

寿量品読誦の意義

 寿量品の読誦には、所破・所用しょゆうの二義があります。寿量品には文上顕本と文底顕本の両種があり、文上は五百塵点劫じんでんごうにおける久遠本果の成道を顕あらわし、文底は久遠元初の成道を顕します。このうち文上には体内・体外たいげの二意があります。体外の寿量品は、久遠元初を知らずに久遠本果の成道をもって本地自行とする立場であり、体内の寿量品は、久遠本果の成道を久遠元初の本仏の垂迹化他と見る立場です。本宗で読誦する寿量品は、このうち体内の寿量品と文底の寿量品です。
①所破のため…五百塵点劫に成道した仏を本果の垂迹仏と見て、これを説き顕した体内の文上寿量品を破る。
②所用のため…正行である題目の甚深の功徳を助け顕すために、久遠元初の本地を顕す文底の寿量品二千余字(内証の寿量品)を用いる。

勤行の姿勢と心構え

 勤行は、御本尊はじめとする三宝に報恩謝徳申し上げるとともに、祈念と回向をする重要な儀式です。それ故、きちんとした身なりと節度ある態度で臨むことが大切です。また御本尊に向かうときは姿勢を正し、胸の前で合掌して、御本尊の中央の「南無妙法蓮華経 日蓮」のお文字を拝します。このとき「妙」の字を中心に拝することを基本とします。
 唱題の心構えについては、第五十九世日享上人が、
「御題目おだいもくの唱へ方は、身に油断ゆだん怠おこたりなきよう、意こころに余念雑念なきようにありたい、口より出だす声は早口はやぐちであたり粘口ねばりぐちであったりしてはならぬ、落着おちついて確固しっかりと尻強しりづよに中音に唱へねばならぬ、唱ふる数には定まりがない、多くとも少すくなくとも其その人の都合つごうであるが、身体からだの方は両の指掌てを合あわせて指先が鼻の下に向くように、眼は確かに御本尊に向ふように、其そうして身体中が歓喜よろこびで勇躍ぞくぞくするようにありたい。御本尊と吾等われらと一体不二に成なるまで励まねばならぬ」(日蓮正宗綱要134頁)
と仰せです。
 本宗僧俗は、音吐おんと朗々と真心を込めて勤行を実践し、
「朝々ちょうちょう仏と共に起き、夕々せきせき仏と共に臥ふす」(御義口伝 御書1749頁)
の金言の如く、御本尊へのお給仕と勤行を生活の中に据え、御本尊の広大無辺なる功徳に浴した人生を送ることができるよう努めることが大切です。

五座の形式と意義

 総本山大石寺では、御開山日興上人以来、歴代の御法主上人により、一日も欠かすことなく丑寅うしとら勤行が行われ、広宣流布の祈念がなされています。
 勤行の形式は当初、天壇(諸天供養を行う所)、本堂、御影みえい堂、客殿等の順に読経・唱題が行われていましたが、江戸時代の初期より、客殿一カ所で五座の形式をもって行われるようになり、現在に至っています。
 日寛上人は勤行の形式について、金沢信徒の福原式治への書状に、
「若もし堪たえたらん人は本山の如ごとく相勤あいつとむべし、若もし爾しからずんば十如、自我偈、題目なりとも五座三座の格式相守あいまもるべし」と、五座三座の形式を守るように御指南されています。
 なお、夕の勤行においては、諸天善神に法味を捧げる初座と、自らの祈念を行う四座を除きますが、これは夕の勤行が下種三宝尊の御加護によって一日を無事にすごさせていただいたことへの報恩謝徳の勤行です。

〔初座〕諸天供養

初座では、正しい仏法とその信仰者を昼夜にわたって守護している諸天善神に対し、東天に向かって方便品と自我偈を読み、引き題目を唱えて法味を捧げます。法華経安楽品行品に、
「虚空こくうの諸天、法を聴きかんが為ための故に、亦また常に随侍せん(中略)諸天昼夜に、常に法の為にの故に、而も之を衛護し、能く聴く者をして、皆歓喜すること得せしめん」(法華経396頁)
とあり、
『平左衛門尉頼綱への御状』に、
「一乗妙法蓮華経は諸仏正覚の極理ごくり、諸天善神に威食いじきなり」(御書373頁)
とあるように、諸天善神は正法の法味、すなわち文底下種の南無妙法蓮食することによって威光を盛んにし、衆生・国土を守護する力が強くなるのです。故に初座で諸天善神に対し法味を捧げ、その威光の倍増を祈るのです。

〔二座〕本尊供養

 二座では、久遠元初の御本仏の当体である独一本門戒壇の大御本尊に対し奉り、その偉大な功徳を讃歎し、報恩謝徳を申し上げます。

〔三座〕三師供養

 三座では、一切衆生の主師親である末法の御本仏・宗祖日蓮大聖人を讃歎し、報恩謝徳を申し上げます。続いて第二租日興上人、第三祖日目上人、第四世日道上人、第五世日行上人等、血脈付法の歴代の御法主上人に報恩謝徳を申し上げます。

〔四座〕広宣流布祈念・その他の祈念

 四座では、まず広宣流布の祈念をします。これは御本仏の大願である広宣流布の達成に向けて、私たちが折伏弘教に精進することをお誓いするものです。
次に、自分自身の無始以来、犯おかしてきた謗法罪障の消滅と信心倍増、さらには無事息災等、諸々もろもろの祈念を行ないます。

〔五座〕回向えこう

 五座では、先祖ならびに有縁うえんの精霊しょうりょうへの追善回向を行ないます。追善回向とは、読経・唱題の功徳を先祖に対して回めぐり向かわしめることです。先祖が成仏するのも、地獄の苦にあうのも、法の正邪によるのですから私たちが末法下種の大法である本門の本尊に向かって精霊の成仏を願うことこそ、唯一無二の追善供養になるのです。
 最後に「乃至法界平等利益自他倶安同帰寂光」と観念し、題目三唱して勤行を終了します。この文は、法界の有情うじょう・非情のすべてが、南無妙法蓮華経の功徳に浴し、皆が平等に成仏得道して寂光土に帰するように願うものです。
 なお、初座から四座までは引き題目を唱えますが、これは唱題の功徳を一天四海乃至、法界全体に遍満させるとともに、化他・折伏の意義から、九界の一切を妙法の大功徳へと誘引して利益するという意味があります。