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1192夜:日有上人・化儀鈔[日達上人略解]①

日有上人・化儀鈔[日達上人略解]①

日有師化儀抄 (日達上人略解)

総本山大石寺には、山法山規という規則があって、われわれは、知らず知らず、その規範に律せられているのである。ところが、この山法山規は、不文律である。しかも、この山法山規は不文律でありながら、総本山には、今日まで、七百年来、厳然と行われているのだから、不思議である。
この山法山規も、そのもとは、二祖日興上人の遺戒置文二十六箇条と、日有上人の化儀抄百二十一箇条にあるのである。

遺戒置文には、
一箇条に於ても犯す者は、日興が末流に有るべからず。

化儀抄には、
この上意の趣を守り、行住坐臥に拝見有るべく候。
と、強く末弟を、誡められているのである。

その末弟を誠められた事がらを、末弟がよく心肝に染めて、伝えたのである。それが、いつか、山法山規という名になって、今日に伝えられたのである。
そして、この化儀抄は、日有上人が直接お書きになったものではなく、弟子の南条日住という人が常々お聞きしたことを書き留められたのを、日有上人の御入滅(文明十四年・1482年)の翌年、文明十五年これを浄書して、本山第十二代日鎮上人に御渡した書物である。

山九代日有上人は、北は奥州から、西は京都まで教化せられ、説法折伏に暇がなかったごとくである。それ故、御真筆のものは、御本尊以外は余りないようである。しかし、常に説法せられたから、弟子たちが、上人の説法、談義の聞書をものせられて、今日に伝えられているものが、多いのである。

日有上人は、文明十四年九月二十九日、入滅の時は、七十四歳の高齢であったから第十代日乗上人と、第十一代日底上人は、すでに御遷化(文明四年・1472年)せられた後で、第十二代日鎮上人は、文明四年、十六歳で血脈相承をうけられているので、日有上人が御入滅の時は、ちょうど二十六歳であった。

そこで南条日住も老年で、すでに自分の死の近きを知り、かねてからの日有上人から聞きおいたことを、年若き日鎮上人に法主貫首としての教訓として、書きつかわされたのである。
 本書は南条日住の正筆そのまま、本山の宝蔵に所蔵している。

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【本抄】
日有仰に日く

【001】
一、貴賎道俗の差別なく信心の人は、妙法蓮華経なる故に何れも同等なり。然れども竹に上下の節のあるがごとく其の位をば乱せず僧俗の礼儀有るべきか、信心の所は無作一仏、即身成仏なるが故に道俗何にも全く不同有るべからず、縦い人愚癡にして等閑有りとも我は其の心中を不便に思うべきか、之に於て在家出家の不同有るべし、等閑の義をなお不便に思うは出家、悪く思うは在家なり是れ則ち世間仏法の二なり。

南無妙法蓮華経と我が正宗の信心をする人は、誰れでも、身分に貴賎上下の隔てなく、僧俗男女の別なく、みんな平等であります。
しかし、竹は幹が一つであります。それでも、上下に、節が次第してあるように、信心の内に入って、そこに、師弟、僧階、入信の前後等の次第がありますから、それに順じて礼儀は守らなければなりません。
もちろん、私どもの信心する所は、久遠元初自受用身の御本尊様で、そして、願う所は、みな即身成仏でありますから、僧俗決して差別あるものではありません。すなわち差別の中に平等があり、平等の中に差別がそなわるのであります。
たとい、物事の道理のわからぬ人があって、物事に注意せず、礼儀に欠けた行為をしても、自分(僧の立場)は、その人の心中を哀れに思って寛恕なさい。そこに、僧の立場と在家の立場の異があるのであります。
そのような無頓着で礼儀をわきまえない者に、憐憫を持つのは、仏様の大慈悲で僧の立場であります。大聖人は、妙一尼御前御消息(御書831頁)に、「仏は平等の慈悲なり、一切衆生のために命を惜み給うべし」と説かれております。
そういう、礼儀をわきまえない者を、憎く思うのは、凡夫の心で、在家の立場であります。こういう所に、世間法、出世間法の異があるのであります。

【002】
一、人の志を仏聖人へ取り次ぎ申さん心中大切なり、一紙半銭も百貫千貫も多少ともに志の顕はし物なり。あらわす所の志は全く替るべからず、然る間同等に多少軽重の志を取リ次ぎ申すべし、若し軽重の心中あらば必ず三途に堕在すべし云云。

仏聖人とは、宗祖大聖人の事でありますが、第三十三条目に、「当家の本尊の事、日蓮聖人に限り奉る可し」とありますから仏聖人とは、御本尊様を指すと思うべきであります。
信者の人が、御本尊様に御供養を捧げたとき、それを取りついで、御本尊様にそなえる時の僧の心構えが大切であります。御供養の物は、軽少の品物や、わずかの金銭でも、その信者の志であり、また千万円の高額でも、同じく信者の志であります。それ故、心から供養するという志は、少しも替りません。
それ故に、供養の志は同じでありますから、そのまま平等に御本尊様にお備えすべきであります。
もし僧が供養の物に、多少とか善悪の考えを持つと、すでに貧欲の心を生ずることになるから、地獄、餓鬼、畜生の三悪道に堕つることになります。よくよく注意すべきであります。

【003】
一、名聞名利は世事なリ、仏法は自他の情執の尽きたる所なり、名聞名利は自身の為なるが故に世事なり、出家として此の心有る時は清浄の仏法を盗んで名聞名利のあきないになす処は仏法を盗むなり、然るべからざる心中なり尤も嗜むべし云云。

名誉利益の心は、世間の事がらであります。自分が他人よリ優越を望むから、名誉利益の心が生ずるのであリますが、仏法に於ては、自他の差別の確執を超越するのでありますから、名誉、利益等は必要がないのであります。
名誉、利益の心は、ただ自己のためでありますから、世間の事がらであります。もし僧にして、名誉心、利益心にとらわれる時は、仏法を売り物にする、仏法の盗人となります、それ故、そうあってはならないことで、僧は慎しんで、戒心しなくてはなりません

【004】
一、手続の師匠の所は三世の諸仏、高祖己来、代々上人のもぬけられたる故に、師匠の所を能く能く取り定めて信を取るべし、又我が弟子も此の如く我に信を取るべし、此の時は、何れも妙法蓮華経の色心にして全く一仏なリ、是れを即身成仏と云うなり云云。

手続とは手順、あるいは順序の意で、仏様の法に到達するには、まず師匠の手を経るし、また仏様の法を受けるにも、まず師匠の手を経るし、また仏様の法を授けるにも、まず師匠の手を経る。その師匠を手続の師匠という。すなわち直接の師匠を指すのであります。もぬけるとは、蛇、蝉、蚕等の成長のとき、外皮を脱ぐこと、抜きんずることである。
師匠は、三世諸仏や大聖人いらい、歴代の法主上人のお心がぬけられて、師匠の所に来ているのであるから、もし出家して師匠に著くには、よくよく、善き師匠を選定して、その師匠の弟子となり、信心をしなければなりません。
また自分が弟子にたいしても、自分が信頼されていることを忘れないで、弟子に大聖人の仏法を授けていかなけれぱなりません。そういう姿が、師弟不二妙法蓮華経の色心一体の信心で、ただ南無妙法蓮華経の御本仏に帰一することで、即身成仏というのであります。

【005】
一、行躰、行儀の所は信心なり、妙法蓮華経なり、而るに高祖、開山の内証も妙法蓮華経なり、而るに行躰の人をば崇敬すべき事なり云云。

信心があれば、行(行躰=修行の体すなわち折伏。行儀=修行の儀式)が、それに伴なうものであります。行躰、行儀の現われは信心であります。信心の帰着は、妙法蓮華経であります。
ところで、御本仏大聖人も、二祖日興上人も、御内証(内心の自覚的証悟)は、妙法蓮華経であり、私どもの信心の帰着する所も、妙法蓮華経でありますから、妙法蓮華経の信心、折伏をなす人に対しては、尊敬すべきであります。

【006】
一、仏事追善の引導の時の回向の事、私の心中有るべからず、経を読みて此の経の功用に依って、当亡者の戒名を以って無始の罪障を滅して成仏得道疑いなし、乃至法界平等利益。

追福作善の法事、あるいは葬式の引導の回向には、導師をなす人は、虚心坦懐いささかも私心を持ってはいけません。ただ読経唱題して、「妙法経力即身成仏」の功用にまかせる時、その亡者を戒名によせて、その亡者の無始いらいの謗法罪障を消滅し即身成仏は疑いないのであリます。乃至その功徳は法界に、平等の利益あらしめるのであります。

【007】
一、同朋門徒中に真俗の人を師範に訴う時、ささえらるる人、起請を以って陳法する時、免許を蒙るなり、然るに支えつる輩は誤りなり、仍って不審を蒙る間、是れも又起請を以て堅く支えらる時は、両方且らく同心なきなり、何れも起請なる故に、仏意計り難し、失に依るべきか云云。

「ささえ」とは、つっぱりのこと。「ささえつる」は、訴えること(原告)「ささえらるる」は、訴えられる(被告)のこと。同じき僧の中において、また信者の中において、僧や信者を、何かのことにつけて師匠の方へ訴えたとき、訴えられた被告人は、神仏に誓って偽りない証文(起請文)を師匠に提出して、事実無根を申し立てるならば、許されます。
そうすると、訴えた原告の人は、偽りを申し立てたことになり、他の者から訥しく思われます。それ故、この原告もまた、起請文を師匠に提出して、一層強く、その事実を言い張ります。
そうなれば、原告、被告の主張が一致しないので、両方とも起請文を書いているのだから、御払意におまかせする外なく、いずれか正しくない方に罰があたるのですから、罰が現われたとき、裁断するのであります。

【008】
一、実名、有職、袈裟、守、曼陀羅本尊等の望みを、本寺に登山しても、田舎の小師へ披露し、小師の吹挙を取りて本寺にて免許有る時は、仏法の功徳の次第然るべく候、直に申す時は、功徳爾るべからず云云。

実名は日号、有職とは阿闇梨号、小師は直接の師匠、吹挙は推薦あるいは口添え等のこと。日号、阿闇梨号、袈裟の免許や、守本尊や、常住本尊の下附を、本山へ登山参詣して願うにしても、まず第一に自分の直接の師匠に話をして、その師匠の添書をもらって、本山に願い出て、始めて許可せられてこそ、功徳が備わるのであります。
もちろん、信者が日号や御本尊の下附を願うのもその通りであります。もし、そういう手続を経ないで、自分勝手に、直接、本山へ申し出た場合は、正式の手続を経た時のようには、功徳はありません。

【009】
一、真俗、老若を斥わず、いさかいを寺中に於て有る時は、両人共に出仕を止めらるるなり云云。

本宗の寺は、異体同心の信心の上に、僧俗男女老若が集まる所であります。それなのに、その人々がその寺の中で喧嘩口論をなした時は、両方の人を、勤行、出仕等の諸役を止めて反省せしむべきであリます。

【010】
一、本寺直檀那の事は、出家なれば直の御弟子、俗なれば直の檀那なり云云。

本山の直檀、直弟とは、弟子ならば直弟子(法主上人の弟子)、信者ならば直檀というのであります。今は、本山大石寺の直檀那というのは、大坊附近の小数の檀家に限りて、特に根檀家といいます。その他は、塔中あるいは地方末寺寺院の檀那(檀家)となるのであります。

【011】
一、末寺の弟子檀那の事、髪剃を所望し名を所望する事、小師の義を受けて所望する時、望みに随う云云、彼の弟子檀那等が我と所望する時は爾るべからず云云。

末寺の弟子や檀那であって、本山に登山して、法主上人について得度を受け、あるいは道号をいただこうとする時はその直接の師から願って始めて、願いが叶うのであります。
また檀家においては、その所属の寺の住職に願い出て、その住職より本山に願って始めて願いが叶うのであります。もし弟子や檀家が、勝手に自分で本山へ願う時は、勝妙の功徳が得られません。

【012】
一、仏法退大する輩、子孫なんどを信者に成し度く所望候、是れは用いられざる事なリ、志の通せざる故なり云云。

正宗の信心が自行化他の信心で、折伏を先とする信心でありますから、とかく、自分は、ついて行けないから、信心を止めるが、正宗の教えは正しいのだから、子供や孫は信者にしておきたいと、申し出て来ても、それは許されません。
なんとなれば、本人の信心が間違ってしまったのですから、子供や孫を信者としても、正しい信心の心が通っておりませんからであリます。

【013】
一、夏中の間勤行を成す人、夏に入るとは申さざるなり、別行の子細候よしを申すなり、案内を申す事は、夏中の間、にら(韮)一もぢ(青葱)を、御前にてたまわらざるは緩(かん)怠なるが故なり。

夏とは安居のこと。一夏九十日(四月、五月、六月の三カ月、夏の間)を取り、一切の他事を去り、ただ学問、修行に従事する。別行とは、一般日蓮宗では、夏と称するが、本宗では別行といいて忌みきらった。
案内とは説明のこと。その意味をのべること。にら一もぢとは、韮と葱のこと。緩怠とは、失礼という意。安居の間でも、本宗では、勤行をなします。それは、本宗では、安居は別行としてこれを嫌い、安居に入っているとは申しませんから。
ちょうど安居の期間中に、韮や葱を、御本尊様の前で食べないのは、そういう五辛(韮(たで)、薤(にら)、葱(ねぎ)、蒜(ひる=野びる)、薑(はじかみ))を食べると、口が臭くなって失礼に当りますから、食べないのであります。安居に入ったから食べないというのではありません。

【014】
一、信者門徒よリ来る一切の酒をば、当住持始めらるべし、只、月見、二度の花見等計り児(ちご)の始めらるるなり、其の故は三世の諸仏高祖開山も当住持の所にもぬけられたる所なるが故に、事に仏法の志を高祖開山日目上人の受け給う姿なり。

信者も門徒も同じ意味。二度の花見とは春の桜の花見と、秋の菊の花見。信者より御本尊様に御供養になった酒はその寺の住職が、まず頂戴して飲み、それから他の者が飲むのであリます。そのわけは、住職は大聖人様や日目上人様のお代理でありますから。
ただ、秋の月見や、観桜、観菊の宴等においては、稚児(沙弥・小僧)を先としなさい。そのわけは、本宗の伝統として沙弥、小僧の中に、日目上人の再誕がいると言い伝えているから、沙弥、小僧を先として、大聖人、日興上人、日目上人が受けられる姿を、事相に表わすのであります。

【015】
一、天台、伝教の恩徳を報ずる事有り是れは熟益の通りなり、さて本門下種の宗なる所には混乱すべからず、内鑑冷然、外適時宜等云云、学問修行して一字一句をも訓えらるる輩をも正法にて訪うべき事なり、其の外歌道を学ぶ時は、人丸の恩徳を大切にし、管絃を学ぶ時は妙音の恩徳を報じ、釜をつかふ時は釜の恩徳を大切にし、臼をつかふ時は臼の恩徳を大切にする事有り云云。

内鑑冷然外適時宜とは、摩詞止観の文。内には冷厳と解了し、外には時の宣しきに従い、権教あるいは迹門に止どまるの意。訪(とむろ)うとは、弔う、すなわち葬儀をなすこと。
昔は本宗にも天台大師、伝教大師の報恩の大師講を行なったこともありますが、それは天台大師も伝教大師も、内鑑冷然、外適時宜の御心持でありますから、迹門熟益の弘経者としての報恩でありまして、本門下種の宗祖大聖人の恩徳と、混同してはなりません。(大師講は今時のものではありませんから今日は行いません)
世間の学問または一般の仏教を教えてもらった師にたいしては、報恩のため正法を説き、もし死んだならば、本宗の信心で葬うべきであります。
そのほかに、もし歌道を学ぶならば、歌聖の柿本人麿の恩を感じ、もし管絃を学ぶならば、昔楽の仏である妙音菩薩の恩を謝し、物品にしても、釜を使うときは、その徳を思い、臼を使うときは、その徳を考えて、それぞれ、大事に使用すべきであります。

【016】
一、手水の事、塩気に限るべし、不浄の物なるが故に、ただし酒には手水を仕うべし、破戒なるが故に云云。

水で口を濯ぎ、手を洗うことは、塩気の物(昔は魚肉を食わないから)を食べたときに、いたしなさい。塩気は不浄物でありますから。その外には、飲酒したときにも、口を濯ぎ手を洗いなさい。飲酒することは、不飲酒戒を犯すことになりますから。

【017】
一、仏法同心の間に於て人の遺跡を相続する時は、別の筋目の仏法の血脈にも入るなり、同心なき方へは、たとい世事の遺跡を続ぐとも、我が方の血脈にはなすとも、同心せざる方の邪法の血脈には入るべからず云々、邪法の血脈に子供を入るる時は、其の親の一分謗法になる姿なる故に親に中を違うべし云云。

同心とは同信者。遺跡とは遺産のこと。本宗の信者の所へ、子供を養子にやって養家の家名や遺産を相続する時は、実家の傍系の法統に入ることになりますが、もし他系の家に養子に行ったならば、たとい、世間的な家名遺産を継いでも本宗の信心をなさしめて、決して他宗の信心を継いではいけません。
養子が他宗謗法の信心を継ぐ時は、その実の親も一分の謗法罪を犯すことになるから、本宗の信者で、今までその親と交際していた人は、与同罪を怖れるため、その親と絶交すべきであります。

【018】
一、二親は法華宗なれども、子は法華宗に成るべからずと云う者あり、其の時は子に中を違うなり、違わざる時は師範の方より其の親に中を違うなり云云。

両親が本宗の信者でありながら、その子供で正法に背いて謗法になる者があれば、親はその子供を義絶すべきであります。また同信者も、その子供と絶交すべきであります。もし、その親が子供を可愛さに義絶しなければ、その親の所属の寺の住職は、その親を離壇すべきであります。

【019】
一、二重、十二合、瓶子等は其の時の亡者を翫したる躰なり、此の世界の風俗なり、仍って仏事作善の時は先ず三献の酒の様有リ、点心はあれども所具に用うるなり、能具は酒なり、たとい湯なんどを引けども、酒過ぎて点心の前に引くなり。

二重とは重箱、十二合とは入子になった器物(挽物の器)瓶子とは酒の徳利、点心とは間食、おやつ、菓子等のこと。仏前に重箱や、たくさんの器物に御馳走を盛り、徳利に酒を入れて備えるのは、追善回向をしようと思う、精霊を接待する有様であリます。
これは信仰に関せず、世間の習慣で、如在の礼をなしているのであります。同様に、法事のときに、お客を饗応するに、三度お酒を献ずる式もあります。お菓子も出しますが、それは従の方で、主は酒を出すのであリます。
次に飯を出し、そして白湯を出すのでありますが、白湯は、酒が終って、菓子を出す前に出すのであります。菓子には茶湯を用いるのであります。

【020】
一、紫香、青香等の色有る袈裟を懸くべからず、律師已上の用ゆる所なる故に、但し五帖、長絹、重衣等計りを用ふべきなり云云。

紫香、青香の香は特に意味なく、紫色、青色の意。律師は僧官で、朝廷より任ぜられ、僧正、僧都、律師と次第する。本宗は白色または薄墨色を用い、決して紫色や青色その他、色のある袈裟を使用してはいけません。
色袈裟は、僧官の律師已上の僧都、僧正等が使用するので、本宗は名字位でありますから、官位につかないので、自ずから、高位の法衣を着ません。そして、白もしくは薄墨の五条の袈裟、長絹の衣、襲等ばかり使用するのであります。