日蓮正宗のススメ

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1194夜:日有上人・化儀鈔[日達上人略解]③

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日有上人・化儀鈔[日達上人略解]③

【041】
一、仏事引導(いんどう)の時、理の廻向有るべからず、智者の解行は観行即の宗旨なるが故なり、何にも信者なるが故に事の廻向然るべきなり、迷人愚人の上の宗旨の建立なるが故なり、夫れとは経を読み題目を唱えて此の経の功用に依って成仏す等云云。

仏事引導の時とは葬式の読経引導をなす時のことであります。葬式において、読経して引導をなす時は決して理論めいた言葉を弄した引導文をのべてはいけません。そういう理論めいたことは、智者の悟りで、天台宗のごとき観行相似即の宗旨で行うのであリます。
本宗は信をもととした宗旨でありますから、簡単に御本尊に向って亡霊の即身成仏を願うのであります。本宗は末法本未有善凡愚の人人を救うための宗旨でありますから。そのわけは、方便品、寿量品を読み、題目を唱えることによって、「妙法経力即身成仏」と示さるごとく、御本尊の功力で即身成仏をするからであリます。

【042】
一、龕(がん)など用うべからず、唐土の躰たらくの故なり、

龕は厨子の義があり、特別に高価なる覆物(おおいもの)でもあろうか。また唐土の体たらくとありますから、槨(かく)と同義に取ってもよいと思います。論語先進第一に、「鯉也死。有棺而無槨」とあります、これは顔回が死んだ時、顔回の父顔路が、顔回に槨を作ろうと思って、孔子に金を借りようとした所、孔子は、自分の子の鯉(伯魚)が死んだ時も槨を作らなかったと言った言葉であります。
葬儀の時は、贅沢な龕なんかは、中国式でありますから、使用しないで、簡素な棺だけを使用すべきであります。
(注、今日の一般の葬儀は、この適り棺だけを使用している)

【043】
一、霊山への儀式なるが故に、他宗他門、自門に於ても同心なき方をアラガキの内へ入るべからず、法事なるが故なり云云。

アラガキは、荒垣で竹矢来のこと。
本宗の葬儀は、霊山会に則る大切な儀式でありますから、式場は竹矢来を結って、他宗他門の者、及び自宗でも異心者は竹矢来の内に入れず、真に同心の者だけで、式を行うのであります、これは大法の行われる厳重なる儀式なるが故であります。
(注、世間の人の考えるような、死んだら、僧に経を読まして葬むれぱよいという簡単な考えとは、その趣きを異にして、葬儀は霊山浄土に入る大切な式とされているのであります)

【044】
一、上代の法には師範より不審を蒙る族をば一度訪うべし、二度とは訪うべからずと、云う大法なり、其の故は与同罪の科大切なリ、又堅く衆に同心に会せずしてこらさん為めなり、亦衆に見こりさせん為めなり。

本宗において、宗祖並びに二祖の時代の掟として、弟子が師匠から、信心や修行あるいは日常の所作の上に疑惑の点ありとして、謹慎を命ぜられている時は、同輩は一度は、誡め且つ励ましのため訪問してよろしいが二度三度と訪問を重ねることはできないのであります。
その故は、度重なって訪問すると、人情に陥ち入り、その人に組するようになって、結局は与同罪になるから、よく自分を慎しまなければなりません。また、同輩と交らしめないのは、孤独にして置いて反省せしめるためであり、また同輩たちの見せしめにもなるためであリます。

【045】
一、師範の方よリ弟子を指南して住山させ、又我が身も住山仕らんと披露するより全く我身なれども、我と、はからひえぬ事なり。既に仏へ任せ申す上は、私に、はからひえぬ事なり、然るは行体にささるる時は我は用が有ると云い、又我はしえぬなんと云う人は謗法の人なり、謗は乖背(けはい)の別名なりと、妙楽大師釈せられ候、即身成仏の宗旨を背く故に一切世間の仏の種を断つ人に候わずや。

行体とは本山の諸番役のこと、すなわち御堂番、客殿番、宝蔵番、その他、本助番等であります。ささるとは、使われること。
師匠の命令指図によって、弟子を本山に在勤せしめた時、その弟子も本山に在勤しますと誓約を立てて、本山に在勤すれば、その時から、自分の身体であっても自分勝手に振舞うことはできません。もうすでに、本山にいて大聖人に自の身体を任せているのでありますから、自分勝手な振舞はできないのであリます。
しかるに、諸番役を当てられて使われる時に、今自分は用事がありますとか、あるいは、その役は自分にできませんなどという人は、謗法の人であります。妙楽大師は、謗とは乖背(そむく)の意味であると解釈しております。即身成仏の宗旨である本宗の掟に背くのでありますから、その人は謗法の人で、一切世間の仏種を断ずる人ということになるのであります。

【046】
一、当宗の経を持つ人、二親をも当宗の戒名を付けて又仏なんどをも当宗の仏を立つる時、初七日よリ乃至四十九日百箇日乃至一周忌乃至十三年.三十三年までの仏をも立てて訪わん事然るべし云云、何れの時にても年月日なんどは訪わん時を始めとして仏も書く事・子細に能わず云云。

経を持つとは、妙法蓮華経を受持すること、すなわち信心することであります。仏を立つるとは、本尊を掛けるという意でなくて、軽く塔婆あるいは霊位を置くの意であります。
本宗に帰入して信心する人が、その両親は未信者でありますが、その両親に本宗の戒名をつけてもらい、本宗の霊位や塔婆を法事の時に仮りに設け、初七日、四十九日、百箇日、一周忌、十三年忌、三十三年忌等世間並の例によって追善法要をすることは差支えありません。
またこれらの忌日、年回によらず、随時に追善法要をしようとする日に、戒名を霊位、塔婆に書いて法要をして差支えないのであります。

【047】
一、学問修行の時、念比(ねんごろ)に一字一句をも習い候う人、死去なんどの後は、経をも読み仏をも立てて霊供なんどをも備えて、名をも付け訪(ともら)わん事子細に能わず、其の謗法の熱情をこそ同ぜざれ、死去の後熱情に同せずして訪わん事子細なきか、縦い存生たりと云うとも其の謗法の執情に同せずして祈祷をもなさん事子細なきか。

自分が修業中に、たとい一字一句でも教えて呉れた人が死んだ時は、戒名を付け、後々までも塔婆を立てて、御霊膳なども供え、読経唱題して弔うことは、報恩のため結構なことでもあリます。ただし、その死者が、謗法の執情である人であったら、その謗法に同じてはいけません。
その人が死んだのち、謗法に同ぜずして、正法をもって弔って上げることは差支えありません。また、その人がまだ生きておって、現世安穏の祈念を願われたならば、謗法を認めず、単純に正法をもって祈念してあげることは差支えありません。皆、昔の恩に酬ゆるためであります。

【048】
一、父親は他宗にて、母親は法華宗なる人、母親の方にて其の信を次ぐべき聞、彼の人には経を持たすべきなり、其の故は人の種をば父の方より下す故に、父は他宗なるが故に、母方の信を次ぐべき人には初めて経を持たすべきなり云云。

父親が他宗謗法の人で、母親が本宗の信心を持てる時、その子息は、信心の血脈は母親より継ぐのでありますから、その子息には本因下種の題目を唱えしめるのであります、そのわけは、人の種性は父親より受けることは勿論でありますがその父親は他宗謗法でありますから、仏種にかぎりては、母親から継ぐべきであります。

【049】
一、白袴をさしたる摺をば法華宗の僧も著べし染袴きべからず。

摺は摺袴で、種々の形をすりつけて染め出した袴、あるいは両股立ちを糸でからみつないだ袴のこと。
白糸でからみつないだ摺袴を、本宗の僧は着るのであって、(けだし歩行に便なる故でしょう)色染の袴は、着てはいけません。(色染の袴は、当時としては派手で贅沢であったのでしょう)

【050】
一、一里とも他行の時は十徳を著すべし裳付衣(もつけごろも)のままは然るべからざるなり、裳付衣は、常住の勤行の衣なるが故に、ただし、十徳の上に必ず五帖けさをかくべきなり、只十徳計りにては真俗の他宗に不同なきなり。

十徳とは、衣と羽織に似て、襠(まち)がなく腰に襞(ひだ)を取れるもの。
本宗の僧は、たとい一里でも外出する時は、十徳を著るべきであります。裳付衣(本宗の衣)のまま歩いてはいけません。裳付衣は、日常の勤行の時に、着るのであります。ただし外出の時は、十徳の上に五条の袈裟を掛けるのであリます。ただ十徳ばかりで歩くと、他宗の僧や、また俗人(俗人も十徳を着たから)とも見分けがつき兼ねるからであります。

【051】
一、有職・免許の後は状などには有職を書くべし、緩怠の義にあらず、俗の官堵寿領の後、状並びに着到なんどには書くが如し云云。

緩怠は、前述のごとく失礼の意。官堵寺領とは、官堵は仕官、寿領は受領で、国守となるをいう。着到とは、役所に他地から出仕した時に書く到着名簿のこと。
僧が阿闇梨号を法主から免許になれば、手紙等には、阿闇梨号を書くべきであります。たとえば、俗間において任官しあるいは国守になった後は、手紙あるいは出仕の到着名簿には、任官名や役名を書くごとくであります。

【052】
一、謗法の妻子春属をば連連教化すべし、上代は三年を限つて教化して叶わざれば中を違うべしと候いけれども、末代なる故に人も機も下機なれば五年十年も教化して、彼の謗法の処を折伏して同ぜざる時は正法の信に失なし、折伏せざる時は同罪たる条分明なり云云。

自分は正法を信心しても、妻子や一族が不信謗法であるならば、再々折伏教化すべきであります。宗、閑、目の三祖時代は三年を限度として折伏教化して改めなければ義絶すべきであるとされました。
けれども、今は年代も末となって、人の機情も下がって来ているから、五年乃至十年と気長がに教化して、謗法の処を指摘し折伏して、しかも改めないからといっても決して自分の信心に過失とはなりません。ただし、もし折伏しなかったならぱ、その謗法に与同罪であることは免れません。

【053】
一、当宗は折伏の宗なる故に山居、閑居、宗旨に背く云云。然れども付弟を立てて後は宗旨の大綱に背かず云云。

本宗は折伏を旨とした宗旨でありますから、折伏せずして、山林に陥り、あるいは空閑にいることは、宗旨の建前に背く謗法の行為となります。しかし、もし、付法の法器たる立派な弟子があって、それに後を譲って、自分は閑地に隠居したのならば必ずしも、宗旨の建前に背いた行為とはならないでしょう。

【054】
一、他宗なんど祈祷を憑みて後は、此の病、御祈祷に依って取り直し候わば御経を持ち申すべき由、約束の時は祈祷を他宗に憑まれん事子細をきか、左様の約束も無くして他宗の祈りを成さん事は謗法に同ずる条、更に以って遁れ難し云云。

他宗謗法の人から、病気平癒の祈念を頼まれた時、もし、その人が病気平癒の後は、必らず正宗に信伏帰依すると誓約するならば、その他宗の人の依頼にて、当病平癒の祈念をして差支えありませんが、そのような誓約もなく、ただ頼まれたからとて、他宗謗法の人の祈念を行ってはいけません。もし、行えば与同罪となるのであります。

【055】
一、学問修行の時は宗を定めざる故に他宗の勤め行事をなし、又他宗のけさ衣をかくる事一向子細なきか、宗を定むる事は化他門なり、学問修行は自身自行なるが故なり云云。

僧は所化として学問遊学中は、自行の修行中であるから、自他宗を論ぜず、仏教を学ばなければなりません。それ故、昔より他宗の談所、談林(共に学校)へ行って学んだのであリます。その場合は、他宗ならば、その宗の法衣を着し、その宗の勤行もしなければならないので、これは止むをえないのであります。(現今は学校制度で学問するのですからこのようなことはありません)
それは自身修行中で、自行のためですから差支えありませんが、一度学成り、行積めば、化他のため弘教するのですから、自分も一切謗法を厳禁の上に、折伏すべきであります。

【056】
一、親先祖、法華宗なる人の子孫は経を持たざれども、真俗血筋分かるに皆何れの代なりとも法華宗なるべし、根源となる躰の所、仏種を断つ時、自ら何れも孫ひこの末までも断仏種なり、但他宗他門の真俗の人、法華宗の真俗の人に引摂せられ師範の所にて経を持つ人は、縦い引摂する真俗の人仏種を断つ故に不審を蒙るといえども引摂せらるる他宗他門の真俗の人は仏種を断つ引摂せらるる人に同ぜずんば師範の不審を蒙るべからず云云。

根源となる体の所とは、その家の根本すなわち主人のことをいうのであります。引摂せらるとは折伏されて正宗に入信せしめられることであります。何代か先から、本宗の信者の家は、その子孫が怠慢で、題目の修行、折伏の修行を怠っており、しかも分家が沢山になっても、みんな本宗の信者であります。
しかし、もし、一家の主人が仏種を断つ謗法者となったならば、すなわち他宗に転じたならば、その家の系統の孫、曽孫の末までも謗法の者となります。
ただし、他宗他門の謗法の僧、俗であっても、本宗の僧、俗に折伏されて入信して正宗寺院の住職に授戒せられたならぱ、正宗の信者であります、たとい、その後、折伏した僧、俗の人が信心が退転して謗法者になって、寺院住職から、離檀せしめられ、あるいは信徒であることを停止されても曩(さき)に折伏されて入信した人は、謗法者となった所の導いた人の謗法に同意しなければ、寺院住職は、今まで適り信者として取り扱い、決して咎(とがめ)だてはいたしません。

【057】
一、法華宗の大綱の義理を背く人をば謗法と申すなり、謗とは乖背の別名なるが故なり、門徒の僧俗の中に加様の人ある時は再三私にて教訓して用いずんば師範の方へ披露すべきなり、其の義無くんば与同罪遁れ難き故なり云云。

法華宗(本宗)の大綱の義理を背くを謗法というとあってこれこそ謗法の明確なる定義であります。
本宗の大綱(宗綱=宗祖大聖人を末法の下種本仏と立て、寿量品文底本因下種の三大秘法顕現等、宗制に明示している)に違反し、信行の途の立たない人を謗法の人というのであります。謗とは前述の妙楽大師の釈に乖背(そむく)の別名とあります。
もし本宗の僧俗の内で、このような人が有ったならば、お互に再三諌言し忠告して、しかも改心しなければ、人の師匠に申し出るべきであります。もし、そのまま、謗法を知っていて、不問に附したならば、自分も与同罪となるのであります。

【058】
一、門徒の僧俗の中に人を教えて仏法の義理を背(そむか)せらるる事は謗法の義なり、五戒の中には破和合僧の失なり、自身の謗法より堅く誠むべきなり。

五戒は、ここでは五逆罪のことで、殺父、殺母、殺阿羅漢、出仏身血、破和合僧のことであります。本宗の僧俗の中で、他の信者を教唆して、本宗の宗綱に違背せしめることは、謗法であります。五逆罪の内破和合僧(和合僧団を妨害し破壊すること)の罪を犯すことであって、自分が直接謗法することよりも、他人を教唆した謗法は重罪ですから、よく誡心しなくてはなりません。

【059】
一、法華宗の真俗の中に知らずして仏法の義理を違え化儀を違うる事、一定辨えず違えたらば、罰文起請を以って義理を違うると云わば免許有るぺきなリ云云。

義理とは、衆生の教化の法、即ち化法であります。一定とは、たしかにという意。
罰文起請とは、起請文にもし再び犯したならばいかなる罰を蒙むってもよいという意味を書きこんだ起請文(誓約書)のこと。
本宗の僧並びに信徒の中で、もし知らずに本宗の化法、化儀に違反した時は、それが真実に知らないで違反したのであれば化法化儀に違反して申訳ないと反省し、再度かかることのないことを誓った誓約書を提出するならば一度だけは許されます。

【060】
一、遠国住山の僧衆の中に本尊、守り、有職、実名等の望み有らば、本寺住山の時分たりとも田舎の小師の方へ、本寺に於て加様の望み候、如何為す可く候やと披露して、尤も然るべき様、小師の領納を聞き定めて、本寺に於いて、加様の望みを申す時は田舎の小師に談合を致し、和様の望み申す由申され候時、諸事の望みに随って本寺に於て免許候えば、信の宗旨に相応して事の宗旨の本意たり、其の義なき時は理の宗旨、智解の分に成り候て爾るべからず云云。

実名等は、前の八条にもありました日号のことであります。日号は本宗では特に大切であって、法主上人の御印可によってつけられるのであります。産湯相承に「予(宗祖)が一期の功徳は日文字に留め置くと御説法あり」とあるごとく大切な文字であります。身延派や、その他の謗法の僧が、勝手につける日号とは、全くその真意が異るのであります。
領納は、了解納得の意で承諾のこと。遠国より来り、本山に在勤している僧の中で、常住本尊、守り本尊、阿闇梨号、日号等を頂戴しようと思う者は、たとえ本山在勤中でも、一応、国の自分の師匠に対して、本山で私はこのような望みを持ちましたが、どうしたらよろしいのでしようかと照会して、師匠からあなたのよろしきようになさいとの承諾をえて、始めて本山にて、本尊、日号等の願い出る時、国の師匠の承諾もえておりますからとつけ加えて願い出れば、本山の法主上人から、本人の望み通りに下附せられるのであリます。
これは信を旨とした宗門のありかたであります。そうでなくて、本人が自分勝手に種々のことを願い出るのは、自分の智恵のままふる舞うので、師弟相対の信心の上から見てよろしくないことであります。(注、現在でも、常住本尊、守り本尊その他の願書は、すべて末寺の添書(証明書)を必要としております)